九尾の狐と吸血鬼05
「ほう、美味いな……。相も変わらず須我一族はいい仕事をする」
「まったくでやんす。商業主義を否定する気はありやせんが、こういう希少価値の高い確かな仕事には心うたれるものがありやすなぁ」
早くも二杯目を使用人に注いでもらう照ノと玉藻御前。
「校則で学生の飲酒は禁止されていますよ……」
平然と酒を呑む照ノをジト目で睨みながらそう言うクリス。
「まぁ固いことはいいっこなしでやんす。それに小生二千七百歳です故。とっくの昔に成人してやす」
「はは、あくまで《ラッセル現象》による過去であるから実際の年はわからんがのう」
ケタケタと笑って玉藻御前。
「あのー……」
と、これはアリス。
「どうしやしたアリス嬢?」
「ラッセル現象ってなんでしょうー?」
そんなことを聞いてきたアリスに、照ノは盃の酒を一口飲んで、それから言う。
「世界五分前仮説については以前話しやしたな」
「はいー。あのー、世界が過去のデータをもったまま五分前から始まっているんじゃないかっていうアレですねー」
「それを提唱したのがバートランド=ラッセルという人物でやんす。故に彼の名をとってラッセル現象というんでやんす」
「質問の答えになってませんよー」
「へえ。では続けやしょう。世界はどうやって生まれやした?」
「ええとー、ビッグバンでしたっけー?」
「まぁそれが今現在の主流でやすね。さて……では世界方々の創造神話を知ってやすか?」
「いくつかならー」
「なればそれぞれの神話における世界創造が互いに矛盾を生むことも理解できやすな?」
「それはまー。もっともですねー。世界がどう生まれたかはわからなくてもー、その手段は一つでしかありえないー。つまりどれか一つの創造神話が正しければ他の創造神話が嘘になるー」
「まして科学の発展した現在において神秘主義の世界創造理論など毒にもならぬ戯言にすぎないんでやんす」
「その通りですねー」
ピクリとクリスのこめかみが少し鳴動した。
旧約聖書の創世記までをも否定されたためだ。
「しかして世界にはそれぞれの世界創造神話におけるガジェットが実として存在していやす」
「ガジェットですかー?」
「ああ、ええと、世界方々の創造神話において記された神々や世界や神器といったものが確かに存在するんでやんす。それにともなってそれぞれの創造神話から文明へと繋がる架空の歴史も存在しやす。本来なら存在しないはずのガジェット。しかしはるか昔にいたとされる現在の科学的歴史とは矛盾する神秘的歴史を持って神々や神器、異界が存在するんでやんす。たとえばそこの玉藻、こやつは遥か昔にインド、中国、日本で暴れた妖怪として有名でやすが、そのエピソードはあくまで伝説……でっち上げであって実際にそんな歴史があるわけではありやせん。しかし同時にその記憶を持って玉藻は存在していやす」
「矛盾ですねー」
「この矛盾を説明するためのラッセル現象でやんす。史実がどうあれ過去の神秘的歴史を持って、どこかの時点で玉藻が生まれたということにすれば矛盾が無くなるでやんしょ? たとえば史実とは別の架空の過去記憶を持って五分前に玉藻が生まれた。その他の神々や鬼、神器、異界も、史実とは別の架空の過去データを持って五分前に生まれた、とすれば矛盾が無くなるでやんしょ?」
「なるほどー! つまり玉藻前が過去にどんな記憶を持っていたとしても、実際にはどの時点で発生したのかは論じることができないとー」
「そういうことでやんす」
そう言ってやしおりの酒を呑む照ノ。
「じゃあ二千七百歳を自称する照ノもー?」
「ちゃんと二千七百年の記憶を持ってはいやすが、あくまで史実に沿わない過去記憶でやんす」
「ふーんー」
そう納得して玉露を飲むアリス。
そんなアリスの両肩をむんずとクリスが掴む。
「アリス、騙されてはなりません。この世界は我らが主が創ったモノに相違ありません。全ての真実は聖書の中にあります」
「えー……でもー……クリスさんー……いまどき創世記をそのまま信じるなんてー」
「ところがそうでもないんでやんす」
「へー?」
横から割って入った照ノの言葉に疑問を持つアリス。
照ノは酒を呑み、話を続ける。
「実のところビッグバン仮説を嬉々として受け入れたのは一神教のお偉いさん方だったりするんでやんす。どうも科学によって瓦解しそうになった一神教の世界観がビッグバンを神の御技とすることによって保とうとしたらしいんでやんすが……」
「ホホ、皮肉なモノよなあ……」
そう言って酒を呑む照ノと玉藻御前。
「くっ……!」
反論さえできずに言葉につまるクリス。
照ノと玉藻御前の杯が空になると、使用人が三杯目の酒を注ぐ。
やしおりの酒を呑みながら玉藻御前が問う。
「それで? 天常照ノ……貴様は何ぞのためにこの玉藻御殿に来たのかえ?」
「ああ、そういえばそうでやんした。酒の旨さにおぼれてすっかり本題を忘れていたでやんす」
盃を持っていない方の手で扇子を取り出すと「度忘上等」と書かれた扇子をパンと小気味よい音とともに広げてヒラヒラと扇ぐ。
「玉藻、きさん式神を全国津々浦々に配置してやすな?」
「それがどうかしたかえ?」
「つい先日……カバラ学者のゲオルク=コルネリウス=アグリッパ先生が魔術結社モルゲンシュテルンを率いてこの日本に不法入国してやす。その委細を聞きとうてここに来やした」
「照ノ……それは……!」
クリスが驚愕に目を見開いて、照ノを睨みつける。
しかし照ノは、扇子をヒラヒラと振りながら酒を呑み、クリスに言う。
「安心しやせ。玉藻はこの件に手を出したりしやせんよ。それより玉藻、そちのネットワークにゲオルク先生はかかっていやせんか?」
「かかっておるえ。おそらくじゃがモルゲンシュテルンという連中じゃろうのう……」
「教えやせ」
そう言う照ノに、
「断る」
にべもなく玉藻御前はそう言い切った。
照ノはボサボサの髪を掻きながら問う。
「なにゆえ?」
「黙っていた方が面白そうじゃからのう……」
酒を呑みながら心底面白そうにそう言う玉藻御前。
照ノは「度忘上等」と書かれた扇子をパンと小気味よい音とともに閉じると、その扇子を玉藻御前に向けた。
「具体的に言いやっせ」
「ではヒントを一つだけ。モルゲンシュテルンが狙っているのはそのゴーレムだえ」
「っ!」
照ノが驚愕する。
クリスも照ノとは別の意味で驚愕する。
アリスもまたクリスや照ノとは別の意味で驚愕する。
「どういうことですか玉藻御前!」
そう問うたのはクリスだ。
「ヒントは一つだけ、と言うた。これ以上の詮索は野暮というものだえ」
そう言って美味しそうにやしおりの酒を呑む玉藻御前。
照ノは扇子を懐にしまうと、やしおりの酒を一口だけ呑む。
度の強い中にもフルーティな香りを酒に見出しながら、照ノは玉藻に問うた。
「それが事実ならゆゆしき事態でやんす。笑えやせんよ」
「それは人間の都合じゃろう。わらわにとっては何の問題もない」
くつくつと笑って……玉藻御前。
アリスとクリスが、照ノに話をふる。
「お兄ちゃんー、アリスがモルゲンシュテルンに狙われているってどういうことー?」
「照ノ、あなたはこの事件の真相に辿り着いたのですか?」
照ノは酒を一口呑むと、それから散って舞う山桜の花弁を見ながら言う。
「モルゲンシュテルンがアリスを狙っているということは……つまり……」
「「つまり……?」」
「いや、よしやしょう。ここで言っても詮無きことでやんす」
そんな照ノの言葉に、ガクッとこけるクリスとアリス。
「ここまで引っ張っておいてそれはないんじゃないかなー」
「納得のいく説明をしてください照ノ!」
不満たらたらのアリスとクリスの抗議を無視して、照ノは盃の酒を飲み干す。
「とまれ、ことここにいたって詮索は野暮というもの。とりあえずは酒を酌み交わすとしやしょう玉藻」
「久方ぶりのレア物じゃ。存分に楽しませもらうぞえ天常照ノ」
そう言いあって照ノと玉藻御前は四杯目の酒にて乾杯をした。
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