15. 光矢にはもれなく婚約者が付いて来た
吉良光矢は天上院真弦の家にあっさり転がり込む形で同居する事になった。
二人の仲は吾輩が負傷した休日を期にあれ以上進展する事なく、友達以上恋人未満の同居人を貫いていた。
真弦は美羽との仲直りを何とか成功させたみたいだが、同時に恋人関係を進展させていた。
毎朝、決まった時間に可愛らしい傘を差した美羽が迎えに来て、色気のないビニール傘を差した真弦と手を繋ぎながら登校する。同居人の光矢はそんな姿を父親の様に見送っていた。
同性の恋人がいる真弦を見送った光矢はというと、特に気にするでもなく、大学に行くか、部屋の中で家事をしているか、真弦のパソコンを使って英文の書類やメールを作成している。もしくは出かけてて丸1日や2日帰ってこない事もざらだった。
中途半端な関係を貫いている男女は、梅雨明けしそうな昼下がりの休日をダラダラと過ごしていた。
真弦の恋人の美羽は、親戚の結婚式があるとかで出かけているみたいだ。
世帯主の真弦はというと、いつものように男同士の恋愛を恥ずかしげもなく開けっ広げた形で漫画にしていた。
同居人の光矢は真弦の腐った漫画に嫌気が差さないのかというと、慣れたようで笑い飛ばしている。日数が経過してハゲていた頭もマリモみたくなってきたな。
キスまでしたのに煮え切らない二人。
そんな感じの二人は今日も着替えや風呂に気を使いながら暮らしている。
暮らしている……。
光矢がトイレに立つと、最初は反応があった真弦だが、最近は存在が空気のようになったのか気にしなくなった。
ぬるい……!
こいつらの恋愛成就を密かに望む吾輩としては腹の奥がムズムズして仕方ないんだ。
そういう時に、そいつは嵐と共に現れたのだ……!
ドン、ドンドン、ドン! 美羽とは違う禍々しいノック音に躊躇した真弦は、
「誰ー?」
ドアチェーンを外さずに誰何してドアを薄く開けた。
カッ ドーン! 雷が近所の避雷針に落ちたようだ。
豪雨で薄暗くなった外に豪奢な刺繍入りの傘を差して立っているのは、真っ赤な髪をポニーテールにして毛先がドリルみたいになっている、髪の毛と同じ色のトレンチコートを着たうりざね顔の女だった。揃いの赤いハイヒールがこの雨で泥だらけだ。
「吉良光矢さんはご在宅でしょうか?」
ピカッ ゴロゴロゴロ……! 稲光に照らされた女の顔はオカメとも般若とも判別しがたい顔で佇んでいる。穏やかな表情をしていれば愛嬌がある顔ではある。吾輩は身近な美人を見慣れているので、一般的な目線だとこの人も美人の部類なのかな?
「……あの、あなたは?」
「光矢さーん! いるんでしょー?」
赤い髪の女はドアの隙間に手を差し込み、部屋の中を強烈な眼光で睨むように勝手に覗き込んできた。
この女は光矢と何か因縁があるのだろう。執拗に部屋の中を覗き込んでいる。
「眼鏡女、ドアをお開けなさい。この靴は光矢さんの靴。この女は何かと問い詰めて差し上げねば……!」
トレンチコートに包まれた手がドアから生えているようにわさわさと動いている。赤いベースにパールや花の装飾がされた爪から今にもビームや触手が飛んできそうで怖い!
「ぎゃあああ――――!」
真弦はこのリアルホラーな状況に耐え切れずに悲鳴を上げるしかなかった。
ジャバアアアアア。トイレの水が流れる音がして光矢が呑気に出てきた。
「お、ゴキブリでも出たのか? どれ、俺が退治してうわああああああああああー!」
光矢もわさわさ動いているドアからはみ出した赤い手に驚いている!
「いたわ、光矢さん! 眼鏡女、ドアをお開けなさい!」
赤い女はより一層恐ろしい形相で真弦に命令した。
「駄目だ! 開けるな、締め出せーっ!」
光矢は逆の命令を真弦にする。
どっちの言葉に応えていいのか、真弦は立ち往生したまま、毛を逆立ててベランダの窓際まで下がっている吾輩を見た。こっち見んな、猫は愛玩動物であって何も出来ないんだから!
赤い女に立ち向かう意気地の無い光矢は再びトイレに引き籠ってしまう。
真弦は赤い女と対峙しながらじりじりと後ろに下がり始めた。
「光矢ーっ! 何なんだよこの妖怪はー?」
「知るか! 探偵雇って勝手に住所突き止めたんだ、こん畜生め!」
光矢は赤い女に対して脱帽している様子だ。もしかすると、もしかしなくても光矢と赤い女には恋愛絡みの何かがある。素人にでも理解できそうな修羅場である。
「ホント失礼な眼鏡女ね! わたくしは
光矢の婚約者の楓は、浮気の現場にめいいっぱいブランド物で固めて乗り込んで相手を威嚇しに来た。そういう出で立ちなんだな。
真弦と楓、二人の間に間が出来る。
「え? 光矢、婚約者いたの?」
真弦は意外な表情でトイレの方に向き直った。
「…………いるといえば……いる、かも」
光矢の弱々しい声がトイレの向こう側から籠って聞こえた。
「それで、そこの眼鏡のあなたは何なのですか?」
楓はドア越しに真弦をヒステリックに怒鳴りつける。
「えーと、と、……友達?」
真弦はしどろもどろになりながら楓に今の光矢の関係を正直に答える。
「その友達が下着同然の格好をしていらっしゃいますけど、どういう事か説明して下さいませんこと?」
現在の真弦の格好は、節電しているので上はキャミソール1枚。下はいつものトランクス1枚だった。全く色気は無いが、ノーブラの胸だけはエロい。
「……あー、これは節電してて涼をとるのに服を減らそうって方針でして」
「信じられないわ! 光矢さん、あなたも下着1枚でどういうつもりですの?」
先程トイレに引き籠った光矢の姿はボクサーパンツ1枚だけだった。
確かにこれは説明に困る格好ではあるな。
バン! トイレのドアが開いた。
「楓はいちいち乗り込んできてうるせえな! この女は俺の彼女だよ!」
土壇場で光矢は開き直り、ドア越しの楓に向かって言い放った。
真弦は「そうだったの?」という表情で驚いたまま、ショックを受けて凍りついている楓の形相を見ていた。
ミシッ……。物凄い形相の楓が掴んでいる金属製のドアが軋んだのかと思ったが、そうじゃなくて、楓のネイルアートが悲鳴を上げたようだ。
「楓とは結婚するつもりねえから。腕引っ込めて帰れ!」
温厚でどちらかと言えば脱力系の光矢が本気で嫌がっている。松葉楓って光矢の婚約者って本当なのか疑わしくなってきた。
「……うう、ううーっ……!」
楓は顔を歪ませて目頭に大粒の涙を溜めて零し始めた。マジで泣いてる! なんつーか、光矢最低……。楓はまだ腕を引っ込めるつもりは無い様だ。
マジ泣きしている楓を見た真弦は、眼鏡のブリッジを上げてドアチェーンを外した。
「入って。んで、コイツ殴ってからとりあえず帰っていいから」
真弦は楓の手を引いて彼女を土足のまま部屋に上げた。
「すん……」
楓は零れる涙を拭って鼻をすする。
たじろぐ光矢の前に立ち、真弦に言われた通り素直にパーンと光矢の頬を思いっきり平手打ちした。殴られた衝撃で光矢が横に揺れた。
「ハイ。帰っていいよ」
真弦は楓の肩を抱いて玄関まで導いた。
楓をあっさり追い出し、ドアを閉めて施錠し、しっかりチェーンを掛けた。
ついでに半開きにしていた窓を閉め切って施錠し、ベランダの鍵も施錠されているか確認する。暗幕の様なださいカーテンを閉めて中の様子が見えないようにする。
無表情の真弦は照明を点け、その辺に転がっている漫画や雑誌を片付け、万年床の上に正座した。
「吉良光矢さん、こちらへどうぞ」
フローリングがちょっと出ている床を差して光矢に座るよう促した。
真弦は光矢にお説教でもするのだろうか? 修羅場はまだ続いているようだ。
「……はーい」
楓にぶたれた光矢は左頬を真っ赤にして、フローリングの床に正座した。
「あの女はあんたの何? 本当に婚約者なのか?」
「……まあ、一応はな」
「まるっきりストーカーじゃないか! 前の住処が燃えたって聞いてたけど、あいつの仕業なんじゃないか?」
「いや、わからな……。思い詰めたあいつならありうる!」
「ところで光矢、アンタに彼女は何人いるのかな?」
真弦の表情はさっきの楓の様に怖い。
光矢はちょっと考え、指を出して数えるが、うーんとうなり始める。
「彼女じゃなくて、セフレなら何人か……」
「このド外道が!」
正直に答えた光矢の態度に、彼に気がある真弦が許せる筈が無かった。
「ヤンデレに家燃やされるの当たり前だ馬鹿がっ!」
真弦も楓の様に光矢の頬を右から拳で殴るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます