第18話

 子供の頃から変わらない。

 何か困ったことがあるといつも親父の研究室へと駆け込んだ。

「アレを取りに行くか」

 タバコを咥えたまま親父は頭を掻いている。

 その顔には、ご先祖の遺産に頼ることを不満に思っているのがありありと浮かんでいる。


 親父の提案に同意するより前にやるべきことがあった。

 白藤だ。

 白藤は二本の刀を胸に抱き、顔を俯かせている。

 謝って済む問題じゃない。確か白藤にとってお爺さんは唯一の肉親だったはずだ。

「白藤、気が済むまで殴ってくれ」

 殴って、吐露して、そして感情を爆発させてほしい。

 きっと俺があの時、したかったことだ。

 でもあの時は責めるべき個人がいなかった。だから俺は飲み込んだ。

 その結果が鬱屈した俺を生んだんだと思う。白藤に、お爺さんの孫にそんな風になってほしくなかった。

 白藤は少しだけ顔を上げたが、そこに生気は見られない。

 だけどそれも一瞬で、白藤は微笑んだ。

「勝手にお爺ちゃんを殺さないでよ」

 そのまま静かにそう言った。

「間違いない。ごめんね」

「うん、許す。こっちもごめんね、暗い顔しちゃってて。ちょっと考え事しててさ」

 こんな状況で笑えなどという奴がいたら殴ってやる。そう思えたけど、的外れもいいところだ。

「大地はさ、なんなの?」

「ヴィランじゃないよ」

 まっさきに告げるべきところだった。

「知ってる。昔言ってたじゃない、この世界の人、現界人だって。でも学園の誰よりも強いじゃない? 前から不思議だな~とは思ってたけど、そんな現界人がいてもいっかくらいで済ませてた」

 その大らかさに俺は救われた。嫉妬ややっかみの視線は白藤が俺に構ってくれるおかげで、別種の嫉妬ややっかみの視線に変わってくれたんだ。

「神衣憑依だっけ? 変身みたいなの。それに凝着、その上さっきのあれ。何かさ、ま、いっかだけじゃ流せなくなって来てさ、えとね、大地時々見えない何かを見ているような時があったの知ってる?」

「自覚はなかったかな」

「やっぱり? で、それでね、何か複雑な事情があるんだろうなって思ってて、訊かないでいてあげよう、そう思ってたんだけど……」

 自惚れかもしれない。だけど、自惚れだと決めつけることだっていいことじゃないはずだ。

 たぶん、俺は俺が思っている以上に白藤からの好意に救われているし、白藤は俺のことを好きでいてくれているのだろう。

 一瞬見た雫は親父と話をしていた。

『私と結婚したいならおじさんよりもカッコいいって思わせてくれてからかなあ』

 そんな風に言われたことを思い出した。


----------


「親父の誕生日プレゼント?」

「うん。お世話になってるから」

 たぶん親父は雫にいつもありがとう。とでも言って貰えればそれで満足しそうだ。

 だいたい親父は自分の欲しい物は自分で買ってる。

「いいけどさ、買う物決めてあんの?」

「うん、薬用養命万身酒。身体にいいんだって。おじさんいっつもお酒飲んでるから身体壊しちゃいそうだもん。同じお酒なら身体にいいお酒飲んでほしい」

「バカだなあ、俺たちはお使いでもお酒買えないんだぜ?」

「うん、知ってる。だから前にお買いものに行った時の委任状を取っといたんだ」

 委任状? の意味を込めて首を捻る。

「おじさんからお使いを頼まれましたっていう紙だよ」

「え、何それカッコいいじゃん」

 親父から頼まれごと何てされたことなかった。

 それさえあれば一人前? になった気分だ。親父は雫に甘いと思う。

「でもさ、金あんの?」

 そんなすごい酒、高いに違いない。

「うん、調べたもん。ずっと貯めてたんだ」

 雫が首からぶら下げたがま口財布の中には俺が見たこともない量のお金が入っていた。

 まさかのお札コンプリート。

 そして駄菓子屋で無双出来る五百円玉がいっぱい。

「ど、どこでこんな金を……」

「大ちゃん、私たちのお小遣いもの凄く多いんだよ?」

 言われてみれば他の奴らは駄菓子屋で箱買いなんてしてない。

 ということはもしかして俺は無駄遣いしているのだろうか。

 最近洗い物やふろ掃除なんかも雫ばかりがやっている気がする。

 最近覚えた穀潰しという言葉が頭をよぎった。

「一緒に買いに行くか」

「うん!」

「午前中は確かMr.ジャスティスが担当だから行くなら午前中かな」

 Mr.ジャスティスがパトロールしている時間を選んでわざわざ暴れるヴィランもいないだろう。

 いてもあっという間に捕まるだろうし。

「じゃあ行こ」

 学校でもこうやって笑ってれば俺以外の友達も出来るだろうに。


「~♪ ~♪」

「雫、手ぶらぶらさせるなよ」

 外を出掛ける時には手を離しちゃいけないことになっている。

 おかげでやたらとご機嫌な雫が俺の手を握ったままぶんぶん動かしていても口で文句を言うしかない。

「だって楽しいんだもん」

「必死に貯めた小遣い空っぽになるんだろ?」

「うん、でもいいんだ!」

 雫は親父のことがすごい好きだ。

 おかしくないけど。親父はすごくカッコいいからな。

 でも俺だって大きくなったら親父並にカッコよくなるはずだ。

 あそこまで頭よくなれるかはわかんないけど。

「ふ~ん、俺も親父のこと好きだけどそういうのはわっかんねーな」

 誕生日なんて、背中流してやるよ! で大喜びするような親父だ。

 わざわざ頑張って何かするような必要あるのかわからない。

「いいの!」

「文句はないって」

 握った手をぶらぶらさせるのには文句があるけど。

 止める気がなさそうだから仕方ない。

「あ、あそこ!」

「なんたら酒が売ってるとこ? げ、デパートじゃんか。子供だけで行っていいのか?」

 あそこはお菓子一つでも信じられないくらいお高い店だ。

 しかも案外美味くない。あそこのお菓子買うくらいなら駄菓子屋で大量買いした方が絶対賢い。

「大丈夫だよ、たぶん」

「おい、聞こえたぞ。最後たぶんって言っただろ」

 仕方がない。雫がダメって言われたら俺が何とかしよう。


 自動ドアを通って大人にいらっしゃいませって頭下げられて落ち着かない気分だ。

「何階?」

「催事場だから、八階」

「お前、催事場って漢字読めるのな」

 俺は読めるけど雫は成績そこまでよくないはずなんだけどな。

「読めるよ! 私だって大ちゃんと暮らすようになってから一年経ってるんだから」

 一年前雫のお父さんお母さんは亡くなってしまった。

 息子が生まれていたらキャッチボールをしてみたかったって言ってキャッチボールに付き合ってくれたおじさん。

 優しくていつ行ってもお菓子を作ってくれてたおばさん。

 ちょっと思い出しちゃってしんみりした。

「どうしたの?」

 雫が泣いてないのに俺が泣いていてどうするってもんだ。

「何でもねー」

「そう? うん、大丈夫だよ、大ちゃん」

「何がだよ?」

「何でもだよ!」

「あっそ」

 本当は雫がどういうつもりかなんてわかりきってる。

 それが的を射てるからこっちは気恥ずかしい。


 そんなこんなで八階まで上がった俺たちはすぐに目当ての物を見つけた。

 何やら毒々しい色をしたビンだ。親父が普段飲んでる酒のビンの方が遥かに綺麗だし健康そうに見える。

「なあ、本当にあれ買うの?」

「か、買うよ?」

 あれー? みたいな顔を雫はしてる。間抜けでちょっと可愛い。

 さておき決意が揺らぎきらない内に買った方がよさそうだ。

 これから別のプレゼントを探していたら遅くなっちゃうだろう。

「すみませーん、あれください」

「はい、かしこまりました」

 俺みたいな子供にもおばさんは丁寧にお辞儀をしてくれた。

 誕生日プレゼントだと伝えるとにこりと笑い、それから包み紙を取り出してくれる。

「あれ? 委任状出せって言われなかったな?」

「うん、あれ? おかしいなあ」

 見合って顔は斜め。

 まあ、いっか。

「あれ? 大地君に雫ちゃんじゃない?」

 いつもの学生服じゃない近所の姉ちゃんだ。

「こんにちは」

「たはは、雫ちゃんは相変わらず丁寧だね」

「俺だってちゃんと挨拶出来るぞ」

「そうだね、ごめんごめん。それより二人だけ? 海斗さんは?」

「親父の誕生日プレゼント買いに来たんだから親父がいるわけないだろー」

「これこれ、うーん、大地君は小生意気だねー」

 頭を掴んでぐるぐる回された。

 目が回りそうだ。

「や、やめれ」

 くすくすと、笑い声が聞こえてきて、それからおばさんが俺に親父のプレゼントを差し出した。

 雫を指差すと、おばさんは改めて雫にそれを渡してくれる。


 そしてその瞬間、大きな地震が起こった。


 雫はプレゼントを抱き、俺はその雫を抱き、そして姉ちゃんはその俺を抱きしめていた。

 かっこ悪いことに声が出ない。

「二人とも大丈夫だった?」

「ありがと、ございます。小春さん」

「うんうん、二人とも泣いてなくて偉いね。それに引き替え……」

 周りはぎゃーぎゃーとうるさかった。どたばたと走りまわってる。

「ヴィランが出たぞー」

 そんな声がして、それからゆっくりと静かになっていく。

 足元に泥沼みたいなのが出てきて皆それに飲まれていった。

「クレイ・マン? どうして? ゲート・マンは何をしてるの?」

 目つきを鋭くした姉ちゃんのその言葉の意味はわからなかった。

 でもヴィランと聞いたらすぐにすることは決まっている。

「雫、シェルターに急ぐぞ」

「うん!」

 せっかく走り出したのに俺たちは姉ちゃんに掴まれた。

「何すんだよ、ヴィランが出たらシェルターに行かなくちゃいけないんだぞ」

「不用意に動くとクレイ・マンが助けられないよ。心配しなくてもさっきの泥沼はヒーローの特異能力で助け出されただけだから」

「うう」

 確かに親父からもヒーローの助けがある時は自分で何とかしようとしないで頼れって言われてる。

 でも待つというのは結構辛い。いつまたさっきみたいな地震が起こるかわからないんだ。

 地震は、怖い。

 そんな情けないことを考えていたら、繋いだ手から震えが伝わってきた。

 ヴィランに反応してるんだと思う。

「大丈夫だ」

 手を強く握ってやると、雫は少しだけ表情を和らげた。

 足元に泥が生まれる。ちょうど二人分ほどの大きさだ。

「姉ちゃんも詰めれば入れるんじゃない?」

「たはは、男の子だねー。大丈夫だよ私は。次で逃がしてもらうよ」

 姉ちゃんは何てことないと手を振っている。

 少しだけ足元が沈んで、そして、そこで泥沼が消えた。

 何かが割れるような音がしたと思う。その後、泥沼は消えてしまった。

 そしてまたデパートが揺れる。

「うそ、やられたの? サポート役がやられるとか皆何してんの!?」

 何かまずい雰囲気だ。

「くっ、大地君雫ちゃん、一緒にシェルター向かおう」

「わかった。姉ちゃんも子供なんだから無理すんなよ」

「――へ?」

 姉ちゃんが足を止めたせいで先行する形になった。

 慌てた姉ちゃんがまた俺たちの隣に並ぶ。

「大地君、私君たちくらいの子供もいるお母さんなんだけど」

「うそつけ。いつも制服着てるじゃん」

 俺たちを先に逃がすためか何か知らないけど大人ぶってる余裕はないだろうに。

「いや、着てるけどさ、あれ、教官服だぜ?」

「あっそ」

「たはは~。信じてないね? まあ若く見られてるってことで良しとしよう。それじゃこのまま隠し通せる訳じゃないしお礼代わりにいいかな。ふっふ~、刮目せよ。変身!」

 純白のコスチュームだった。とてもきれいなそのコスチュームを翻しながら、姉ちゃんが言う。

「無理だってするさ、何ていったって私はヒーローのレディ・ジャスティスだからね。ま、まあまだCランクの上に非戦闘員だけどさ」

「ダメじゃん」

 姉ちゃんががっくりとうなだれながら走るが、正直心は軽くなった。

 エレベーターは危ないからと階段を使う。八階から下りるのは結構大変だけどしょうがない。


「雫、こけんなよ」

 雫の手を引っ張り過ぎないように加減して走る。

「うん」

 振り返った時だった。下りてきたばかりの階段の上、踊り場に何かが壁を突き破ってやってきた。

「ぐっ、最強の名は伊達ではないな」

 ヴィランだ。カブトムシみたいに堅そうなスーツのマスク部分の光が細い線を描いている。

 その線が点になって、俺たちを見た。

「くはは、逃げ遅れた人間がいるじゃないか!」

 ヴィランがゆっくりと俺たちのところへ近づいてくる。

「私もいるけど、ね!」

 ヴィランからは死角だったろう。姉ちゃんの見事な蹴りがその顎先に刺さる。

 だけど、そのヴィランは微動だにしなかった。

「何かしたか、ヒーロー?」

「大地君、雫ちゃん、先行って!」

 躊躇わなかった。

 俺たちがいたら邪魔になる。

 でも頭の中では姉ちゃんが非戦闘員だと言っていたことがぐるぐるとまわる。

 破壊音が頭の上からする中、無我夢中で走った。

 途中何度か振り返って雫を見ると顔が真っ青だ。

「大丈夫だ」

「うん」

 二階まで着た。後は一つ。

 そこで大きな地震がまた起こった。これまでで一番強い。

 ぱらぱらと壁が剥がれて、そして。

 頭の上の階段が崩れてくる。

 とっさに雫に覆い被さった。


 いつの間にか意識を失っていたみたいだ。

 目は覚めても何がどうなって自分が生きているのかもわからない。

「雫?」

 返事がない。真っ暗闇の中だったけれど、それでも雫を抱きしめていることはわかっている。

 なのに、返事がない。

「雫!」

 叫んだら、背中が痛んだ。でも痛いから何だって言うんだ。

「雫!」

 光だ。光が差し込んできた。

「大地君、そこにいるの?」

「いる! 雫もここにいる! だけど返事をしないんだ!」

 ひときわ背中を痛ませた。

「わかった。今助ける! 誰か手伝って――」

「行くな!」

 レディ・ジャスティスの声に、誰かの声が重なった。

 険しいその声は、聞いたやつの反論する気を奪う。それくらい強い声だ。

「今ヴィラン帝を逃したら何万もの犠牲が出る」

「子供が二人生き埋めになってるんですよ!? それにヴィランを殴り飛ばし続けてこのビルを倒壊させたのはあなたでしょう!」

「同じ問答をさせないでくれたまえ。ヴィラン帝を逃したらより多くの犠牲が出る」

「このっ、クソ爺……わかりました。皆さんは行ってください。ここは私が引き受けます」

 誰かが食い下がろうとした気配が伝わってきた。だけど、結局その誰かは場を離れるように足音を立てる。

「君が治療をしないことで死ぬヒーローたちが出るだろう」

「死ぬ覚悟のないヒーロー何ていないでしょう」

「理想論だ。そして本当に死ぬ覚悟を持った勇敢かつ優秀なヒーローから犠牲は出る」

 レディ・ジャスティスを残して、その場から人の気配がなくなった。

「ごめんね、今助けるから」

 非戦闘員と言っていた。だからだろう、ヒーローが助けに来てくれたにしてはもの凄くゆっくりと光が強くなっていく。

「雫、すぐに親父のところに連れて行ってやるからな」

 親父ならどんな怪我だって治してくれる。今雫がどんな怪我をしてるかわからないけど、関係ない。


 そしてようやく俺たちは外に引っ張り出された。

「なんだよ、これ」

 商店街は瓦礫の山になっていて、燃えている。

 赤い光で空が覆われていて、まるで夕方みたいだった。

 はっとなって雫を見ると、たくさん血が出ていた。

 確かに雫を庇ったはずなのに、どうしてだか俺よりも雫の方が重傷だ。

「なん、で、だよ」

「大丈夫、大地君。雫ちゃんを貸して」

 身体は動かなかった。だからレディ・ジャスティスが勝手に雫を俺から離す。

 でも非難する気が起きない。

 そのうちレディ・ジャスティスから暖かい光が零れ始める。

 雫の血が止まり、そして少しだけ血色も良くなった。

「大丈夫だよ、私は回復役なの。ゲームとか、する?」

 RPGでいうヒーラーだと、言いたいのだろう。

 現実にこんな人がいるんだ。そう思うと嬉しさで泣けてきた。

「ありがとう」

「どういたしまし――」

 レディ・ジャスティスが俺の背後へと視線を向け、固まる。


「うそ、でしょ」

「これはこれは、レディ・ジャスティス殿。お一人ですかな?」

 ミイラ、即身仏。どっちがより相応しいだろうか。

 そんな形をしているくせに、それはゆっくりと歩いている。

 小さな骸骨で出来たネックレスが不気味にかたかた揺れている。

「Mr.は何してるのよ……」

「彼なら今頃Aランクヒーローたちを相手にしているでしょうねえ、ヴィランの芽を取り除く方法がないかと考えながら。ないんですよねえ残念ながら」

 ミイラが小枝みたいな腕を上げ、つまようじのような指をレディ・ジャスティスに向けた。

「あなたの能力はとてもありがたい。さああなたにもヴィランの芽を植えてあげましょう。けひっ」

 こんな嫌な笑い顔、見たことがなかった。

 どんな奴だって笑えばいい顔になるものだと思っていた。

 その笑顔には、嫌悪感しか覚えない。

「さようなら、レディ・ジャスティス」

「ヴィラン帝が出――」

 レディ・ジャスティスが叫びだしたその瞬間。

 ミイラの指先から何かの肉片のような、鋭い気持ちの悪い物がレディ・ジャスティスの胸元に刺さった。

 それは意思を持っているようで、根っこみたいな尻尾を激しく揺らしながらレディ・ジャスティスに沈み込んでいく。

 釣り上げられた魚みたいにのたうちまわるレディ・ジャスティスを見て、身体が冷えて行く。

 親父の言葉が頭の中で再生された。

『激情にあってなお鈍らず? まあ出来ることをやれってこった』

 落ち着け。芋ほりと一緒だ。

 手を伸ばし、生暖かい根っこを掴んだ。それでもそれはレディ・ジャスティスに入り込もうとするのを止めなかった。

 振動が伝わる。レディ・ジャスティスに深く入り込んでいるのが伝わった。

 それでも出来る。確信を持った俺はそれを一気に引っこ抜き、地面に叩き落とし、踏みつぶす。

 肉片は何度か痙攣し、そして土塊となった。


「けひっ、けひっ、けひひひ。初めてみたよ、そんな芸当」

 鳥肌が収まらない。

 レディ・ジャスティスは泡を吹いたまま横たわっている。

 だけどその手から光が生まれていた。回復しているのだろう。

 なら、その時間を稼ぐ。

「なんだよ、現界人の子供でも出来ることがヴィランには出来ないのかよ?」

「けひひ、耳が痛いねえ。将来有望な現界人もいたものだね、君もヴィランにしてあげよう」

 指先からまた肉片が生まれた。

 何度でも出せるみたいだ。卑怯者。

 レディ・ジャスティスにも避けられなかったそれだ、俺には到底避けられないだろう。

 目を逸らしたつもりはなかった。だけど気付いた時にはそれが簡単に俺の胸を貫く。

 それと同時、自分の何かががりがり書き換えられていくような嫌な感じと、それに伴う痛みが生まれる。

「が、ああ、があががが」

 叫ばずにはいられない。余りの痛みにどうにかなってしまいそうだった。

「けひひ、痛いでしょう、辛いでしょう、みっともないですねえ」

 悔しい。あんなのの思うがまま、みっともなく叫ばされて。雫だって近くにいるのに。

 そうだ、それに手だって放してしまった。本当に俺はダメな奴だ。


「大ちゃん、は、カッコいいもん。大人になったら、世界一カッコよくもなる。みっともなくなんか、ない! 神衣憑依」

 身体が暖かいものに包まれた感じがして、痛みが一瞬にしてなくなった。

 だけど身体は満足に動いてくれない。

「けひっ、けひっ、けひひひ。今日はなんという日だろう! 君か、君が!」

 四苦八苦しながら首から上だけは動かせた。

 すごく綺麗で、すごく可愛い。たぶん、世界一似合ってる。

 雫はヒーローみたいな恰好になっていた。ただその雫が膝を着く。

「だめ、雫ちゃん。あなたはまだ血が足りてない。無理しないでお願い、Mr.ジャスティスを呼んで」

 掠れるような声でレディ・ジャスティスが懇願している。

「ごめんなさい、小春さん。おじさんから、誰にも見られるなって言われてるの」

 顔は青白くて、嫌な汗をかいてる。

 でもその目と服はキラキラと光ってて。

「なんだろうねえ。なんだろうねえ。現界人のヒーローの特異能力は! けひっ、うん、すごい、すごいねえ。ヴィランの芽が完全に消滅してしまったよ! これがこの世界に伝わるヒーローの力か。欲しい」

 ミイラの洞のようになった目に、さらに深く闇が浮かんだ。

 ミイラの五本指全てから肉片が生まれる。

 身体が怠い。だけど雫にあんな痛みは与えたくない。

 雫の服が強く輝きを放ったが、何かが起こる前に倒れた。

「雫ちゃん」

 レディ・ジャスティスが弱々しく呟く。


 気付けば風景が一気に流れた。雫の姿がどんどん近くなってくる。

 雫を抱き起すと強く手を握られた。

 雫の服が元の服に戻る。変身みたいなのをし続ける体力がなくなったのかもしれない。

「けひひ。何故立てるんですかねえ。君も面白い。現界人のヒーロー共々ヴィランにしてあげましょう」

 黙ってろ。今、雫が何か言ってるんだ。

「ごめんね、私、まだこの力上手く使えないの」

「嘘吐け、お前が助けてくれたんだろ、さっきの」

「必死、だったからね。まぐれだよ」

「知らねえのか、本番で上手く出来ることってのは実力何だぜ」

 雫の呼吸がおかしい。汗のかき方も異常だ。

 早く親父のところに連れて行かないと。

「大ちゃん、私ね、おじさんカッコいいと思ってる」

「ああ知ってるよ。でもお前は親父とは結婚出来ないからな。俺とするんだよ」

「私と結婚したいならおじさんよりもカッコいいって思わせてくれてからかなあ」

 よし、待ってろ。今すぐ達成してやるから。そう唇を歪めてやった。


「Mr.ジャス――」

 肉片が全部俺に刺さった。

 気が狂いそうなほど痛い。だけど、俺は笑ってやった。

「Mr.ジャスティスぅぅ! ここだぁぁぁ!」

 重そうな何かが飛来して、周囲の瓦礫を吹っ飛ばす。

「やあ、ヴィラン帝。こんなところにいたのか」

「ジャス、ティス……」

 ミイラが一歩身を引いた瞬間、Mr.ジャスティスが迫り、そのまま戦闘が開始された。

 二人は見る間に姿が見えなくなるほど遠ざかる。

「だから、大ちゃんとは結婚出来ないかなあ」

「雫?」

 その目からは光が見えなかった。そして身体からは七色の光が生まれている。

「大ちゃんはきっと、私よりも、ずっとずっと素敵な……ごふっ」

「なんだよ、これ、どういうことだよ」

 肉片の痛みが全くなくなってる。

 そのかわりに雫の容体がさらに悪化してた。

 血を吐き出し、瞬きも忘れたようにこちらを見ている。

「だから私のことは忘れて。楽しく、生きて」

 雫の身体から生まれている七色の光がじわじわと俺の身体を包む。

 七色の光が全部俺に飲み込まれた。

「雫!」

「大地君、雫ちゃんをこっちに」

 レディ・ジャスティスも劣らず酷い顔色をしている。

 だけど気遣う余裕は俺にはなかった。

「お願い、雫を、助けて」

 雫を抱き上げ、レディ・ジャスティスのところまで運ぶ。

 妙に重い。だけど不安になるような軽さもあった。

 怖い。

 レディ・ジャスティスの顔付きが厳しい。

 手から生まれる光は強く輝いているのに、雫の顔色に変化は起こらなかった。


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「親父、ご先祖は有名な悪い奴だったんだろ? なら俺もさ、悪い奴になってもいいだろ?」

「……すまない、大地」


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