第9話 8月23日(中編)

 帰り道、爽平はぐしゃぐしゃになった思考をなんとかまとめようとした。


 『カレン』は亡くなっている。


 そして『カレン』と名乗る女性が爽平の前に現れた。いや、名乗ってはいない。彼が思い込んでいただけだ。

 彼女は爽平に問いかけた。

「あなたは人を殺したか?」と。

 カレンは幽霊となって爽平の前に現れたのか? 自分を殺した犯人を呪うために。

「そんなバカな事があるか」

 言葉に出さずにはいられなかった。

「非科学的すぎる。なにより俺は何も思い出しちゃいない。そんな人間に復讐できるのか?」

 さきほどから耳鳴りが止まらない。吐きそうだった。

 だが、空回りしそうな思考の中で唯一思い出せそうな事がある。

 それは、あの女性に昔会ったかもしれないという記憶だ。

 幽霊であれ何であれ、爽平は彼女を知っている。無関係な人間ではなかった。

 ふいに着信メロディーが鳴る。

 ほとんど無意識の操作で、通話ボタンを押して携帯電話を耳にあてていた。

「もしもし、爽平。どうしたの? 今日、会社休んだみたいだけど、具合悪いの?」

 麻衣夏の声だった。爽平は少し落ち着きを取り戻す。

「うん。ちょっとな」

 いろいろ話したいこともあったが、それは帰ってからにしようと彼は考える。

「もう!……な……も……の! あ……」

 麻衣夏の言葉が聞き取れない。ノイズが入ったように、途切れてしまう。

 通話途中で、電池切れのお知らせアラームが鳴った。

「あ、ごめん。電池が切れそうだから」

 そう言ったものの、携帯電話からは何も応答がなかった。ディスプレイは真っ暗に消灯されている。電源スイッチを再び入れ直すが、十秒ほどですぐに切れてしまった。

 話の途中だったので、麻衣夏は怒っているかもしれない。

 ちょうど駅前に大型家電の専門店があったはず。そこで緊急充電用のバッテリーでも買おうと爽平は考えた。



 店に入ると、すぐに近くの店員まで近づいていく。

「すいません。携帯用の充電バッテリーはありますか?」

 爽平は左手で携帯電話を店員に見せた。

「それでしたら、こちらをまっすぐ行きまして、突き当たり右角の柱の近くとなっております」

 説明された通りに歩いていくと、奥の一角がまるまる携帯電話用のアクセサリーコーナーだった。

 さすが大型店だけあってか、携帯電話用のアクセサリは豊富だ。簡易バッテリ以外にもいろいろなものがある。様々な形状のケースにストラップ、ディスプレイに貼るプロテクトシール、イヤホンマイク、USBケーブル、外付け用キーボード等々。

「バッテリーはあっちの並びかな」

 そんな独り言を漏らしながら、指で辿っていく。

 ふと、バッテリーを捜していた手が止まった。

『Bluetooth』

『ハンズフリー』

『ペアリング』

『周りの騒音・風を気にせず通話』

『手元で主機を操作』

 そんな文字が目に入ってくる。

 彼はそう書かれた品物の一つを手にとって確認した。

「そうか……」

 力が抜けたように左手に持っていた鞄が落下する。



 改札を出ると彼女が立っていた。

 いつものように全身を黒く染めて。

 彼女は、悪魔か、それとも死神なのか。

「君は何者だ?」

 誰かは知っている。そんなものは些細なことだった。

「思い出したの?」

 口元を微妙に吊り上げた笑み。それは蔑みか、それとも戯れか。

「思い出してはいない、でも君が俺を騙そうとしていることはわかっている」

 携帯電話を取り出すと、メモリから一番頻度の高い番号を選択して発信する。しらばくれるようであれば、バッグの中身を強引に抜き出せばいい。爽平はそう考えていた。

 だが、意外にも目前の彼女のバッグから聞き慣れた着信音が鳴り響く。

 彼女はもう隠す気はないらしい。バッグの中から携帯電話を取りだし、それに応答した。

「どうしてわかったの?」

 声が二重に聞こえる。まるで、もう一人どこかにいるかのように。

「君の実家に行って確認した」

「どこまで?」

 彼女はそのまま携帯電話の通話を切って爽平の近くに歩いてくる。

「君の姉さんは亡くなっている。『ワタヌキカレン』はこの世にはいない。それから君が二卵性の双子だったということも」

「ふふふ」

「麻衣夏。もうお遊びは終わりだ」

「でもよく気付いたね」

「一卵性の双子の可能性が消えて呆然としていた時、偶然、携帯のアクセサリ売り場に立ち寄ったんだよ。そこで気がついた。小型のイヤホンマイクを付ければハンズフリーで会話が出来る。マイクも高性能で高指向性のものか、あるいは骨伝導タイプのものを選べば周りの音を気にせずに小声でも話すことが出来る。君は偽カレンと麻衣夏がイコールで結ばれぬように事あるごとにアリバイを作った。今思えばあの着信は不自然だったよ。それから君の携帯電話はドコモだったね。俺の携帯が繋がらない場所での通話も可能だった。まさかあのタイミングでかけてくるとはな。

 あとは『エイフー』というニックネーム。同じ四月朔日の姓を持つ双子の姉がいるのに、なぜ君だけそう呼ばれた? 簡単なことだ。苗字から先に考えたんじゃない、君にそういう素行があったからそう付けられた。つまり人を騙すクセがあると」

「御名答」

「どうしてこんな手の込んだ事をした?」

「わからない?」

 彼女はこの期に及んでもしらを切るつもりらしい。

「質問をしているのはこちらだ」

「いちおうね、賭の期限いっぱいまでは気付かなければいいかな、なんて、楽観的に思ってただけだよ。双子に勘違いさせたのは、こっちにしてみれば余興みたいなもんだったし」

「賭?」

「覚えてないならいいや」

 ふと、彼女の顔に寂しさの色が見え隠れする。

「俺に近づいたのは何の為だ?」

「あらら、そんなに怒ってるのなら、何言っても無駄だね。別にいいよ、それさえも意図的に思うのならさ」

「俺は何をしたんだ?」

「質問ばっか。まだちゃんと思い出してないんでしょ? それとも、もう少しなのかな?」

「うるさい! 答えろ」

 爽平は、麻衣夏の飄々とした受け答えにだんだんと苛ついてくる。何もかも知っているという素振りが気にくわなかった。

「答えてもいいけど、今のあなたじゃ、それを受け入れることができないよ。たぶん、肝心な事が思い出せないと思うから。でなければ、あたしに会おうとなんかしないはずだもん」

「いいから答えろ」

 どうあっても立場は彼女の方が上だった。それは認めなければいけない。

「あなたは西瓜が嫌い。でもそれはなぜ?」

 ゆっくりと、そして確実に核心をつく言葉。

「過去に何があった? 少なくとも俺は八才くらいまでは平気で西瓜を食べていた」

「ゆっくりとヒントを出してあげる。だからじっくりと思い出すといいよ」

 まるで子供を諭すような口調。

「くっ!」

 バカにされたような言い方に、爽平は憤りを感じる。

「海水浴へ行った記憶はある?」

「ああ、ぼんやりと思い出せてはいる。そこで女の子と会った。それがカレンなんだろ?」

「違うわ」

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