◆4

 自分が聞こえる分にはまだいい。

 しかし夫人達の声は大きすぎた。

 下手をすればルチルにまで聞こえかねないほどだ。


 ちらりとルチルの顔色を伺う。

 すると銀色の瞳がこちらを見ながらにっこりと笑っていた。

 悪い予感がした彼は、いそいそとルチルの傍へ寄る。

 同時にルチルに集っていた人垣が虫のように散って行った。


 彼が何事か発するよりも先に、ルチルが持っていたグラスを差し出した。


「不味い。ウル、さっきの紅いのと変えて来て」


 主人が名を呼んだ上で命令する時は、決して意見を曲げない時だ。

 尤も、意見を曲げる事などあまり無いのだが。


 それでも、今、ここを離れるわけにはいかないのではないか。

 少しの戸惑いを見せた瞬間、ルチルの目がギンと吊り上った。


「聞こえなかったのかしら? そのたいそうな耳は飾りなの?」


 これみよがしな嫌味に、三角の耳がピクリと動く。

 どちらにせよルチルの命令を無視する選択肢はウルにはない。

 狭い檻から助けだされたあの日から。


「……アイ・マム」


 こうなれば、事が大きくなる前に戻ってくるしかない。

 そう決心してルチルの手からグラスを受け取り、早々にその場を離れた。



 清々して口の端を吊り上げたあと、ルチルは先ほどの夫人達の方を向いた。

 ギクリと動きを止めた三人だったが、直後に浮かべられた、花のように柔らかな笑みに、ホッと安堵の息を吐く。


「ご機嫌麗しゅう」


 ドレスの両端をつまみ、淑やかに腰を上下させたルチルへ、三人は今だとばかりに近づいた。

 途端にひどく強い香水の臭いが鼻腔を突いた。


「流石ルチル様ですわ、あんな野蛮な獣を傍に置き、平然と従わせるだなんて!」

「うちの犬よりも優秀ですわ。一体どういった調教をなさってますの? 是非、お教え下さいませ」


 きっと彼女達にとってはルチルを持ち上げているつもりなのだろうが、とんだ見当違いである。


 ルチルは微笑みを浮べ、眉を八の字に曲げた。


「残念ながら、調教なんてした覚えがありませんの。ああ見えて、彼はとても常識的なのですよ――少なくとも、見た目で性格を判断する烏合の衆よりは」

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