第19話 ユーマの論理

 電撃が顔面をかすめて飛んでいく。

 つねられたような痛みが頬を伝い、ユーマは顔面にしびれを感じた。

 炎弾を回避する事が出来るユーマとはいえ、電撃の回避は極めて困難だ。電撃には実体という物がない。帯状の光が鞭のように飛来して攻撃を加える。そういえばなんとか避けられそうだと考えられなくもないが、電撃は炎弾の何倍も速度があった。

 雄叫びを上げ、ジーダへと猛進するユーマ。

 剣を振りかぶったユーマが懸念していた事は、先制するジーダがどんな手段を使ってくるかということだった。しかし、それ──電撃はたった今不発に終わり、ジーダ自身は完全な無防備状態にある。

「!」

 振りかぶった剣の勢いを腕の力で抑えこみ、ジーダの手前約三歩の位置でユーマは何かに気付いて足を止めた。

「鋭いな、小僧」

 ジーダはニヤリと笑った。

 ジーダの足元には不自然な帯電現象が起きていた。そしてそれは奇妙な魔術紋様を描いてとどまっている。

 それは──罠だ。設置式地雷型魔術罠ルーントラップ。触れた途端、地面に埋め込むように蓄積された魔力が開放され、相手を攻撃する仕組みの破壊魔法だった。

 罠が設置されていたことは対して驚くことではない。屋敷の中に侵入者が入ると知って、その程度の罠を仕掛けておかないほうがどうかしている。

 だが、たった今罠が仕掛けられている場所はすでにユーマが歩いた地点だ。つまり、その時点で罠が発動していなかったということは、ジーダがユーマと対峙した隙に仕掛けたことになる。

 魔法は、基本的に呪文を唱えて発動するものだ。つまり、どうしても会話の途中──しかも面と向かっての会話に挟みこむことなど不可能なのだ。

「隙だらけだぞ! 『イアカ、ム、クラープ』!」

「チィっ!」

 足を止めたユーマに、ジーダは容赦なく破壊呪文を叩きつける。即座に横に身を放り投げ、高速の電撃を躱した。

 バヂン、と弾ける音がして後方の古書が埃を巻き上げて吹き飛んだ。電撃が生み出した光が視界の隅でチラついて、ユーマは冷や汗を流す。

 ジーダが魔法を使えるということは分かった。ある程度の予想もしていたし、その心構えもあった。電撃の破壊呪文は回避されにくい上、周囲へ被害が出にくい。利口的だと素直に思う。室内には本が散らばっている理由で、炎系の呪文は唱えられないのだろう。

 同時にそれがジーダの弱みでもあった。

「アンタがどう思うか知らないが、欲しい情報を得られた今、俺にはここに思い残すことなんてこれっぽっちもないんでね」

「む……?」

 ユーマにとってこの場はアウェーだ。地の利などはじめから無い。

 だからこそ、環境を捨てることができる。

「『イアカ、ム、エリフ』」

 手の平から小さな火球が飛び出て、側に落ちていた本へと引火した。湿気の少ない室内、それも火のまわりを助長する本ばかりが散らばる部屋。

 火はすぐに炎へと変わり、部屋一面を紅色に染め上げた。

「貴様、よくも!」

「俺は奪う側だ。奪われる側じゃない。奪うためにはなんだって利用するさ」

 魔法は選ばれし者が使える技、というわけではない。あまり器用なことは出来ないとはいえ、ユーマにも魔法を使うことも出来るのだ。

 炎が部屋のあちこちに燃え移る。

 熱で肌が焼けるのがわかった。おそらくこの部屋に長居すれば自分すら危険だろう。とはいえ部屋から脱出出来たとして、屋敷全体が炎に包まれるのはいつになるかわかったものではない。

 それにユーマは単独で脱出するのが目的ではない。あくまで後方の少女──キルナを連れださなければいけない。

「奪うもん奪って、さっさとトンズラさせてもらうぜ!」

「──ひゃっ!?」

 炎に怯んだジーダをよそに、ユーマは剣を背負い上げ振り返る。前方のキルナの体を担ぎ上げた。

 そのまま炎でもろくなった壁を蹴り壊し、歩を進めた。

 屋敷の廊下に出ると、熱でむせ返った空気が一瞬で肌を冷ます。血が登った頭に冷静さを取り戻させた。

「逃がすかぁ!」

 書斎の横を駆け抜けるべく先を急ぐユーマに向け、横から複数の炎弾が飛来してきた。

 すでに火の手が上がったことで躊躇がなくなったと見るべきか。なお気が抜けない状況になったのは間違いない。

 ユーマは炎弾を目視で避けきり、更に足を早めた。

「てめぇ! 女の子抱えた人間に容赦なく撃ちやがって!」

「ふっ……」

「……?」

 ユーマの怒声に対し、ジーダは書斎から姿を現し不敵に笑った。

「その小娘はあくまで私の道具だということ、忘れてはいないか?」

「なに……?」

 不穏な空気を察知し、抱えたキルナに目をやるユーマ。

「────ッ!?」

「え……『エスネ、ム、スギーブ』!」

 キルナは怯えた表情のまま、ユーマに手の平を掲げ、呪文を唱えた。

 キルナを抱えているユーマにそれを防ぐ術はない。痛みに耐えるべく両目を閉じた。

「くっ──あぁああ!」

 キルナの唱えた魔法は『輝き』を意味する魔法だ。主に目くらまし目的に使う事が多い。

 眩い輝きを放つ光球を手の平の前に発射し、相手の目を潰す。

 とっさに目を瞑ることが出来たのは我ながらよくやったと言いたいところだ。しかし、遠間の位置からでも相手の視界を奪う事が出来るその魔法は、至近距離ならまぶたの上からでも瞳を焼く。

「ふっふっふ……。『イアカ、ム、ディニ』!」

 目が眩み怯んだユーマに向け、ジーダは嗜虐的な笑みを浮かべながら破壊呪文をたたみかける。両手から放たれるかまいたち状の風がユーマの体を切り裂いた。

 襲い来る痛みに耐えていても、皮膚の所々が避けていくのがわかる。

 飛び交うかまいたちが左腕に裂傷をつけて走る。痛みが神経を刺激し、ほんの一瞬だけユーマは腕の感覚を失ってキルナを取り落とした。

「あうっ……」

「くそっ……! この子が傷ついてもいいってのか!」

 開かない瞳をジーダに向け、ユーマは吼えた。

 堪えるような笑みが聞こえ、ジーダからの魔法が途絶えた。

「小僧、何度も言わせるなよ? その小娘は私の道具だと言ったばかりだろう」

「てめぇ……っ!」

 ユーマは苦汁を舐めたような表情で苛立ちをあらわにする。

 まだ視界の明度やピントが合わないなりにもある程度の回復を見せた左目だけを開いてジーダを睨みつけた。

 距離感の喪失は剣士として致命的なハンディキャップだ。相手との間合いをはかることが出来ないまま魔法を畳み掛けられれば、敗北も十分にありえた。

 だが、当のユーマはそんなことを微塵も考えてはいなかった。

「……かい……す……ぞ」

「……? 何か言ったか? 小僧」

「後悔するぞ、アンタ……」

 ユーマは低く重い声で言う。相変わらずジーダを睨みつける眼光は一つだが、その瞳には強い意志を携えていた。

「『後悔する』? 私がか!?」

「ああ、そうだ」

「はッ!」

 今までとうって変わり様子のおかしいユーマに対し、ジーダは臆すること無く嘲笑ってみせる。

 二対一の有利な立場。負けるはずがないと、そうタカを括っているのだ。

 ユーマはわなわなと打ち震え、ジーダの態度に対する鬱憤の全てを口に出した。

「テメェはさっきっから何度も何度も何度も何度もッ!! 人を道具のように言い扱いやがって!」

「何かと思えばそんなことか。単純明快だろう。キルナは私の道具なのだよ」

 突然怒りを示すユーマを、更にあざけるジーダ。

 足元でキルナが息を呑むのがわかった。

「姉貴が言ってた。『全ての命が支配の下に生きるべきじゃない』ってな。『自由に生きて、自由に死ねる世界が一番だ』って。でもアンタはどうだ。アンタの勝手でユシカを殺し、さらに無関係の女性までも手に掛けた。挙句にはこんな年端もいかない女の子を道具扱いだぁ!?」

 ジャラ、と鎖の音が耳をくすぐる。

「まるで勇者様のような物言いだな、小僧。己の立場を履き違えちゃいないか?」

 ジーダはまるで気にかけた様子もなく言い返した。

 燃え盛る炎が景色を埋めていく。書斎から出た火はすでに屋敷の至る所に引火し、その範囲を拡大していた。

 屋敷が燃え崩れるまで、もう時間はない。

「……姉貴はこうも言ってた。『人に自分の意見を押し通すのは良くない』と。だけど『たまには意地を張ってみろ』とも言ってた」

「それがどうかしたか?」

「今がその『たまに』って時だ」

 ゆらりと言って、背中の剣を抜くユーマ。

 今逃げるのは得策じゃない。背を向ければ魔法で狙い撃ちされるのも目に見えている。

 なら、真っ向勝負だ。叩き伏せて、先に進む。

 右目は瞑ったまま、剣先をピタリとジーダに向けた。

「……アンタは、俺が倒す」

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