第17話 真実そして対峙
ユーマは急ぎ駆ける。風になる。
眼下で広がる騒動に、ジーダは気がついているはずだ。となれば、ジーダは対侵入者のために争い事を起こす準備が出来ている可能性があるということ。
ユーマは考えながら更に一つ、二つと屋根を飛んだ。
エミリアの起こす騒ぎは時が経つにつれてその場を移動し始める。それはエミリアが上手く逃げながら喚ばれ人達の相手を出来ているということであり、同時に喚ばれ人達をユーマに影響の少ない遠くへ誘導できているという事だった。
エミリアの心配を振り切り、ユーマはジーダ邸敷地の中で一段と豪勢で凝った見た目の建物の屋根へと降り立つ。
「ここだな……」
屋根に聞き耳を立て、人の声らしきものを鋭く聞き分けると、ユーマは背負った剣を抜く。マオから受け取ったいくつかの魔石の内、一つを取り出し、剣の窪みにはめ込んだ。
窓や扉からの侵入は当然のごとく予想されているはずだ。罠があってもおかしくはない。だが、人が出入りしないような場所──施設の破壊跡からの侵入は予想されにくく、仮に予想されたとはいえ対策されにくい。
そして、ユーマは剣を天高く掲げ──。
「『イグニ──』ぃッ!?」
いざ鍵詞を唱えようとした瞬間、ユーマの立っていた足場が狙ったように崩れ落ちた。
「くっ!」
二度目の不運に唇を噛み、とっさに腰のワイヤーを手頃な壁面に向けて射出するが、落下の勢いが強くどうにも上手く突き刺さらない。このままユーマが落ちるであろう高さは十数メートルを超える。即死である。
「ンなろ!」
ワイヤーの使用を断念したユーマは、右手の剣を力のままに壁へと突き刺した。
──ガガガガガガ。
体へ激しい振動と衝撃が襲う。汗が滲んで思わず手を離しそうになった。
しかし、次第に落下の速度もゆっくりへと変わり、地面からおよそ人の体二人分程度の高さでユーマの体は停止した。
ほっと息を吐いたユーマはその壁面から剣を抜き、着地する。
カッ、と足音が響き、幾度と無く反響してホール状の室内にまわった。予想外な雑音に額を叩いて反省するユーマ。
そもそも天井の破砕音がそれを上回る音量だ。今更後悔しても遅い。
ユーマはすぐさまその場から隠れる為に適当な部屋へと駆け込んだ。
「ラッキー……」
忍び込んだ部屋を見回してユーマはつぶやいた。
難しそうな書物や他所の名だたる盟主からの手紙など、どうやらジーダの私室──書斎に違いなかった。
「うん……?」
真面目そうな書物や読み物に埋まる部屋の中、ユーマは机の上にあるボロボロに使い古された本を見つけた。
単なる古文書か、それとも長年使い古された愛書なのか。どちらにしろ、調べてみる価値はある。ユーマはそっと本のカバーを開いた。
タイトルは『ユシカ』。
そのタイトルを見たユーマは、何故か直感的にページをめくり始めていた。
ボロボロであること。これはつまり長く使っていたと言う証拠だ。『ユシカ』というタイトルは、ユシカが育っていくさまを綴ったものなのではないか。それなら長年使う──この場合文字を書き込む──という事も納得がいく。
そしてもし、ジーダがユシカの最期の日までこの書物を書き続けていたのなら──
「ジーダが犯人だと言い切れる!」
ユーマは逸る気持ちでページを捲り続け、そしてピタリと手を止めた。
五月十六日
ユシカがアテルカ家に許嫁として嫁ぐと言い出した。アテルカのゴミ共は満場一致でユシカを大歓迎らしい。ふざけるな。私はアテルカのような汚らしい家に娘を嫁がせる気など無い。
五月十八日
ユシカは今日も街へ出て、ここの住民と話をしたり仕事を手伝ったりしたらしい。我ながらいい娘を持った。住民たちはユシカの許嫁に反対らしい。ユシカを説得出来ればいいが。
五月十九日
住民たちがユシカの件でわざわざ出向いてきた。マルステンからユシカを出さないで欲しい、だそうだ。そんなもの、私だって考えている。イライラして酒を飲んだ。
五月二十日
今日も酒を飲んだ。明らかに体調がすぐれない。精神的なストレスが原因だ。ユシカも、住民も。アテルカのゴミ共、全部あいつらのせいだ。
五月二十一日
許嫁の相手がマルステンへとやってきた。ユシカに会いたいと抜かし始めたので帰らせた。明後日はユシカがマルステンを旅立つ日だ。私を含め、住民は皆反対している。ユシカを手放し、アテルカ家に渡すならいっそ部屋に閉じ込めておくのもわけはない。酒を飲み過ぎた。頭が回らない。薬も飲んだが、余計に目が回るばかりだ。忌々しい。
文章が、『ユシカが旅立つ前々日』までたどり着く。ユーマの心臓は早鐘を打っている。続きは次のページだ。事実を目の当たりにするのが、次第に恐ろしく感じられてくる。知らされていたはずの事なのに、なぜかとても緊張している。
「…………っ」
ゴクリと唾を飲み込んでページを捲る手に力を込めた。
五月二十二日
ユシカが死んだ。無残にもバラバラにされて死んだ。酷い有様だった。住民は嘆き悲しんでいる。殺したのは私だ。私が耐え切れなかった。住民からの苦情を聞き続けるのも、ユシカが私の言葉に耳を傾けてくれなかったことも、アテルカ家に娘を嫁がせなければいけないことも。この罪は多分一生残り続ける。私の中に。永遠に。どうすれば癒えるだろう。どうすれば許されるだろう。
「……あった」
ユーマは本に書き記された事実を前に、ボソリとつぶやく。
その時、
──ジャラ。
「────っ!」
耳障りな金属音が部屋の後方で鳴り響き、張り詰めた空気に思わずユーマは音の聞こえた方へ身構えた。
部屋に入った時、人のいる気配はしなかった。とすると音の正体は、自分が気付かない間に部屋に忍び込める暗殺者の類か、人ならざる者──動物か怪物か、はたまた喚ばれ人かのどれかだ。しかし、暗殺者は意図もなく不用意な物音を立てたりはしない。
(喚ばれ人だとしたら……やっかいだな)
最悪の可能性を危惧し、剣を抜いてゆっくりと音のした方向へと近づく。向かっていくにつれて散らかった本が視界に映らなくなる。本はジーダの机を中心に山のように積もり、音源の周囲には逆に本がわざとらしく一冊も置かれていなかった。
部屋の隅にまで来ると、布をかぶった何かが目に入る。周囲を見渡すに、これが金属音を奏でた正体であることは間違いない。
「お前は……!」
思い切って布をめくりあげたユーマは、驚きの声を上げた。
強く握れば折れてしまいそうな白く細い腕。ボロボロの薄い布で作られた衣服。特徴的な淡いブルーの髪。そして──まるで奴隷かなにかのような、鎖付きの首輪。何処かに繋がれているわけではなかったが、人の精神を堕落させるには十分過ぎる仕打ちだ。
「…………ッ!」
息を呑むユーマ。
それは、同情を覚えるほどに無残な格好で横たわった少女が、数日前に見たあの『青い髪の少女』その人に違いなかったたからだった。
あの時ジーダからは『キルナ』と呼ばれていた。
かろうじて息はしているようだが、見たところ体へのダメージがもう限界にまで到達しかけていることは一目瞭然だ。一刻も早く治療を施さなければ、『マオの力の具現』と言えど、何かしらの影響をおよぼすかもしれない。
「い、一緒に来──」
てくれ、と言おうとした途端、口を閉じた。
自らの背後、部屋の出入り口に新たな人の気配を感じ取ったからだ。そのあからさまに向けられた殺意を前にユーマは少女から一旦目を離し、剣を握る手に力を込めて振り返った。
「……小僧か」
「よぉ、おっさん。また来たぜ」
扉の方からかけられた予想通りの声に対し、ユーマは過度に馴れ馴れしく言い返した。ジーダも、ユーマが館に侵入することは予想していたらしく、たいして驚いたような態度は見せない。
むしろ不気味だったのは、こちらを見つめるジーダの瞳に、怒りでも悲しみでもなく、何の感情も宿っていなかったことだった。
「見たのか、それを」
「あぁ、見させてもらった。あの日、誰が何をしたのか。はっきりとな」
「そうか……。私は、ユシカを行かせたくなかった。だがこうすればユシカの魂は永遠にマルステンにいることが出来る」
悟ったように言うジーダ。
自分に言い聞かせ安心するためなのだろうか。ユーマにはその言葉がジーダ自身を擁護しているようにしか聞こえなかった。
「……お前は知っているか? 罪というものは、どれだけ経っても消えないということを」
唐突に、ジーダがユーマに向け質問をぶつける。
不意の事で一瞬言葉につまりながら、ユーマは手の剣を弄びつつ返す。
「だからこそ、償うんだろ?」
「それは違う。だからこそ、塗りたくらなければいけない。その罪が目立ってしまわぬよう、さらなる罪で」
「…………」
ジーダの返答に言葉を失う。
確かにこの街──マルステンではジーダが犯した罪も、これから犯す罪も全て時間とともに露と消えてしまうだろう。だが、ジーダは違う。
過去の罪を、新たな罪で上書きしてしまおうと言うのだ。ユシカを殺したことも、今まで数多くの女性を手に掛けてきたことも、全て。とても人の考える範疇ではない。
「そのためにマオの力を使うっていうのか」
「魔王。罪の化身たる魔王の力なら、私の罪もきっと覆い隠してくれる」
「そんなこたぁねぇよ、おっさん」
「何?」
たじろぐジーダ。
「たとえマオの力で罪を重ねようとアンタの罪ははっきりとわかる。過ちは消えやしない。アンタは、……ユシカを、殺したんだ。アンタの勝手な義損心でな」
「黙れ! 黙れ! 黙れ! そんなもの、私が犯した過ちのたったひとつにすぎん! そんなもの……!」
『怒りをあらわにするのは図星を言い当てられた時だ』。姉貴の言葉が脳裏に浮かび、ユーマは心の隅で小さく笑う。
人は動揺した時、判断が鈍る。同じく怒りは思考力を失わせる。ジーダが集中力を欠いた時、それが出入り口を塞がれ──退路を失ったユーマに残された、キルナを連れてこの場を立ち去ることの出来るチャンスだった。
より安全を期して、ユーマはもう一押しを加える。
「じゃあなんでそんなに慌てふためくんだ? やっぱり後悔してたんだろ。実の娘を手に掛けたことを」
「──まだ言うかッ」
「ふぅ……。アンタがまだ人間で良かったよ。ちぃとネジの緩んだおかしな人間だけどな」
ジーダの言葉に怒気が混じったのを感じ、ユーマは剣を構えた。
目的は殺すことじゃない。
この際、私情は全部後回しだ。逃げることを第一に考える。
「後でユシカに懺悔しな。マオの力、返してもらってからよ!」
キルナを背に、ユーマは一杯の気迫を込めて床を蹴った。
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