第24話潔癖男子の憧憬

 紫倉さんの優しいところを、最近、前にも増して好きだなあ、と思う。いや、初めて会った時から紫倉さんのことは好きだったのだが。


 ……ん?


 そういえば、そもそも俺は彼女の何に惚れたというのだろう。たしかに彼女は可愛い。生まれたての雛のように頼りない印象は男の本能を刺激し、支えてあげなきゃという使命感すら燃えさせる。


 だが「タイプか」と訊かれると、そうではない気がした。俺がテレビを見ていて惹かれるのは、紫倉さんのような清純派女優より、どちらかというと理知的なニュースキャスターだ。


 なら、彼女の性格に惚れたのか? 紫倉さんは共に歩くように俺を見守ってくれる、優しい子だ。その性格に魅力を感じているのは否定出来ない。 


 けれどそれは、彼女と接してみて分かったことだ。知れば知るほど彼女に対し好意は募っていくけれど、俺は雨の放課後、すれ違ったあの一瞬に、心臓をわし掴まれたのだ。


 あの痺れるような、焦がれるような感情は、一体彼女の何に反応して湧きあがってきたのだろう。一目惚れにしたって、彼女の何にそんなに惹かれたというのだろう。


 そんなことを悶々と考えている間に、建物と駐車場を繋ぐ道の一角にある、ビニールハウスへ辿りついた。ここはホームセンターの別館のようで、ガーデニング関連の物が揃っているらしい。プランターや肥料が山積みにされていた。


「目的の腐葉土はどれだ……?」


 俺が物珍しく思いながら辺りを見回していると、紫倉さんはビニールハウスの外に並べられたプランターへ、吸い寄せられるように駆けていった。


「し、シナガセさん! 見て下さい!」


「え?」


 興奮気味な紫倉さんは珍しい。今日は紫倉さんの色んな一面が見られるな、と思いながら彼女の元へ近寄ると、プランターから溢れ出すくらい色とりどりの花が咲いていた。


 ……ん? これは……。


「シナガセさん、これが百日草ですよ」


 その場にしゃがみこんだ紫倉さんが言った。


「ピンクにオレンジ、黄色に白……。色が沢山でキレイ、でしょう?」


 ヘラ状の花弁がいくつも重なった形や、一重の物。それからポンポンのように半球状の形をした花が可憐に揺れている。ビビットな色をした物が多く、愛らしい見た目は俺の目を楽しませた。


 でも……。


 風に髪を遊ばせる紫倉さんへ、視線を送る。花より何より、百日草をバックに微笑む紫倉さんが、一番綺麗だ。本当に。


 そばにいるのに、今以上にそばにいてほしいと思う感情が、胸を焦がす。体中が、細胞までもが、紫倉さんを渇望している気がした。


 そんな俺の気持ちを知るはずもない紫倉さんは


「黄色は何だか、ハシバさんに似てますね」


 と、太陽のように目を引く黄色の百日草へ視線を落として言った。


「確かに、アイツっぽいな」


 華やいでいて、それでいて周りを明るくさせる黄色の百日草は羽柴そのものだ。


「ですよね? ……シナガセさんは、白色のイメージです」


 カラフルな花たちが主張しあうのを抑えるように混ざった白い百日草を指さし、紫倉さんは眩しそうに言う。


 俺が白……? いや、むしろ……。


「紫倉さんの方が、白色だろう」


「え?」


「清廉で、いつも純粋そうに笑う。ふんわりと優しい白色のイメージだ。……紫倉さん?」


 紫倉さんのことを思うと自然と緩む顔の筋肉。それに気付かず放った俺の発言を受けて、紫倉さんは、なぜかまた赤くなった。


「……シナガセさんって……結構、言います、よね……」


「……? 『言いますよね』って……何をだ?」


 俺は首をひねった。紫倉さんは「うう……」と口ごもり、話題を変えるように「あの、もう少しだけ、百日草を見ていってもいいですか?」と頼んできた。


「あっ。でも、そういえば……ハシバさんが学校で待ってくださっているんでした……!」


「あいつならテキトーに息抜きしてるだろうから、少しくらいなら大丈夫だろ」


「そう、ですか?」


「ああ。気にしなくて大丈夫だ」


「……じゃあ、ちょっとだけ……」


 足が痺れることも気にせず、紫倉さんはちょこちょこと首を傾けて、色んな角度から百日草を眺める。その後ろ姿がヒヨコみたいで愛らしく、何時間でも見つめていたい気がした。


 が、あんまり後ろから食い入るように見つめていては、紫倉さんも視線が痛いだろう。俺は惜しむ気持ちを抑えて、百日草が置かれているエリアをうろうろすることにした。


 ちょうど紫倉さんの向かい側まで来た時、やはり気になって彼女を見つめてしまう。


「……あ……」


 花へ愛でるような視線を送る紫倉さん。それを真正面から視界に捉えた俺は、既視感に目をまたたいた。


 あ……紫倉さんのこの顔は、初めて紫倉さんを見た時の顔と同じだ。俺が焦がれてやまない、あの表情だ……!


 鮮烈に焼きついたあの熱情が思い出されて、全身を駆けめぐる。


 どうしてこんなにも、紫倉さんが花へ向ける視線に目を奪われるんだ……? その表情を、俺へ向けてほしいって思う……? 


 もう少し、あと少しで、その答えが見つかりそうな気がした。


「紫倉さんは……」


 邪魔をしては悪いと思ったが、俺は紫倉さんに声をかけた。


「随分と幸せそうに花を見ているんだな……?」


 紫倉さんは、陽だまりのように柔らかく笑って頷いた。


「はい。コドモ、みたいなんです」


「――――……子供……?」


 俺の鼓動が速くなった。彼女に焦がれる心の正体が、今、見えた気がした。


「はい、子供です。毎日、お花が枯れないように、元気に育つようにって見守っていると、オカーサンみたいな気持ちになるんです。あ、でも、親になったことないのに、変ですね」


「…………いや」


 俺はカッターシャツの胸元を手でそっと押さえる。今、胸にストンと落ちてきた気がした。


 ……やっと分かった……。


 ……そうか、そうだ。俺は紫倉さんに、手にしたことのない無償の愛のようなものを見いだしていたんだ……。


 母親が子供に向けるような、見返りを求めない深い愛情。それを手に入れたいと渇望してきたから、無償の愛を持っている紫倉さんにこれほど焦がれていたんだ。


 一番欲しいものを持っている人だったから、彼女が愛しいと思ったんだ……。


「シナガセさん?」


 ぼーっとしていたのだろう。いつの間にかこちらへ寄ってきていた紫倉さんが、俺の目の前でひらひらと手を振る。


「ごめんなさい。待ってるの、飽きちゃいましたか?」


「……いや……考え事をしていた」


 俺は緩く首を振ってから、紫倉さんを見下ろした。


「親みたいな、か。紫倉さんみたいな優しい母親の元で育つ子供は、幸せなんだろうな…って」


「え……?」


 紫倉さんは、一瞬きょとんとした表情を浮かべた。そのあと、背後で咲き誇っているピンクの百日草よりも鮮やかに頬を染めた。


 そういえば、今日はよく赤くなってるな、紫倉さん。もしかして風邪か……?


「どうした? 体調でも悪いのか?」


「い、いえ……そのっ。だ、だから、シナガセさんは、ズルイですっ。何だか、女の子を舞い上がらせるようなことを、何のてらいもなく言うから……っ」


「舞い上がらせるようなこと?」


「……も、もういいです! 早く腐葉土を買いに行きましょう!」


 なぜか拗ねてしまった紫倉さんの後を追いながら、俺は首を傾げた。


 よく分からないが、今日は本当に紫倉さんの色んな表情が見られる。母親のように慈愛に満ちた一面だけじゃなくて、年相応な幼さも、意外な積極性も。


 俺は学校を出た時より紫倉さんとの距離が縮まったような気がして、嬉しくなった。


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