第35話 ねずみたちの奔走
「疲れたわ。ヒルダ」
小さな体に似つかわしくない広さの豪勢なベッドに全身を委ねて枕に顔を突っ伏しながらルセリナが言った。
「お疲れ様ですお嬢様。あれだけの市民に愛されているという事実は、この国を担っていく力となるでしょう」
「お兄様は……いつもこんなに大変だったのかしらね」
「お休みになられますか?」
ベッドの傍らに立つヒルダはルセリナの声色に心的疲労を感じ取り提案した。
「うん、少し……休みたい。ありがとう」
「いいえ。それでは失礼します」
巨大な扉をくぐり抜け廊下に出ると部屋の中のさっきまでの空気が嘘のように張り詰める。
それも無理はない。
武闘会は国王を決めるためのもの。王城に務めるものからすればあと数日でクライアントが変わるも同然。待ち受けるのは優遇か横暴か、衛兵たち……ましてや側近は皆気が気でないのだろう。
私の仕事はお嬢様を守ることだけ。
胸に硬く誓って顔を上げると、見慣れた不愉快な顔が向こうからやってきていた。
「や、やぁヒルダ殿。ルセリナ姫はお休みかな?」
「はい。たった今」
「そうか……」
肉親を失ったルセリナについで王城で二番目に権力を持つシルヴィアの執政ザンポだ。
よく肥えた身体に、貼り付けたように変わらない気持ちの悪いニヤケ顔。
ヒルダが最も苦手な人間だった。
「して、ヒルダ殿」
「何でしょうか」
長く続く廊下を眺めながらヒルダは返す。
「開会式でのことだが……気がつきましたかな?」
「キールズ一族……ですね」
キールズ一族。それはシルヴィアでも随一を誇る富豪の家の名だった。魔王が世界を支配した暗黒の時代に数多くの黒い仕事に手を染め、莫大な財を得たと言われている。そのような経歴から暗殺組織とつながりを持っており、先代の死去を期にシルヴィア転覆を狙っているとされていた。
取り立てようにも証拠がない。仮に強制的に捜査を行ったとして何も出てこなければ王室の信用に関わる。キールズ一族の噂が本当だとすれば情報の抹消など容易に行えることだろう。
ヒルダは王室が常に後手に回ることしかできない現実に苛立ちを隠せなかった。
「広場にいたのは多分当主本人でしょうな。モリア・キールズ。一体何を企んでいるのか……」
「武闘会に出場するつもりでしょうね」
ヒルダは低く重い声で言った。
「機会に乗じ、まっとうな手段でシルヴィアの王座を狙っているといるというわけです」
「しかし……キールズ一族は暗殺組織とつながりがある。仮に試合にこぎつけたとして、本職相手に勝てるのだろうか?」
「お嬢様を守るためなら手段を選んでいる暇はありません。そうですね……」
ヒルダは一呼吸おいて言った。
「王室側で傭兵を雇いましょう」
「傭兵? そんなもの」
「信用なりませんか?」
「そりゃあそうでしょう。どこの馬の骨とも知らない人間に王室の未来の片棒を担がせるなど……」
「…………」
ザンポの言葉は至極全うだ。普段何をしているのか、何を考えているのかわからないこの男にしては、良く取り繕うものだ、とヒルダは静かに頷いた。
「傭兵を王室に入れると言っているわけではありません。ただ大会に出て勝ってくれさえすればいい。もっといえば、ささやかでもいい、悪意を持って武闘会を制しようとするものの障害となってくれさえすれば」
ヒルダの掴みどころのない言葉に、ザンポは表情を曇らせて言った。
「ヒルダ女史の言いたいことはわかりますが、そもそも傭兵の宛てはおありで?」
「……えぇ、一人」
ヒルダの脳裏にはあの夜の青年の姿が思い浮かんでいた。
「どちらにせよ、この件は私が言い出したこと。決着は私が付けます」
「しかし……」
「少し、出ます」
不安げな表情のザンポを他所に、ヒルダは吐き捨てるように言い切って踵を返す。
「衛兵!」
「はっ!」
「お嬢様の部屋の警備を」
「はっ! 承りました」
背後からザンポの舌打ちが聞こえたようで、ヒルダは唇を噛んでその場を後にした。
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