第32話 私闘


 日が完全に落ちきってもシルヴィアは活気を失わない。

 昼間は商店が盛り上がり、夜は酒場が賑わう。当然のようでユーマにとって当然ではないその光景は、人の温かみを感じられる不思議なものに見えた。

「なかなか楽しめたなシルヴィアは」

「それは良かった。私の街だもの」

 ルセリナに牽引されてユーマはシルヴィアの街を巡り巡って歩きまわっていた。

 おすすめの八百屋に肉屋。ルセリナ一押しの隠れた名店など、たかだか一週間の来訪では知り得ない街の情報をこれでもかと叩き込まれたのだ。

 情報は手に入り、ルセリナも満足げにして人気のない広場の噴水の横に座っている。多少の出費はあったものの、これだけでマオの力を見つけられるてかがりとなれば御の字であろうとユーマは踏んでいた。

 無言で思考するユーマを見かねて、ルセリナは足を振り子にして立ち上がると言った。

「ねぇユーマ。最後に私の家に招待してあげる」

「家? いいのか? こんな時間に」

「大丈夫よ。ヒルダに言えばお夕食だって用意してもらえるわ」

「ふーん……」

 ヒルダ……。母親を呼び捨てにするとは考えにくい、使用人の名前だろうか。

 となると、ルセリナは使用人を雇える程度の裕福層だったということになる。たしかに改めて見れば、その長い手入れされた髪の毛やフリルの付いたドレスなどは裕福そうと言われれば確かに、と納得出来る。

 街を歩きながらいつの間にか食べ尽くしていた、エミリアとマオへの土産となるはずだったパンのことを思い出し罪悪感を多少なりとも感じつつも、年端もいかない少女の話だけではなく大人から情報を得る機会をつくることが出来ると考えれば、天秤にかけるまでもなかった。

「お邪魔させてもらうか。夜になっちまったからどうせ家まで送ろうと思ってたしな」

「ふふふ、家まで私を送れたら大したものよ」

「どういうことだ……?」

「秘密。とりあえず行きましょう。寒くなるわ」

「あぁ、そうだ――なッ!?」

 身体はあてられた殺気に呼応するように半ば反射的に動いていた。

 上体を反らしたユーマの目の前を通ったのは、輝く銀閃と仕手の鋭い眼光。その殺意は明らかにユーマの命を狙っているように

「よく躱す」

「なんなんだ一体!?」

 ユーマはそのまま後方転回し、突如現れた乱入者と距離を置いて唸った。

「ヒルダ!」

「下がって、お嬢様」

 ヒルダと呼ばれた長身細身の銀髪の女は、左手に持った細身の剣に月明かりを反射させてルセリナとユーマの間に割って立った。

「あんたがヒルダ……? 思ってたよりも随分若いな。それに……」

 ユン、と空気が揺れる音がして、ユーマはヒルダが目の前に突如現れたかのように錯覚する。次の瞬間に放たれた豪速の突きを、ユーマは殺意の軌道を感じ取り、間一髪で躱した。

「強い!」

 高調し始めた気持ちのままに剣を抜く。無意識に指をかけたトリガーを握りしめ鍵詞を唱えそうになるのをこらえて、ユーマはヒルダの冷静かつ冷ややかな視線と瞳を交わらせて笑った。

 さぁ、次はどう来る。どうやってこの場を切り抜ける。走って逃してくれるのだろうか。そもそもなぜヒルダは攻撃を仕掛けてくるのか。

 そんなことを考えている間に、ヒルダの殺意は再びユーマを襲った。

 金属の衝突音が誰もいない広場に響き渡り、火花に似た閃光が散る。街灯と月明かりの逆光で、ユーマにはヒルダの表情がはっきり見えない。暗闇に浮かぶように光の残滓を生むヒルダの瞳の動きがやけに怪しくユーマの視界を乱す。

 だが、ユーマとて伊達に剣の修業は積んではいない。ヒルダの視線、筋肉、そして気の動きを敏感に読み取って剣の動きを予測、すんでのところで身を翻し躱す。出来なければ剣で受けた。

 ユーマは決して自ら攻勢に回ることはなかった。

 この戦いに意味が無いからだ。

 そもそもこれはユーマが始めた戦いではない。ヒルダが突如として、それも一方的に剣を抜いた。ユーマはそれを受け、いなしているに過ぎない。そういう意味ではこれはもはや戦いですらなかったのかもしれない。

 ルセリナとの会話を思い出せば、このヒルダというのはルセリナの家の使用人らしい。ならば、素直に考えるならば、彼女は俺をルセリナを誘拐しようとした輩だと、そう認識しているのかもしれない。そう考えればなにもかも合点がいく。屋敷のお嬢様を守るため、見も知らぬ輩を排除することなど、使用人ならば考えてもおかしくはなかった。

「おい……おい、アンタ!」

 激しい剣戟が勢いを失い、ヒルダ、ユーマともに一足一刀の間合いに落ち着くと、ユーマは声を荒げた。

「なにか」

「何か勘違いしているんじゃないのか。俺はそこの――ルセリナを助けてやった身だぞ」

「それは本当ですか? お嬢様」

「え、えぇ……確かに」

「…………」

 鋭い視線をユーマに向けたまま、ルセリナへ優しく問いかけたヒルダは剣を振るう手を止めるとその解答にしばらく黙する。なんらかの答えを導きだしたのか、再び剣を構えユーマを睨みつけた。

「ルセリナ!」

「すこしお静かに、お嬢様。私はただ、見極めるだけです」

「……見極める?」

 ユーマが首を傾げるのもお構いなしに、腰だめに構えたヒルダの周囲を今までにない殺意がうずまき出す。構えた細身の剣が糸を張ったようにピンとまっすぐにユーマの心臓を突き示していた。

 なるほど……と楽しそうに口元を歪ませ、負けじとユーマも剣を構える。

 この一撃でヒルダの攻撃は終わる。直感ではあったが、ユーマはそれを確信していた。

 ヒルダがなぜ襲ってきたのか、そもそも何を見極めるというのか、理解できないことばかりだが、これを凌げば終わるというならやってやるまで。

 気を目いっぱいに張り詰めさせて、ユーマは剣のトリガーに指をかけ直す。

 焦ってトリガーを引きそうになったが、ここでは使えない。仮に王都騎士団の面々がこの街に、この街の近辺にいたとすれば魔力を辿りこちらの存在がバレてしまうだろう。それに滞在初日に問題を起こしてしまうのも後の滞在に支障をきたす。ユーマはこの戦いを穏便に終わらせる必要があった。

「この一撃を耐え忍べば、今日は見逃しましょう」

 そう言ってヒルダの姿がユーマの視界から消える。ユーマに見えたのは噴水の傍らで何やら叫ぶルセリナの姿。その小さな口がなにやら言葉を形作って……。

 に、げ、て……?

 次の瞬間、ユーマの八方を取り囲うようにヒルダの姿が複数になって現れた。8本の剣は的確にユーマの心臓を狙い一直線に突き進む。

「……ッ!」

 ユーマは剣を地面に突き刺し自らの肢体を持ち上げる。要するに、剣を支えとした逆立ちだ。

 ヒルダの剣がユーマの過去の姿を串刺しにする。頬に冷や汗を流しながらユーマは思考していた。

 ヒルダの姿は8つ。素直に考えればこれは魔法だ。幻影魔法か、変性魔法か。幻影魔法ならば、本体は明確に8つの内どれか1つ。変性魔法ならば、本体を希薄な存在として8つに分身させたのであれば、厄介なことに8つの内どれもが本体である可能性がある。攻撃の確定した体1つに自らの希薄だった存在の要素を集約させれば攻撃は成功する。

 つい先刻の冷静な思考などもはや忘れ去られていた。

 本体がピクリとでも動けばトリガーを引く。ヒルダの得物が宙に浮いたユーマを串刺しにするよりも早く、加速した『魔を断つものデモンシーバー』がヒルダの体を真っ二つにしていることだろう。王都騎士団? 滞在に支障? 自分の命が一番だ。そう自分に言い聞かせて、ユーマの指はいつの間にかトリガーに力を込め始めていた。

 しかし、

「さすがですね」

 ユーマの緊迫した空気とは裏腹に優しげなヒルダの声はルセリナのいる噴水側から投げかけられた。その周囲には先までとは違い殺意のかけらも見受けられない。穏やかな感情だった。

「……驚かすなよ」

 曲芸のような姿勢から地面に着地して剣を収めながらユーマは平静を装う。無駄に高まった心拍数が肩で呼吸を強要し、やけに情けない姿の自分にユーマ自身呆れながら返した。

「ユーマ、大丈夫?」

「なんともない。初めから殺す気だったわけでもなさそうだしな」

 ヒルダの後ろでおどおどするルセリナの言葉に、手を振って笑い答えると、安心したようにホッとため息をついた。

「この度は謝罪します。お嬢様を狙う悪漢ではないかと、こちらで勘違いしてしまったようです」

「あぁ、そういうのは慣れてるよ」

 あまり年端の行かない少女を連れ歩くときは気をつけよう。

 マオの顔を思い出しながらユーマは考えた。

「して、相当な剣の使い手と存じますが、名は?」

「ユーマだ」

「今度は正々堂々手合わせ願いたいものです。それほどの腕前でした」

「あぁ、ありがとよ」

「それともう一つ。ユーマ殿は武闘会への出席を?」

「ヒルダ……!」

 なんだ? 武闘会?

 ユーマは首をかしげると同時に、この街に集まる旅人の意図をようやくもって理解するに至った。

 そうか、武闘会。それに参加するために彼らはこの街にやってきたというのであれば合点がいく。

「いや、その予定はない」

「……そうですか」

 一人納得しながら問いに答えると、ヒルダはほぅと息を吐いて握った剣を音もなく鞘に収める。

「シルヴィアの夜は暗く寒い。本日はここで幕としましょう。ユーマ殿、またどこかで会いましょう」

 と言うや、ヒルダはルセリナの手を引いて歩きだす。

 ユーマは何か言いたげに振り返るルセリナに控えめに手を振った。

 引き止めはしない。その理由もないのだから。しかし、ヒルダの空虚な物言いに、ユーマはどこか違和感を覚えてならなかった。

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