第12話 因縁と目的

「悲鳴……。女の声か。珍しいものではないと二人は言っていたが、やはり聞いていて落ち着かないな」

 宿屋の一室。月が見える部屋の隅で、マオがポツリと言った。

 マオはかれこれ小一時間ほど月を見上げていた。

 今宵は満月。人の営みを知らせる明かりも落ちきっており、月の光は一層強く街を照らしていた。

「…………?」

 突然、胸にざわつきを覚えるマオ。

 悲鳴を聞いて恐怖に駆られたのか、月を見て物寂しい気持ちになったのか。

 否、どちらも違う。

 その正体は──不安だった。

 自らが魔王である故、二人に利用されているのではないか、と。本当にユーマと命の契約をかわしてよかったのか、と。

 だが、

「大丈夫だよ、マオ」

「……エミリア」

 窓から月を眺めるマオの背に声がかけられる。振り向いたマオの目にはやわらかな顔で微笑むエミリアの顔があった。

「ユーマはね、約束は必ず守るんだよ。この場合は『依頼』って言ったほうがいいのかな」

 エミリアはマオの向かいの椅子に座り、窓の外を見やる。

 そしてそのままゆっくりと口を開いて語り出した。

「大事なものを失くしちゃった人からの依頼は、寝ずに探しまわって見つけ出したし、山賊の被害に困ってる人からの時なんて、依頼を聞いた途端に家を飛び出して夕暮れに解決して戻ってきたこともあった。それに今も、私からの『殺すから死なないで』って依頼も……ね? ユーマは嘘をつかない。いや、多分嘘をつけない人なんだよ。ユーマのお姉ちゃん、嘘は許さない人だったからね」

 月を見上げるエミリア。

 彼女の表情はどこか懐かしい景色を思い出す遠い目をしていた。それがどれほど遠い過去なのか、マオには知る由もない。だからこそマオはエミリアの言葉に耳を傾けていた。

「だから、大丈夫。……って、こんな話前もしたかな」

 たはは、と笑うエミリア。

 そんな様子のエミリアに、マオは口を開いた。

「なぁ、エミリア」

「なぁに? マオ」

 エミリアの言葉の区切りを待って、すかさずマオは口を挟む。

 エミリアは首を横に傾けて視線を向けた。

「お前は、ユーマが好きか?」

「うん、大好き」

 エミリアは恥じらう様子もなく即答する。何を言っているのだろう、とむしろ問い返したげな表情で言った。

「ユーマを信頼しているか?」

「もちろん」

「では、ユーマを愛しているか?」

「愛してるよ」

「そうか……」

 返答を聞いて、見つめていたエミリアの顔から視線を逸らし、再び月を見上げるマオ。

 マオは少しだけ謎が解けた気がしていた。

 ユーマと出会い、魔術師に襲われた時も、エミリアはユーマを信じ、手をかすようなことはしなかった。

 トロールの群れに襲われた時も、その場に残って戦うと言ったユーマをエミリアは止めなかった。

 スリの少年の時もだ。ユーマを信頼しているからこそ、エミリアは剣を収めた。

「やっとわかった気がする」

 マオが胸の内側のモヤモヤに気がついたと同時、

「……いた」

 彼女の全身を生ぬるく包み込むような気配──自らの力の欠片の存在を察知していた。



「アンタは──ジーダ・シューツル!」

 ユーマはその懐かしい顔に釘付けになっていた。

 まだこの街に居たのか、と本気で驚きの声を上げていた。

「私の名前を知っているか、小僧」

 ジーダは汚いものを見るかのように蔑んだ視線を寄越す。女性の遺体が転がる通りを挟んでの会合。それはとても奇妙な光景だった。

「あぁ、知ってるぜ。マルステン最大の富豪、シューツル家の頭首だ」

「ほぅ。貴様、前時代を知っているのか」

「……当然だ、クソッタレ」

 ユーマはジーダの返し言葉にこめかみに血管を浮かび上がらせながら毒づく。

 ジーダはユーマに興味を持ったようで、その言葉の節々には高揚した様子が現れていた。

 前時代というのは、主にマルステンが栄えていた頃の事を指す。ユシカの死を境に荒れてしまったこの街を、その日を区切りに前後と言い分けることがよくあった。

 ユーマは、今この瞬間にでも剣を引き抜き、目の前の男を叩き伏せてしまいたい衝動に駆られていた。ユーマ自身、こんなにも早くめぐり会えるとは思っていなかったからだ。

(これが神のお導きってやつか……)

 ユーマは久しぶりに神様に感謝した。

「一人娘のユシカが死に、それから毎年だ。決まってこの日に死人が出る。嘆かわしいことだ。どんな罪も消えはしないというのに」

「…………っ」

 ユーマは黙りこくった。

 それを語るジーダに反論することすらユーマは億劫だった。

 そもそも、なぜ姉貴がユシカを殺した犯人を知っていて、それを自分に教えたのか。ついにはそれすらも謎のままだ。姉貴ならその当時にでもジーダを打ち倒せるほどの力を持っていたかもしれない。それなのに、何故しなかったのか。

 多分、姉貴は自分に葛藤して欲しかったのだろう。悩んで悩みぬいて、ユシカの死とその言葉の意味を理解させたかった……。きっとそうなのだ。

 今こうやってジーダと対峙することすら、姉貴にはお見通しだったってわけだ。

「クソ……」

 苦虫を噛み潰したような顔で言うユーマ。

 それは自分を試そうとしていた姉に対しての言葉なのか、大切な想い人を殺したジーダに対しての言葉なのか。真意は誰にもわからなかった。

「ところでおっさん。一つ質問があるんだが……いいか?」

「構わん。言ってみろ」

 一旦先走りがちな自分の感情を抑えつつ、語りだす。

 先ほどのジーダの発言の中に引っかかるものがあったユーマは思い出した様に質問した。ジーダは堂々とした態度を崩すこと無く、こちらの言葉に耳を傾けた。

「こんな事件、“繰り返されている”って言ったよな。それ、どういう意味だ」

「言葉のままの意味だ、小僧。始まりの殺人、ユシカの死から毎年、こうして事件は起きている。そういう意味だ」

 ハン、と笑ってジーダは言い返した。

「それは決まってこの日なのか?」

 ユーマの額を冷や汗が流れる。そんなユーマは喜びと怒りの感情が入り交じった表情をしていた。

 今、ユーマの体を押さえつけているのはユシカへの想いによる理性だけだ。一瞬でもタガが外れれば今すぐにでも剣を抜き、ジーダを切り伏せにかかっていることだろう。

 実の親に殺されたユシカ。一体どんな気持ちだったのだろう。

 恐怖か、悲哀か、あきらめか。

 ユーマがここまで怒りをあらわにするのには理由がある。

 ユシカのことだけではない。ジーダ自身のことだ。

 会話の途中、月明かりで一瞬写ったジーダの様相。その衣服の全て、そして顔面にでさえも赤い血が塗りたくられたように付着していたのを見てしまったからだった。

 おそらく、ジーダは隠すつもりなどはじめからないのだ。だからこそ現場であるここにいつづけた。自らのしたことであるとしらしめる為に。

「とんだ快楽殺人者だ……」

 ユーマは笑った。

 だが、それに何の意味がある? 自分が殺したのだと教えるような行為をして、いったい何が目的なのだろうか。

「……残念だが時間だ。キルナ、行くぞ」

「まっ……!」

 ジーダは血まみれの衣服を翻し、その場を去ろうとする。

 制止の声を挙げるユーマ。

 だが、声を上げた次の一瞬にはすでにジーダの姿は闇の中に消え、その気配の欠片すら感じられなくなっていた。

「…………」

 ユーマはジーダが消える瞬間、何かを目撃していた。

 ユーマほどの鍛えられた眼がなければその姿形を捉えることはできなかっただろう。それでもはっきりとその全てを理解するには至らないほどだ。

 淡い青色の髪。身長はマオよりも拳一つ大きいくらい。

「……女の子?」

 やがて日の出を迎えるマルステンの街の中心で、ユーマは一人立ち尽くして言った。

 少女の目は間違いなくこちらを見つめ、何かを伝えようとしていた。しかし、ほんの一瞬の出来事ゆえ、ユーマがそれを理解するには至らなかった。

 少し経てば、この遺体もいずれ街の住人の手によって片付けられる。

 ユシカの仇──ジーダの存在も認知できた。不可解ではあるがジーダと一緒に居た少女のことも。

 ともあれ、ここに長居は無用だ。宿屋に帰るべきだった。

 ジーダを目の前にし、剣を抜くことができなかった自分の甘さとジーダの奇行に、モヤモヤとした気持ちを抱えながら、ユーマは女性の遺体に背を向けさっさとその場をあとにする。

 朝が近づくにつれてマルステンには速い起床を迎えた住人がチラホラと見え始めている。

 今日も騒がしい一日が始まろうとしていた。

「ユーマ! ここにいた!」

 ほら、騒がしい奴が来た。

 ユーマは笑った。

「どうしたエミリア。それにマオ」

 ちょうどマルステンに来たばかりの時に、宿屋へ向かうために歩いた通りに差し掛かったところで、エミリアがマオを連れて走り寄ってきた。

「あぁ、夜中の悲鳴でも聞いて飛び出してきたクチか?」

「違うんだよユーマ!」

「じゃあ一体何なんだ? そんなに慌てて」

 やけに先を急ぎたげなエミリアの様子に問い返すユーマ。

 エミリアだけが妙な行動をするのは日常茶飯事と言っても過言ではない。問題なのは、マオですら血相を変えた顔をしていたことだった。

「とにかくそこをどいて! ユーマ」

「いや、だから……」

 わけも分からずに先に行かせる訳にはいかない。

「わからず屋のお前に一言で教えてやる。仕事だ、ユーマ」

「な……!」

 マオの一言を聞いてユーマは表情を変えた。

 仕事。依頼。

 つまり──

「見つけたのか」

 それはマオが彼女自身の力を察知したことに他ならなかった。

「あぁ。反応は一瞬だった。だが近くにいることは間違いない……」

「あっ……」

 ユーマの脳裏に謎のフラッシュバックが記憶を蘇らせる。

 目の前をちらつく青い髪の少女。

 その少女がユーマに向けた視線。

 そしてその意味。


 ──助けて。


「……そういうことか」

 ユーマの中で何かがつながった。

 理解とともに顔面には全てを見透かした笑みが自然と溢れでた。

「とりあえず気配を追ってみるぞ」

「うん! マオ」

「ストップ、二人共」

 ユーマの脇をすり抜けて先へ行こうとする二人を止める。

「宿屋に戻ろう。俺の推測が正しければ此処から先に向かったところで何も得られるものはない。だいたいマオ。お前、たった今この瞬間にその気配とやらを感じとれていないだろ」

「む。どうしてわかった」

「なぜわかったかは後だ。つまりは俺の予想が当たってたってことだ。一旦戻って話がしたい。いいな?」

 両手で二人の背を押し、宿屋へとUターンさせるユーマ。

 先に行かせたくなかったのは現場を見てしまう可能性があったという理由も少なからずある。マオなら、そんなことより気配をたどるぞ、と言い出しそうな上、エミリアにいたっては事件の犯行の手口について長々と語りだす心配があった。

 本来はそれらを回避できて内心万々歳なはずのユーマだったが、今まで知り得たすべての情報をどうやって二人に説明するかを決めかねていた。

「じゃあ宿屋に戻る?」

「ユーマがそこまで言うのならな」

 名残惜しそうに振り返り、二人は見つめ合って言い合う。

 やれやれ、とユーマは肩を竦めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る