06

 どんな速球でも数見れば慣れる。

 特に変化球を投げない漆のピッチングスタイルでは顕著に表れており、二順目以降の天羽の攻撃では内野にボールが飛ぶケースが多くなる。

 清美も内角攻めから外角低めを意識した配球へと工夫を凝らしているが、球種は同じなので天羽の選手も合わせ易く球数が増えていく。

 しかし、スイッチピッチャーの漆の場合腕の負担が均等になるため70球でも右は32球、左は38球と他のピッチャーに比べれば長いイニングを無理なく投げられる。

 そのかいも有って漆の球威は落ちていない。

 結果、ヒットゾーンへは飛ばずサードやセカンド方向へのゴロでアウトを量産する。

 意外だったのは守備に不慣れなはずの桂子ちゃんや来夢が無難にこなしている点だ。

 来夢は運動神経が良い方だから期待値は高かったが、桂子ちゃんは小学生の頃は喘息で休んでいることも多くスポーツとは無縁だと思っていたが。

 来夢と一緒に俺の試合を見に来ていた時も有ったので、イメージしやすかったのかもしれないが。

 まぁ、経験者の梨乃が大きくショート側にポジションを取っている点も桂子ちゃんが安心してプレイが出来ている点だと思う。

 流石、キャプテンという配慮だ。

 一方、打撃の方は梨乃や清美がヒットでチャンスを作るが後が続ないという状況が続いている。

 あの有紀も変化球には対応できず、キャッチャー前のゴロ。流石の足でも間に合わない。

……漆が一回もバットを振っていない、という態度も気になるがな。

 もっぱら投球にしか興味が無いらしい。

 



――7回の裏、天羽の攻撃。

 漆の無失点ピッチングは続き完投まであとアウト一つまで来たところで天羽の監督がタイムを要求する。

 ここで代打か? 

 しかし、ネクストバッターサークルでスイングしている選手はいない。

 不思議に思っていると監督は俺の方を見て指差している。

 何か悪いことでもしたのか、疑問に思っていると……

 

 

「来てみたものの、この腑抜けた試合は何だ?」



 興醒めた声が聞こえた。

「誰だ?」

「ふっ。人に名前を聞くときはまず自分から名乗るべきじゃないか?」

 振り向くと、そこには天羽のユニフォームを着た女が座っていた。

 まるでどこかの王国の姫のような雰囲気は異彩を放ち、凛々しい横顔は俺の問いかけにもこちらを向くことは無くどこか違う世界を見通しているような気さえする。

 毛先まで跳ねることの無い滑らかな銀髪からは気品溢れる香りが漂う。

「一(はじめ)だ。一応ここの監督扱いになっている」

「そうか。私はロバート・クリストファー・スクライブ、気軽にクリスと呼んでくれ。それにしても随分若い監督……なるほど」

 クリス? 梨乃がクリクリとか言っていたあいつか?

 歴代最強打者、という割には筋肉質な感じはしないし、身体の作りだけで言ったら清美の方がよっぽど出来ている。

 だが、他の選手には無いオーラがこいつの可能性を無限に広げており、経験者の俺でも恐ろしいと感じてしまう。

 平然を装っているがマウンドで対峙したらきっと恐ろしくてまともに投げられない。

「対戦相手の監督が大学生じゃ不満か?」

「いいや。監督の質は年齢で決まらない。人から信頼され尊敬出来る人物が望ましい」

「全国区の選手らしいお言葉だな」

「褒め言葉として受け取っておこう」

 皮肉を込めたことばあっさり正当化され、クリスは立ち上がる。

「鏡 漆。あいつは私のライバルとして相応しい。しかし、今の状態では私の勝利に変わりは無い」

「随分自身満々に言うな」

 誰一人まともに打てていない漆のストレートを打ち返す宣言。

 まともじゃない、と見定めているとクリスはベンチの柵の間を通り抜け土を踏む。

「げっ! なんでおめーがうちらのベンチから出てくんだよ」

 マスクを外した清美は有栖川ベンチから出てきたクリスを食い殺すかのような口調で攻める。

「見慣れない顔が居たからな。少々話していたら出番が来てしまった。それだけだ」

「くっ、自由な野郎だぜ。さっさと準備しろよな」

 気に食わない感情を当てつけるように首でくっとバッターボックスの方を示唆する。

「そうせっかちになるな。野球は心のスポーツ、平然を保ち互いを尊敬し合うことが大切だ」

 と容姿とか相反した清い心構えをおっしゃるクリスに対して、清美は舌打ちをしてマウンドの漆の元へ駆け寄る。

 この試合、ピンチの場面でも行かなかった清美。

 同時に梨乃が来夢と桂子ちゃんを呼び寄せる。

 クリスが只者ではないことを二人に助言しているのか、二人は頻りにうなずき通常のポジショニングより2歩後ろに下がる。

 漆の球威でも抑えることができないことを暗示しているみたいだ。

「特訓の成果。みせてやろうぜっ」

「……言われなくても分かっているです」

 清美が漆の肩をポン、と叩くと駆け足でキャッチャーボックスに戻りしゃがむ。

「良い風が吹いている……これはいい打球が打てそうだ」

 バッティンググローブ、プロテクターを付けたクリスがゆっくり右打席に入る。

 威風堂々、一つ一つの動作に余裕が有り別次元な雰囲気を醸し出している。

「……クリス」

 マウンド上の漆はグローブを《右手》にはめ、右足が着地する場所を削る。

 その後姿からさっきまでの中途半端な気力は感じない。

 心なしか、バックを守る来夢や桂子ちゃんの表情に硬くなり、適当にグローブを構えていた外野の三人もじっと打者を見定めていた。

「プレイボール!!」

 球審がコールするとクリスは肩幅程度に足を開き、ヘッドの部分を捕手側に向け構える。

「へぇー、脇を広げるのか」

 バッティングの基本は脇を締め投手側にヘッド向けるのが基本とされているが、クリスの構えは全く逆。

 まるでメジャーリーガーを彷彿させるようなフォームに俺の視線は必然的にクリスを向く。

「簡単には内角投げられないだろうな」

 脇を広げることで肘を抜けやすくなるし、身体が開きにくくなる。

 つまり、脇を締めた時より余計な力を使う必要が無いので内角のボールも裁きやすい。

 一筋縄ではいかないな。

「…………」

 清美は首を斜めに上げクリスのフォームを観察しグローブを構える。

「内角高め……クロスファイヤーか」

 漆得意の攻め、真っ向勝負を選択した清美の構えを見て漆が頷く。

 漆は大きく両手を頭の上に持っていく。

 そして、右足を引き、左足を軸に右足を上げ胸元付近でグローブを持ち視線を逸らす。

 視線を逸らすことでボールの出所を隠し、ボールのコントロール、球威を最大限に引き出す。

 初回から見続けていたフォームと変わらない、漆本来の投球だ。

 

 

「……いやぁーー!!」



 気合の籠った叫び声と同時に漆の左腕から放たれる。

 スピード、球威はこれまでと比較にならないボールがクリスの内角一直線に貫く、かと思った。



――……ガシャン……



 刹那、漆のボールはクリスの顔面スレスレを通りそのままバックネットにめり込む。

「ぼ、ボール」

 漆の暴投を避けるのに必死だったのか、球審のコールは遅れる。

 たく、クリスを意識しすぎて力んでいるな。

 ピッチングにおいて、力を入れすぎて良いことは無い。

 コントロールは失われるしボールへの回転もスムーズに伝わらない。

 脱力しリリースの瞬間だけ力を入れる、先ほどまでの漆には出来ていたがまるで別人だ。

 対して、クリスは大暴投に気を取られた様子は無くただマウンドの漆を見つめている。

 何か訴えかけたい感じにも見えるが表情の変化が乏しく読み取ることはできない。

「…………」

 漆は強張った表情を隠すように帽子を被り直し白い粉が入った袋、通称『ロジンバッグ』を手のひらの上で転がし滑りを防止する。

「ドンマイ、漆。気にすんな」

 清美がエールを送ると漆は頷く。

 気にしていない、という意思表示しているが滑り止めの量は初球の時より増している。

 焦っているな。

 

 ――1ボール、ノーストライク。

 清美は左打席の後ろとでも言っていい位置に身体を置き、腰より低い位置にミットを構える。

 外角低めを投げるためには肩の力を抜きコントロールする必要が有る。

 身体をリフレッシュさせ、本来の投球をさせるのが目的に違いない。

 選球眼が良いクリスがボール球に手を出すとは考えづらいし、漆を本来の姿に戻すにはボールゾーンで調整させるのが一番だろう。

 しかし、漆は大きく振りかぶった二球目はホームベースに届く前にバウンドし清美のプロテクターに当たりコロコロとマウンド方向に転がった。

 この対決だけみたらノーコンピッチャーと呼ばれてもおかしくない、誰と勝負しているのか分からない印象だ。

「漆もっと力抜いていこうぜっ!」

 清美が球審にタイムを要求しマウンドに近づくが、

「…………」

 漆は清美の言葉に頷かずにマウンドを削る。

「うるるんっ!」

「部長。今の漆に何言っても無駄っすよ」

 相当苛立っている様子に梨乃もマウンドに向かうが、清美が間に立ち静止させる。

 梨乃は腑に落ちない表情で清美と対峙する。

「さっ、仕切り直すんで戻って下さいよ」

「そうだよね。うん、分かった」

 梨乃はサッと振り返りサードへ、清美は漆を気遣うように視線を向けた後ポジションに戻る。

 清美は2年、梨乃は3年。

 縦社会の運動部では珍しい光景に頼もしさを感じると共に、このチームの闇を感じる。

 なぜ、梨乃は清美に意見しないのか。

 なぜ、清美はそんな寂しそうに漆を見つめるのか。

 数々の疑問が脳裏を過る中、球審が『プレイボール』を宣告する。

 

――2ボール、ノーストライク。

 清美が構えたのは内角低め。一球目に構えた位置よりミット一個半下だ。

 高めに抜けることを想定したリードだろう。

 この打席で漆が本来の投球が出来ない、と仮定した上でのリードは現状の漆を理解しており最善の選択をしている。

 やるな、清美。

 梨乃が言うとおり、このチームが機能しているのは漆の性格を理解したうえでリード出来る清美の存在が大きいな。

 それを分析出来る梨乃も素質を感じるし、考えれば考えるほどチームの可能性が広がる。

 もしかしてクリスの勝利宣言は、現状から足掻こうとしない雰囲気を感じているのか。

 様々な思考が頭を過るたびに嫌いだった野球への興味が湧いてきて、もう俺の思考はグラウンドに向けられていた。

 そして、ワインドアップからの三球目。

 

 

「……いやっ……!!」



 漆の左腕から放たれたボールは読み通り構えた位置より上へ浮きクリスの胸倉を突く、清美の狙い通りだ。

 球威も申し分無し、これなら……



「……まだまだだな」



 刹那、クリスがささやくように口を動かすと肘を抜き左足を前に出す。



「っ……!!」



 最短距離で出されたバットは胸元のボールを吸い寄せ綺麗に身体を軸回転。

 身体の前で捉えたボールは快音を響かせセンター方向へ。

 芯を捉えた打球は一直線に外野の頭を抜け、衰えを知らない打球はバックスクリーンを直撃。




――代打サヨナラホームラン、ゲームセット。




 この練習試合はたった一人の選手によって幕が下ろされた。




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