言いつけを守らない、ちいさな魔女ルリア

九十

短編

 魔女のルリアが七歳だったある夏の日、父が病気で亡くなりました。


 毎日ひどく悲しんで泣きわめいていたルリアでしたが、あるときからそれがぴたっと止まりました。感情を顔に出すこともなくなりました。

 そしてそれと同時に、今まで母の言うことを聞く良い子だったルリアに変化が訪れたのです。


 たとえば、食事の時間のことです。

「ごちそうさまでした」

 ぼんやりとした表情でそう言うと、残したパンを素早く手に取り、持ち去ってどこかに隠してしまうようになりました。

 母がいくら残さず食べなさいと注意しても、ルリアは言うことを聞きませんでした。


 変化はそれだけではありません。

 最初はやる気満々だった魔法学校の自由工作の宿題も、お城のデザイン資料と材料となるガラクタを集めたまま、全く手を付けなくなりました。

 そして以前までの興味深い態度が嘘のように、全く見向きもしなくなってしまいました。


 母もこれには困り果ててしまいます。

 今まで、こうしなさいと言えば素直に応じていた以前のルリアが嘘のよう。いくら父が亡くなって悲しいからって、ここまで変わってしまうとは思ってもいませんでした。


***


(まぁ、でも……しばらくすれば、今まで通りに戻るかな……)

 最初は母もそう楽観的に考えていました。ですが、現実はそれとは対照的。母の目に映るルリアの態度は、日に日に悪化の一途をたどっていくのでした。


「ルリア、ご飯の時間よ。来なさい」

「うん。今無理だから、あとでね」

 食事に呼んでもそっけなく返事をするようになり、一日のほとんどを書斎に閉じこもるようになりました。


 やっぱりおかしいと思った母は、自分だけではもう埒(らち)が明かないと考え、魔法学校の担任の先生に相談しました。


 夏休みにもかかわらず、先生もルリアの変化を気に掛けてくれ、頻繁に足を運んではいろいろ話しかけたり様子をうかがったりして、原因を探ってくれました。

 しかし、最終的には首を横に振られて「分からない」と言われてしまいます。

 もちろんルリアの様子に改善は見られませんでした。


 今度は街でいちばん評判のいい病院に連れて行きました。

 そこでお医者さんも親身にルリアの状態を調べてくれました。

 身体も、心も、一通り診察しましたが、ここでも「何も異常はないよ」と言われてしまいます。

 これもルリアに変化はありませんでした。


 結局原因は分からずじまい。

 母は途方に暮れてしまいます。


***


 その日の夜。


 チクタクと壁掛け時計の秒針が動く音だけが響く台所で、母は一人椅子に座り、頭を抱えました。

 大きな溜息は自然と出ます。


「もう、相談する人もいないしなぁ……。どうしようかしら……」


 ふとテーブルに置いてある写真を手に取ります。

 それはルリアが生まれてから撮った唯一の、三人で写る家族写真でした。


 桟橋で釣りをしたとき、偶然出くわした気前のいいおじさんが撮ってプレゼントしてくれたもの。

 そこに写るルリアの笑顔と、それとは対照的な父の残念そうな表情。

(そういえばこのとき、大きな魚を捕ろうとしたけど惜しくも逃げられてしまったのよね)

 あの頃の光景が鮮明に思い浮かび、小さく笑みがこぼれました。


 しかし、すぐにまた寂しそうな表情に変わります。

 そして小さく呟きます。

「ああ、どうしてあなたは私を残して死んでしまったの? 生きていた頃はルリアも本当に聞き分けの良い子で、あなたもいつも優しくそばにいてくれて、こんなに毎日が楽しくて幸せだったのに……、今はもう……」


 母は、何度も何度も、写真に問いかけました。

 もしかしたら、声が降ってきたりしないだろうかと期待をしましたが、もちろんそんなことはなく、写真もうんともすんとも言うことはありませんでした。


***


 それから進展もなく、さらに日は経過します。

 そして夏休みが終わる前日になってしまいました。


 それでも、ルリアは全く宿題に手を付けてないようでした。

 母の目に映るのは、あのまま一度も手を付けずに放置された工作の材料となるガラクタと資料。お城を作るスペースは更地のままでした。


「よし!」と険しい表情を浮かべて立ち上がる母。


 さすがにルリアを強く叱ろうと決心します。


 廊下を進みながら思います。

(まったく! いくら悲しいことがあったからって、いつまでもあんな状態でいるわけにはいかなでしょう! あの子もそろそろ前を向かせないといけないわ!!)

 そう強く思い、引きこもっている書斎のドアノブに手を伸ばしました。


 ガチャ。


 普段は鍵を掛けていて母が呼んでもなかなか出てこないルリアでしたが、この日の書斎の扉には鍵が掛かってないようで、ドアノブはあっさりと回りました。


 急に慎重になった母は、おそるおそる扉を押し開けます。


 すると、中でルリアはソファーに寝転びだらりとしていました。

「あ……」とルリア。


 目が合います。


 母は、黙ったまま顔を曇らせて室内に入ります。

 すると、ソファーの奥には大きな釣り竿が見えました。


(おかしい)


 母は目を丸くし、瞬時にそう思います。


 そう、この家には釣り竿があるはずないのです。

 あの日大物を逃して壊れしまった釣り竿。捨ててしまった、あるはずのない釣り竿。それが、そこにはあったのです。


 母の顔は一瞬にして青ざめました。


「ど……どこから持ってきたのこんなもの! あなたお金持ってないでしょう! 今すぐ返しに行きましょう! 私も一緒に謝るから!!」

 社会的に道を外れてしまったら大変だと考えた母は、ルリアの手を引っ張ってむりやり起こそうとしました。


「違うよ」

 ルリアは落ち着いた様子でそう一言。


「何が違うの? 勝手にどっかから持ってきたんでしょ!? もしかしたら持ち主が探しているかも……」

「だから違うの! この釣り竿、私が作ったの!!」

 話を遮ってルリアが大きな声で言いました。


「え……?」

 母は頭が真っ白になりました。


「あのね、お母さん。私の話聞いて! ……夏休みの宿題、これに変えたの。パパ、結局あれから釣りに行けなかったから……」

「あれからって……?」


 するとルリアは頬をぷくっと膨らまして眉間にシワを寄せます。

「もーおー、ママは忘れないでよ! あのテーブルにある写真の日からだよ。毎日見てるのに何で訊くの!!」

「…………」


「もうすぐパパの骨、埋めるんでしょ? だからその前に……」

「……」

「もう一度、みんなで行こうよ」


 ルリアは部屋の隅に置かれている御骨壷に視線を向けました。

 母は表情を緩め、小さく頷きました。


***


 翌朝。


 三人は、あの日と同じように、仲良く桟橋へと到着しました。

 母が御骨壷を静かに置きます。

 そして、あの日と同じ場所に、同じ並び順で、同じように座ります。


 柔らかな日差しと潮の香り、穏やかな波の音は、自然とあの日の記憶を思い起こさせました。


 ルリアは自分の身長を遥かに超える大きな釣り竿を手にし、慣れない手つきで糸をつるします。


「今日こそ、あの日の大物を釣ろう! おー!!」

 ルリアはそう気合いを入れます。


 そして鞄いっぱいに入ったパンくずを、小さな手で一握りして取り出します。毎日食事のときに残して溜めていたそれを釣り針に引っかけます。


(ああ……、なるほど。あのとき残してたパンか)

 母はそれを見ると柔らかな笑みを浮かべました。


 そして前を向くルリアの横で思います。

(あの子に前を向かせようと頑張ったけど、いちばん後ろばかり振り返ってたのは私だったんだな)


***


 こうして、あの日と同じように青い空と鮮やかな海に挟まれた境界線上で、三人はぼんやりと佇(たたず)むことにしました。

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言いつけを守らない、ちいさな魔女ルリア 九十 @kuju

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