事件に巻き込まれる話

76. 遅咲きの青年が開花する




 老猫になった吾輩の余生は少々不思議な現象に巻き込まれるようだ。それは死ぬまで続くのか吾輩にはわからない。

 グラニーからイレギュラーの話を聞いて数ヶ月が経過した。


 吾輩の死期が近づいているのはグラニーに聞かなくても何となくわかる。最近は老化が進んで毛皮に艶が無くなってきた。心は若くとも肉体は確実に老いを重ねていた。

 家の外の気温が上がりきってからじゃなきゃ外に出られなくなった。それでも、近所の家で飼われている老猫と比べれば元気な方だ。


 吾輩の拾われた日の誕生日と桜の季節が過ぎ、毎日の昼間の気温は真夏のようだ。

 家の窓を全開にした真弦が一息ついてリビングのソファーに座る。最近の真弦は10人目の子供を懐妊し、安定期が入るまではほぼ引きこもりの生活を続けている。気が付けばずっと妊娠している気がするな。



「玉五郎、今日は散歩に行かないのか?」


 吾輩は目を瞑って肯定する。

 節々が痛むので今日は家の中でだらだらしてようと思う。


「ま、いっかー。いい天気だし録画でも見よう」


 真弦は独り言で「お笑い天国、お笑い天国♪」と言いながらDVDデッキを操作する。暇な時は薄い本を読んだり、好きな番組を見たりして毎日を過ごしているのだ。漫画の仕事はどうしてるかというと、つわりが酷いので軽減して貰っている。


 液晶画面に『爆笑! お笑い天国』の文字が表示されて番組が開始された。

 真弦はリモコンを持ちながらオープニングロールを何となく見ていた。


『今日の放送権を勝ち抜いたのは……、等級ナンバー6! とんちんかん姉妹! 便器の神様! ……」


「……ん?」


 真弦は液晶に映るお笑い芸人に気になる人を発見する。


『便器の神様! ……』


 その『便器の神様』を2回ほど巻き戻して見た。

 髪を白に染めた冴えない顔のつくりの青年がテレビ画面に映っている。


「やっぱり御手洗さんじゃね? あの人何してるのwww」


 草を生やしながら録画番組を見進める。

 最初の二組の芸人を笑い飛ばし、覚悟を決めてから御手洗に再生を合わせる。


『遅れてきたルーキーが満を持して登場! 便器の神様ー!』


 ジャジャジャーン! 効果音と共に白い全身タイツと手作りの白いマントを身に纏う髪の毛が白い男が現れる。ステージの中央には、男の相方として発砲スチロール製の手作りの便器が設置されていた。


『はいどーもー』


 声は確かに御手洗春人のものだった。

 人前が苦手だった御手洗は、弱点を克服してやっと自分の本職であるお笑い芸人の才能を開花させていた。






 御手洗が便器芸人としてテレビに登場してから数日が過ぎた。

 お笑い界に彗星のように現れた御手洗は深夜番組でちょくちょく顔を見せるようになっていた。


「御手洗さんすげーwww 人間捨ててるwwwむしろ神だ」


 真弦はテレビの向こうにいる御手洗の芸の虜になっていた。何というか、御手洗のシュールなギャグが悪阻で荒んでいる真弦の心をキャッチしている。


「下品だけど最っ低だなwww 御手洗さん芸人だったのかwww」


 一緒にテレビを見ていた光矢は御手洗を一切褒めていないが、存在を認めていた。

 御手洗の人間を捨てた芸は好みを分けるようだ。御手洗の繊細な性格を知っている吾輩は、彼の苦悩を知っているので今の芸は正直好きになれない。

 御手洗はステージの上で道化を演じながら一生懸命笑いを誘っている。


「あっはっはっは!」


 真弦は御手洗の下品な芸でひたすら笑い転げていた。




 水曜日、真弦は運動不足を解消するのに花屋に出かける。

 吾輩も花屋に用事があるので真弦に付いて行った。いつもの家族会議だ。


「こんちゃーす。御手洗さん来てる?」


 真弦はいつものように迎えてくれる店主のバービッチに御手洗がいるかどうか尋ねた。


「御手洗君なら今配達に行ってるわよ。彼、テレビの仕事とうちの仕事掛け持ちするようになったから大変なのよね」


 男おばさんのバービッチはネイルアートを施したごつい指を顎に置きながら長い溜息をついた。


「まさかとは思うけど真弦ちゃん、冷やかしじゃないわよね? 最近、女子高生とかがうちに押しかけてきて何も買って行かずに帰っちゃうのよね」


「そんな事は無いですよ、バービッチさん」


「ま、いいわ。あなたとは長い付き合いだからお茶でもしながらお話しましょう」


「そーそー、お茶しに来たんですよー、ハハハ」


 真弦の奴、本当は御手洗のサインが貰いたかっただけであった。

 吾輩はバービッチに引き止められる真弦を放っておいて御手洗の部屋がある二階に行って猫の家族会議に参加した。


 御手洗の部屋は相変わらず汚くて狭い。

 最近は御手洗が売れてからより一層、彼の私物が部屋に散乱しているような気がしてならない。

 便器芸の相棒の発泡スチロール製便器に『1号機』『触るな』と張り紙がしてある。

 部屋の中で置物のように動かないデブ猫のチェリーことサクラは、最近の御手洗について話してくれる。


「(春人は昨日、便器と一緒にテレビ若草に収録しに行ってたわね。ローカル番組だけど、サービスで『便器の神様』のネタやるんじゃないかしら?)」


 今や便器ブームとなって青葉町内で時の人となった御手洗の情報はサクラが一番早い。何せ彼と一緒に暮らしてるからな。


「(また『便器の神様』かよ。いい加減、御手洗春人ってフルネームで名乗ればいいのに)」


「(まあ、人間捨ててる芸やってるから名前も捨ててるんでしょ、あいつは)」


「(あの芸は酷いよな。幾らなんでも便器作ってる会社にもケンカ売ってるぞ)」


 各々が御手洗の感想を述べて今日の会議は終幕する。

 サクラを除く吾輩達が家屋の階段を下りていると、真弦はまだ台所でバービッチと一緒にお茶を飲んでいた。バービッチの年老いた母親も一緒で、歯に衣着せぬえげつない話に花を咲かせていた。


「そーそー、それで酔った彼はお尻の穴からピンポン球を出してこう言ったの。「鮭の産卵じゃー」って。それを言うならウミガメの産卵よねぇ」


「産んだ事ないのにそんな事やっちゃったんですか。それは引くわぁ」


 おばさん(男含む)達は下品な話にゲラゲラと笑っていた。みんなおばさんと呼称できる頃合いの人達なので、何も怖いものはなさそうである。特にオカマは下ネタが大得意みたいだ。


「ニャー(真弦、そろそろ帰るぞ)」


 吾輩は鳴いて真弦に帰宅時刻を教える。そろそろ保育園にいる小さい子達の迎えの時間が迫っている。吾輩は一人でも帰れるのだが、無駄話に花を咲かせすぎた真弦に育児放棄されても困る。

 

「あ、玉五郎。もうこんな時間か」


 真弦は慌てて席を立ち上がると、吾輩を抱っこして住居から店先に出た。


「楽しい時間ってあっという間よねぇ」


 バービッチはサボり時間が終わって寂しそうにしていた。

 真弦はチューリップを3本購入して今日は帰る事にしたのだった。顔は御手洗に会えなくて心底残念そうであった。


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