繋いだ手と手 4

 目が覚めたら、訳の判らない状況になっていた、なんて経験があるだろうか。  


 浅葱にはある。  

 というか、今の状況が正にそれだ。  


 とりあえず、目が覚めたら何かやたら豪華な部屋にいた。寝室ではあるのだろうが、本気でやたらと豪華だ。浅葱の生活水準的にこれまで何の縁もなかったような場所にいる、と思った。だって寝ている布団がふかふかしている。香でも焚かれているのか、微かにだけれどいい匂いがする。掛け軸とか床の間とか、そこに活けてある生け花だとか、そんなものがある部屋に浅葱は足を踏み入れない。このぐらいの部屋になると掃除さえも任されない。縁がない。これは本格的に縁がない。そう断言できてしまう程にやたらと豪華な部屋だった。


「おはよーございまーす」  


 間違いなく俺の存在がこの部屋で浮いてる……と寝起きのぼんやりした思考で、そこはかとなくずれたことを真剣に考えていると、間延びしまくった声に挨拶された。覚えのあるその声のした方向へと視線を向ければ、予想通りのどこか眠そうな瞳と目が合う。  

 天鵞絨のような、深い色彩の、


「……千歳?」

「はーい。そっスよ」

「何で、千歳が…………うん、まぁいいか。おはよう」

「わー……相変わらずの自己完結型思考に涙が出そうッスわ。もうちょい突っ込んで、って俺が涙目ッスよ、若様」

「正直、どうでもいい。というか、突っ込みどころがよく…………『若様』?」  


 何だそれは、と首を傾げれば、あーそれねー、と千歳がカラカラと笑った。  

 笑って、爆弾発言を落とした。


「浅葱くん、神代の新しい当主様になったんスよ」  


 だから『若様』ね、とにこやかに告げられて、さすがの浅葱も思考が停止した。


「当主……? 誰が……ああ、うん、俺か。俺なのか」

「ちょ、若様若様、疑問と回答を一緒くたにして口にするのやめよ? 俺の入る余地がないッス」  


 ちょっと寂しい……とわざとらしく拗ねてみせる千歳は、ふざけてはいるが言っている情報自体には嘘はないのだろう。からかうにしても話題がちょっと……アレすぎる。とにかく、アレ。夢物語とかも通り越した感じに、アレだ。  

 目が覚めたら五家の当主になっていました ―― なんて、普通はない。まずもってない。


「何でまたそんなことに……」

「やー、あのッスねー? 籐条の当主様と真主様がッスねー……?」

「……あ、うん。その冒頭だけで全容が見えた気がする。ありがとう」  


 つまり、籐条のカミサマ ―― 朱緋と、実際に会ったことはないが、カミサマたちに微妙な表情をさせていた件の籐条のご当主様が、何かを盛大にやらかしてくれたということだろう。…………何をやらかせば自分が当主などという荒唐無稽なことになるのだか浅葱にはさっぱり判らなかったが、つまりはそういうことなのだとは思う。


「……ってーか、もちょっと取り乱してくださいッス、若様。何でだー! ……みたいな感じで」

「ああ、うん。今正にそんな感じではある」

「いやいやいやいや」  


 絶対嘘だ、と千歳が断じた。真顔だった。  

 嘘じゃないんだけどなぁ……とゆっくりと身体を起こした浅葱は、そこであれ? と思った。怪我をしていたはずの肩を見下ろす。


「……痛くない?」

「あ、怪我は籐条の真主様がちょちょいっと治してたッスよー」  


 カミサマすごい。  

 反射で浅葱は思った。とことん常識とかそういうものを無視している。ちょちょいって……と、ため息を吐いた浅葱に、千歳がまぁ緊急事態ってヤツっすけどねー、と言った。


「若様、けっこーヤバかったんスよ。まじで。傷塞がった後も、三日近く目ぇ覚まさないまんまだったッスからねー」

「え」  


 まじか、と思わず浅葱が呟いたのと、


「っ、浅葱!」  


 スパーン! と何故だかやたら勢い良く障子戸が開かれたのは、ほぼ同時のことだった。


「琥珀」

「よ……かった……。目が覚めたんだ……」  


 おはよ、と手を上げて挨拶をした浅葱に、琥珀は安堵したようにそう呟いて、ぺたんとへたり込むようにして座った。心配していたのだと、訊かなくても判るその表情と仕草に、こういうところが可愛いよなーうちのカミサマ、と浅葱は真顔でそんなことを思う。通常運転である。


「うん、ごめんな? 心配掛けた」

「心配なんか……っ!」

「してたっスよねー? そりゃもうめっちゃくちゃ。若様起きるまで碌に寝てねーでしょ、真主様」

「……してたけどっ! お前が言うなばらすなちょっと黙れ千歳!」  


 なにこれ可愛い……じゃなくて。浅葱はまじまじと琥珀の顔を見やる。確かに目の下にうっすらと隈が確認できた。


「琥珀ー」  


 来い来い、と手招けば、ちょっと不思議そうな表情をしながらも素直にずりずりと畳の上を這って来た。立ち上がらないのか、と突っ込むより先に、おぉ……ますます猫っぽいとか考える辺りが浅葱である。

 布団のすぐ傍までやって来た琥珀の顔を覗き込めば、隈もそうだが疲労の色が濃い。これは後で強制的に寝かせようと決意して、浅葱は琥珀の目の前で深々と頭を下げた。


「ごめん。心配掛けたな」  


 悪かった、と素直に謝る浅葱に、琥珀はぐっと一瞬言葉に詰まった後、盛大に眉を寄せたまま口を開いた。


「…………浅葱は、ちょっと本気で反省して」

「うん、する。だから、琥珀も反省な」

「は?」  


 何で自分が? というような視線を寄越されたので、強制的に反省を促しておこうかとすぐ目の前にあったその顔に軽く頭突きをしておいた。ごち、と鈍い音がして、じんじんとした熱が額の辺りに生まれる。


「……いたい」

「安心しろ、俺も痛い」

「……何かそれ、前も聞いた。というか、お前が痛くても安心出来ない。意味が判らない」

「あー……何かこう、喧嘩両成敗的な?」

「……本気で意味が判らない」  


 もはや怒鳴る気力もないのか、深々としたため息と共に吐き出された言葉に、浅葱はこつん……ともう一度額を軽くぶつけてみせた。


「あのな、俺も反省。琥珀も反省」

「いや、だから何で……」

「寝てない、とか聞いたら、心配するだろ」  


 というわけで反省、と再度促せば、う……と琥珀は視線を泳がせる。  

 先に心配を掛けたのは自分だが、そんなことを聞けば逆に心配にもなる。寝てない、という言葉を裏付けるかのような疲労の色濃い顔を見れば尚更だ。  


 それから ―― 理由は、もうひとつ。


「……怖い、とは思わなかったよ」  


 何かのついでのように、さらりと零された浅葱の言葉に、琥珀はえ……と瞳を瞬かせた。何を、という肝心な部分を省いた唐突な言葉の意図するところを、咄嗟に掴みかねたのだ。


「お前の【異能】を見て、怖い、とは思わなかった」  


 あの時にも言ったような気もするけれど、きちんと伝えられていたかはあまり自信がない。なので、浅葱は繰り返し告げる。大事なことはきちんと相手に伝えなさいという教育方針が、しっかりと浅葱の中で根付いている結果だ。


「強い【異能】は怖いかもしれないけど、俺はお前も、お前の【異能】も怖くないよ」  


 怖くないと告げた、その言葉に嘘はない。それはお前が僕の【異能】を見たことがないからだ、と言われたりもしたが、それも確かに一因ではあっただろう。知らなければ怖がりようもない。  

 でも、今は。  


 僅かに指を動かすだけで、発現した力を知っている。  

 散々自分を痛めつけてくれた相手がまったく手も足も出ない、それ程の圧倒的な力の差を見た。

 向けられた冷たい瞳。温度のない残酷さが、そこにはあった。  


 それでも。


「お前の【異能】を ―――― お前自身を、俺は否定しない」  


 人を嫌ったり、嫌いきれなくて一人で泣いたり。不器用に優しかったり、他人のために怒ったり。  

 些細なことを喜ぶのも、何かのために非情になれるのも。  

 全部ひっくるめて、それが琥珀だ。  

 どれかひとつじゃない、そのどれもが琥珀で、浅葱の知っているカミサマだ。


「俺は、お前が好きだよ」  


 言葉にすれば、たったそれだけ。  

 でも、その言葉ひとつで、理由としては十分なような気がした。  


 珍しいぐらいに判りやすくふんわりとした笑みを浮かべた浅葱に、琥珀は一瞬何を言われたか判らないとでもいうようにぱちぱちと瞬きをした。  

 そうして、浅葱に告げられた言葉をひとつひとつ反芻して、ようやくその意味を理解する。理解したその瞬間に、琥珀は自分の感情が何ひとつ理解出来なくなって、ぎゅうっと眉根を寄せた。  

 果たして自分は、泣きたいのか笑いたいのか怒りたいのか。ごちゃごちゃの感情は、それすらもよく判らない。


「お前……ほんっとうに……変だ」  


 泣きたいのかもしれないけれど、悲しい気分ではなかった。  

 怒りたいような気もしたけれど、腹立たしいわけではなかった。  

 意味も脈絡も判らなかったけれど ―― 多分琥珀は、嬉しかったのだ。  


 単純に、どうしようもないぐらいに、浅葱のくれた言葉が嬉しかった。  

 恐れることもなく、否定することもなく。人とカミサマ、その間にあったはずの境界線さえなかったことにして。好きだよ、と言葉をくれた。

 それは昔、今よりも幼かった自分が願った、途方もない ――……、


「―― 良かったッスね、真主様」  


 千歳が言う。いつもとは違う、ひどく穏やかな笑みを浮かべた彼は、柔らかな声音で告げた。


「『たったひとり』、欲しかったんでしょ?」  


 それは、昔の自分が願ったこと。  

 皆じゃなくて良かった。誰かひとり ―― たったひとりでも、自分を必要としてくれるなら。傍にいてくれるなら ―――― 好きだと、言ってくれるなら。  


 幼い子供が願うにしては、ひどく些細な願いごとだった。けれど琥珀には、それが途方もない願い事のように思えていた。  

 きっと叶わないだろうと、諦めてさえいたのだ。  

 それなのに。


「お前、ばかだ。巻き込まれて、大怪我して、何でそんなこと言えるの」

「んー? 伝えたいことは伝えたい時にちゃんと言っとけ、って。教えられたこと実践しただけだぞ? 俺。後で後悔しても遅いんだぞー、ってうるさいぐらいに言われてたし」

「いやいやいやいや。それを見事に実践できちゃう辺り、若様本気で男前ッスね」  


 わー……と、心底感心している千歳に、浅葱はそうか? とよく判っていない表情で首を傾げた。琥珀が本当にお前はばかだ、と繰り返し言う。


「もう、本当に……知らないぞ。お前は簡単そうに言うけど……私を否定しないお前を、私は手放してやれない。朱緋だって……」

「朱緋?」  


 何でここで籐条のカミサマの名前……? と首を傾げた浅葱だったが、


「私が、お前の手を放せないのを見越して、だったらいっそお前を当主の座に置いてしまえ、って……」

「あー……? あーあー、そういう……」  


 続けられた言葉にそもそもの疑問の答えを見付けて、浅葱は納得の声を上げた。


「お、こらない、のか……?」  


 勝手に重たいものを押し付けた、と消え入りそうな声で呟いた琥珀に、浅葱は「んー……」と少し考えた。答えは多分、考えるまでもなかったのだけれど。


「いいよ。重たいもの押し付けられてるのは琥珀もだろ? 一緒なら、その重さも分けあえる。―― あぁ、そう考えると、当主の座っていうのも悪くはないのか」  


 お前の傍にいるための手段だって思えばいいんだ、とあっさり口にして、浅葱は再び笑った。  

 一点の曇りもなく、笑った。


「いやいやいやいや、ちょっとちょっと若様。想像以上の思い切りの良さと男前っぷりに、若干俺が惚れそうッス。やめてください」

「うん? 俺、千歳も割と好きだぞ」

「…………いやいやいやいやいや! うっかりときめきかけた俺しっかり!? ちょっと真主様、若様どうにかしましょーよ! 俺の手に負えないッス末恐ろしいー…………って、あれ?」  


 振り返った先、思った位置にいなかった子供の姿に、千歳はてんてんてん、とそのまま視線を下方へと移動させた。そこには、前のめりに布団へと顔を押し付け、突っ伏した状態でふるふると震えている琥珀の姿があった。怒っているわけではないことは、はちみつ色の髪の毛の間に見える耳や首筋が見事に赤いことからすぐに知れる。要するに、これは……、


「盛大に照れている、と」

「………………もう、ちょっとお前、本気で心底勘弁して」  


 心臓もたない、とやたら切実な声が呻くように呟くので、浅葱は笑いながら琥珀の頭をさらさらと撫でた。  


 降って湧いた、五家の当主の座。  

 それを手にするということは、口で言う程簡単ではないだろう。それは浅葱も承知している。背負う名は重いだろうし、どちらかといえば茨の道だと言われた方が納得できる。浅葱の年齢や生まれを理由にした反発も当然の如くあるだろうし、それに伴った面倒事も多いだろうことは想像に難くない。  

 それでも。


「破壊力ばつぐんッスねー……。あ、若様ー。俺、真主様だけでなく、若様付きにもなったんで、今後よろしくッスー」  


 にんまりと笑んだ千歳が、ひらひらと手を振りながらそんなことを言った。少なくとも、千歳は敵ではないようだ、と浅葱は判断する。  

 琥珀がいる。千歳がいる。間接的にではあるが、他の家のカミサマたちもいる。  

 一人ではないようなので、きっとどうにかなるだろうと、とても楽観的に浅葱は考えている。というか、最終的に朱緋がどうにかするんじゃないかと確信している。だってあそこのカミサマ半端ない。


「琥珀」  


 浅葱はカミサマの名前を呼んで、その手をひょいと持ち上げた。白い手は、浅葱のものよりも幾分小さい。

 その手をしっかりと握りながら、浅葱は告げた。


「んー……っと、とりあえずできることから頑張るから、いろいろ教えてくれな。で、末永くよろしくしてくれると、俺が嬉しい」

「……若様若様、それ軽く求婚してるッス」

「え? ……ああ、まぁ、人生掛けるようなもんだから、ある意味それも間違ってない気がするな」

「もうやだ若様無意味に男前!」  


 ちょっともう本気で手に負えないッス! と再び喚く千歳以上に、琥珀が受けた衝撃の方が何倍も上だった。手に負えない、と叫びたいのもきっと琥珀の方だっただろう。もうやだ顔が上げられない。  

 結果、もはやうんともすんとも言わなくなった琥珀がそこにはいたのだが、答えの代わりにぎゅっと手を握り返されたので、浅葱は笑って手のひらに力を込めた。  



 簡単な道ではないことは知っている。  

 泣きたくなることだってあるかもしれない。  


 それでも。  


 この手を繋いだままでいられるのなら、きっと何だって大丈夫だと、そう思えた。  



 ―――― それが、カミサマと少年の、はじまりのお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る