8. 真弦、見ず知らずの男を拾う




 天上院真弦は、サークルのリーダーの提案で長編オリジナル漫画を描いてみる事にしたみたいだった。

 何の変哲もない大学ノートには、先日ベリーショートにした美羽の似顔絵が膨大に描かれている。何とか美羽を男体化させてBLの主人公にさせようとしているのだ。

 可憐で可愛らしい美羽が2次元でどんなイケメンに表現されるのだろう?


 名前はあれこれ考えた末に、『美空翼みそらつばさ』に決定したようだ。

 可愛らしい容姿のイケメンというポジションなので、身長は低めに設定してある。

 立ち位置は「攻め」らしい。最近の流行で可愛い系が攻めだったりするものな。


「うーん……」


 シャーペンを持ちながらテーブルに突っ伏して悩んでいる。

 相手役を考えているようだが、数瞬後、ピンと来たのか、翼の隣にさらさらと「受け」役を描き始めた。


 ……なんか顔にすんげえ見覚えあるな。


 『牛山礼二うしやまれいじ

 うしやまれいじ……?


 まんま美羽の兄じゃねえか!

 真弦は考えるのがめんどくさくなったのか、実在者をそのまんまの形で登場させることに決めたようだ。



 タイトルは『おにいちゃんは同級生』。

 なぜ主人公の兄が同級生なのかはよくわからない。兄が特殊な理由で主人公の同級生なのだ。まあ、そういう設定ってやつだな。


 作家が実在者を元に作品を作り上げるのってよくある話だから、こんな形の物語もありだと思うんだ。

 初回の原稿が出来上がるのが楽しみだな。最初は一般受けを狙ってアダルトでは描かないのか? とにかく設定に時間がかかって難航しているように見えた。

 これは真弦が暇がある時に修行がてら、暇を見つけてちまちまと描いて行って完成させるのだろうな。




 真弦の所属している合同同人サークル『にんげん牧場』では、リーダーが成人しているのでアダルトがメインであるが、特にジャンルのくくりは無いようで自由だ。

 BLを描こうとしているのは真弦だけで、他の作家ははノーマルエロだとか百合を描いている。

 サークルはアダルトが共通しているので結束しているようなものだ。リーダーは女性(しかも相当な腐女子)なので、真弦に何か萌える様なBLを描いてみろとアドバイスしたのだろう。

 いままで真弦が描いて来たものはストーリー的にもいまいちだったからな。


 真弦が悩んだ末、主人公の同級生のキャラと担任の設定を何とか終えたみたいだ。

 主人公の背景も細々とメモをして、ノートが真っ黒になっている。


 午前3時。外は激しい雨が降っていた。

 天気予報では明日も雨みたいだ。


「ふう、玉五郎よ。お前は学校にも行かないで楽な身分だよな」


 真弦は吾輩に嫌味を言い、鉛筆や食べ物のカスの付いた部屋着のまま就寝する。


 翌日、真弦は高校の制服を着こんで、『お兄ちゃんは同級生』のアイディアが詰め込まれたノートを持参して雨の中登校して行った。

 本気で長編の漫画を描くみたいだな。頑張れよ真弦。





 雨は朝から晩まで続いた。吾輩の散歩はお預けで、一日中真弦の家で留守番をしていた。

 その間、部屋の中に散らばった薄い本を眺めたり、昼寝したりして過ごす。

 真弦の家はゴミ屋敷に近い紙ゴミと漫画の入り混じった異空間なので、動くスペースが少ないのだ。低価格故の収納なしワンルームという部屋の悪条件も起因している。


 正午、近所の寺の鐘が鳴ってしばらくした後、真弦の部屋の側で、ドサッという鈍い音がしたが、今日は窓もドアも完璧に閉め切られている為に外に確認に行けない。

 予測では人が倒れている。そんな予感すらした。


 吾輩は真弦が帰宅するまで電球のコードにじゃれて遊ぶ事にする。

 外に出れないってとにかく暇なんだ!


 電球のコードにじゃれて大体3時間ぐらい経過した後、血相を変えた真弦が帰宅してきた。


「玉五郎!」


 玄関先で吾輩を呼んだ。


「大変だ。うちの前で人が死んでる!」


 固まったまま吾輩を呼んでも、猫はどうする事も出来ないのだが……。

 死体を確認するのに玄関先に出る。


 クンクン……。あ、コイツ見覚えがあるぞ。

 隣でテント貼って勝手に住んでいる吉良光矢じゃないか。


 コンクリ床にうつぶせで死んだように倒れている光矢は、特異な服装から見てボロ雑巾にしか連想させない。服の布や顔に纏わりついたドレッドがぐっしょりと濡れている。

 ボロ雑巾のようになって倒れ、全く動こうとしない光矢を、真弦は無表情で観察していた。救急車呼ばないのかよ?


 ペロペロ。吾輩が光矢の頬を舐めると、ピクリと反応する。ひと肌よりもちょっと熱い体温を感じられた。うん、高熱を出して動けないでいるようだな。


「なんだ、生きてるのか。あーびっくりした」


 真弦はあんまり驚いてはいなさそうだが、棒立ちのまま、光矢のアングルからはグレーのおばさん臭いパンツ丸出しで佇んでいた。制服のスカート位押さえろ! 


「み……水……」


 光矢は息も絶え絶えで、調剤薬局から貰ってきた袋を真弦に差し出し、新鮮な水を恵んでもらうよう床に這いつくばっていた。


 真弦はしばし考えた後、光矢に肩を貸して家に入れてやる事にしたのだった。

 なんか、吾輩が怪我をして血だらけになって倒れていた時と同じだな。……あの時は応急処置をしてくれて、動物病院に連れて行ってくれたけど。今回の光矢はどうなんだろうな?




 真弦は自分の布団の周りのゴミや書類を片付け、光矢の濡れた服を脱がして下着だけにした。ショッキングピンクのボクサーパンツが派手だ。

 寒さで震えている光矢に毛布を被せてやり、彼の服は真弦がいつも洗濯物を突っ込んでいるスポーツバッグに詰めた。アレ? 生身の男のパンツ姿を観察しないのか?

 さすがに変態の天上院真弦でも、熱を出して弱っている男のチンコを観察するような鬼ではなかったみたいだ。


 ゴミの山から体温計を引っ張り出して、光矢の熱を計る。

 39.2度。軽く40度近い高熱を出している。


 冷蔵庫から飲みかけのスポドリを引っ張り出し、光矢の枕元に置く。


「玉五郎、ちょっとこの男の面倒を見てやってくれ。私はコインランドリーとコンビニに行ってくるでな」


 真弦は制服のまま、洗濯物の詰まったスポーツバッグを肩に掛けて外に出て行ってしまった。


 おい、真弦! 見知らぬ男を家に入れたまま外出するなって!

 幾ら家族の吾輩が見張ってたって、所詮は猫なんだし、セキュリティーは全く確保されていないんだぞ!!


 光矢は意識朦朧としながら、見知らぬ部屋の中にいる事に気が付いたようで、眠そうなタレ目を思いっきり見開いて固まっていた。そして吾輩と目が合う。


「…………良く解んねえけど、神か仏か」


 吾輩を見たと思ったら、半身を起こし、枕元に置いてあったスポドリを一気飲みする。見知らぬ女との関節キスだが、喉が干からびているみたいでどうでもいいみたいだ。そして、バタンと音がする位勢い良く倒れる様にして寝た。


 光矢の存在と、真弦の行動に驚いた吾輩はしばらく玄関と居住スペースを右往左往して過ごした。吾輩のテリトリーに真弦以外の部外者が来てとても落ち着かない。




 真弦が帰宅すると、吾輩は帰って来るまでが不安で彼女の足元の周りをグルグル回って体をこすりつけていた。

 だが、吾輩の寂しさを真弦は解ってくれず、スポーツバッグを室内にぶん投げて、真っ先に布団に横になっている男の側に寄った。


 熱で頬が真っ赤になっている男、光矢の顔をしばし凝視する真弦……。

 光矢の呼吸は胸が上下していてゼーゼーしているので生きてはいる。

 体温を計ってみると、41.3度になっていた。ちょっとヤバいじゃん?


 真弦は光矢の頭を触ると、ドレッドに水分が含んでいたので嫌な顔をしていた。

 ドライヤーを持ってきて頭を乾かしてやろうとしばし考えていたのだろうが、面倒だと思ったのだろう、台所からキッチン鋏を持ってきて、光矢のドレッドの房をバッチンバッチン切り始めた。

 オイイイイイイイ! 勝手に知らない人の髪の毛を切っていいのかよ!?

 熱で意識がぶっ飛んでいる光矢は真弦の奇行に全く気が付いておらず、熱に浮かされながら眠っている……。


 ドレッドの房がかなり短くなった光矢は、真弦にキッチン鋏で散髪された事も知らずに寝息を立てている。色んな毛束が絡まったロングヘアが一気にショートなって変な感じになっていた。

 光矢の髪の毛を切り終えた真弦はスッキリ充実したのか、ドライヤーを使って光矢の髪の毛を乾かし始めた。髪の毛が短くなって乾かしやすい。


 ……吾輩が一番怖いのは、光矢が目を覚ました時に怒らないかという事だ。

 ドレッドとかああいう髪の毛をしている奴は無駄に金をかけたりしてメンテナンスをしているだろうし、何よりポリシーを持っているからな。

 ……知ーらない。

 いや、吾輩は真弦の家族だ。怒った光矢に真弦が襲われた時にはナイトになって自慢の爪さばきで守ってやらねば。





 深夜、大体吾輩のゴールデンタイムに真弦はエロい同人漫画を描いている。

 趣味のデジタル絵で、エルフの男とゴブリン(やっぱり男かよ)の1ページ漫画を描いていた。相変わらず漫画の中のエルフの菊の門部分がしっかりとゴブリンのアメリカンドッグみたいに誇張された肉棒と結合されている。

 こんなけしからん絵を描いている真弦は何を考えているのか? たまにpi●ivで「作者は病気」タグを付けられてた事もあったみたいだが、絵を描いている彼女は真剣そのもの、否、無心だった。


 漫画の告知によく使用しているツ●ッターで『人間を拾ってきたが、とりあえずポ●リを与えてみた』というツイートをしていたみたいで、その反応に時折真面目に返答しているみたいだ。

 吾輩を拾ってきた時も同じような事をしていたよな、確か。

 真弦の布団で眠っている男は吾輩と同じポジションなのかな?


 リプライに反応して、たまに光矢の様子を伺って冷え●タを額や脇に貼ったりして病状の経過を見ている。


 しばらくして、光矢が目を覚ました。


「ああ、気が付いたのか。気分はどうなんだ?」


 真弦の反応は妙に男らしかった。


「……あ、頭がガンガンします」


 なんでここにいるのかよく解っていない光矢の第一声は敬語だった。

 真弦の所為で変な頭にされた光矢は頭をガシガシと掻くと、自慢のドレッドが欠損している事に気が付いてしばしショックを受けていた。


 光矢のドレッドが欠損した事について、真弦が説明すると彼はあっさりと了承したみたいだ。看護をして貰って、食事(と言ってもカップ麺だが)を与えられた光矢は物分りが良いみたいなんだな。無くなった物に対しては諦めが早いというのか。

 だが、真弦のノートパソコンのブラウザに表示されているホモ漫画については「嫌なモンを見てしまった」という面持ちで視線を逸らしていた。

 




 就寝時、真弦は逡巡していた。

 熱のある光矢は病状が悪化しないように布団に寝かせる事にして……。


 6畳一間、収納なし物件。コスプレ衣装と荷物だらけの狭さでは人間が一人で寝るだけで精一杯の狭さだった! 吾輩はこたつテーブルの下に設置されたお気に入りのタオルが敷いてある篭の中で寝るから別に関係ないんだけど、創作活動で脳が疲れた真弦には死活問題だった!


「……隣で寝るけど、いい?」


 男と一緒に添い寝した経験が一切ない真弦が珍しく戸惑っている。相手が美羽なら無言で喜んで隣に寝てしまうだろうが。


「お前の部屋なんだから構わんよ。来いよ」


 熱がだんだん下がってきた光矢ははっきりとした口調で答えた。格好は毛布を被っているが、下は上半身裸のままでボクサーパンツだけだ。折角真弦が服を洗濯して乾かしてきてくれたのに着ろよ服を!


「お邪魔……します」


 ひざ掛け様に使っているブランケットを掛布団にした真弦は光矢に背を向けて体を横にする。少々緊張しているみたいだ。生身の男が隣にいる! しかも半裸で!

 男の肉体をじっくり観察するチャンスみたいだが、光矢が被っている毛布を剥ぐ勇気が湧かないみたいだ。まあ、風邪を悪化させるのも悪いからな。


 光矢は異性の真弦が隣で寝ていても動じず、鼻が詰まっているのか「ガーガー」いびきをかいて気楽に寝ている。

 対して真弦は、いつ光矢の体(特に下半身)を観察してやろうか、携帯用の懐中電灯を握りしめて興奮状態で眠れないでいた。


 真弦は光矢の少々熱がある体温を感じながら、額に汗をかいて妙にドキドキしている。多分、こっそり肉体観察のチャンスを逃さないように起きつづける事にしたみたいだな。


 寝返りを打とうにも部屋が狭くてできない。真弦が首を光矢の方に向けると、暗がりの中で無防備な表情で寝ている光矢の横顔が見えた。そして、なぜか彼の汗ばむうなじの汗を拭った。


「……男の体温もすごく暖かいんだな」


 真弦はそんな事をぽつりとつぶやいていた。

 彼女は父親を知らない母子家庭で育ち、幼い頃に母親は自分を置いて夜の街に遊びに歩いていたと聞く。人の体温や親の愛情をあんまり感じないで成長したのだろうか?

 生まれた頃に捨てられて親を知らない吾輩と真弦はどこか似ているんだよな。





 翌朝、真弦は結局、光矢の肉体観察に失敗して登校時間ギリギリまで爆睡していた。

 ホモに定評がある声優のイケメンボイスの目覚ましが真弦にモーニングコールをしていつも真弦は目を覚ましているのだが、今日は目覚ましの効果も無く、ぐうぐうと寝息を立てていた。


「おい、天上院真弦! そろそろ起きろよ」


 真弦の隣にいた光矢が目覚ましに気が付いて真弦を揺さぶり起こす。


「んー……」


 寝ぼけた真弦は眉間に皺を寄せて寝返りを打つが、


「なん……だと?」


 目の前にいた見知らぬ男に驚いて飛び起きた。光矢は昨夜と同じ半裸である。せめて汗かいたパンツ位替えたらどうなんだ?


「……お前は、誰だ……? ガチホモ薔薇の世界から飛び出してきた使徒か?」


 昨夜握りしめていた懐中電灯を武器にして光矢に向けて身構える。殺傷能力も何にもないんだから意味ないってば。


 光矢は「ガチホモ」と呼ばれてきょとんとしていたが、真弦の反応が面白くて大爆笑を始めた。そして風邪をひいているからせき込んでいる。


「俺は吉良光矢きらこうやだ。ガチホモじゃねえしノンケだ。でけーおっぱいの女が好きだから。んで、昨日、行き倒れてた所をでけーおっぱいのお前に助けられた」


 光矢は昨日のいきさつを解る限り真弦に説明をした。真弦のノーブラの胸元を無遠慮にガン見している。どうやら、光矢は真弦みたいな巨乳が好きみたいだな。

 真弦の乳首は少し浮き出ていて、朝特有の妙な色気を醸し出していた。


「なんだ、ホモじゃないのか」


 真弦はがっかりした様子で、光矢に背を向け、着替えを持ってバスルームに引っ込んで行った。

 男の目の前で着替える様な不用心な女では無かったようだな。真弦の飼い猫としては一安心だ。


 一方、光矢は真弦がその場からいなくなって、ボクサーパンツを躊躇なく脱ぎ、窓辺に干してあった真弦が愛用しているサイズが大きなトランクスを拝借していた。

 コラーッ! それは男物だが、一応乙女の持ち物で……あああ。


 制服に着替え終わった真弦がバスルームから出てきて、固まったまま無言で光矢を指差していた。


「それ、私の……」


「別にいいじゃん。トランクスは男物だろ」


 光矢は細かい事は気にしない男だった。



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