81. 真弦の腐女子アンテナは健在
翌日、光矢は朝からゲリクソンの家に差し入れを持って行ったが、すぐに帰ってきた。
差し入れのプリンは冷蔵庫に入れた。
「シャーマンの奴、インターホン押しても出なかったぞ」
光矢は食卓テーブルで真弦と話している。
真弦はひたすら光矢の話を聞いていた。
「借金でもして逃げ回ってるとか?」
真弦は冗談を言って光矢を笑わせようとしたが、光矢の顔は蒼白になった。
「もしかして事件に遭ってるのかも知れねえな」
鋭い。鋭いよ、光矢! まさにゲリクソンは事件に遭っているというか事件を起こしているのだよ。
「まっさかー、出かけてただけだよ。多分」
真弦は光矢の話を本気にしていなかった。
「あいつにはポアレちゃんっていう一人娘がいてな、父子家庭なんだよ。シャーマンよりもポアレちゃんが可哀想でな」
「へー、あの人、娘さんがいるんだ。心配だね」
「昼になったらまた行ってみるか」
「じゃあ、私も一緒に行くよ。子供は聖也に任せてたまにはデートしようよ」
真弦は軽い気持ちで同行を申し出た。結婚後何年もたっている夫婦だが、まだラブラブである。
「お、いいね!」
光矢は喜んで真弦の話に応じた。
「ニャー(吾輩も連れてってくれ!)」
「どうした玉五郎? やきもちを焼いているのか?」
「ニャーニャー(だから、行く時は吾輩も連れて行けってば)」
「一緒に行きたいのか?」
「ニャーン(当たり前だ)」
吉良夫婦はたまに猫語が通じる。今回は運よく通じてくれて、吾輩はゲリクソンの家まで同行する事になった。
光矢はプリンの入った袋を持ってゲリクソンの家のインターホンを押した。
ピンポーン♪ 軽快な音がするも、中からは返事が無い。
何度かインターホンを押すも、応答はなかった。
しばらくゲリクソンの家の前で吉良夫婦が立っていると、コンビニの袋を提げたポアレが帰ってきた。怪訝な表情でこちらを見ている。
「どなたですか?」
ポアレは硬い表情を崩さず丁寧な口調で夫婦に尋ねる。
「ゲリクソンさんと同じ職場で働いている吉良という者です。お父さんは中にいる?」
「います」
ポアレは短く答えると合鍵を使って錠を開ける。
「すいません、少々待ってて下さい」
そう言うと、ドアを薄く開けて体を滑り込ませるようにして室内に入って行った。
いかにも怪しい動作だと吾輩は思う。
置いて行かれた吉良夫婦は呆気にとられていた。
「部屋が汚れているのかな? 別に片づけなくてもいいのに」
数分後、ポアレはぎこちない笑顔で吉良夫婦と吾輩を迎える。見舞い相手のゲリクソンは黒いスウェット姿で何食わぬ顔で迎えてくれた。
「ドウゾ、狭いですけど入ってください」
ゲリクソン親子は我々を中に入れてくれるようだった。
ここに御手洗が監禁されているはずなのだが、玄関からリビングに繋がる短い通路からは親子の気配しかしない。
ゲリクソンは何も怪しくないと言いたげに、我々を中に入れたのだろう。
真っ白なテーブルに真っ白なティーカップが人数分並んでいる。各自適当に座った。
ゲリクソンは上司の光矢に「急に仕事に行きたくなくなった」とだけ正直に話している。
「あ、その猫……」
ポアレは見覚えのある猫の吾輩を見て挙動不審に目を逸らし始める。
「ポアレちゃん、玉五郎を知ってるの?」
真弦がポアレに優しく話し掛けると、ポアレは口を薄く開いたり閉じたりしながら逡巡する。父親のゲリクソンをちら見する。
「いいえ。知らない」
と、嘘をついた。父親の制裁が怖かったのかもしれない。
ポアレはゲリクソンに協力させられているだけで何も悪くない。
吾輩は人間達が話している間に気になる場所をうろついていた。
リビングの隣の部屋はふすまで閉め切られている。いかにも怪しいが、リビングには御手洗の匂いはしない。
……やはり入口のところのバスルームが怪しいのだろうか?
鼻をひくつかせるが、玄関の芳香剤の匂いがきつすぎてわからない。
「トイレ借りていいかな?」
真弦がトイレを借りる為に席を立つ。
チャンスだ真弦! バスルームにいるだろう御手洗を救出出来るぞ!
吾輩は真弦に付いて行ってバスルームに入る。トイレが合体したユニットバスに御手洗の姿は無かった。動作としては、ただ真弦が下着を下しておしっこをして水を流しただけだ。
御手洗はどこだろう?
「いやーすまないね、妊婦はトイレが近くてねー」
そう言いながら真弦は席に戻って行った。
4人は光矢が持ってきたプリンを穏やかに食べ始める。この家で事件が起こっているというのに……!
このままではゲリクソン親子に御手洗が監禁されている事実を隠蔽されてしまう。
御手洗はリビングの隣の部屋に閉じ込められているのかも知れない。
吾輩はふすまに向かって何度か「ニャーニャー」鳴き始める。これで何とか気が付いてくれればいいのだが。
「どうしたんだ玉五郎? お前もおしっこか?」
真弦が吾輩が異常にニャーニャー鳴いている事に気が付く。
ゲリクソンは吾輩を一瞬鋭い目つきで睨んだ。「ニャーニャーうるせえ」と言わんばかりの眼力だ。
「違う? 退屈だからそっちにも行きたい?」
吾輩は特に何も言っていないのだが、何かを察した真弦が立ち上がった。
「あ、そっちはダメ!」
ポアレが叫ぶが、真弦は構わずにふすまを開ける。
ゲリクソンの男臭い臭気が充満した乱雑な寝室が現れる。白いセミダブルのベッドに白いファブリックが乱れて掛かっている。ご丁寧に毛布も真っ白だ。
「ごめんごめん、片づけていなかったんだね。でも気にしないよ」
真弦は吾輩を抱っこして寝室まで歩いて行く。「わー、全部真っ白!」などと感嘆の声を上げて部屋に入る。
ポアレは奔放な真弦を見て居心地悪そうにそわそわしている。
もしかすると、この部屋に御手洗が隠されているのかも知れない。特に、真っ白な外付けのクローゼットなんかがすごく怪しかった。
「あの……、タイクツならわたしの部屋に来ませんか?」
ポアレは真弦を自分の部屋に誘う。
真弦は二つ返事で了承すると、吾輩を抱っこしてポアレの部屋に入る。
それは寝室の横にある納戸と呼ばれるウォークインクローゼットみたいな狭さの部屋だった。子供用のベッドを置けばあとは何も置けない。勉強机は医療用のキャスター付きのコンパクトな物だ。
ポアレはいつも納戸に押し込められているのか。それとも、年頃だから父親と寝るのを嫌って納戸でもいいから部屋を貰ったのだろうか。
「ポアレちゃんの部屋、すごく狭いねー」
「これでも結構カイテキなんですよ」
真弦とポアレはベッドの上に座り込んだ。しばらくここで話すつもりなのだろう。
ポアレの狭い部屋には衣服を入れる衣装ケースが無い。衣装ケースはクローゼットの外の壁に放置されている。小学生の必需品であるランドセルは低い天井付近の壁にフックを付けて吊るされていた。
吾輩はポアレの部屋をくまなく見たが、ここには御手洗の気配はしなかった。
代わりに真弦が漫画連載している『少女ルンルン』の4月号を見つけた。それも1年ぐらい前の物だ。
「あ、コレ、懐かしい。おばちゃんね、この雑誌で漫画描いてるんだよ」
「すごーい!」
二人は漫画の話に花を咲かせていた。ポアレは真弦の描いた漫画の去年の4月号の話で物語が止まっている。ポアレは続きを聞かせて欲しいと真弦に懇願した。
もしかしてポアレは父親に遠慮して漫画を買って貰うのを躊躇っているのだろうか。この漫画雑誌は友人から譲り受けたものらしかった。
御手洗を監禁する以前にゲリクソン親子は問題がありすぎる。
異様な感じを受け取った真弦は、いよいよゲリクソンを疑い始める。
吾輩はリビングの方を睨む。
ゲリクソンは光矢と英語で話しており、何やらゲリクソンが説得されているようだった。ゲリクソンは妙に静かで、光矢の話を素直に聞いていた。内心は早く帰って欲しいと思っているようだ。
納戸の側に置いてあったクローゼットがごそごそと音を立て始める。
もしかすると、気を失っていた御手洗が目を覚ましたのかも知れない。
「そういえばポアレちゃん、お父さんに隠れて何か飼ってるの?」
真弦はポアレにこっそりと耳打ちする。
ポアレはサーッと血の気が引き、顔面蒼白になる。
「ふふふ、可愛いね。おばちゃんも昔、親に内緒で犬を飼っていた事があるんだよ」
真弦さん、犬どころじゃないよ、ゲリクソン親子が飼っているのは今話題になっているお笑い芸人だよ!
重大な事を知らない真弦はポアレに向かってほほえましく笑っていた。
ポアレは冷や汗を垂れ流し、挙動不審な動作で父親のゲリクソンに目配せする。
だが、ゲリクソンは娘を無視し、光矢と話を続けた。
「どうしたの? ポアレちゃん、お腹が痛くなったのかな?」
真弦はわざとらしく大仰な動作でポアレの様子を心配そうに伺う。この娘が何か重大な物を隠していると直感していた。
「ト、トイレ!」
精神が耐え切れなくなったポアレはユニットバスへと逃げて行った。
納戸に取り残された真弦は幼いポアレを見送り、怪しい感じのするクローゼットの前に立った。
ガタッガタッ! 小動物ではありえない物音がクローゼットの中からする。
「なんか臭うんで、失礼するよ」
真弦は平然を装い、不穏な空気を醸し出している外付けクローゼットに手を駆ける。
扉を開けると、妙に膨らんだ段ボールが外気に晒される。トイレットペーパーの大きな段ボールは助けを求めるように激しく振動している。
「~~っ! ~~っっ!」
段ボールの中で口を塞がれた人間の声にならない叫び声が聞こえる。
箱の蓋を開けると、テープで全身を縛られた白髪の全裸の痩躯が口を塞がれて涙目で真弦を見上げていた。
「……ホントに失礼しました」
真弦は顔面蒼白になり、一旦クローゼットの扉を閉める。
その時、
「動くな!」
とゲリクソンが叫んだ。
ゲリクソンは光矢の背後に回り込み、彼ののど元に果物ナイフを突きつけていた。
「ハハハ、捕まっちゃった。真弦、ごめん」
光矢は情けない顔で笑い、油断してると見せかけてゲリクソンの隙を伺っている。
「おいお~い、うちの旦那を口封じに殺そうったってそうはいかないよ。人質はこちらにもいるんだからね。旦那に手を出したら人質蹴り殺すよ。妊娠はしてるけど、私はキックボクシングの有段者なんだよ」
真弦は御手洗を「人質」にして嘘のハッタリを張り始めた。内心はハラハラドキドキしているのだが、自分達の命の危機に遭遇して妙に落ち着きを払っている。
「あんたの大~好きな物は白い物全般。趣味は白い物集め。だが自分は白い物に包まれる事なく黒い服を着て肌を焼いている。それは白い物との対比を楽しむ為!」
真弦は内心を探られないように、憶測を武器にしていつもより饒舌に話し始める。
「ここにいる御手洗さんは自分の蒐集癖と興味を満たす為に乱暴して無理やり連れ去って来たんだろう?」
「それは違う! 春人に声を掛けたら喜んで俺に付いて来たんだ!」
ゲリクソンが訂正し直そうと叫ぶと、隙を伺っていた光矢がすり抜けて顎にひじ打ちを喰らわせる。
ガッ! ゲリクソンは急所を打たれて果物ナイフを簡単に落とした。見てくれは大きくて強そうでも、所詮は鍛えてない場所を打たれればどうにもならない。
ゲリクソンと御手洗の出会いは本人達にしかわからない。でもこれは犯罪に間違いないので、容赦なくゲリクソンは罰せられなければいけない。
光矢は苦渋に満ちた表情を浮かべながらゲリクソンの鳩尾に膝蹴りを入れた。
抵抗しないゲリクソンは蹴りを甘んじて受け、咳をしながら膝をついた。
「世の中にはやっていい事と悪い事があるんだよ。お前はそれをわかってなかった」
光矢は真弦や御手洗に聞こえるようにあえて日本語でゲリクソンに話した。
ゲリクソンはアウトドアで鍛えた光矢のロープワークで腕と胴を縛られる。抵抗しないみたいだが、念の為逃げないように措置された。
「御手洗さん、もう大丈夫だよ」
真弦は御手洗の体に張り付いていたガムテープを全て剥がすと、ゲリクソンのベッドから毛布を持ってきて掛けてやった。
御手洗は放心状態で視線を宙に彷徨わせている。緊縛が解放された事により精神的な反動が一時的に来たのだろう。
その時、タイミングよくサイレンの音が近づいてきた。
車のドアが乱暴に閉じられる音がして、警官の足音が聞こえた。
このタイミングで警察が現れたという事は、ポアレがバスルームに逃げた時に観念して自ら通報したのだと思われる。
「警察です。開けて下さい!」
数回の激しいノック音がして、光矢がドアを開けた。
そして、警察官が数人ドドドッと室内になだれ込んできた。
裸の御手洗がまず先に保護され、パトカーに付いて来た救急車で搬送されて行った。御手洗の詳しい連絡先は真弦が教えた。
事情聴取の間、ポアレはバスルームの中で震えながらリビングの様子を伺っていた。
「ダディ……」
ゲリクソンは本物の手錠をはめられ、両腕をタオルに包まれた。屈強そうな警察官に連行されてアパートを出る。
父親が目の前で逮捕される衝撃的な光景を目撃したポアレは、バスルームで棒立ちになって固まっていた。
吾輩が傍に行き、緊張をほぐす為に一声鳴くと、ポアレは床にくずおれて床を叩きだした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ポアレが発狂し、女性警察官がなだめに入るが、彼女の慟哭は治まらなかった。
その後、行き場を失ったポアレは児童施設に保護された。
ゲリクソンは何故、御手洗春人を拉致監禁したのだろう?
拉致監禁のニュースが昼のワイドショーの合間に報道される。
『ゲリクソン被告は御手洗さんに好意を抱いていた様子で、…………。……、監禁およびみだらな行為に……』
真弦が「ウホーッ」と叫びながらソファーから立ち上がった。
ゲリクソンの動機について知らない真弦は歓喜の声を上げながら報道を見守る。
『ゲリクソン被告は「真っ白で美しい人間が彼だった」と供述しており……』
「ヒャッハー! 御手洗さん男に強烈にモテてる!」
この間、自分も危険な目に遭っていたというのに、真弦は事件を棚に上げて喜ぶ。
「さっき「みだらな行為」って言ってたから、掘られてたって事だよな?」
真弦はニタニタ笑いながら思考を巡らせる。報道によるとゲリクソンはバイセクシャルとの事だが、ホモが大好きな真弦には全く耳に入らなかった。
「生でホモ見れたんだし、これからも頑張ってホモ描くぞー!」
真弦が腐りきった決意表明をしていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。
応対は聖也が取る。
「真弦さん、若草スポーツの人が来てますけどどうしますか?」
「追い払ってー」
真弦は監禁事件の第一発見者として報道関係の人間に一時的に追われていた。
「なんか、便器の神様引退について情報が欲しいとの事なんですが」
「えー? 御手洗さん引退するの?」
全く知らされてなかった状況に真弦が驚愕する。そしてリビングから窓の外を覗く。
自宅の真下の美容整形外科の前に報道の車が停まっていた。
そして何故か、真弦の代わりに義母の康子がしゃしゃり出て行って何かを話しているのを見た。
「彼の第一発見者は私だけど、御手洗さんの心境はみんな知らないんだよね」
真弦はリビングのカーテンを慌てて閉め、その場にしゃがみ込んだのだった。
芸能界を引退した御手洗春人は、そのまま花屋も辞めてヨーロッパへと渡った。
後日、御手洗から真弦にお礼の手紙が来た。自分を監禁した犯人の娘のポアレを施設から引き取ってヨーロッパを旅しているという。御手洗の心情は真弦には全く理解できなかった。
「ほーかほーか、御手洗さんはあんなシャーマンでも好きなのか。よく解からないけど、ホモで飯がうめえや」
ただ真弦は御手洗の複雑な気持ちを屈曲して理解したのだった。手紙を見ながら昼食の焼きそばをモリモリと食べていた。
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