◆2

 観客がうるさい。

 父親の豚のような笑い声。

 振るわれる鞭。

 檻が蹴られて、錆びた金属の重低音がけたたましく鳴った。


 ルチルは声を張り上げる。

 七歳の少女が発するには、あまりにも力のある声だった。

 人に命令する事に慣れきった声だった。


「静まりなさい」


 その場に居た全ての人間が口を閉じる。

 全員がルチルを見た。

 息を吸う事すら躊躇われるような雰囲気が広がった。


 ルチルは薄い青色の冷たいで調教師を睨んだ。


「あなた達、調教がなってないわね。本来の魅力を少しも惹きだせていないじゃない」


 険を含んだ言葉に、鞭を持つ男がポカンとこちらを見上げる。

 

 ルチルは気にせず父親の袖をつまみながら、可愛らしく首を傾げた。


「ねぇお父様。あたし、アレが欲しいわ。飼ってもいいでしょう?」


 面食らった父親を無視して立ち上がったルチルは、軽やかに人ごみを通り抜け、彼の前で立ち止まった。

 見上げられる眼には金色の炎が宿っている。

 開いた瞳孔が狙うものはなんなのだろう。

 あたしだったら素敵なのに、と思う。


 あんたにも、きっと、味方なんていないんでしょう? 

 なら、あたしと同じね。


 ルチルは檻に手を伸ばす。


「ルチル様!」


 従者が叫んだ。

 しかし、彼らはルチルの元までは来ない。

 いくら一国の姫だとしても、わがままな小娘など守る価値はないとでも思っているのだろう。

 実際そうだし、馬鹿な王を守る方が幾分かマシだ。


 しかしそれはルチルも同じだった。


「あたしにあんた達は要らないわ」


 お前達よりもこの獣が欲しい。

 暗にも含まれていない主張に、家来達が息をのむ。

 いくら姫の言葉だとしても、王の一言があれば家来は問答無用に動くのだろう。

 しかし父親は何が起こっているのかも気付いていないようで、頼りなく周囲を見回している。


 ルチルは、手を伸ばした。

 四つんばいになるのも精一杯の、窮屈な檻の中へ。


 顔を近づけ、誰にも聞こえないようにそっと呟く。


「あたしが今日から、あんたの唯一無二になってあげる」


そして、あんたがあたしの唯一無二になるの。


 彼の眼にもはや憎しみはなかった。

 見開かれた二つの満月が何を考えているのか、ルチルには分からない。

 しかし彼は、辛い仕事をした事がないのだろう白く柔らかな手を、埃と血と涎にまみ塗れた毛深い前足で取り、そっと鼻を付けた。


 生きるために、ルチルの手を選んだのだ。


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