第30話 水の都

 聞き慣れない人の声とざわめきと騒音で目が覚めた。悪態をつきながら上体を起こすと腰の関節が軽率に不気味な合奏を始めた。

 はっきりと聞こえたのはマオの声だ。寝ぼけ眼をこすって運転席に目をやると、鎧を着こんだ衛兵との会話が視界に入った。

「滞在目的は?」

「そうだな。主に観光だ」

「期間は?」

「一週間といったところだろう」

「承知した。問題を起こさぬよう」

 衛兵が魔導車から一歩引き、再び車が動き出した。街の周囲をぐるりと囲んだ深い堀にかかった橋をゆっくりと渡り始める。門をくぐる前から水の香りが鼻孔をくすぐって気分が安らいでいくのが感じられた。

「水の都シルヴィアか……」

「起きたのか」

「おかげさまで」

 ユーマの独り言を聞いてマオが反応した。キルナの姿が見当たらないということは、マオの中で休息しているということだろう。ユーマは荷台のエミリアを起こすべく抱えていた剣を置いて立ち上がった。

「エミィ、起きろ着いたぞ」

 胎児のように丸まって眠るエミリアに軽く声を掛ける。エミリアに対して決してやってはいけないのは、寝ているエミリアに触れて起こそうとすることだ。まるでそうは見えないがこれでも一人前と認められた暗殺者。触れようとした瞬間自らの指が宙を舞ってしまうだろう。運が悪ければ手首ごと落ちていてもおかしくはない。

「おはよ、ユーマ」

 すると、まるで今まで寝ていたことがウソのようにパッチリと目を覚まして起き上がった。寝起きがいいのも暗殺者らしい。たとえ休息をとっていたとしてもいついかなる襲撃にも対応できるよう教育されたからだ。逆に、エミリアはどんな環境でも素早く休息を取ることが出来る。

 ユーマはエミリアの睡眠コントロール術を見習いたいと心底思って笑った。

「ここが水の都シルヴィア?」

「みたいだな。ものすごい活気だ」

 ユーマが聞いたざわめきの正体は街の賑わいだった。昼時ということもあり街には人が溢れている。展開される数々の商店には通りを行く人々が興味の視線を向けていく。商店にもその店様々な個性が現れており、果物を売る者、骨董品を売る者、武器や防具など店の前に行かずともこの情景を楽しむことすら出来た。

 何よりユーマの気を引いたのは街のいたるところを蜘蛛の巣のように走る水路だ。湖に隣接した街ということもあり豊富な水の供給を景観として利用する取り組みは、この街に初めて訪れたユーマたちの心を間違いなく揺さぶっていた。

「城まであるのか。とんでもない街だな。知らなかったことが恥ずかしいくらいに」

「おっきいよねー。ジータさん家よりも大きい」

「仮にこの街が王政だとしたら、下手にあれには近寄らないほうが良さそうだ。とっ捕まるぞエミィ」

「捕まるようなヘマはしませんよーだ」

 二人は正面彼方先に浮かび上がる豪勢な城を見て言った。

「ユーマ、エミリア、魔導車を片付けるぞ」

「ユーマ、エミリア、魔導車を片付けるぞ」

「了解」

「はーい!」

 マオの言葉を受けて二人は魔導車を飛び降りる。レンガ造りの地面が今まで歩いていた土とはまた違った感触を靴越しの足へと与えた。

「『エスネ、ム、エルチル』」

 マオが呪文を唱えると魔導車は瞬く間に小さくなり、マオの小さな手の内に収まる大きさの立方体に変化した。

 ポケットにそれを押し込んで、マオは二人を見上げる。「行くぞ」と言うや、目的地も行く宛もなく人混みへ向けて歩き出した。

「おいマオ! 迷子になるぞ」

 ユーマとエミリアは顔を見合わせて、道行く人の背に隠れて消えるマオの背中を追って走りだした。

 一歩歩く度に誰かと肩が触れるほどの混雑に四苦八苦しつつ通りを歩いていく。周囲を見渡しながら歩くユーマはこの街における奇妙な点を見つけ出していた。

「旅人……が多いな」

 それは旅人というよりも傭兵に近い。彼らは武器を持ち、防具を着けギラギラとした眼差しをして周囲の人間──というより同業の人間に対し威圧的な空気を醸し出していた。

 シルヴィアは街の立地としてあまりよろしい場所にあるとは言えない。大陸でも最西端、それも湖に隣接し、近場に貿易を行えるような街も少ない。王都へ向かう通り道かと言われればそんなこともなく、わざわざ景観を見に訪れる目的でもなければ街へ入る理由もないのだ。

 なにか余興でもあるのだろうか……。ユーマは旅人、もとい傭兵と思しき人間らから目を合わせ無いよう視線を逸らしながら、本来の目的の手がかりを探すため更に注意深く周囲を見渡しつつマオの背を追った。

「…………。……。……そうか、ありがとう」

「何話してたんだ?」

 ユーマの後ろ手に手を振り歩いていく男の背中を見送って、追いついたマオに問いかけた。

「あぁ、聞いていたんだ」

「聞いたって何を?」

「宿屋の場所だ」

「あは! マオは有能だね!」

「以前は頼ってしまったからな。出来ることをしているまでだ」

 皮肉の込められたエミリアの言葉に、真に受けたのかはたまた鈍感なのか、マオは真面目な表情で返す。

「それで? 宿屋はどこにあるんだ?」

「教えてしまってはつまらないだろう。私についてくるが良い」

「…………?」

 ユーマとエミリア顔を見合わせて自身有りげにない胸を張って歩き出すマオについて歩きだした。


「んで、宿屋は一体どこにあんだよ。もう大分歩いてるぞ」

「アタシも疲れてきちゃったなぁ」

「ば、バカ者! もう少しだ、もう少しで着く……ハズだ」

 ユーマたちはマオに連れられかれこれ一時間ほど街中を歩き回っていた。

エミリアも気づいているであろうが、もうすでに何度か見かけた光景が視界を通り過ぎていく。その中にあった宿屋と思しき建造物は幾度となく無視されて続けていた。

 ユーマは見兼ねたように言った。

「なぁ、もう一度尋ねてみたらどうだ?」

「う、うるさい! この街は広いのだ。これくらい距離があって当然であろう」

 ヤケクソ気味に返すマオはもうしどろもどろで会話にならない。エミリアはその状況を楽しむかのようにユーマに耳打ちした。

「ねぇ、マオってさ。方向音痴だよね」

「……多分な」

 マオの背中を横目に囁き返す。

「この辺りのはずなんだが……」

 マオは三回目の往来でやっと目的地を臨む噴水広場で立ち止まって見渡し始めた。

 人通りが多いから低身長のマオでは宿屋が見えないのではないか。いいや、そんなことはない。マオが立ち止まったその場所こそが宿屋の門、入り口なのだから。

「ユーマ? わ、何をする!」

 長く生きすぎてボケたのでは……。若干の懐疑に頭を悩ませながら、ユーマは呆れ顔でマオの両肩に手を置くとその小さな体を180度回転させた。

「お、ここ宿屋じゃないか? さすがマオ、やっと着いたな」

「道案内ありがと、マオ」

「……そ、そーだ! ここが宿屋だ! ふふん、私の道案内は完璧であろう」

「…………」

 半ば呆然としてはっと我に返ったマオの言葉に苦笑いをしながら頷くユーマ。

 エミリアは二人の様子を交互に伺うと、何か察したように宿屋の中へと入っていく。マオは若干紅潮した頬を隠すようにうつ向いてユーマの服の裾を引いてその背を追った。

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