75. やはり、すこしふしぎな出来事だった




 午前10時30分。吾輩は商店街を抜けた道路に出た。

 氷雨に打たれながら壊れたゲームのチップを咥えて沿道を歩く。携帯ゲーム機は聖也が持っており、彼は傘を差しながら吾輩と並行していた。風が強いしくそ寒いっ!


「(出棺の時間は近い。先に行くぞ)」


 吾輩は聖也よりもかなり小さいので抜け道を行く事にした。


「わかりました。後から斎場に追いつきますね」


 聖也の声を後ろに流し、吾輩は垣根をすり抜けて横道を駆けた。


「困るなぁ~、玉五郎ちゃん」


 斎場の見える道路の真ん中でグラニーとアニメキャラの特大フィギュアみたいのが待ち構えていた。あ、木曜深夜に放送している『魔法少女シフォンティーヌ』だ。


「津川聡美の魂を渡して貰おうか」


 グラニーはニコニコ笑いながら間合いを詰めて近づいてきた。

 吾輩は視線を合わせながらじりじりと距離を離す。


 グラニーの隙を狙って斎場に入ろうと思うが、既に黒塗りの霊柩車が建物の前に横付けされていた。霊柩車の後ろには参列者用のバスが並んでいる。


「(時間が無い! 何でもいいから通せよ)」


「君達を通す事は出来ないよ。特にそのゲームチップは危険だ。霊体が生物に干渉するのはイレギュラー発生のげんい……ぐぎゃぶっ!」


 グラニーが吾輩に真面目に説教をしようとした横で、フィギュアが勝手に動いて回し蹴りをグラニーにさく裂させた。

 グラニーはアスファルトの地面で額を割られて昏倒した。


「行けよ」


 魔法少女シフォンティーヌのフィギュアはぶっきらぼうに話した。


「ニャー(いいのか?)」


「イレギュラーが発生したら俺が倒してやんよ」


 答えたのは魔法少女シフォンティーヌの1/1フィギュアに入ったシフォンティーヌじゃない奴だった。


「ウニャー(なんだかわからないが、ありがとう)」


 吾輩は正体不明のシフォンティーヌに礼を言うと斎場の中に駆け込んだ。


 吾輩は聡美の肉体に別れを惜しむ人々を潜り抜け、聡美の肉体が入った棺に近寄った。


「玉五郎? お前も来たんだね」


 泣きながら聡美の棺に沢山の花を押し込んでいた真弦が顔を上げる。

 吾輩は棺の中に入ると、聡美の胸の上にゲームチップを置いた。


 これで聡美は無事に自分の体に戻れるだろう。そう思っていた。


 聡美本体が目を覚まさない。死に化粧された土気色の頬も微動だにしない。


「どうして元に戻れないんだよぉ? まことさんに言葉を伝えるまで、まだ死ぬ訳には……死ぬ訳にはいかないんだ」


 ゲームチップから抜け出した聡美の霊体は泣き叫びながら己の肉体に入ろうと悪戦苦闘している。


「お別れも惜しいでしょうが、お時間です」


 斎場のスタッフが時計を見て出棺の時間を伝える。

 別れを惜しんだ聡美の生前の朋友や家族は涙をこらえて棺に蓋をし始めた。


 ……まずい。聖也が来ないとゲームチップを壊してまで聡美をここまで連れてきた努力が無駄になるぞ!


 喪主の津川とスタッフが棺に釘を打とうとしたその時、


「待って下さい!」


 メイド服がボロボロに引きちぎれた聖也が姿を現した。道中何があったのか知らないが、グラニーの言うイレギュラーに襲われたのかもしれない。


 聡美の魂の言葉を代弁できるのは聖也しかこの場にいない。吾輩は猫だし人間の言葉が喋れない。


「津川さん、奥さんの胸に置いてあるゲームを起動して貰えませんか?」


 服がボロボロの聖也は真剣な表情で津川に詰め寄る。ついでにゲーム機を戸惑う津川の両手にねじ込んだ。


「ゲームを起動したら聡美さん本人のメッセージが聞ける仕組みになっています。たぶん、そういう事です」


「……わ、わかった」


 呆気にとられた津川は酷い格好の聖也に言われるままゲームチップをゲーム機に差し込んで電源を入れる。


「せめて、別れの言葉だけでも!」


 聡美の霊体がゲームチップに宿った。

 一瞬、エラーが起きて画面が暗くなるが、真っ暗な画面に『ラブ勇者』の勇者のグラフィックが表示される。

 テキストが現れる音だけが静まり返った斎場にプププププとクラシックな電子音階だけが響き渡った。


 聡美は津川にだけ読めるメッセージを残した。

 メッセージは震える津川の広い背中で見えなかった。むしろ見せてくれないと言った方が正しいのだろうか。


「俺も愛してるよ、聡美」


 津川はなぜか笑いながらゲーム画面越しの聡美に応えた。


 夫婦の別れを傍観している中で、吾輩もそのうち大切な家族と別れなきゃいけなくなる時が近づいているなと悟った。


 津川聡美の霊は後から追いついてきたグラニーに連れられてあとは冥界に渡る事になった。


「もー、俺ちゃんを困らせる悪い子は地獄行きだぞ☆」


 額に大きな絆創膏を貼りつけたグラニーはぷんぷん怒っている。

 起動しなくなったゲームのチップから魂を二つ抜いていた。一つは聡美の魂で、もう一つは『ラブ勇者』のキャラデータから生まれた魂だろうと思われた。


「ニャー(地獄行きも何も、行き先決められるのはお宅の上司だろ)」


「そーっすね、ああ、そーっすね! どうせ末端の部門じゃ魂の行き先決められませんよーだ、プンプン!」


 吾輩の言葉にブーブー文句を言いながらグラニーは二つの魂をウエストバッグに仕舞い込んだ。中のブラックホールが反応して魂がキュポンキュポンと吸い込まれる。


「(確かに、聡美は猫騒がせな人だったけどな)」


 吾輩は独り言を言うと、グラニーに一つだけ聞いた。


「(イレギュラーと呼ばれる存在って何だ? 今回のはイレギュラーって呼ぶのか?)」


「今回はイレギュラーになりかけ。イレギュラー自体が好むのは清い魂を持った者が汚される瞬間だ。こちらで言うイレギュラーとは事象というより魔物が現れた時の場合。魔物の名前を総称してイレギュラーと呼んでる」


「(……聡美の心は清くなかったって訳か)」


「そんな事は無いよ。たまたま俺ちゃんの対応が早かっただけ」


「(その割には聖也が何かにやられていたようだが……)」


「あー、あれねー、茶太郎がイレギュラーと間違えて聖也君に殴りかかっていったんだよねー)」


 グラニーは補足として、茶太郎はシフォンティーヌのフィギュアに入った人間の魂だと話した。犬のチャタローと魂を刈り間違って刈った彼の魂を仮初めの器に突っ込んで息を吹き返したそうだ。魂が刈られなかった犬のチャタローの件についてはまだ対策中だそうで……。

 コイツの仕事はうっかりミスが多いようだった。


「(やっぱりな)」


 吾輩は呆れながら死神のグラニーの愚痴に付き合わされた。



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