重宮藤花の残照録

陋巷の一翁

第1話 初瀬と早雪の章 その1

 紅葉咲き乱れる白壁の路地。その五つ辻の真ん中で、怪異と怪異が交差する瞬間に出くわした私は、すでに怪異の末に列せられる存在なのかも知れぬ。

 怪異の一は桃色の和装に紫紺の洋袴を身にまとい和傘を差した黒髪の少女で、怪異の二は白色の髪をした死に装束姿の色素の薄い少女。そうしてそんな場面に出くわしたのが第三の怪異であるかもしれない私というわけだ。

 怪異の一と二たる二人の少女達は、私が来るときにはすでに互いに互いを牽制しあっていたのだが、やがてそんな様子を窺っている私の存在に気づいたのか、二人してこちらを向いた。

「なんじゃ、おぬし。わしらがそんなにおかしいか?」

 まず話しかけてきたのは黒髪の少女の方だった。

「自己の存在について考えていただけだ」

 私は答えた。

「なるほど。さっぱりわからぬ」

 黒髪の少女は腕を前で組む。今まで手にしていた傘はどうしたと思った瞬間だった。私の頭に影が差す。見れば傘が空を舞っている。このようなことはあり得ない。ほとんど同時に今まで無言だった白髪の少女が何事かを呟く。それで路地の出口は閉ざされる。最早どこにも行き場はない。私は進退窮まってうろたえる。それを見て二人がそれぞれに声を発する。

「ふはは、うろたえておるぞ。初瀬が力を見誤ったか」

「早雪が告げる。死にたくなければそこを動いてはいけない」

 二人は私に名前を告げた。怪異に名前を告げられる。これは五体無事では帰れそうにない。特に頭が心配だ。私は抵抗を諦め二人に降参を告げる。

「わかった、私の負けだ。私は藤花。重宮藤花(しげみやとうか)。好きにするがいい」

「ほう、男(お)の子にしては雅な名じゃのう」

「正直、名前負け……」

「どちらも、よく言われる」

 私は少し照れながら二人のそれぞれの感想に返事をした。黒髪の少女――確か初瀬といったか――が私に声をかけてくる。

「では藤花よ。しばし待つが良い。わしはこれからこの女と争わねばならぬのじゃ」

「なぜだ?」

「一つの場所に二つの怪異はいらない……。ただそれだけ」

 初瀬の代わりに白髪の少女――こちらは早雪と言ったか――が答えた。しかしその答えは私にとって面白い物ではなかった。

「ふむ、つまらない理由だ」

 だから私は言った。私の言葉は彼女たちにとって驚きだったようだ。二人とも同じように目を見開いて驚いてみせる。

「なんと」

「……」

「怪異など一所(ひとところ)にいくらでもあってもかまわんではないか」

 私は続けて言った。実際そう思っていたので言い逃れの嘘をついたわけではない。向こうもそれを感じ取ったのか神妙な顔で話しかけてくる。

「そう思うか」

「……不思議な人」

 しかしそこで初瀬と名乗った少女は口をきゅっと結ぶ。そこには強い意志が感じられた。

「だが、そうは言ってはいられん。この場所は怪異にふさわしい地。しかし二つの怪異を養う力は無いのじゃ。どちらかが消えるか去らねばならん。事実わしもそうやって逃げてきた口よ」

「おとなしく消えていれば良かったのに」

 白髪の少女、早雪が答える。

「かも知れん。だが、何もせずに朽ち果てるのは初瀬の性分ではない。争わさせて貰うぞ。この地をどちらが奪うか、勝負じゃ」

「地の利は早雪にある。あなたは勝てない」

「何をわからぬぞ! 勝負とはやってみるまでわからぬものじゃ」

「ならかかって来なさい。そうして自分の力を思い知るといい」

 二人は改めて向かい合い相対する。どちらが動くか。動いたのは私だった。異界を走り、傘を躱(かわ)し領域を抜け、二人の間に割って入り、この戦いを仲裁する。

「待たれよ、おぬし達。この戦い、失せ物探しの重宮の藤花が引き取ろう」

 臨戦態勢だった二人は横目で私のことをそれぞれに見る。

「やはりおぬし、ただものではないな」

「早雪の領域を抜けてくるなんて。あなた何者?」

「言った通りさ。しがない失せ物探し屋だ」

 私は早雪の問いに答えた。二人は憑き物が落ちたように私のことを見上げる。

「なるほど、占い師か」

「しかも、訓練も積んでる……」

「軍にいたこともあるのでね」

 私は答えた。

「それでおぬしは何をしてくれるのじゃ?」

「失せ物探しをする。今は失われた怪異を養う力のある地を探そう」

 私は初瀬の問いに答えた。

「なるほど。それができるのなら妙才ね」

 初瀬の代わりに早雪が答えた。私は二人に笑顔を作る。

「だろう」

「ふむ。しかし代価は払えんぞ」

「五体無事で返して貰えればそれが代価さ」

「それでは初瀬の気が済まぬ!」

 軽く地団駄を踏む初瀬に私は返す。

「では何か考えておいてくれ。そして早雪と言ったか。この領域を解いてくれ」

「それはいいけど。でもあなたに一つ忠告するわ」

「聞こう」

 私は早雪の言葉に耳を傾けた。

「異界のものに肩入れしてもあなたのためにはならない。無駄に命を縮めるわ」

「別に肩入れしているわけではない。今を無事に生き延びるためだ」

「そう、だったらいいけど」

 その言葉と共に路地は道を空ける。私は心の中で吐息をつくと初瀬に向かって呼びかけた。

「では初瀬とやら、行こうか。占いにはしかるべき時と場所が必要だ」

「了解した。おぬしに全て委ねてみよう」

「ではついてくるが良い」

 私は初瀬を伴って閉ざされていた路地を抜ける。しかしどうしたことか早雪も私の後を付いて来るではないか。

「早雪の怪異よ。なぜついてくる」

 私は振り返り早雪に尋ねた。

「あなたのお手並みを拝見しようと思って」

「なぜその必要が?」

「好奇心と言えば当世風かしら」

 早雪は笑ってそう言った。

「まあ私は別に構わない」

「そう。だったらついて行くわ」

「ふん、おぬし、この男が気になるか?」

「体と頭には興味ないけどやることには興味があるわ」

「ははは、言うのう」

 笑う初瀬に早雪が軽く眉をつり上げて言う。

「なにがおかしいの?」

「別に」

 なにがおかしいのか初瀬はくっくと笑う。そんな二人を見て私は言った。

「姦(かしま)しいな」

「一人足らんぞ」

 どう書くか漢字を知っているのだろう。私が口にすると初瀬がそう言った。

「おまえは二人分だ」

 私が答えると初瀬は口を大きく開けた。

「なんと! 知り合って間もない淑女にそんなことまで言うか!」

「誰が淑女だ。初瀬の怪異。見ろ。すぐに私の家に着く」

 私は自分が借りている家を指さした。初瀬は驚いて言う。

「なんと白壁の中ではないか。早雪はこのことを知っていたか?」

「最近目覚めている時間が短いの。覚えてないわ」

 だるそうに早雪が言った。ふむと私は思う。気配を探って思い当たることがあった。

 白壁の力は閉じつつある。おそらくそれが早雪の眠気の真実であり、私に付いてきた本当の理由であろう。二体の怪異か。ま、成るようになるさ。私は二人の少女を家に招く。

「ほら入れ。初瀬に早雪の怪異達。時が満ちるまでしばし休むといい」

「茶はでるのか?」

「怪異に茶が必要か?」

 初瀬の問いに私は答えた。しかし初瀬はだだをこねる。

「わしの喉は茶を求めておる!」

「仕方ない。用意しよう」

「わたしにもくださいませんか」

 早雪の言葉に私は頷く。

「うむ。もとよりそのつもりだ」

 そうして座敷に二人を待たせ私は奥に下がり茶の準備をした。

 その間、初瀬と早雪の間で何の話が行われたのかは知らぬ。けれども茶の準備をして再び私が二人の前に姿を現した時、すでに二人は仲良く話をする間柄になっていた。座敷にちょこんと座った姿は知らぬものが見れば愛らしく映るであろう。

「おお、待ちかねたぞ!」

 初瀬が私の姿を見て大声を出す。早雪もそれに応じて小さく頷く。私は二人の前にぬるい茶と茶菓子を載せた小さな卓を置いた。さっそく二人は口にする。私も座り同じ茶をすすった。

「茶菓子まで頼んだ覚えはないのだが、これはこれでありがたい」

「これはここの名産ね」

「なんと、うまいわけじゃ。茶菓子は近場のものが一番よ」

「味でも負けてはないと思うけれど」

「はは、確かに、こんなにうまい茶菓子は久しく食べておらなんだ」

「わたしも見るだけで食べるのは久しぶりですわ」

「こんなうまいものをお預けとは。もったいないのう」

「ええ、まったく」

「すっかり打ち解けたようだな」

 私が言うと、初瀬が答える。

「おなご同士は仲良くなるのも一時(ひととき)、仲悪くなるのも一時じゃ。覚えておくが良い」

「わかった。覚えておこう」

 私は妙に神妙な顔をして頷いて見せた。実は手痛い思い出があるのだ。しばらくしたところで初瀬が口を開く。

「それで時はいつ満ちる?」

「うむ、じきにと言ったところか」

 私は答えたが、初瀬はそれでは不満だったのかじれったく聞いてくる。

「じきとは何時か? はっきりいたせ」

「まあ今日中は無理だな」

 お茶をすすり私。

「早くせい。わしもおぬしに迷惑はあまり掛けたくはないのじゃ」

「私は迷惑には思っていないが」

「そんなことはあるまい。現におぬしの寿命を吸っておる」

 なるほど、早雪が言っていたのはこれか。早雪をちらりと見るとすました顔でお茶を飲んでいた。しかし。

「それは知らなんだ。しかし時が満ちねば何事も叶わぬ」

 急いては事をし損じるとは古来からの警句であった。私は初瀬に口を出す。

「ならば、初瀬がおぬしの寿命を吸う件、かまわぬのだな」

「まあ、しかたあるまい。怪異と関わることを生業(なりわい)としてから、その程度のことは覚悟の上だ」

 私の答えに初瀬はわずかに感嘆の声を上げる。

「ふむう。若いのにあっぱれな心がけよ。ではしばらくおぬしの命でこの体を安らうとしよう」

「好きにするがいい。初瀬の怪異よ」

「怪異は余計じゃ。初瀬と呼ぶが良い」

「わかった。初瀬よ」

 私は頷いて初瀬に答える。

「早雪も早雪と呼んで欲しい」

 早雪も茶碗を茶托に置き顔を上げ口を挟む。私は再び頷いた。

「それもわかった、早雪」

「では今日は休ませて貰おう。なに食事はいらぬ。ここで大人しくしている故、おぬしはおぬしのしたいことをするが良い」

「早雪も同じ。ここが白壁に近くて助かった。あなたの命を吸わなくて済む」

「ふむ。ではそうさせて貰おうか」

 私は自分の茶器と卓を持って立ち上がり台所に引っ込んだ。そうしてぼんやり考える。今日はまたとんでもないものを拾ったなと。

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