65. 電波少女の相手は疲れる




 薔薇園亜梨香耐久レースは24時間を経過していた。

 幼児と一緒に歌い踊るうたのお姉さんの映像は確かに優しくて美しい。一度聞けば心が澄み渡る歌声は今や雑音や室内のBGMにしか例えられなくなってきた。

 途中で光矢が帰宅して来て、薔薇園亜梨香の出演している部分を編集して抽出したDVDを作り上げる。およそ12か月分を1本のDVDに凝縮してあったが、その長さは1時間にも満たない。

 ヤミーは何度も何度も薔薇園亜梨香の歌が入ったDVDを繰り返しリビングで見ていて動こうともしない。トイレはどうしたのかって? ペットボトル簡易トイレではなく、乙女のエチケットとしてちゃんとトイレを使ってるみたいだぞ。


「ママー、超絶合体カイターンの放送始まっちゃうよ~」


 合体ロボットアニメが大好きな光男と光太の双子が騒いでいる。どうやらリビングで番組を観たいようだ。


「わかった。あいつからDVDを取り上げてみよう」


 真弦も合体ロボットアニメをリビングのテレビで観たくて重い腰を上げる。


「ねえ、そろそろ疲れたんじゃないの? 布団用意してやったからあっちで寝ようよ」


 真弦は好絵から渡されたウサギのぬいぐるみをヤミーに見せて寝るように促した。深夜も合わせてこれで2回目だ。

 ウサギのぬいぐるみはヤミーのお気に入りの睡眠グッズらしい。ヤミーはぬいぐるみをひったくると、無言でDVDを繰り返した。


「このっ……! 菩薩のように優しいお母さんでも怒るぞ。コイツの親はどういう教育してたんだこの阿呆」


「おとーしゃんとおかーしゃんの悪口を言うのは腹が立つでし」


 ヤミーはテレビの画面に食いついたまま無表情で言葉を返してきた。数時間前と違って会話は可能なようだ。


「ママー、カイターン始まっちゃうよ」


「早く変わってよー」


 双子と光弦が急かす。男の子はやはり合体ロボットが見たい。

 ついには泣き出して泣きべその大合奏を始める。


 好絵に「わだすが迎えに来るまでテレビを消さないでけれ」と言われていたが、堪忍袋の緒が切れてしばらく経つ真弦には効果が無かった。

 ヤミーが座り続けている巨大なソファーを一人でひっくり返した。妊婦なのにものすごい力だ。

 ゴトン! と音がしてヤミーが頭を床にぶつけてリモコンを放した。その隙に真弦が奪う。


「取ったどー! ぜえ、はあ……」」


「わーいわーい!」


 リモコンをヤミーから奪還した親子は早速、超絶合体バイターンの放送を現状維持の状態で見るのだった。

 真弦は若干息と腹が苦しそうだっったが、出産予定日はまだ先なので胎児の具合は大丈夫そうだ。


 超絶合体カイターン放送から5分が経過した頃だろうか……。


「ひっくひっく……えぐえぐ……!」


 ひっくり返ったソファーの中で転がっているヤミーがべそをかいている。


「紫の薔薇姫に、薔薇園亜梨香に会いたいでし!」


 ツインテールの上にたんこぶを作ったヤミーが突然起き上がり、ロボットアニメ鑑賞中の親子に襲い掛かる!

 だが、甘い。


「突撃ぃー!」


「わー」


「わー」


 おのおの持ち場を任された幼児達がヤミーを迎え撃つ。数と陣形で競り勝つ。


「どうして? どうして薔薇姫お姉さまのDVDだけでも見せてくれないの?」


「他人家のテレビに穴が開くほど見ておいてまだ足りないのか?」


 振り向いた真弦は表情で威圧しながらテレビのまん前を陣取っている。リモコンは胸の谷間に挟んで隠した。


「うわぁーん。あーん!」


 ヤミーは真弦の表情を見て子供の様に大声を出して泣き始めた。


「薔薇園亜梨香が亡くなって悲しいのはよく分かる。だがもう亡くなって二か月だろ。そろそろ悲しみを越えて新しい人生を歩むってのはどうなんだ?」


 真弦の問いかけに、ヤミーは返事をしない。

 ただひたすら涙を出してしくしくと泣いている。すごく厄介な人間だ。


「好絵ちゃん、早くバイト終わらせてこっち来てよ……」


 真弦の強靭を謳っていた心は年下のクズみたいな少女の所為で今にもへし折れてしまいそうだ。沢山の子供も抱えており、さすがに猫の吾輩もうちのご主人様が可哀想になって来た。


「キシャー(さっさと寝ろよクズ娘)」


 吾輩が牙を剥いてヤミーを威嚇してみる。獣なので効果は無し……か。


「今、ボクにクズって言ったの誰でしか?」


 なんと、吾輩の声にならない声をヤミーが聞いていた。

 誰もヤミーに向かって「クズ」って言ってなかったから周囲がざわめいている。


 ヤミーは猫の声にならない声を聞ける特殊な人間らしい。

 吾輩が彼女の傍で「早く寝ないと死神に迎えに来てもらうぞ」と猫界での脅しを話すと、効果があって吾輩の体を持ち上げた。


「そうでし、紫の薔薇姫は早く寝なかったから死神が迎えに来たのでし」


 吾輩の脅しに頷き、吾輩に向かって一人死神について創作した話を語りだした。

 はたから見ればおかしい人間に見えて仕方ない。


「あいつ結構頭ヤバいから近づかないように」


 真弦が言うように確かにヤミーは頭がヤバいのかも知れない。真弦はヤミーに接触しないようにと子供達に注意喚起していた。


「薔薇姫の魂はまだこの辺にいる筈なのでし。ボクはイレギュラーという魑魅魍魎を退治しにこの世に降り立った堕天使」


 ヤミーは滔々と吾輩に向かって会話をしようと努めている。なんて可哀想な少女だろう。ただのドラ猫に向かってくそ真面目に喋っているようにしか見えないのだ。


「プフー」


 真弦はリモコンを胸に挟んだまま、聞き耳を立てて噴出している。


「ニャー(お前はイレギュラーを倒すのにどういう武器を所持しているんだ?)」


 吾輩は猫と会話できる彼女の能力を面白がってヤミーと会話を続ける。イレギュラーというワードを最近どこかで聞いたばかりなのが気にかかるが、ヤミーは中二病全開なので面白い。


「フラワーステッキというのがボクの鞄の中に入ってるでし。これで魑魅魍魎共をバシバシ叩くでし。この武器でどうしても紫の薔薇姫がイレギュラーの妖怪に食われる前に救わなければ!」


 ヤミーの瞳の焦点は合っていない。それが本当なのかはよく分からなかったが、彼女が持ってきた柩型の鞄の中に自分で手作りした魔法のステッキらしき造花が入っていた。


 真弦は黙ってヤミーの奇行を見守っていたが、内心好絵が早く迎えに来ないかとハラハラしている。


「ニャー(妖怪退治と言えば、美空神社の宮司が専門みたいだが、お前も妖怪が倒せるのか?)」


「まだ覚醒して間もないから1度も倒した事ないでし。でも、異次元魔法発動の詠唱はこの間コンプリートしたばかりだから大丈夫」


 中二病真っ盛りの少女はドラ猫の吾輩に向かってだけ、何故か素直に話してくれる。すんごい不思議だけど、吾輩はヤミーに気に入られたようだった。

 どうしてなのか分からないが、この物語の主人公効果だからとでも言いたいのか。





 夕食前に、バイトを終えた好絵が牛丼を大量にテイクアウトして来てくれた。だが、吾輩は味付きの肉は食べれないのだった。


「わだすが勤めてる弁当屋の物だが、新製品はなかなかうんめえだよ」


 好絵は駅近くの弁当屋の厨房で働いているらしい。調理が得意で今の職に就いていると話した。標準語での会話は得意ではないので接客の仕事はしていないようだ。


 牛丼によって吉良家と鈴木家が歩み寄ろうと頑張っていたが、肝心のヤミーは歩み寄ってくれないみたいだ。


「ほんら、好子よすこ! おめさ、ご飯食わねえと栄養失調で倒れるだよ」


 ヤミーは相変わらず薔薇園亜梨香のDVDを食い入るように鑑賞して実の姉に対しても会話を試みてくれない。ヤミーの豊満なおっぱいは栄養が詰まっているようにしか見えず、不健康な生活をしていても健康的に見えた。

 会話に失敗した好絵はため息をつきながらヤミーの傍に牛丼の箱を置いた。


「テレビ見ながらでも良い。食え」


「好絵ちゃん、いつもそんな甘やかし方をしているの?」


 真弦は牛丼を食べながら不審な瞳で好絵を見る。


「まる一日コイツと付き合ってみたけど、そんなの逆効果だよ」


 個性溢れる子供が沢山いる真弦はきっぱりとヤミーに対する感想を述べる。

 要するにヤミーは駄目な人間の一歩手前に来ている。


「ご飯も好絵ちゃんに言われた通り上げ膳据え膳にしてみたけどさ、本人は全くこちらの言う事を聞かないじゃないか。テレビなんか24時間点けっぱなしでぶっ通しでDVD見てるし、うちのデッキが壊れそうだよ。壊れたら好絵ちゃんが弁償するの? 好子の生活も支えてるみたいだけど、正直苦しくないの?」


 真弦に言及されて好絵はわっと泣き出した。

 好絵とヤミーの姉妹は商店街から離れたボロくて安いアパートで二人っきりで暮らしているらしい。詳しい理由は知らないが、都会に憧れてこちらにやって来たそうだ。生活費は全て好絵が働いて賄っている。


好子よすこは中卒で何も出来ない子なんだべさ。わだすがバイトすながらでも養ってやる事すかできねえだ」


 超過保護な姉さんはおいおい泣いてどうしてやる事も出来ないと嘆いている。ヤミーの変な性格は姉の接し方も問題があるみたいだった。


「うん、それ根本的に駄目だ。過保護すぎて奴は付け上がってるよ」


 真弦はDVDを見ながら牛丼を掻き込んでいる少女を冷ややかな目で見つめていた。


「真弦さん、わだすじゃ接し方が上手くいかねーだから、何とか好子の再教育をお願いできねーべか? 代金は働いて返すだから」


「無理」


 真弦は即答した。この問題は物理的にも心理的にも無理があるようだった。



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