魔術とは……01


「ではハンコ……と……」


 照ノは、提示された書類に、印鑑を押した。


「はい、ありがとう。じゃあこれで終了ね。夕食にしましょうか」


 そう言ってシスターマリアは、ニコリと笑った。


「今日の夕食は何でやんしょ?」


「照ノ……あんたはまたマリアの優しさに付け入って、夕食をたかろうっていうんですか?」


「今更でやんしょ?」


 照ノは、クリスとシスターマリアの住んでいる教会の、その隣のアパートに住んでいることもあって、ほぼ毎日朝食と夕食を教会で御馳走になっているのだ。


 そしてクリスは、それを承知していない。


「もう印鑑ももらいましたし照ノは帰っても結構です!」


「用件がなければ邪険でやんすなぁ」


 言いながら照ノは、くわえているキセルを、ピコピコと上下させる。


 シスターマリアがクリスを諭すように言う。


「クリスちゃん、いいじゃない。ご飯は皆で食べたほうが美味しいでしょ?」


「しかしマリア、天常照ノは商売敵ですよ……!」


「同時に御近所さんでもあるわね」


「…………」


 笑顔のシスターマリアから、目に見えない圧力を受けて、クリスは押し黙った。


 と、


「あのー、アリスはこれでー……」


 アリスが、いそいそと身を引く準備をしていた。


 照ノが聞く。


「身を引くって何処に?」


「それはー、そのー……」


 言葉に詰まるアリスに照ノは言った。


「夕食ぐらい食っていきやんせ。マリア殿の作る料理は絶品でやんすよ」


「なんであんたが当然のように言ってんのよ。おこぼれをもらってる分際でふてぶてしい」


「飢えてる者にパンを与える優しさこそ一神教の本懐でありやせんか」


「ぐ……」


 言葉に詰まるクリス。


 慈悲を盾に議論する照ノの論法は、ある意味で卑怯ともとれた。


 しかし、それに対して言い返す言葉は、クリスにはない。


 言っていることの正当性は、照ノに分があるからだ。


「それで、マリア殿、夕食は何でやんしょ?」


「今日はタンシチューよ。腕によりをかけたんだから」


 そう言ってウィンクするシスターマリア。


 シスターマリアがキッチンに消えた後、照ノはくわえたキセルをピコピコと上下させながら言った。


「いやぁ、マリア殿の優しさは天井知らずでやんすなぁ。どこかの狭量な威力使徒には見習ってほしいもんでやんす」


「…………」


 無言で仮想聖釘を一本具現化して、照ノに向かって投げつけるクリス。


 投げられた仮想聖釘を器用に掴み取る照ノ。


 そして照ノは言う。


「そんなだから狭量のそしりを免れないんでやんす」


「うっさいわね! 異教徒に優しくしてやる義理なんか本当はないのよ! アリスちゃんはともかくあんたなんかには特にね!」


「アリスはいいんですかー?」


「アリスはいいのよ。可愛いし無邪気だし……いくらでも甘えていいのよ?」


 アリスを抱きしめて猫かわいがりをするクリス。


「ありがとうございますクリス様ー」


「無い胸に抱きしめられても……でやんす」


 ボソリと言った照ノの言葉に、クリスはボンと顔を赤くする。


「わわわ私だって、ささ最近けけけ結構育ってるんだから!」


「しかしマリア殿には遠く及ばず……」


 ちなみにシスターマリアの胸囲は九十六である。


 大地母神もかくやの張りっぷりである。


「悲しい差別でやんす。これも唯一神の決めたことなら、なんと残酷な神様でやんしょ……」


「たかだか胸の話に、主の御心を持ち出さないでください!」


 仮想聖釘を一本具現化して投げるクリス。


 ヒョイと避ける照ノ。


「あらあら若い子は元気ね」


 キッチンから戻ってきたシスターマリアは、そう言って笑った。


「小生としては静かに夕食を迎えたいのでやんすが……生憎とその和を乱す輩が一人……」


「あなたが挑発するからでしょう、照ノ……!」


「小生は、ただ神様の不公平さという事実を嘆いただけでやんす。非難されるいわれはありやせん」


「それが挑発だと言ってるのよ!」


 ガタンと椅子を引いて立ち上がるクリス。


 近くに立っていたアリスが怯える。


「ほれぃ、クリス嬢がそうやってカッカしていれば、それだけアリス嬢が怯えるでやんす」


「誰のせいだと……!」


「クリスちゃん。落ち着いて。それから照ノちゃん?」


「はいはい?」


「主は意味を持って人を等しく作りませんでした。そこにはきっと主の意味があると思うのです。ですからそれを比較することなど愚かなことですよ」


「では飽食に甘んじている日本の子どもと、貧困にあえぐアフリカの子どもとの間にも意味はあると? それはまた残酷な神様でやんすな」


 そう言って肩をすくめる照ノ。


 ゴゴゴゴゴ。


 殺意の波動を垂れ流すクリス。


「あはは、それを言われると辛いわね。でもね、どんなところにも救いはあるの。これは本当よ」


「羨ましいでやんすなぁ」


「そう?」


「そんな風に世界を見られることが、既にして幸せの証拠でやんす」


「褒め言葉として受け取るわ。じゃあ夕食にしましょうか」


 そう言ってシスターマリアは、四人分のタンシチューとパンをダイニングテーブルに用意した。


 食欲をそそるような匂いが、ダイニングに充満する。


「いっただっきまーす、でやんす」


 そう言ってパンと一拍する照ノ。


「「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。アーゲー」」


 そう言って、十字を切るクリスとシスターマリア。


「い、いただきますですー。アーゲー」


 そうたどたどしく言って、十字を切り、一拍するアリス。


 そうして食事が始まった。


 タンシチューのタンを切り分けて照ノは一口。


 それから驚いた。


「おお、タンが口の中で溶けていきやす……!」


「どう? 美味しい?」


「はい、それはもう。マリア殿の料理はいつだって絶品でやんす」


「ふわー、本当に美味しいですよー。こんなに美味しいのは久しぶりですー」


 ニコニコと笑いながらアリス。


「いやぁしかし食事も見事なら食卓を囲む者達も見事でやんすなぁ」


「どういう意味よ?」


 意味がわからないというクリスに、照ノはあっさりと答える。


「美人で優しいお姉さん。クラスメイトのツンデリーナ。未来が楽しみな幼女。そんな花園に男が一人。男冥利に尽きるでやんす」


「そんな……美人で優しいなんて……」


 とシスターマリアが照れ隠しに手を振った。


「だだだ誰がツンデレです誰が! いつ! 私が! ああああなたなんかにデレました!」


 クリスは顔を真っ赤にするとバンと机を叩いて吼えた。


「いやー、褒められると照れますですねー……」


 アリスもまた顔をほんのり赤らめながら、手をうちわがわりにして自分の首元にパタパタと風を送った。


 クリスの激昂が続く。


「私があなたなんかにデレるわけないでしょう!」


 仮想聖釘を手元に具現化すると、照ノに向かって投げる。


 頭部を引っ込めて、それを避ける彼。


「そのツンは布石でやんしょ? デレた時の反動をより強くするための」


「殺しますよ……!」


「いやん」


 ふざけた調子でそう言うと、照ノは今度はアリスの方へと顔を向けた。


「ときにアリス嬢……」


「話が終わっていませんよ照ノ! いつ私があなたに慕情を……!」


 照ノの言葉を塗りつぶすようにクリスが吼えて、


「クリスちゃん。食事中は静かに、ね?」


 シスターマリアがそれを嗜める


「しかしマリア……!」


「ク・リ・ス・ちゃ・ん?」


 クリスに笑顔で圧力をかけるシスターマリア。


「はい……。申し訳ありませんマリア」


「それと、照ノちゃんに仮想聖釘を投げたことを謝らないと」


「それだけは断固拒否しますっ!」


「ま、いいんでやんすけどね……」


 ポリポリと頬を人差し指で掻きながら照ノ。

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