『易占奇術』は“通常”営業中

ミズノ・トトリ

ある従業員の日常

1 (Jekyll)

仮想西暦2060年 3月某日

日本 近畿地方魔族特区 商業エリア

『カフェ・インフェルノ/ラグーナ支店』 店内 


 

 時節の言葉として、「早春の候」「解氷かいひょう」「麗日れいじつ」などが使われる今日この頃。近畿地方・紀北地域西端に浮かぶ人口島では、冬の残党と春の先遣隊が一進一退の攻防を繰り広げている。日差し暖かく風冷たい街中では、有閑ゆうかんマダムやサラリーマンに混ざり、春休みを迎えた学徒たちの姿も見られた。

 そして、つかの間の青春を謳歌している彼らを、とあるカフェテリアの席から眺める青年が1人・・・。


「はぁ、平和だねえ」


 ガラス窓の向こうをクレープ片手に通りすぎていく学生の集団を見送りながら、新井あらい卓也たくやは自分が注文した甘味が届くまでの暇をつぶしていた。


「俺も4~5年前は、あんな風だったんだよなぁ。全然思い出せねぇけど」

「ははは、若いのに何言ってんです?アタシみたいなオッサンでも、つい昨日のように思い出せるのに」


 ぽつりと呟いた独り言に、隣の席に背中合わせで座っている中年の男性客が返してきた。

 この店の常連客の一人で、何度も顔を合わせているものの、卓也は名前を知らない。

 それでも、仲の良く、世間話を交わす間柄である男性は、勝手に自分の思い出話を、卓也に語りだす。


「アタシがあれくらいの年だったのは、でしてね。当時はほんっと冷や冷やしたもんですよ。すわ世界の終わりか、ってね」


 卓也はそれを嫌な顔一つせずに、むしろ興味津々といった様子で聞き、相槌を打った。


「大変だったんですね。俺はまだ生まれていませんでしたが、終戦直後の混乱は、歴史の授業で何度も聞きました」

「いえいえ。確かに戦時中は今言ったように大変でしたが。戦争が終わってからは、言うほど荒れませんでしたよ。そりゃ、おかみの方々にとっちゃ一大事でしたでしょうけど。戦前、文字通りで生きてたアタシらにとっては、お天道てんとうさんの下を堂々と歩けるようになったってんで、むしろ過ごしやすかったぐらいで・・・」


 そういって男性は、飲みかけのコーヒーカップを持ち上げ、“頭頂部の皿”へとゆっくり注いだ。

 そして空になったカップを置くと、後ろに座る卓也へ見せるように、水かきが広がる右手を掲げる。


「アタシら“河童”が、こうしてサテンでコーヒーを飲む姿、今では当たり前ですがね。四半世紀前じゃ絶対に無理だったんですよ?・・・あ、みぞれちゃん。アイスコーヒーお代わり」


 そういって男性が呼び止めた店員も、見た目は人間だが周囲に冷気を放っている。

 そして、“目が顔の真ん中に一つだけの”マスターがれたばかりのホットコーヒーは、彼女に渡された瞬間から冷え始め、河童の席に届いた頃には、すっかりアイスコーヒーとなっていた。氷で味が薄まらないからと、この店の人気メニューの一つとなっている。

 また、先ほどクレープを手にカフェの前を通った学生たちに再び目を向けると、その頭に見える獣耳や腰から延びる尾がコスプレではないことが、その不規則な動きから判断できるだろう。

 こんな光景も、


 卓也は、隣の席のコーヒーと一緒に運ばれてきた、キンキンに冷えたアイスクリームをスプーンで突きながら、もう一度呟く。


「平和だねぇ、ほんと」


 すると、足元に置いてあったリュックサックのポケットが、ブルブルと小刻みに震えだす。メールが届いたようだ。

 それに気づいた卓也は、空いた左手で器用に携帯端末を取り出し、内容を確認する。


「・・・げ、今から!?今日は非番のはずなのに。くぅ」


 未練アリアリな眼差しを、手元の器へ向けること数秒。卓也は悔し涙を目じりに浮かべながら、好物を一口で平らげると、会計を済ませるべく席を立つ。


「おやおや、また休日出勤ですか?」


 河童が気の毒そうに声をかけてきたので、卓也は一旦立ち止まり、振り返る。


「ええ。職場でトラブルが発生したようで・・・」

「たしか、『エキセントリック』で働いておられるんでしたな。今の時期だと、若い子たちが大変でしょう」

「・・・ええ、まぁ。でも好きでやってる仕事ですから。ただ、物騒なトラブルは御免被りたいですねぇ」


 それでは、と卓也は名も知らない河童に別れの挨拶をし、勘定を済ませて店を後にする。

 

 それを見送った河童は、ふと彼の居た席に新聞が置き忘れられている事に気づき、それを拾う。

 そして一面に載っている記事を一瞥し、一言。


「・・・まったく、物騒なのは嫌ですなぁ」


 記事は先日からこの島で続いている、連続殺人について報じていた。 


『連続殺傷事件の4人目か!? 被害者は部活帰りの女子高生』 

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