14. 動物病院をきっかけに




 吾輩と真弦は、負傷した礼二を救急病院に連れて行くついでだからと、向かう途中で見つけた動物病院の前で車を下された。

 まだ車を運転できる年齢ではない真弦は見慣れぬ街でバスタオルに包んだ吾輩を抱っこしながら戸惑っている。


「治療費ぐらい先にくれたっていいのにもー、あのおばさんは……!」


 そいでもって、財布を忘れていたので途方に暮れいていた。

 真弦は動物病院の玄関前の階段に座り込み、血を流し続ける吾輩を膝に乗せ、憔悴した表情でパーカーから取り出した携帯を弄り始めた。

 誰かに電話を掛けて居る様だ。


 しばらくして相手方に繋がる。


「あ、もしもし? 私だ私。え? 美羽? ……まあ、何とか仲直りしたよ」


 電話から漏れ聞こえる声は男である。会話から察すると、相手は家に残してきた光矢のようだ。


「悪いんだけど、私の財布を持って来てくれないか? 鍵はテーブルの付近に転がっているからちゃんと掛けてきてよ」


 用件だけ伝えて電話を切ろうとすると、『オイ!』とツッコミが聞こえた。


「どこって……? あーえー……『わくわく動物病院』? 玉五郎が怪我しちゃってさ、勝手に連れて来られたんだけど、隣り街で土地勘わからない。ググってマップ調べてから来て」


 電話の向こうから『わかった』と声がすると、真弦は電話を切った。


 ……。

 …………。


 まさか、真弦ってば、光矢が財布を持って駆けつけるまでここで座って待つ気?

 吾輩、出血と痛みで意識朦朧としてきたよ!? ねえ、早く治療しに行けよ!


 しばらくして、吾輩が本気で泣きそうになっていると、動物病院のドアが開いた。


「どうしたの? お嬢さん」


 背後から声がして真弦が顔を上げる。が、抱っこされている吾輩は方向転換が出来ない為に声を掛けてきた主の姿がわからない。


「猫、怪我してるのか。専属の医師が出かけてるが、小生で良ければ診てあげよう」


 キーの高い声で男とも女とも取れないが、人称からすると男なのだろう。






 真弦は吾輩を抱っこして獣医に促されるまま立ち上がって振り返る。


「こども……店ちょ……」


 だぶだぶの青い白衣を身にまとった奴の容姿は、まさしくエコカー減税を熱弁しそうな子供そのものだった。

 紙が挟まったネームプレートを見ると、「杉野森すぎのもり」とマジックで書かれている。その上に「研修医」の表示。子供のごっこ遊びかよ? 随分と平和な休日だなおい……。


「何をしている? 早く中に入って診察するぞ」


 その怪しげな研修医は大真面目な表情で、吾輩を抱っこして怪しんでいる真弦を動物病院の中に手招きしている。

 おいおい、坊やのごっこ遊びに付き合ってる暇は無いんだぜこっちはよ……。


「お願いします」


 真弦は、中に動物専門の看護師ならいると思ったのだろう、子供店●に促されるまま病院の中に入った。

 ……か、看護師さんお願いします。


「手続きは後で良いから、猫を手術台に置いて。ほら、何してる? こっちこっち」


 もたついている真弦に、子供獣医さんは少々イラついているみたいだ。

 看護師さんは? ……いねえ? 動物病院の中は子供獣医しかいねえ……!


 真弦は半信半疑な表情で吾輩を手術台にそっと横たえる。

 同時に、杉野森はマスクと手袋を装着して自分専用の踏み台に上がった。

 まさか、この子供が吾輩を診察して手術するつもりなのか? 本気か? 本気と書いてマジって読ませるのか?

 吾輩が不安と絶望に押しつぶされようとしている時に、何も躊躇も遊びの興奮も無く麻酔の注射が打たれた。


「あの、すみません、あなたは本当に獣医さんでいらっしゃいますか?」


 真弦は吾輩と同じ疑問を抱いていたようだ。


「何だよ? またかよ。小生をままごとの糞ガキみたいに疑う奴かよオメエも」


 淡々と怪我した獣の吾輩を治療する中、杉野森は真弦の質問で機嫌が悪くなった。

 じゅうう……。出血を抑える為に傷口を焼いているんだが、麻酔の効きが悪くて熱い! 怖い!


「ギニャアアアアアアア!」


「はいはい、動かないでね、猫ちゃん」


 マスクをした子供店●もとい杉野森は吾輩の治療に真剣だった。小さな左手で器用に吾輩の首を押さえ、手術台に押し付けて拘束する。

 降参だ……。コイツ、遊びでマジックで書いたような研修医の癖に割と傷口縫う手際いいよ。


「お嬢さん、小生を疑うなら、職員用のロッカー開けて財布の中見てみろよ」


 真弦は杉野森に言われるまま、プライベートルームに行って彼の長財布と運転免許証を持って来て青ざめてしまった。


「失礼しました……。ちゃんと大人のプロの方だったんですね」


 手術室の外の方で医師免許もしっかり確認してきたみたいだった。

 猫も個体差がかなりあるけど、人間もそうなんだな。






 吾輩はペット入院用の牢屋みたいのにぶち込まれ、しばらく点滴を受ける事になる。

 ガラス越しに待合所が見える場所なので、ペットの飼い主は安心だね。


 手術が終わって1時間以上経過したみたいだが、財布を持った光矢はまだ現れない。


「ところで天上院さん、君の猫ちゃんの去勢手術はまだみたいだけど。今のうちにやっとく?」


 獣医の杉野森が吾輩にとってとてつもなく恐ろしい事を真弦に持ちかけ始めるのが漏れ聞こえた。

 やめろー、吾輩はまっとうなオスでいたいんだー!


「完全な成猫になると増えて大変な事になる」


「え? 玉五郎ってまだ大人になってなかったの? 拾い猫だからよく知らなくて」


「大体1歳程度ってところかな。人間で言うと17歳前後だ」


「うそー?」


 とうとう吾輩の大体の年齢が知られてしまったか。現在の精神年齢としては真弦と年齢が同じくらいなんだよね吾輩って。体が大きいから成猫と間違えられても仕方が無いか。


「で、去勢費用はいか程で……?」


 真弦は杉野森の言葉に脅されて金額を聞き始めた。やめろー、吾輩の子孫を人間の手で絶やす事は許さーん!

 杉野森は電卓を叩き、真弦に提示する。


「今日の治療費含めてこんな感じ」


「……ブッ!」


 真弦は金額に驚いたのだろう、しばらく提示された電卓を見つめて固まっていた。

 人間と違って動物は保険利かないから10割負担して支払しなきゃいけないしな。動物の治療費を舐めてかかったらイカンのだ。


「えと……今回はやめておきます……」


 真弦は吾輩の去勢手術を諦めて引き下がった。よっしゃー!


「手遅れにならないうちにやるべきだと思うが。まあ、お嬢さんがそういうなら仕方あるまい。そのうち相手方のメス猫に小さな生命が生まれまくり、山や公園に遺棄され、保健所で殺処分されるのも諸行無常の摂理かも知れない」


「うぬう……」


 杉野森は子供のナリをしてなかなか食えない嫌な奴みたいだ。変態で図々しい真弦が珍しく会話に戸惑っている。


 そんな時だろうか、動物病院のドアが開いて頭にバンダナを帽子みたいにして被っている光矢が現れたのは。


「真弦ー、財布持ってきたぞ」


 真弦は自分を助けに来たナイトを見る様な視線で光矢に振り向くのだった。






 動物病院に現れた光矢はペット用のキャリーバッグを肩掛けにして担いでいた。

 オス猫用には相応しくないピンク色の地にデカいイチゴ柄が映えるファンシーなペットキャリーだ……。


「光矢! 遅かったじゃないか」


「ああ、すまねえ。玉五郎が入るキャリーバッグ無かっただろ。真弦が大変だと思って買ってきてやったぞ」


 待合用の椅子に座っていた真弦にずいっとペットキャリーを渡す光矢。少々得意げなのが何かむかつくんだが……。


「あ、ありがとう……」


 これは真弦の為の光矢からのプレゼントなのか、吾輩の為の必需品を買ってきてくれたのかよく解らない。だが、いつもは感謝しない真弦が珍しく悪趣味な柄に押されて素直にお礼を言っている。

 真弦は光矢から貰ったペットキャリーを膝の上に抱きしめるようにして置いた。


「うむ。よく言えました」


 真弦の性格を一緒にいた2日間で把握していた光矢は、隣りに座って彼女の頭をなでなでした。ねえ、お前はその悪趣味な柄について何か補足説明は無いの?


「で、玉五郎は何針縫ったんだ?」


「五針だ! 曲がったカッターの刃が尻にめり込んでブッサーってなってて血がドゥワーってなってて、そこにいるお嬢さんが付き添いながらうあーって言って混乱してるから止血するの結構大変だった!」


 真弦より先に、杉野森がドヤ顔をしながら鼻息荒く光矢の質問に子供っぽい説明で答えた。お前、急患が入らないからって暇なのか? 受付にカルテ置いて赤いラジコンカーで遊びながら答えるなよ。


「……名探偵●ナン? 何か白衣着てっけど?」


 光矢の杉野森を見た第一印象は真弦と似たような感じだったが、まあ、的を射ているような。見た目は子供、中身は大人ってな。

 キュルルルル、ガッガッ! ラジコンカーが光矢の脛に向かって2、3度激突した。


「痛っ痛っった!」


「あの人が執刀したんだよ。信じられないけどあの人、大人でちゃんとした獣医なんだよ」


「お、ビンゴ」


「フン!」


 ドヤ顔のまま、杉野森はラジコンカーを操縦しながら治療中のペットが収容された吾輩がいる部屋に来る。普通の所作は子供そのものじゃねえか。


 杉野森はラジコンカーを部屋の端に寄せ、リモコンも傍に置くと、吾輩の入っている檻にゆっくりと近づいてきた。檻の鍵を開け、扉を開ける。ちょ、ニヤニヤした怖い顔で来るな!

 スポン。そういう感じで吾輩の胴体に突き刺さっていた点滴の針を抜いた。


「よーし、こっちおいでー」


 吾輩は杉野森に檻から無理やり引っ張り出されて抱っこされた。





 吾輩の治療が終わった。

 後は会計という所で、ここにいる本来の獣医のオッサンと看護師のオバチャンが戻ってきた。この動物病院は訪問医療も行っているらしい。正直、留守番の子供獣医が見た目的に怖かったからオッサンに治療されたかった。


「玉五郎ちゃんの調子が悪くなったらまた来て下さいね」


 看護師のオバチャンは受け付けも兼ねているみたいで、真弦と光矢はこのオバチャンに会計で金を払っていた。

 もう二度と来ねーよ! 吾輩はそう思った。


「財布がスッカラカンになった。光矢、キャリー買ってくれた上に金借りてゴメン」


「……ハハハッ、良いって事よ。帰りはバイクで良かったぜ」


 二人の財布は予想以上の大ダメージを受けたみたいだ。もう二度と来たくない。二人も吾輩と同じ気持ちなんだろう。


 尻にオムツみたいな形で包帯を巻かれた吾輩は悪趣味なペットキャリーに入れられた。これでもう、公衆の面前で露出羞恥プレイはさよならだゼ☆

 真弦は吾輩の入っているペットキャリーを、持ってきた光矢に倣って肩掛けする。でかい乳と乳の間にキャリーの紐が食い込んでえらい事になっていたが、光矢のガン見は全く気にしていないようだ。


 外に出るとタンデムシート付きの400㏄バイクが駐車スペースに停めてあった。


「このバイク、どうしたの? 光矢持ってたっけ?」


「ああ、友達から借りてきた」


 光矢は真弦にヘルメットを投げて寄越した。ピンクとブルーの水玉のヘルメットで、持ち主の彼女か誰かが使っていると思われる物だった。

 真っ黒なフルフェイスのヘルメットを被った光矢は中型バイクに跨る。アジアンチックなゆるい服を好む光矢には全く似合っていない気がする。が、足元はいつものサンダルではなく、ブーツなのでちゃんとバイクを運転する心構えはあるみたいだ。


「どうした? 乗れよ」


「……うん」


 真弦の足元ががくがくと震えている。どうやらバイクの2ケツは初めてみたいだった。 

 ハハッ、吾輩もバイク初めてなんだー。

 と、軽い気持ちで気構えていたら、真弦がバイクの後ろに跨ってスロットルが回って発進した。


 ヒィ~!!

 怪我した猫を吊るした状態でバイク走らすなーっ!

 吾輩はキャリーの編み目から入る豪風に晒されて、真弦の家に帰るまで生きた心地がしなかった。





 帰宅途中、真弦達は郵便局のATMに寄って預金を下ろす事にしたのだが……。


「…………私はどうしたらいいんだ」


 預金通帳を握りしめて真弦が青ざめている。


「どうかしたのか?」


 無事に預金を下ろせた光矢がうつむいている真弦の顔を覗き込む。


「また仕送りが止まってる……!」


 真弦は泣きそうになっていた。そうか、真弦は高校生なのに一人暮らしをしていたから生活がどうなっているのか気になっていたが、親に仕送りをして貰って生計を立てていたようだ。


「今回の家賃は支払われてるのか?」


 光矢は重要な質問をすると、真弦はコクリと頷く。「家は問題なしだな」意外に光矢はしっかりした奴なんだなぁ。


「母さーん! ガス代と水道代どうするんだよぉぉぉ~? これからの生活費が玉五郎の治療費ですっ飛んじゃったじゃないかー。生きてけないぜ畜生ぉぉぉぉ」


 真弦は泣き叫びながら携帯を取り出して母親に連絡しようとする。ちょっと、全部吾輩の怪我の所為にしようとしないで!


『タダイマ、電波の届カナイ所カ、電源ガ入ッテオリマセン』


 真弦はそのアナウンスを聞いた瞬間に通話を切ってATMの入り口の床に座り込んでしまう。絶望したみたいだ。


「わぁぁ~! 薄いBL本とかBLポーズ大全集とかガチホモ写真集とかマニアの店に売り飛ばしたくないよー!」


 真弦さん真弦さん、泣きながら大声でそんなヤバい事叫ばないで……!

 ATMに来たお客さんみんな真弦を見てるよ……。


「ほれ」


 真弦の絶望に見兼ねた光矢が呆れながら1万円を上から差し出してきた。


「それ、何? また貸してくれるのか?」


 金を見せられて泣き止んだ真弦に対し、


「前家賃だ。しばらく真弦ん所に世話んなるわ」


 光矢は意外な事を言いだした。


「え?」


「さっきの治療費も返さなくていい。俺と一緒に住んでくれ」


 異性の家に世話になるっていう事は同棲って事になるのか?

 光矢のプロポーズみたいな意外な言葉に真弦はきょとんとしている。


「……あー、あのさ、家賃半分って事? 今のと合算しても少し多いような……」


 午前中に美羽にプロポーズしていた身にとってはその言葉を受け止められないのか、光矢を見上げながら固まっている。


「細けえ事は気にすんな」


 その一言に真弦の眼鏡の下の瞳はキラキラし始めた。わー光矢さんやる夫みたいだぜ!

 真弦は光矢に手を貸されて立ち上がったのだった。


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