08
勝負が終わりマウンドに集まる野球部員とメイドの熱気を感じると同時に視線が俺に集中する。
まぁ、そうだよな。
俺が勝負に負けたことで休部は決定し、全国への夢が途切れたのだから。
甲子園の初戦で負けた時とは異なる悲壮に溢れた俺は、無言で頭を下げる。
初心者相手に、しかも卑怯な手段で勝利をもぎ取ろうとした俺がかける言葉は無い。
「……お兄ちゃん」
そっと右肩に触れる温もりを素直に受け止めた俺は、そのまま両膝を地面に付ける。
「アクルちゃんどうしても辞めないと駄目なの?」
「そうですわね。これは真剣勝負、二言は無いですわ」
事実を淡々と告げるアクル。
勝者と敗者の現実。
甲子園初戦で負けた時に味あわなかった焦燥感に唇を噛みしめる。
「ほらっ、お兄ちゃん。顔を上げて」
ポンポン、と包み込むように叩かれた俺は重い膝を上げ姿勢を戻す。
「……悪いな」
「ううん。頑張ったよ、お兄ちゃん」
「そうですよ。お兄様の勝負への執念、素晴らしいと存じます」
こんな無様な負け方をした俺に対しても責めない妹と妹分の暖かさに涙腺が緩みかけるが、俺にそんな資格はない。
「つまりぃー、今日は練習中止? うっしゃ帰ろー」
と二人とは対照的にまりもと久の帽子を後ろから取る。
「あっ……有紀さん」
と慌てて有紀の背中を追う久をクスクスと見届けたまりもはこちらを冷めた瞳で見つめる。
「流石に止めませんよね? もうあなたは監督でも何でも無い、醜い負け犬ですからね」
最大限の憎悪を込めた言葉は本来の俺の立場を表していて、素直に受け止める以外の術は無い。
あの練習試合と同じような展開だが、今の俺が場違いを指摘する思考は全く沸かない。
やっぱ、俺は野球をしてもいい人間じゃない。
このまま雲隠れし、普通の大学生に戻った方がチームの為、もとい野球界の為かもしれないな。
「何でそんなことが言えるの」
刹那、聞き慣れない声圧と冷たさの籠もった言葉が、ベンチへ向かう三人の足を止める。
「……キャプテン?」
振り向いたまりもは俺の目の前を通り抜けるように視線を辿ると、真剣な表情の梨乃がじっと三人を見つめていた。
そこには変なあだ名で笑いを取っている姿は皆無。
「まりも、有紀、久」
神妙な雰囲気の中、三人の名前を口にしながら目の前を通り過ぎる。
「ねぇ、ずっとあなた達に聞きたかったけど、良いかな」
「……なによ。勿体ぶらないで言って下さいます?」
喧嘩腰のまりもを中心に身を寄せあう三人をさっと見て下を見た梨乃は、ぎゅっと右手を握りしめて再び顔を上げる。
「野球って、そんなにつまらなったかな」
責めるような口調ではなく、どこか寂しさが混じる声に俺は唾を飲む。
それは、ずっと隠していた想いに違いない。
「あたし、三人が入ってきてくれたとき、嬉しかった。単純に部員が増えたこともだけど、可能性を感じたの」
「可能性?」
「うん。ゆっきーの足、まりもんの潜在能力、ひっさーの意外性……経験者のあたしから見ても羨ましかったよ」
自己を過小評価している面も有るが、性格を抜きにすれば俺自身も可能性を感じる人材だ。
荒削りな部分も有るが、天羽に勝つためにも必要な戦力に間違いない。
「だから、お願い。もしこのまま休部になってもここに居て……お願い」
梨乃は頭を下げる。
頼もしい背中はもはやチームに躊躇していた過去を感じさせない、キャプテンとしてこのチームを背負う勇姿を象徴していた。
「キャ……キャップ?」
目の前で留意を求める姿に対して、意外そうに見下ろしていた有紀が素を晒す。
「有紀?」
「……有紀ちゃん?」
どうして、と訴えるように身体を振るわす姿に、まりも、久は意外そうに見つめている。
練習試合後の会話の中で、有紀は陸上部の上下関係に悩み逃げ出した過去を話していた。
多分、先輩が頭を下げてまで自分を引き留めている姿が非現実的で、自分には縁の無い行為だと思っていたのだろう。
「その、頭上げて……下さい。キャップ」
有紀がぎこちない言葉を紡ぐと、梨乃の身体がゆっくり起きあがる。
「あー、その、ありがとうございます……有紀の為に」
使い慣れない敬語に違和感を拭えないが、梨乃は茶化すことも無く首を横に振る。
「ううん。ゆっきーの為ならいくらでも頭を下げられるよ。勿論、まりもん、ひっさーにも」
三人に目配せすると、戸惑いながらも三人が頷く。
「有紀。どーせキャップもあのうぜぇ先輩と同じだと思ってました。まりもや久に手を加えないから安心してたけど、警戒してた」
「ははは。そんなことするわけ無いのに」
と空笑いする梨乃。
「……有紀は自尊心の塊と一人で戦っていた。久もデリケートな過去が有るから守っていたけど限界が有るわ」
まりもが間に入り有紀の説明に付け足すと、久もゆっくり有紀の側に近づく。
「……その。わっ、私。有紀ちゃんに憧れていて、いつか一緒に何かが出来ればと思って、入部しました」
と久がオドオド語る姿に、全員の視線が集中する。
「陸上は自信無くて、マネージャーでしたけど、有紀ちゃんが野球部に入るって言った時、緊張しましたがチームスポーツでしたので、私も何か貢献できるかな、とおっ、思いました」
陸上の知識は基本的なことしか知らないが、駅伝などを除けば大半は個人の技量で勝負がつく。
個人で有る以上コンプレックスは自らで補う必要が有る。
「はっ! そ、その私なんかが語ってしまい誠に申し訳ございません」
と視線を察知したのか、我に返った久はぺこりぺこりとお辞儀を繰り返す。
「もぅ、ひっさーは遠慮しすぎだよ」
梨乃は久の縮んだ背中をポン、と叩くと
「あたし、少し誤解していたかも。ありがと、伝えてくれて」
「……部長。いいえ、こんな私でよければお願い致します」
久の頬にうっすら涙が伝っていたことを指摘する人は、誰もいなかった。
「ねぇ、アクルちゃん。どうしても休部しないと駄目なの?」
「なっ!?!?」
四人の様子に喚起されたのか、来夢はアクルの左手を包み込み祈るような上目遣いで訴える。
「出来ればお兄ちゃんに監督を続けて欲しいけど、アクルちゃんがどうしてもっていうなら諦める。でも、来夢はみんなと野球がやりたいの」
あれだけ俺に拘っていた来夢が必死になって野球をしたい、と迫る姿を見て桂子ちゃんと奏が相づちを交わすと
「その、お兄様の件は残念に思いますが、私は今とても野球というスポーツに執着しております。どうか、お考え直し願わないでしょうか」
「お願いします」
と来夢の両サイドで最敬礼する姿に戸惑いを隠せないアクルは、視線を佐々木さんへ向ける。
佐々木さんは数秒目を瞑り、頷く。
「……分かりましたわ。休部処置は取り下げ致しますわ」
「うそっ!? やったーーーー!! アクルちゃん、Love you Love youだよ!!」
とぴょんぴょん弾んでアクルの胸元へ飛び込む。
受け止めきれないアクルはそのままマウンドに背中を付き。
「ちょっ!! いきなり何ですの。淑女たるもの、もっとお淑やかにですね」
「アクルちゃんアクルちゃんアクルちゃん!!」
薄い胸にグリグリ頭をすり付ける。
「もぅ……しょうがないですわね」
ため息を付いた後、来夢の背中に手を回しヨシヨシ、と撫でる。
もし俺が女だったら、こんな姉妹になっていたかもしれないな。
「その、取り下げの件は嬉しく思いますが、お兄様の処遇は……」
桂子ちゃんが恐る恐る口にする。
「はい。その件につきましては私からご説明致します」
とさっと出てきた佐々木さんが会釈すると、散らばっていた部員がメイドを囲む。
俺の両サイドには桂子ちゃんと梨乃。
桂子ちゃんが腕を絡ませ頬を寄せてくるが、来夢は軽く頬を膨らませただけで迫ってくることは無かった。
「三上 一様ですが、事前の約束通り有栖川学園の出入りを禁止致します」
やはり、そう世の中上手くいかないか。
勝負に負けた事実を変えようが無い。
もう少し、このチームの行く末を見届けたかったが、きっと良いチームになるに違いない。
「ですが、我が有栖川学園は伝統校故に教職員が不足しており、部活動の管理まで手が回っていないのも現状です。人員的な問題で生徒の将来を潰すような事は学園側も望んで無い、と存じます」
まぁ、教員不足は社会的に問題になっているし、このご時世教師になりたい人等余程の志が無い限り続かないだろう。
いじめ、学級崩壊、モンスターペアレンツ。
思いつくだけでも闇は深い。
「そこで、妥協案と致しまして三上様には男性としての権限を無くし、女性としてこの野球部の監督を続けて頂きたいと存じます」
「…………………………はぁ?」
長い沈黙の後、俺の口から出たのはたった二文字だった。
「えっ? つまり、俺が……」
「えぇ。殿方には女装していただきますわ」
佐々木さんからバトンタッチしたアクルが佐々木さんの斜め前に立ち、俺と対峙するポジションに来る。
女装、って俺が女の格好するってことだよな。
「いやいやいやいや。ちょっと待て、色々おかしいだろ」
考えても見ろ。
女装した俺が監督をする。
つまり、この惨事が一般市民にも晒すことになるのだぞ。
「ん? 何がおかしいですの? ここは女子校。むしろ殿方がいらっしゃる方が不自然ですわ」
「それに関しては同意するが……」
俺は視線を来夢達が固まる方へ移す。
助けてくれ、と視線で訴えるが
「お兄ちゃんが」
「お姉様に……」
二人は視線を合わせ頷く。
「妹的にはうーんだけど、姉妹プレイもオケオケオッケーだよ。お兄ちゃんスマートだし、似合うよ絶対!」
「はい。私(わたくし)、お姉様と白百合を紡ぐのも抵抗はございません」
と二人は右親指を立て腕を出し、暖かい瞳を向けてくる。
妹ならもっとお兄ちゃんに拘ってくれよ、と心の中で泣きながら見渡す。
「私はお姉ちゃんも有りかな?」
暖かく微笑み返す奏。
「監督さん、ごめんなさい」
と今回ばかりはお願いします、と念じるように手を合わせる梨乃。
「監督が女装? やば、イ○スタに載せよ」
それは止めてくれ、有紀。
「……男の娘」
と怪しげな雰囲気を放つ久。
「何ですか、気持ち悪いのでこっち見ないでくれます?」
とまるで規制ギリギリの戦利品を持ったヲタクを避けるように身体を捻るまりも。
「アニキがアネキか……オレは全然かまわないぜ!」
お前が良くても俺が良くないぞ、清美。
俺は味方がいないことにため息もせずに漆と視線を合わせる。
「……何ですか」
「いや、お前はどういう見解かと」
「別に。どうでも良いです」
と視線を振り切る。
擁護される可能性は考えていなかったが、まりも以上の冷たい態度に違和感を抱く。
何か別のことを考えているのか。
「それでは反対される方がいらっしゃらないようですので、一様は私、佐々木 早苗(さなえ)が責任を持って生まれ変わらせますので少々お借りいたします」
とお辞儀をした佐々木さんは俺の二の腕をつかむ。
生暖かい体温と無機質な視線に俺の身体のBPMが上昇するなか、絶妙な体重移動でグラウンドの外へ身体が移動する。
そして、女子硬式野球部の部室で有るプレハブ校舎に押しやられると、身体の拘束が説かれる。
「……お座り下さい」
某アーケードゲームのようなドレッサーの前に座らされると、メイドは誰かに連絡を取る。
すると、入り口から佐々木さんと同じメイド服を着た子がメイク道具や衣装ケース、そして男には縁の無いキラキラ光ったジュエルケースを持ち運びセッティングする。
「それではHSJK……一様女装計画を実行致します。化粧水、コットン」
「はい」
とまるでオペ室のような静寂さの中、俺にとって悪夢の時間が始まりを告げ、潔く運命を受け入れ目を瞑る。
これ以上辱めを描写する力は残されてはいなかった。
「やはり少々日焼けしておりますね。下地はピンクが良いですね」
「承知しました」
「女性としては長身な方になりますし、エレガントなメイクの方がお嬢様らしくなりそうですね」
「そのようですね。ウィッグはどういたしますか」
「カール感の有るボブカットが似合いそうですね。用意、お願いします」
「かしこまりました」
「あのー、脱毛はどうします!?!?」
「男性の割には無駄毛は少ないので、目立つ所を剃刀でそる程度で大丈夫でしょう」
「了解でーーーす!!」
もうやだ、お嫁にいけない、グスン。
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