第2話お嬢様と老人2

「……お嬢様、冒険者に成りたいという事の是非は兎も角として、門限が非常に切迫して……」

 いつも冷静なウェネーが珍しく引き攣った顔をする。

 夕刻の鐘が鳴るまでに城に戻る事は、ヘーリアンティアと父との約束の一つだった。教育係のウェネーとしては、門限破りなどさせては色々な意味で立場が危ういのだろう。

 見れば高かった日もすっかり落ちている。夢中で話し込んでしまったせいで気が付かなかった。己の目指すべきものを見つけたという高揚が、嫌な焦燥感に取って代わられる。早く戻らないと些か不味い。

「おじいさん、お話の続きは別の日に聞かせて下さいね!」

 老人の冒険譚は中途半端もいい所だったが、今はそれどころではない。挨拶もそこそこにヘーリアンティアは駆け出した。ウェネーとスクァーマもそれに続く。

「なんとも慌ただしい事だ」

 老人が呆れ顔で紫煙を吹かす。煙は風に溶けて直ぐに消えた。


 買い物客も疎らになり、所々で店仕舞いを始める商人達を避け商業区を抜けると、逆に帰路につく人々で賑わう住宅区に出る。交易が盛んな土地柄から、この街では様々な人種の者が見られる。仕事を終えた気楽さで狼頭の狼族と最後の民の青年が談笑し、鍬を担いだ牛族の若者が虎耳を生やした虎族の娘を口説いて引っ叩かれ、羊族の老人と蛙族の中年が石造りの家の前でチェス盤を挟んで顰め面をしている。酒杯を片手に陽気に騒ぐ旦那衆の姿も見られる。

 そんな中を、人込みを避けながら駆け抜ける。

 調子良く一杯飲んでいた馬族の男が、馬に似た顔を真っ赤にさせて言う。

「お、ありゃあ姫様じゃないか。また城を抜け出したのか?

 元気で良いねぇ、子供はああでなくちゃな。

 我らが麗しの姫君に乾杯だ。おーい、姫様!」

 酒杯を振り回す男にヘーリアンティアも手を振り返すと、余裕がないのでそのまま駆け抜ける。

「何でぇ、随分慌ててるな。舞踏会にでも遅刻しそうなのかね?」

「元気がよくたってなぁ、姫様もあんまりお転婆してると嫁の貰い手が居なくなるぞ」

「何て事言いやがる。姫様にかかりゃあ何処ぞの王様だって一発で虜よ。

 お前は手癖の悪い馬鹿娘の心配でもしてやがれ」

「この前も言い寄ったパン屋の倅を血祭りにしやがったよな」

「ありゃ母親似だ。家のも若い頃はお転婆でな。

 嫁の貰い手が居ねぇって言うから、俺が面倒見てやることにしたのさ」

「偉そうに言いやがる。みっともなく腰に縋り付いて求婚した癖に」

「俺みたいな伊達男が弱々しく縋り付いて愛を囁く。ここに女はころりと来る訳よ」

「……お前、産まれてから水に自分の顔を映した事が無いのか?」

「阿呆は幸せだよな」


 何かと騒がしい住宅区を更に奥に駆ければ騎士や役人が住む閑静な区域が広がる。そこまで来れば城は目の前だ。息を切らして駆けて来るヘーリアンティアに城壁の門番達は驚いた様子だったが、口元に指先を当てる仕草をすると殊更に平静な表情を作って静かに開門してくれた。

 門番達に頭を下げて再び駆け出すヘーリアンティアに、方術士の外套を翻してウェネーが続く。運動不足のウェネーはもう足元がおぼついていない。一方、長く逞しい尻尾を真っ直ぐに伸ばして走るスクァーマには息一つ乱した様子がない。皮製とはいえ鎧を着込み長大な剣を携えているにもかかわらず、物音一つしない動きは流石だった。

 昼間に陽光と共に見た広い庭はもう薄暗くなりつつある。実に不味い。偶に擦れ違う衛兵や騎士に「静かに」のお願いをしながら必死で駆ける。若い衛兵は悪戯気に笑い、年配の騎士は厳しい表情で重々しく頷く。

 門番に本館の扉を静かに開けてもらったところで、ヘーリアンティアはようやく一息ついた。額から汗が噴き出し前髪が張りつく。淑女としては少々はしたない行動だった。次回の教訓としなければならないだろう。服を整え髪を梳き直すと、ウェネーとスクァーマの方を窺う。

 ウェネーは汗に塗れ荒い息で、方術士の魂とも言える杖にもたれ掛かって何とか立っている有様だ。学者肌の方術士に有りがちな事だが、実に体力がない。戦場を駆ける方術騎士程にとは言わないが、もう少し身体を鍛えてもよさそうなものだ。

反対にスクァーマは汗一つかかず平然としている。いや、蜥蜴人は体質として汗をかかないのだ。止まらない汗を気にするヘーリアンティアとしては羨ましい話だが、反対に寒さには弱く、冬には日向でよくぼんやりとしていた。体を温めないと動きが鈍るそうだ。

 ウェネーの様子には少々難があるがあまり時間を掛けてもいられない。ヘーリアンティアはこっそりと扉を潜った。


「門限を破るとは剛毅な事で御座いますな、お嬢様」

 心臓が飛び出しそうになる。

 恐る恐る声の主を見る。黒のお仕着せを一部の隙もなく着こなし、豊かな白髪をきっちりと撫で付けた老人が、腕を組み顰め面で待ち構えていた。ヘーリアンティアが情けない表情になる。

「……ご機嫌よう、ケッラーリウス……」

 老人は慇懃に過ぎる動作で腰を折った後、神経質そうに口元を震わせ言う。

「お嬢様におかれましても、さぞご機嫌で御座いましたのでしょうな?

 街に出るのを止めはいたしませぬ。

 市井の生活に触れるのもまた高貴にして聡明なるお嬢様の糧となりましょう。

 しかし、口に出すのも憚られる門限破りをされるとなれば話は別。

 そも、門限とはゲルマニカ公がお嬢様をご案じになられ、お決めになったもので御座いますれば、それを破るはお父上の信頼を裏切り、あまつさえどんな宝石より尊いお嬢様の御身に決して有ってはならぬ何事かが起こったのか、とご心配をお掛けしてしまう事になりまする。

 よもや天を遍く照らすほどの明晰さを誇るお嬢様が、聞き分けのない幼子のような所業に御身を堕とされるとは……。

 このケッラーリウス、無念で腸が捻じ切れそうです。

 その様な事をなさっていては、仕舞いにはハンニバルが戸口に来ますぞ」

 ヘーリアンティアは大仰で説教臭く、話の長いこの筆頭執事が大いに苦手だった。だからついつい言ってしまった。

「歴史にその名を轟かす大戦術家を子供の脅し文句に使うのはどうかと思います……」

 ハンニバルが来る、というのはここいらの地方で子供を脅す時に使う慣用句だ。

そもそもハンニバルが何者かというと、古の大ローマと争ったカルタゴの将軍で、有史以来最も優れた戦術家の一人に数えられる人物である。ハンニバルは優れた手腕で雑多な傭兵部隊を纏め上げ、兵力に勝るローマ軍を相手に連勝を重ねローマ領を荒らしまわった。

 彼の戦いで最も有名なのは半数の兵力でローマ軍を包囲殲滅し、完膚なきまでに叩き潰したカンナエの戦いだろう。この戦いでローマの指揮階級の四半分が戦死したと云う。当然ローマ側の恐れようは凄まじいものがあり、ローマ帝国の支配域だった地域には今に至るまで斯様な慣用句が残っている。

 しかし、天才戦術家も結局はローマに敗れた。晩年は不遇で最後には毒をあおって自殺したという。彼の祖国カルタゴもローマにより消滅させられた。そんな敗軍の名将の戦いの記録は悲劇の様に物悲しく、ヘーリアンティアは大いに感情移入していた。それに、調べてみるとハンニバルというのは不審な部分の多い人物でもあり、そこがまた興味深い。あまりに人間離れした戦果を上げた事から魔人であったなどという話も伝わっており、あながち否定できない節も有る。

「おお、その御年にして並ぶ者のない知識、このケッラーリウス、感服いたさぬ日は御座いませんぞ。泉下のハンニバル将軍には失礼仕った事、謝罪申し上げましょう。

 ……しかしながら、この従僕が申し上げたい事の本筋はそんなことでは御座いませぬ」

「仰る通りです……」

 我ながら詰まらない事に噛み付いてしまった、とヘーリアンティアは俯く。

「何ゆえに門限をお破りになられたのか?

 よもやお嬢様ともあろう御方が遊びに夢中になられて、などという事は有り得ますまい?」

「遊びに夢中になりました……」

 熱に浮かされた様に時間を忘れた事は事実だった。弁解の仕様がない。

「……ふむ、太陽の如き英知に眼が眩みしばしば忘れてしまいますが、お嬢様とてお遊びになりたい盛りでは御座いましょう。

 比べる事とておこがましいが、この従僕もお嬢様の御年の時分には日が暮れるまで騎士ごっこに性をだしたものです。

 しかし栄えあるゲルマニカ家の御息女として、その様な事では領民は勿論、臣下の騎士達にも示しがつきませぬ。

 そうではないかね、ウェネー君?」

「そそその通りです」

 突然矛先を向けられたウェネーが盛大に噛む。

「例えお嬢様が夢中になられても、それを諌めて諭し連れ帰るのが、いやしくも筆頭教育係の大任を仰せつかった君の役割だろう?

 あまり私を失望させるなよ」

 ケッラーリウスが、ヘーリアンティアには決して見せない冷徹な眼を向ける。

「お嬢様の身に何かあれば、例えば、君が付いているにも拘らず出先で傷の一つも作るのを許せば……。

 ……まあ、すんなり楽になれるとは思わん事だ」

「ひぃ……」

 ケッラーリウスが意味有りげに自分の首を撫でながら言う。ゲルマニカの奥を統括する彼の力は強大だ。彼がその気になれば教育係の一人二人処理する事など造作もない。横で見ているヘーリアンティアでさえ首周りが何やら寒々しい。ウェネーの顔色は青いのを通り越して最早白かった。それに比べ、

「俺が居る限り傷一つ付く事も有り得んさ。

 それに俺は思うのだがな、子供なのだから遊びに夢中になる事もある。約束を破ってしまう事もある。そんな失敗を一つずつ重ねて子供は育つものだろう?

 そして、それを見守るのが我らの役割だ。

 ヘーリアンティアも十分に反省した、そうだな?」

 そう言ってヘーリアンティアに円らな瞳を向け、牙を光らせるスクァーマの男前さはどうだろう。ヘーリアンティアは思わず恋に落ちてしまいそうだった。

「……スクァーマ殿がそう言うのであれば、もうよいでしょう。今回は私の胸に留めておきます。

 しかしお嬢様、再び門限を破られるような事が御座いますれば、城下町にお出かけになられる事自体、考え直して頂くようお父上に申し上げますぞ。

 ウェネー君、二度目はない。身を粉にして励みたまえ」

 その言葉にヘーリアンティアは大きく息をつき、肩の力を抜いた。ウェネーなどへたり込んでいる。

「御免なさい、もう二度と門限を破らないと誓います……」

 ケッラーリウスは大きく頷いた。

「良う御座います。

 さ、お嬢様、お食事の前に湯浴みをされるのが良いかと存じます。

 さあ、誰かお嬢様をご案内差し上げなさい」


 ヘーリアンティアは侍女達に連れられ浴場で汗を流した。

 この地方はローマの伝統が残り貴族だけでなく庶民にも入浴の習慣が有るのだが、他の地域には伝染病の感染の原因になるという考えから公衆浴場を取り壊している場所も在るそうだ。他国の資料と比較しないとどちらが正しいかは判断し難いが、浴場を清潔に保てば悪い物でもないと思う。何よりも気持が良い。この愉悦は一度知ってしまうと抗いがたいな、とヘーリアンティアは侍女に体を洗われながら思った。

 浴場を出ると侍女に体を拭かれ、髪を整えてもらい真っ白な長衣に袖を通す。髪を洗うのに使った香油の良い香りが広がる。

「とても可愛らしいですわ、お嬢様」

「えへへ、そうかな。

 いつもありがとう。とても気持ちが良かったですよ」

 高級品の硝子の鏡を覗きながらヘーリアンティアは笑った。明るい金色の髪も新雪の様な肌もぴかぴかに磨かれている。ケッラーリウスに叱られて沈んでいた気持ちも良くなり、ヘーリアンティアは軽い足取りで食堂に向かった。


 食堂ではヘーリアンティアの父と母達、兄達がすでに席に着いていた。後ろにはケッラーリウス達従者が控えている。

「我らのお姫様の登場だね」

 まだ若い自慢の父が長方形の食卓の奥、上座で柔和に笑う。二人の母、ヘーリアンティアの産みの母親と第二夫人も、二人の兄も微笑んでいる。

「お父様、お母様方、お兄様方、遅くなって申し訳ありません」

 ヘーリアンティアは礼法に則って長衣の裾を摘み、膝を軽く曲げた。教本に載せられる様に綺麗なカーテシーだ。その様子を見て父はますます笑みを深める。

「別に待ってはいないさ。さあ、食事を運ばせるから座りなさい」

 ヘーリアンティアは頷いて下の兄の横に座った。後ろに控えた従者が喉を潤すための麦酒を注ぐ。この地方では水が良くない為、食事の時は麦酒を飲むのが一般的だ。思えば走り通しで随分喉が渇いている。ヘーリアンティアが麦酒を飲み干すと、従者が新たに注いでくれる。

 入れ替わる様に別の従者が、茹でた乳草と香草の上に腸詰の細切りを散らし調味液をかけた前菜を運んで来る。腸詰はこの地方の名産品で、香草を練り込んだ物や乾酪を入れた物など夥しい種類が有る。これが無いと皆食事をした気にならない為、他国の者からは「腸詰の中に腸詰を入れる」などと揶揄されたりもする。余計なお世話である。麦酒を半分程飲んでから、前菜に取り掛かった。

 料理は冬瓜と鶏肉を煮込んだ汁物、鱒を丸ごと蒸して香草を散らした蒸し物、鶏の肉に香辛料を塗してこんがりと炙った焼き物にこの地方名物の巻菜の塩漬けを添えた皿と続き、柔らかい白パンが添えられた。

 最後に、鶏の卵の蒸し物に漉した野苺をかけた甘味が出される。ヘーリアンティアが食べ終わるのを待って、上の兄が話し掛けて来る。食事中の会話は無作法だとされるのだ。

「随分喉が渇いていたみたいだけれど、また何処かを探検していたのかい?」

 上の兄の、父にそっくりな穏やかな笑顔に胸が痛む。まだ門限を破った事を言っていないのだ。黙っておけばばれないか、という思いが胸を過るが、そんな下らない小細工は貴族のする事ではない。覚悟を決める。

「実は、街を探検していたら門限を破ってしまって……」

 思い切って言うと、それを聞いた下の兄が大きな体を震わせて笑う。こちらは野性味のある顔立ちで父とはあまり似ていない。上の兄とヘーリアンティアが正妻である母の子供で下の兄が第二夫人の子供だったが、父は子供を区別せず、兄達も気にした様子はなかった。皆大切なヘーリアンティアの家族だ。

「ヘーリは馬鹿正直だな。そんなものは黙っていれば良い。

俺なんざ何回門限破りをしでかしたか、数え切れない」

「馬鹿はお前だ。馬鹿なお前の馬鹿な影響を可愛いヘーリが受けたらどうするのだ?」

「兄貴だって餓鬼の頃、教育係のセリアとよく城を抜け出していただろうが?」

「彼女とは月を見ながら、人は如何に生きるべきか語らっていたのだ。

お前の低俗な遊びとは違う」

「そんな迂遠な事をしているから、セリアに振られるのだ。男だったら愚直に押せや」

「阿呆が、私は振られてなどいない。

 それに彼女には婚約者がいた。私も彼女の結婚を祝福したものだ」

「その後一日中泣き明かした癖にな。あの時は腹がよじれるかと思ったよ」

「……良い機会だ、口の利き方も理解出来ない愚かな弟に兄の偉大さを叩き込んでやる。表に出ろ」

「はっ、面白い。その先は剣で語れ」  

 皆大切な家族だが、兄達が事ある毎に競り合うのは困りものだった。

「お兄様方、争いの程度が低すぎます……」

「……阿呆なお前のせいで、偉大な兄である私までヘーリに呆れられたではないか」

「ヘーリ、程度が低いのは兄貴だけだ。一緒にしないでくれ」

「まったく、君達は面白いね」

 食後の葡萄酒を愉しみながら、父が愉快そうに言う。葡萄酒の生産は南方で盛んな為、この地方では麦酒と比べれば高級な嗜好品に分類される。

「ヘーリ、今日はどんな冒険をしたんだい? 

君が門限を破った事なんてなかったからね。さぞかし夢中になったのだろう?」

 冒険、そう冒険だ。冒険者になると決めたのだ。その為には父に冒険者になることを許してもらわなければならない。ヘーリアンティアは真摯な瞳で父を見る。

「門限を破って申し訳ありませんでした。以後、このような事が無い様、肝に銘じます」

「うん、賢い君の事だ、僕が叱る必要なんてないだろう。

きっとケッラーリウスにはたっぷり絞られただろうしね」

 全く、父は何でもお見通しの様だ。

「有難う御座います。

 商業区の露店で元冒険者という老人の話を聞いていたところ、これが大変に面白く時が経つのを忘れてしまいました。

 その老人から珍しい木像を買い取ったのですが」

 侍女に預けていた木像を持って来て貰う。それを見た父は珍しく驚いた風な顔をした。

「これは、インディアスの物じゃないかい?」

「はい、砂漠の民の国を越えた先にある国の物だと言っておりました。

 話によれば自ら赴いて手に入れたとか」

 母達、兄達も驚いた顔をする。

「伝説の地インディアスに辿り着いた冒険者か。相当に腕利きなのだろうな」

「勿論冒険譚を聞いて来たのだろう? 俺にも聞かせてくれよ」

「それが、途中で夕刻の鐘が鳴ってしまって……」

「それは流石のヘーリも、時間を忘れてしまっても無理ないね」

 父は相変わらず笑みを崩さない。ヘーリアンティアは覚悟を決めた。

「そこで、最後に老人に言われたのです。

 世界の姿がそれ程に気になるなら自分で見に行けばよい、と。

 蒙を啓かれたような衝撃を受けました。確かにその通りです。

 今まで書庫の文献を読み、世の未知なるものについて想いを馳せてきましたが、最早自分の目で全て確かめたいという気持ちを抑えられません。

 私は世界の全てを知りたいのです。冒険者になる事を許して下さい」


 その言葉を聞き、皆一斉に静まり返る。言ってしまった。緊張と同時に肩の荷が降りるのも感じる。後はなる様にしかならない。

「ヘーリ、冒険者は危険な職業だ。

 君は知らないかもしれないが、この領地で最もよく死ぬのが冒険者を生業にしている者達だ。他の領地でもそれは変わらないだろう。

 おそらく有史以来、戦争で死んだ者よりも迷宮で死んだ者の方が、多い」

 上の兄が言葉を選びながらゆっくりと言う。

「それに冒険者といっても、大半の者は低級の迷宮で魔獣を殺し、僅かな戦利品を漁って日銭を稼ぎ暮らしている。

 実力と幸運に恵まれ歴史に名を残した者達のせいで誤解されるが、冒険者というのはそんなに華やかなものではないんだ。

 むしろ、貧しい者や落ちぶれた者が一攫千金を夢見て成る荒っぽい生き方だよ」

「そうだな、馬鹿兄貴の言う通りだ。

 世界を見たいのなら貿易関係の役人や外交官に成れば良い。

 迷宮の討伐を目指すのなら家の領軍に入れば良い。

 ヘーリなら方術士として皇帝直属の方術士団にだって入れるだろう」

「愚かな弟にしては良い事を言う。

 我が領とて東方との香辛料貿易には一枚噛みたいところではある。家で雇っている冒険者の中には、東方を探らせている者も居るのだ。

 後方で奴等のもたらした情報を分析し、指示を出す役割に就くのも良いのではないか?

 何も危険を冒してまで自分で見に行く事もなかろう」

 やはり兄達は反対の様子だった。それに言われた事も尤もな話だ。ヘーリアンティアは思わず俯いてしまう。

 助け舟は意外な所から出された。

「私は賛成よ。ヘーリはきっといつか世界を巡る旅に出ると思っていたわ」

 今まで黙って聞いていたヘーリアンティアの母が微笑みながら言った。ヘーリアンティアのみならず、兄達も驚いて彼女を見る。

「しかし母上、女だてらに冒険者など危険が過ぎるでしょう?」

「古の賢者も、学問を学んだ後は見聞を広める旅に出たと伝えられるわよ。

 世の中には危険と好奇心を天秤に掛けても、未知への探求を優先してしまう者が居るのでしょうね。ヘーリもそうなのでしょう?

 それに、私はヘーリが古の賢者と比べてもなんら遜色がないと信じているわ」

 それを受けて第二夫人も言う。

「大体、貴方がたは危険がどうこうと軟弱に過ぎないかしら?

 貴族とは戦う者を讃える言葉なのよ。

 それに比べてヘーリは、自ら旅して世界の全てを知ろうという心意気が痛快ね。

 貴方がたも、少しはヘーリの気概を見習いなさい」

 第二夫人は武を貴ぶ家に産まれた為、考え方も勇ましかった。

 二人の母の言葉はヘーリアンテスの胸に沁みた。救われた様な気持ちになる。これで賛否は二対二で分かれた。自然、視線は父の元に集まる。結局のところ最終決定はゲルマニカ公である彼が下すのだ。

 父は常にはない真剣な顔で考え込んでいる様だった。長い沈黙が場に満ちる。ヘーリアンテスが心臓の音が聞こえそうな沈黙に窒息しそうになった頃、父がようやく口を開く。

「ヘーリ、後で僕の部屋に来なさい。二人で話そう」

 そう言うと、難しい顔のまま席を立ち、ケッラーリウスを従え食堂を出て行ってしまう。それを待っていたかの様に皆大きく息を吐く。

 父は賛成も反対もしなかった。だが、それもこの後の話し合い次第だろう。ヘーリアンティアは如何に父を説得するかに思いを巡らせた。

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