45. あくまでも代理の出産である





 外はもう、桜の蕾が開花を待っている状態である。

 陣痛の痛みで悶絶する真弦がベッドに横になりながら「うーん、うーん」とうなっている。もう1日は軽く経過しただろうか……。

 天上院家の正式な出産は産院ではなく、取り違えが無いよう代々家の中で行われている。


「ますみ様、立てますか?」


 陣痛の切れ目にミリアが話しかける。

 どうやら産室は別の部屋になるらしい。

 真弦は力なく頷くと、ミリアに肩を預けてずるずると両足を引きずるように歩き出した。時折陣痛に襲われて歩みは遅いものの、確実に産室まで自分の脚で歩いていた。


「ニャーニャー(真弦、大丈夫か!?)」


「……心配ない、玉五郎……」


 吾輩は真弦に付き添いながら彼女を見守って一緒に産室に入った。

 すると、天上院の直系の女達が和装で待っていた。いつも洋装をしている筈の真琴も和装である。その中にクリスマスに見た曾祖母が着物に襷を巻き、三角筋を頭に巻いてエプロンとゴム手袋を身に付けてしゃんとしていた。


「お母様、今回はわたくしが……」


 真弦や真澄の祖母と思われる年老いた女が同じく着物と襷を巻いた姿で曾祖母を気にかけている。


「いいえ、私は代々天上院の子供達を取り上げているのじゃ。娘達よ、安心して見ておりなさい」


 この間まで曾祖母は死にかけていたらしいのだが、大事な天上院の跡取りが生まれるとあって持ち直したみたいなのだ。そして今、元気に産婆をやろうと張り切っている。

 真琴とその姉の真波は曾祖母に従って真弦が分娩する布団に入るのを見守っている。


「何故男の僕が出産に立ち会わねばならないのですか?」


 真弦のカツラを着けている振袖の真澄が嫌そうに真弦の枕元でイライラそわそわしている。


「真澄の、一族の出産なのですよ。あなたが立ち会わないでどうします?」


「はい……」


 和装の真澄は、天上院家の正装である着物をと襷を身に着けて薙刀を抱えた母親に一喝されると、小さくなって畳の床に正座した。


「他の男は天上院でも獣でも引き払えと命じた筈じゃがな」


 意識のはっきりした曾祖母は吾輩を睨み付けると、ミリアに命じて一緒に外に追い出されてしまった。


 その数時間後、一緒に立ち会っていた真琴の愚痴では、天上院真澄(真弦)の出産は騒々しかったらしい。






 一日もしないうちに、天上院の屋敷に赤ん坊の「おぎゃおぎゃ」という元気な鳴き声が響き渡っていた。

 産室から戻ってきた真弦は疲れ切った様子を見せながら早速赤ん坊に初乳を吸わせていた。

 赤ん坊が乳を吸う力は弱々しく、もどかしさと照れ臭さを感じながら、真弦は母親になったひと時の喜びを得ている。


 コンコン。


 ドアがノックされ、龍之介と真弦の格好をした真澄がまず通される。真弦は所詮、真澄の代理で子供を出産しただけなのだ。光矢の姿はまだ無かった。


「……真弦ちゃん……! (代理の出産)ご苦労様でした!」


 龍之介は涙ぐみながら赤ん坊が入っているクーファンに駆け寄った。育ての父親として早く顔が見たいのだろうな。

 真弦の格好のままの真澄は機嫌悪そうにやはりイライラしながらクーファンに近寄った。


 二人の男がクーファンを覗き込むと、天上院家とは全く別の血が入った、目鼻立ちが吉良家の誰かさんにそっくりな男の赤ん坊が大人達を済んだ瞳で見ていた。幸い、薄く生えている髪の毛だけは真弦に似ていて直毛を保っている。

 この赤ん坊、猫毛や釣り目の龍之介の血が入った小林家には当然ながら全く似通っておらず、気怠いタレ目の吉良家を前面に主張していた。


「……真澄……。大奥様(曾祖母)は何て?」


「わからん。この子を取り上げるなり喜びのあまり気を失ったからな」


 真澄は頭痛がしてきたとばかりにこめかみを押さえて溜息をついていた。


「現当主のお義母様は何か仰っていたか?」


「母上もこの子の顔を見るなり衝撃を受けて卒倒したからわからんよ」


 真弦は光矢にそっくりな赤ん坊を見てニヤニヤと笑っていた。天上院家の純和風な顔立ちと違い、目鼻立ちのはっきりした吉良家の顔立ちの子供に希望が湧いてきたようだった。


「うっふー、この子が真澄の子供じゃなくなったらごめんね♪」


 真弦がにんまりしながら光矢似の子供の小さな頭を撫でた。生まれたてで真っ赤でふやけてはいるが、独特の眠そうな二重瞼の子供は嬉しそうに小さな小さな手足をばたつかせていた。


 赤ん坊の顔を見てがっかり来ている従姉夫婦を見守ると、真弦はまた子供を抱っこして乳をあげ始めた。生まれたての子供は何回もおっぱいをあげなくてはいけないのだ。


「真弦ーっ! 子供が俺に似てるって本当かー!?」


 バーンッ! ドアを乱暴に開けて真弦になだれ込んでくる光矢である。


「シィーッ! 声がでかいよ」


 まだこの子供は真弦が出産した事にはなっていないのである。冷静な真弦は光矢に落ち着くよう、ベッドサイドにある椅子に座るよう促した。

 おっぱいを上げ終わった赤ん坊を光矢に見せる。


「……ほほう、この子が噂の……ブヒャーッ!!」


 光矢は自分の子供を見るなりぶっ飛んだ。真弦のベッドに顔を伏せてドンドンと布団を叩いて笑いを堪えている。


「ぶぶぶ……っ、目元が俺そっくりじゃねえか……。真弦、よくやった! 俺達の10か月の無念が晴らせそうだな」


 こみ上げる笑いの涙を堪え、光矢は疲れ切って憔悴している真弦を赤ん坊ごと抱きしめた。


「次期総帥は多分光矢だよ。すごく大変な仕事だから、気をしっかりね」


 真弦は希望に満ちあふれた表情で赤ん坊を抱いて誇らしげにしている。

 確かに、赤ん坊の顔を見るなり真澄と龍之介の子供だと誰もがわからないだろうし、子供は彼らに全く似ていないのだから向こうに渡らないと自信を持っていた。


「次の総帥は俺じゃない。真澄君だって決まっている。だが、この子はその次の総帥だ」


「うん……。そうだね」


 再び眠り始めた赤ん坊の頭を真弦が撫でる。


「それよりも真弦、ご苦労様でした」


 ちゅっ。光矢が真弦の頬に軽くキスをする。そして、ショートヘアの頭を撫でた。

 そんな時、


 ガシャーン くわんくわん……

 光矢にお茶を出そうとしていたミリアがティーカップを落とした。


「光矢様、真澄様の格好をされた真弦様にそんな事をされては困りますわ」


 何とも人間臭いロボットがキスシーンを目撃していたのだった。

 何故かミリアには『うっかり機能』というAIが搭載されている。


 光矢はいつもの真琴の助手で忙しくしているのとは違い、今日はゆっくりと真弦の部屋に滞在していた。

 真琴からは帝王学とアパレル業の知識を無理やり詰め込まれており、光矢の頭とパンク寸前だったのだ。コイツが結婚する家柄のグレードが上がったと同時に、激務が押し寄せてきて大学卒業前に大変な目に遭っているのは間違いない。


「はあー、お前と玉五郎と一緒が一番落ち着く。あ、今は赤ん坊もいるか」


 光矢が紅茶を飲みながらにんまりと笑っていると、


「なんかデレデレしてて気持ち悪いなぁ」


 真弦は眠った赤ん坊を居心地悪そうにクーファンに戻した。


「へへへー、この子供共々、俺が真弦を幸せにしてやるから安心しろ」


 光矢はにまにましながら真弦の髪を撫でた。

 二人はとても幸せそうであり、ひと時の新しい家族の団らんと生命の誕生に喜んでいた。


「真弦、愛してる」


「うん。私も光矢を愛してるよ」


 二人の影が重なると、キィ……と給湯室のドアが薄く開いた。そして気まずそうにまたドアが閉まった。

 お供に付いてきた龍之介も大変だなぁ……。


 こうして真弦が産んだ男児は真澄が出産した事実にすり替えられ、名前を天上院真尋てんじょういんまひろと名付けられた。

 その真尋は、真弦が初乳を与えて7日間で引き離され、結局真澄の元で育てられる事となったのだった。

 ……子供を奪われた真弦と光矢は失意のどん底に突き落とされてしまう。腸が煮え返ってくるとんでもない悪習である事に違いなかった。これは家の決まりだから仕方ないと諦めきれる訳が無いのだ。



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