クズの人生革新

進賀透

第0章 無職の死編

(1)

 数年ぶりに降った雪により、薄っすらと銀世界に染められた朝の街を、住んでいるアパートの二階から窓を開けて、白い息を吐きながら眺める。


「こんな中をわざわざ行かないといけないのか。大変そうだな、働き者たちは」


 今は平日の朝。

 サラリーマンや学生たちが、職場に学び場に憂鬱な思いを胸に抱いて向かう時間帯だ。

 ちなみに、それを他人事のように眺めている俺――羽馬翔はまかけるの職業はというと、会社員でも学生でも個人事業主でもない。株とかで儲けているわけでもない。

 そう、無職だ。

 正しくは、無職になった。

 つい先月ぐらいまでは清掃関連の会社に勤めていたが、それなりにいろんなことがあって退職するに至り、この様である。


「プー太郎の俺は、悠々自適にお前らの苦しむ様を見て楽しんでやるよ。ははっ」


 誰も聞いてなんかいない皮肉をいう俺に、冷たい風だけが吹き抜けて相手をしてくれる。


「さむっ……」


 何ともいえない虚しさを覚え、そそくさと窓を閉めて暖房の効いた部屋へと戻った。

 そして、乱雑に物が置かれた部屋の中で、一通の郵便物に俺の意識は向けられる。

 もう何度も目を通しているそれに、俺はまた手を伸ばしていた。


「……出席か、欠席か、か」


 仕事を失って無職になってしまった俺に、追い討ちをかけるかのように届いたそれは、かつて学生時代を共に過ごした奴らからの招待状。

 同窓会。なら、まだよかった。即決で欠席を選んでいただろう。この無様な姿を旧友たちに見せられるはずがない。

 だが、これは似て非なるもの――結婚式だった。

 しかも、新郎と新婦は俺が最もよく知る相手であり、俺を最もよく知っている相手。

 本来なら、これも迷わず欠席すべきだろうに、その部分がずっと俺を迷わしていた。


「……よし」


 逡巡し、どうにか意思を固めた俺はペンを取る。

 欠席と書かれた文字の傍に、ペン先を触れさせた瞬間――タイミングよく、スマホの着信音が鳴り響いた。


 ◇ ◇ ◇


「来てしまった……」


 ぽつりと漏れる言葉。

 広さ的にこじんまりとはしていたが、華やかで賑やかさに満たされた披露宴会場。そこから少し離れた静けさ漂う男子トイレで、俺は鏡に映る自分を見ていた。

 数少ないきれいなスーツを引っ張り出し、ぼさぼさになっていた髪や髭を整え、幾分爽やかさになった爽やかさのない顔立ちの自分を。眼鏡の奥にある生気のない瞳で。

 言葉の後には、大きなため息を吐いてしまう。


「今からでも遅くない。やっぱり帰ろう」


 顔を洗って気分でも切り替えて、この場を去ろう。そう決心して、眼鏡を外した俺は水を顔に当てた。


「そんなこといわないでくれよ、翔。久しぶりに会った親友の結婚式だっていうのにさ」


 すると、すぐ傍で誰かが俺に話しかけてきた。

 聞き覚えのある声。

 それもそうだ。ついさっき、建前上のやりとりで言葉を交わしている。顔を確かめなくてもわかってしまった。

 ポケットに入れていたハンカチで顔を拭き、眼鏡をかけ直した俺はそいつの方を向いた。


「主役さまがこんなとこにいていいのかよ、じゅん


 今回の結婚式の新郎で、俺の幼馴染でもあった黒音純くろねじゅん

 女子のような艶やかさの茶髪に、幼さの残る整った顔立ち。加え、これでもかというほどに真っ白なタキシードを着こなすスタイルのよさ。

 俺とは何もかもが異次元レベルで違う。こいつと幼馴染だったというのも疑い始めたくなる。


「僕だって、トイレぐらいは行きたくなるさ。人間だもの」


 全うな答えを返され、そうもそうだなと俺は苦笑を浮かべ返してしまう。

 純は小用を済ませながら、話を続けた。


「でも、本当に嬉しかったよ。翔と会えてさ。もう二度と会えないかもしれないと思ってたから」


「あっ、いや。俺は……」


「七年ぶりだったけ? 高校を卒業して以来だよね」


 そうだ、七年だ。

 俺は高校を卒業したあの日から、忘れたくても深く胸に刻まれた傷がいつのものか、忘れられずにいる。

 だから、間違えるはずがなかった。


「でも、わかってるよ。どうして、この七年間会わずに避けていたのかさ」


 心臓が一瞬、大きく波を打った。

 用を済ませた純が洗面台に歩み寄ってくる。


真理まりを取られたのが悔しかったんだろ」


 また心臓が大きく波を打つ。

 大空真理おおぞらまり。俺がかつて思いを寄せていたもう一人の幼馴染で、こいつの妻となる相手。


「ずっと好きだったのに、選んだのは君じゃなくて僕だった。ざまあないね、翔」


 優しかった口調が、急に俺への蔑みを含んだものに変貌する。

 恐る恐る、視線を手を洗っていた純に向けた。

 そこには、幼さを残しながらも整った顔なんてものは消え失せ、不気味なほどに歪んだ笑みが浮かんでいた。嫌な寒気が背筋を襲う。

 洗い終え、手を拭く純が俺の方を向いた。


「いいね、その表情。それが見たくて堪らなかったよ。わざわざ探し出して、来てもらった甲斐があった。学生時代にいっつもリーダーぶってた奴の落ちぶれた姿、本当にぞくぞくする。まあ、せいぜい悔しさを噛みしめながら、今日を楽しんでくれよ。ひひっ」


 そういって、俺の肩にまだ水気のある手を置き、横を通り過ぎていこうとする。

 スーツとシャツ越しに感じる冷たさに、俺はとてつもない惨めさを感じた。好きだった相手は最もよく知る奴に取られ、職さえも失った俺は人生の負け組でしかない。

 馬鹿にされたからと、こいつを一発殴り返したところで惨めさが増すだけだ。


「……なあ、純。一つだけ教えてくれないか。俺はどこで道を間違えたんだろうな」


「ん? 簡単な答えさ。僕達が出会った小学生のときから、君は間違え続けてたんだよ。中学、高校に進んでも変わらずにね。その結果がこれさ」


「……そう、か。俺はずっと、間違え続けてたんだな……」


 徐々に遠ざかっていく純の高笑いの声を耳にしながら、俺はただ俯き、底なしの闇に心を沈めていった。

 気付くと、俺は披露宴会場へと戻っていた。

 どうして、この苦しみしかない場所に自分は戻ってきたのだろうか。いや、考える必要はない。

 気持ちは落ち着いている。思考に淀みはなく冴えている。会場の賑やかささえ心地よく感じてもいる。

 なすがままに、この体を動かせばいい。俺は啓示でも受けたかのように、ゆっくりと動き始めた。

 人と人との間をすり抜け、一直線にある人物へ近づいていく。

 多くの人で満たされた会場内でも、その人物の服装ははっきりと存在感を示していた。周りの人たちと和気藹々と話している。

 俺がどうあがいても得られない幸せを、そいつは物にしている。許せない。

 これはただの逆恨みだろう。

 でも、距離を縮めるにつれて沸々と湧き上がってくる、どす黒い感情。最早、理性では抑えられなくなっていた。

 背中を見せていたそいつが近づく俺の足音に気付いて、こちらを振り向こうとする。

 だが、それよりも先に俺がぴったりと体をくっつけることで、向かせることはなかった。

 その直後。にこやかだった周囲の空気が凍りついた。

 そして、賑やかさではなく、耳をつんざくような騒がしさが辺りを包む。まるで、阿鼻叫喚だ。


「翔……」


 か細く消えそうな男性の声がした。

 耳障りだな。力を入れ、より体を密着させる。


「ぐふっ……!」


 すると、口から赤い液体を吐いた。

 これぐらいでいいか。俺は入れていた力を抜き、体を離す。

 途端に、そいつが支えを失った人形のように勢いよく床へ崩れ落ちた。見下すと、真っ白いキャンパスにきれいな赤い色をした円が描かれていた。

 そこで初めて、自分の手も同じ色に染まっているのに気付く。片手には、銀色に輝くナイフを握りしめていた。


「あっ……あっ……」


 今度は女性の声が聞こえた。うるさい中でも、透き通る声。

 横を見やると、彼女はいた。

 真っ白なドレスを身にまとった新婦。丸みのある可愛らしい顔つきに、美しいセミロングの黒髪をしていて、スタイルも出るところは出て、締まるところは締まっている。

 世間一般的に、十二分に美人といえた。


「真理」


「いや……! どうして……」


 涙をためた澄んだ瞳には、生命の危機による恐怖と大切な人を失った絶望が浮かんでいた。

 平常心をなくして取り乱す彼女に対し、俺は逆にそれによって冷静さを取り戻していく。

 結果、した事の重大さを改めて思い知るはめになったが、不思議とパニックは起こさなかった。


「真理……ごめん」


 ここに長くいるのは得策ではない。俺は一言だけ言い残して、踵を返した。

 今後、自分がどういう運命を迎えるのかは単純明快だ。そうなってしまう前に、俺がすべきこと。

 階段を上り、屋上に出る。冷えた外気が頬を撫でた。

 フェンスを乗り越えて縁に立つと、風が下からも襲ってくる。


「はあ……最低だな、俺。人として屑すぎるだろ。人生も最低だったけどさ」


 下を覗けば、大事なところが縮みそうになる。


「……叶うなら、もう一度やり直させてくれよ。なあ、神様」


 往生際悪くもふざけた願いを祈った俺は、大きく両手を広げて――空を飛んだ。

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