帰って来た子供の話

82. 美羽の復讐




 吉良真弦は朝から妊婦健診に出かけていた。現在、昼過ぎである。

 ……検診のある産婦人科が物凄く混んでいるらしく、真弦は帰って来れないようだ。


 土曜日の昼過ぎはだいたい騒がしい。

 腹を空かせた子供達が台所付近を囲って聖也の作る料理を待っている。

 今日の昼飯は焼豚チャーハンと野菜スープみたいだ。聖也はメイドロイドに魂を宿してから真弦や光矢から料理を教わって1年半で料理の腕を上げていた。


「聖也、ごはん、ご・は・ん!」


 子供達はメイドロイドのボディを持つ聖也を呼び捨てで呼ぶ。


「はーい。もう少しだから待っててね」


 聖也は子供達の持つ器にそれぞれチャーハンを盛り付け、お椀に野菜スープを注いでいた。

 そんな時、まだネグリジェを着ているヤミーがのそのそやって来て、子供達の連なっている列にちゃっかり並んだ。


「紫のマリオネットたん、ごはんでし」


「闇音さん、昼まで寝ているなんて不健康ですよ」


「だって、昨晩は締め切り前で修羅場ってたんでしもの。お昼まで寝ていたって罰は当たらないでしよ」


 ヤミーは既に聖也に薔薇園亜梨香の魂が入っていない事に気が付いている。接し方は互いに数奇な運命を辿った同士みたいなものになっていた。吉良家にいる役割は違えど、同じ使用人として仲が良かった。


 お膳を与えられたヤミーはテーブルの席に着いた。吉良家の子供達はそれぞれダイニングテーブルとリビングのテーブルを使って食卓を囲っている。

 食事を必要としない聖也は何も持たずにヤミーの向かいの席に座る。


「……はー」


 ヤミーはチャーハンをだらだら食べながらため息をついていた。


「テーブルに肘なんかつけてだらしないなー」


「早くおねえたまに会いたいでし」


 超マイペースなヤミーは聖也の注意も聞かず飯粒をポロポロ零しながら熱っぽい表情で独り言をつぶやき続けている。

 この「おねえたま」だが、実姉の好絵ではなかったりする。

 聖也は子供みたいな行儀のままのヤミーにため息をついていた。




 家の大黒柱の吉良光矢は、ガレージで母親の康子と一緒におにぎりを頬張っていた。

 親子には共通の趣味があり、自転車のメンテナンスをしている途中だ。

 吉良家の祖母である康子はこの数年でロードバイクに目覚めてすっかり美しく痩せている。忙しい救急外来から転職して美容整形外科を開業した辺りで、美に関心があるとは吾輩達はわかっていた。本来はオタクが趣味の康子であるが、痩せても今更コスプレが出来る年齢ではない。


「痛ステッカー貼るだけでもこんなに時間が掛かるのねー」


 康子は汗を拭いながらスポーツドリンクに口をつける。

 秋の心地よい日差しが吉良親子を照らしている。

 秋といってもまだ昼間は真夏日が観測されたりする暑い時期だ。吾輩は熱中症に気を付けて光矢の体で出来た日陰で涼んでいる。


 康子の自転車のホイールが推しキャラの王子様の絵で埋め尽くされている。ハンドルも特注で、派手な星のプリントが施されている。

 対する息子の光矢の自転車は「天上院財閥たん」の痛ステッカーがちょこんと貼られただけのごくシンプルなデザインだ。ホイール以外はほぼ真っ黒。


「あんた、スポンサーがいるから好きなキャラも貼れないのね。お気の毒に」


「別に俺はおふくろみたいに痛いアニメが好きな訳じゃねえよ」


「地味ねー」


 そうやって親子が会話していると、美容外科の前に黒塗りのベンツが停車した。

 運転席から背広姿で髭面の龍之介が顔を出した。


「龍之介君!」


 外にいた光矢が先に龍之介に気が付いて庭の奥からベンツまで歩いていく。吾輩も抱っこされて強制的に付いて行かされる。

 龍之介はベンツから降り、扉を閉めて一礼した。


「元気だったか?」


 光矢が龍之介に声を掛けると、龍之介は憔悴しきった顔で首を振った。龍之介自身は健康そうに見えるのだが……。


「ここに真尋は来なかったか?」


 龍之介は声を潜めながら光矢に話しかけた。

 光矢は首を横に振って周囲を見渡す。


「来てない。もし来てたなら、真弦がおかしくなる」


 光矢は慎重に話を進めようと、龍之介の肩を掴んで彼を車の中へ押し込む。自分は助手席に座り込み、道路を確認した。

 吾輩は車外に出され、後から付いて来た康子に抱っこされた。


「何ね? 龍之介さんと出かけるのかい?」


「おふくろ、ちょっと行ってくるわ」


「真弦ちゃんには内緒にしてあげるから早く帰って来なさいよ」


「車、出すぞ」


 龍之介がハンドルを握る。

 エンジンを掛けると、車を発進させた。

 康子は不安な表情を浮かべて吾輩と一緒に車を見送った。




 吾輩は康子のロードバイクのメンテナンスを見守りながら、のんびりと午後のひなたぼっこを満喫していた。

 それにしても真弦の帰りが遅いな。産婦人科が混んでるからかな。


 しばらくして、康子が自前の痛ロードバイクに乗った。調子を見る為に近所を走ってくるらしい。

 生き生きとしている壮年を見送ると、吾輩は大あくびをした。


 康子と入れ違いでドーナツの匂いがする紙袋を携えた美羽がアプローチに入って来た。インターホンを押す。今日の保育園理事の仕事は昼上がりだったようだ。


 聖也が応対に出ると、美羽はそのまま家の中に入った。


 数分後、吉良家の子供達と乳幼児をおぶる聖也がぞろぞろと玄関から出てくる。


「お買いもの♪ お買いもの♪」


 彼らは買い物に行くらしかった。


 家の中は現在、美羽とヤミーの二人だ。性格が合わなさそうな二人がどうしているのかちょっと気になり始めたし、太陽が雲で陰って肌寒くなって来たので吾輩は家の中に入る事にした。


 吾輩はいつも寝床にしているリビングに足を運んだ。

 相変わらず子供達のおもちゃやお菓子の袋が吾輩専用の籠の中に放り込まれている。

 吾輩は綺麗好きなので、他に狭い空間の寝床が無いか探す。


 リビングにいる筈の美羽とヤミーの姿が無い。


「あ……はぁん……っ……」


 何やらヤミーの部屋辺りから、甘~い声が聞こえる。


「はっ……あっ! らめれしゅ! そこぉ!」


 ヤミーがイヤイヤ言いながら美羽にエッチなおねだりをしているのがドア越しから漏れ聞こえてきている。普段は声がロリロリしてるけど、こんな艶っぽい雌の声が出るんですね……。

 ははーん、美羽がヤミーの「おねえたま」って訳か。


 この関係を吾輩が知らないって事は、今まで奴らは外部でイチャイチャしてたのか。今日はたまたま吉良家の人間がいないからな……。


「うふふ、闇音ったらいやらしいわね。真弦が帰ってきたらどうするの?」


 美羽はすっかりお姉様らしく、攻めの姿勢でヤミーに接している。大人になってからセックスパートナーが変わってポジションをチェンジしたみたいだ。


 そんな時、

 ガチャッ!

 当然のように玄関のドアが開く。


 真弦は大きな腹を抱えてドスドスと足音を立てながら疲れた様相でリビングに直行した。


 うおおおおおい、美羽、本当に真弦が帰って来たぞ!


「おーい、誰もいないのー? 腹減ったよー」


 真弦はしーんとしたリビングのソファーに手提げを投げ出して辺りを見渡した。


「っかしーなー、美羽の靴があったのに」


 首を傾げながら自分の仕事部屋のドアを開けて中を確認する。

 当然ながら誰もいない。


「…………きゃぁんあん!」


 突然、静まり返っていた廊下に犬の鳴き声みたいな嬌声が響き渡った。


「何事だ!?」


 真弦は眉をひそめ、玄関に置いてあった庭箒を取りに行った。


「……っ……きゃん! きゃんきゃん!」


 その犬みたいな嬌声はどうやらヤミーの絶頂に来ている喘ぎ声らしかった。


 好奇心旺盛な真弦は意を決し、ヤミーの逢瀬の相手が誰であるかを確認する為に薄くドアを開けるのだった。


「……だめよ。もっと犬みたいによがりなさい」


 ヤミーの自室に裸のヤミーと一緒にいたのは、黒光りするペニスパンツを装着していた裸の美羽だった。少女の様に未発達の体を持つ偽ふたなりが倒錯した雰囲気を一層怪しく感じさせる。成熟したメロンの様なたわわに実った胸を持つヤミーは犬のように四つん這いになり、偽チンコでマンコをぐしょぐしょにされていた。

 声を潜めていた筈なのに、ヤミーは我慢が出来ず淫らに絶叫した。


「きゃああああああああ……おねえたまぁぁぁぁ……イクぅイッちゃうのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 偽チンコで悶絶したヤミーは遂に潮を噴きながらベッドの上に倒れ伏した。

 声に完全に気が付いた真弦というと、ドアの前で硬直したまま彼女らの行為を凝視するだけだった。


 偽チンコをヤミーの膣外に出した美羽は満足そうに微笑み、薄く開いたドアの向こうの相手を見つめる。黒光りした先端が濡れ光っていた。


「見たわね」


 凍てついた声でドアの向こうにいる真弦を威嚇する。

 真弦はいつもの可愛い妹キャラの美羽ではないものを見てしまい、驚愕の表情を浮かべながら持っていた箒を床に落とした。


「ご、ごめん! 見るつもりじゃなかった……!」


 真弦の顔は真っ青になり、目に薄っすらと涙が浮かんでいた。

 驚きと困惑で震えた真弦はそのまま何も持たずに家の外へと飛び出してしまった。


「……ふふっ。ちょっとは復讐出来たようだね」


 美羽は人の悪い笑みを浮かべ、ペニスパンツのチンコの部分を誇らしげに反らせていた。


「復讐って何でしか?」


 快楽から現実に戻ってきたヤミーが緩慢に身を起こしながら美羽に尋ねる。


「うふっ。あなたは知らなくていい事よ」


 美羽はニコニコ笑いながら、ヤミーの唇にちょんと人差し指を乗せた。

 その指をヤミーがペロペロと舐める。


「まだ足りないの? そろそろ子供達が帰って来ちゃうでしょ」


 美羽とヤミーはクスクス笑いながら互いに倒錯した世界に没頭していた。

 吾輩の視線にはまるで気が付か無いようで、もう少しエロスに酔いしれるようだった。





 夕方、美羽とヤミーは何事も無かったかのように吉良家の子供達の面倒を見ていた。


「真弦遅いね」


 などと、美羽なんかしれっとして言っている。

 真弦がいなくなった理由を知ってる癖に美羽は怖い女だ。


 光矢も帰って来ていて、心配そうにリビングと玄関を行ったり来たりしている。


「産婦人科は今日、午前診療だぞ。ここまで遅いなんておかしすぎる!」


 産婦人科に問い合わせてみるが、真弦の妊娠の経過は何ともなくて既に帰宅したと返答があった。ただ、緊急事態があって診療が遅れた事は事務から詫びて来た。


「……帰ってる途中で事故に遭ったとか、ねえよな?」


「真弦に限ってそんな事は無いと思うよ」


 心配そうな光矢に対して、美羽は平静を装っている。内心、やりすぎたと反省しているようだが、理由が理由だけにここでは誰にも言う事は出来ないだろう。


「何があったのか知らないけど、お母さんが心配だよ!」


 長女の真弓がハラハラしながら父親の光矢の服の裾を掴む。


「この間の御手洗さんの件もあったからな……」


 光矢は困惑の表情を浮かべながら真弓の頭を撫でた。そんな時、他の子供達も頭を撫でて貰いに寄ってきた。


「真弦さんは一旦帰って来てますよ。ほら、バッグがちゃんとあります」


 真弦の持ち物に気が付いていた聖也は光矢に手提げを見せた。

 中身はちゃんと出かけた時のまま入っている。母子手帳も新しく生まれる子供の分が入っていた。


「あいつ、財布まで置いてどこに行ったんだよ?」


 嫌な予感がした光矢は立ち上がり、真弦の上着を持って外へ飛び出していった。


「困った事になったでし」


 罪悪感を覚えていたヤミーが慌て始める。


「ボクもつるつるせんせーを捜すでし!」


 ヤミーが外に出ると、続いて吉良家で走れる子供達もぞろぞろと続いた。


「わたしが残った子供を見ているから、聖也君も真弦を捜しに行って来て」


 美羽は真弦を失望に追いやった罪悪感から、自らベビーシッター役を買って出る。真弦を見つけても掛けてやる言葉が見つからないのだろう。


「ニャーッ(吾輩も連れて行ってくれ。老いぼれても真弦の匂いぐらいはわかる)」


「わかりました。行ってきます!」


 吾輩は聖也に連れられて真弦を捜しに家を出た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る