カミサマ談義

真樹

カミサマ談義

はちみつ色と飴玉

 浅葱(アサギ)が初めて『カミサマ』というものの存在を認識したのは、彼がまだ十二歳の時だった。


 カミサマ、と言っても、それは見えない不確かなナニカではなく、見た目はごく普通の生身の人間にしか見えなかった。

 普通よりはちょっと……いや、かなり? 整ったカオをした子供だったけれども。


 ―――― そう、子供。

 つい先日にようやく十二歳の誕生日を迎え、従者見習いとして『神代』(カミシロ)の家に入ることを許されたばかりの浅葱より、ひとつふたつは確実に年下だろうと思える外見をした子供。

 それが『カミサマ』と呼ばれる存在であることを、浅葱は教育係の老人に教えられて初めて知った。


 言われなければきっと判らなかっただろう。その自信は有り余るほどにある。それぐらい、浅葱の目には、その『カミサマ』は普通の子供と何ら変わりなく見えた。……いや、確かに普通の子供と呼ぶにはあまりにも整った容姿ではあったけれども。多分大事なことなので、繰り返し言っておく。

 神と便宜上呼ばれてはいるが、実際の寿命などはそこらにいる人間と何ひとつ変わりない。人と同じように生まれて、同じように老いる。

 ただひとつ、その身に並々ならぬ【異能】を宿していること、それが普通の人間との決定的な違いである。


 【異能】という、通常では有り得ない力を宿す者は、時折只人の中でも生まれはする。けれど、神と呼べるほどに強い【異能】を持つ者は、五家と総称される五つの家以外に生まれることはない。

 どういう仕組みなのだか浅葱などにはとんと判らないが、強い異能持ちが生まれる家は五家のみとされているし、その異能持ちが五人以上になることもない。一つの家に一人以上の強力な異能持ちが存在することがないからだ。

 異能持ちは神と称されながらそれぞれの家に存在し、そこで生活しながらやがては老い死んでゆく。―――― そしてまた、新しい異能持ちが生まれる。

 不老不死ではない。 記憶が受け継がれているわけでもない。

 ただ、強い【異能】だけが家に受け継がれている、そんな状態。


 異能持ちは『真主』と呼ばれ、滅多に表には出て来ないこと。

 だから、五家にはそれぞれ異能持ちのカミサマとは別に、当主と呼ばれる表の顔役がいること。

 浅葱が異能持ちと五家について知っているのは、その程度の知識だ。知識というよりは、むしろ一般常識の段階でしかない。


 だから、そのカミサマとやらを初めて見たその時も「ああ、あれがそうなのか」と、その程度の感想しか持てなかった。

 驚きも感動もなく、子供らしい「すげー」という言葉さえもなかった。むしろ「そうですか」と、実にどうでもよさげな相槌で話を流しかけ、相対した老人の方が浅葱の態度に驚いた。もう少し何かあってもいいんじゃなかろうかと、微妙な表情になっていた老人の反応の方が、世間一般的には正しい。

 浅葱が、十歳そこらの子供であれば普通装備しているべき好奇心だとか探究心などを、どこかにぽいっと忘れ去っているような子供だったからこその反応であったのだが、老人の目には奇妙に映ったようだ。

 ついでに言えば、浅葱は異能持ちに対する畏怖すらも薄かった。こちらはそもそもの知識が不足していたので、異能を恐れるところまで至らなかったという側面もあるが、突き詰めてしまえば浅葱にいろんなものが足りていなかっただけの話である。知識以上に子供らしい好奇心が。総じて、物事に対する関心が。致命的である。


 だから、だろうか。

 神と呼ばれる存在を恐れることもなく、かといって過剰に敬うこともなく。

 ただ、ふぅん……と無関心に近い状態で受け流した浅葱は、乱暴な大人の手に半ば引き摺られるように歩くその小さなカミサマを可哀想だな、と思った。

 泣きそうな表情を浮かべて、嫌だと駄々を捏ねるように抵抗を示すカミサマは、本当にただの小さな子供にしか見えなかった。



 だから、だと思う。

 従者見習いという肩書きが付いて、半年程度経った冬の夜のこと。


 右手に自分と同い年ぐらいの少年、左手にそれとよく似た少女。

 それぞれの手を宝物みたいにぎゅうっと握りしめたカミサマが、雪の舞う深夜、こっそりと家を出て行くその後ろ姿を、それと知りつつ浅葱はそのまま見逃してやった。


 逃げられるなら、その方がいいと思ったのだ。


 カミサマの能力は『豊穣』と『繁栄』。

 その力が神代の家の豊かさを支えているのだということを知っていながら、そう思った。


 結局のところ、あまり身体の丈夫でなかったカミサマは逃げきれず、数日後には神代の家に連れ戻される羽目になっていたのだけれど。

 前代未聞の、カミサマの駆け落ち騒ぎ。

 三人いたんだから駆け落ちっていうのは微妙に違うんじゃないかと浅葱などは首を傾げたが、おおよそ問題なのはそんな些末なことではなかったようだ。

 神代の当主は激怒し、カミサマを家の奥深くに追いやった。カミサマは自由を大幅に奪われ、滅多なことでは使用人たちの目に触れることさえもなくなった。


 ―――― と、そのはずだったのだが、何故だか浅葱は駆け落ち騒ぎ以降、たまに……というよりはむしろ頻繁にカミサマの姿を目にするようになった。

 それは浅葱の行動範囲が出来る限り人のいない方へ偏っていたのが主な原因だったのかもしれないし、子供の体格に物を言わせて人気がないとかそういう問題でもないような短縮経路を取っていたことにも原因があったかもしれない。

 だがしかし、そんな浅葱がカミサマとよく遭遇するということは、突き詰めて考えてみればカミサマの行動原理も浅葱のそれと似たり寄ったりだったのだろう。実際、人気のない方に行けば行くほど、カミサマとの遭遇率が高くなる。


 繰り返して言うが、浅葱は十歳そこらにして既に子供らしい無邪気さだとか好奇心だとか、その辺りのものと縁が薄い子供だった。カミサマが人気のない場所を好もうが、何でここにいるんだというような隙間に入り込んでいようが、「ふぅん」のひと言で済ませてしまう自信がある。その辺は、若干十二歳にして嫌な具合に年季が入っている。


 が、しかし。


「……っく、……っ」


 嗚咽さえも堪えるように呑み込んで、小さく肩を震わせる子供を完全に見て見ぬふりができる程、達観してもいなかったのだ。


 さて困った、と浅葱は動かない表情の裏でふぅ……とため息を落とした。



   *  *  *



 カミサマなのだと、教えられた。

 はちみつ色の髪と瞳をした小さな子供。浅葱の目には、普通の人間にしか見えない。


 ちょうど弟妹と同じような年頃だな、と思って、ああそういう扱いでいいのか、と浅葱がすとんと納得してしまったのは、カミサマの外見と人目を忍んでべそべそと泣いていたその行動のせいだ。きっと。


「桃と蜜柑と葡萄、どれがいい?」

「……っ!?」


 躊躇いなく近付いてちょこんと隣に腰を下ろしたら、カミサマは零れ落ちそうなぐらいに大きく目を見開いて、誰が見ても判る驚きの表情で浅葱を見返した。それを見て浅葱は、ああやっぱり子供じゃないかと自分の年齢を棚に上げてそんなことを思う。

 まるきり、小さな子供の反応でしかない。


「な……に?」

「だから、桃と蜜柑と葡萄……あ、檸檬もあった。あと、苺か、これ?」

「……は? え、知らないけど……」

「ま、いいや。どれがいい?」

「……訳が判らない」

「ああ、飴、嫌いだったか?」

「……意味も判らない」


 何で飴……と眉間に困惑の皺を寄せて呟くカミサマに、じゃ檸檬な、とその手に飴を押し付ける。


「お前の瞳と似たような色してるし」


 渡した檸檬味の飴は、カミサマのはちみつ色の瞳とよく似た色をしていた。

 カミサマの瞳の方がきらきらしてて、何倍も綺麗だったけど。というか、飴玉に似てる瞳の本人がそれ食ったら共食いじゃね? とちらりとそんな思考が頭の隅を掠めて、割と思考と直結しているという自覚のある口からそのままぽろりと言葉として吐き出したら、目の前のカミサマの顔がぽかんとしたものになった。


「お前、なに……」

「ん? 従者見習い。一応」

「そんなのは訊いてない」

「んじゃ、名前? それなら浅葱」

「それも訊いてない」

「そ? とりあえず、べそべそ泣いてる子供を見過ごせるほど薄情にもなれなかったんで、何となくのこの状況?」

「べっ……!?」


 今度は顔を赤くして絶句したカミサマの頭をぽんぽんと撫でて、浅葱は立ち上がった。


「ん、よし。泣き止んだな」


 くしゃり、と手のひらの下の髪の毛を掴めば、それはひどく柔らかい感触を残して指の間をすり抜けていった。


 なんだ、と思う。

 なんだ本当に ―――― 普通の、子供だ。


 泣くし、怪訝な顔もするし、赤くなる。

 反応も素直な、可愛らしい子供だ。

 なんだ、こんな簡単なことだったのかと。妙に感動した気分で、浅葱はおまけとばかりにカミサマの手のひらに苺味の飴玉も落として、じゃあな、と手を振った。


 同じなんだ、と思う。

 隠れて泣いたり、知らない人間を警戒したり。

 あまりにも当たり前で人間らしい、そんなカミサマ。

 飴玉を手にぽかんとしていたその表情は、記憶にある浅葱の弟妹たちの表情と大差ない。べそべそと縮こまっていた様子までそっくりだ。


 ああ、でも、笑ったとこは見たことないな……。

 この家に来て、半年と少し。 そう短くもない年月の中で、カミサマの姿を見たのはそれなりに多い方だと思う。

 けれど思い返すその表情のどれもが、泣きそうなものだったり、痛みを堪えているようなものだったり、もしくはそんな地点すらも通り越してしまったような無表情だったりするのは如何なものかと、今更のように浅葱は思った。


 笑った方が、多分可愛い。

 カミサマなんて呼ばれていても、その実態は普通の子供でしかないのだから。


 トン、と浅葱は植え込みを飛び越える。

 ちらりと肩越しに振り返ったカミサマは、さっきと同じようにぽかんとした表情を浮かべたままで、それが妙におかしくて浅葱はごく小さく笑みを零した。



 カミサマは、人間だった。


 知っていたその事実が、確かな現実味を帯びてそこにある。



 そういえば名前訊くの忘れた ―― と。 浅葱がそんなことを思い出したのは、カミサマの姿が完全に見えなくなったその後のことだった。

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