第5話 8月15日、16日
□8月15日
「じゃあな。毎日電話いれろよ」
旅行鞄を抱えた麻衣夏が改札口から手を振る。
彼女は七泊八日の予定で友達と沖縄へ遊びに行くことになっていた。去年は行かれなかったのだから、彼女は楽しみにしていたはずだ。
そんな彼女の表情が曇る。
「あ、なんか、やっぱりさびしいかも」
「ここんとこ毎日会ってたもんな」
今生の別れでもあるまいとは思うが、爽平にはその気持ちが理解できた。
「ホントは爽平と行きたかったんだけどね」
「前から約束してたんだろ。しょうがないよ。思いっきり楽しんでこいや」
名残惜しそうに彼女は去っていく。
彼女が去っていった後、ひとまずベンチへ座る。確かここは、前にあの女性と出会った場所だった。
そんな偶然がたびたびあるわけがないと思いながら、一時間ほどぼんやりと辺りを眺めていた。
手に持っているポーチの中には忘れ物であるあのハンカチーフが入ってる。
□8月16日
次の日、会社帰りに爽平はまた同じ場所に来ていた。
鞄の中にしまってあったハンカチーフを取り出す。刺繍の部分を指でなぞりながら考える。
イニシャルの『W』の文字を見てピンとくるものがある。今の段階でその推測が一番現実に近かった。
(まさかな。そういう可能性はあるのか?)
携帯電話を取り出して麻衣夏に電話をしようと番号を呼び出す。だが、その手を止めて再びポケットにしまう。
なんて説明すればいいのだ? 爽平は考えた。
麻衣夏とそっくりの女性がいる。それはいい。だが、そんな女に心を奪われていると勘違いされたら、彼女は気を悪くするかもしれない。たとえそれが身内であっても。
たしかに自分でも制御できないこの感覚は普通ではなかった。心を奪われていると疑われても仕方がない。
どうすればいいだろうと思考する。とりあえず確かめたいことを一つ一つクリアしていこう。
彼は地道に行動することにした。
前に麻衣夏の友達がバイトしていたファミリーレストランへと足を運ぶ。
席に案内してくれた女性は違ったが、店内を見渡すと幸運にも麻衣夏の友達の姿を探すことができた。確か佳枝といったはず。
その子に向かって手をあげると、向こうもこちらに気付いたらしく、ニヤニヤした顔で近づいてくる。
「あー、『エイフー』の彼氏だぁー」
周りの事もあってか、彼女は声を細めてそう言った。
「どーも。でも、いちおうお客だからね」
爽平は偶然に来たといわんばかりに、冷静にそう呟いた。
「ご注文はおきまりですか?」
「切り替え早いね」
「仕事ですから」
「じゃあ、ジャンバラヤのドリンクセットで」
「お飲物は何にしますか?」
「ホットコーヒー」
急いで質問することはないと、爽平は先に腹を満たす事に専念することにした。
*
食後、コーヒーが空になったところで佳枝の姿を見つけて手をあげる。
「おかわりください」
「少々お待ち下さい」といったん厨房に入った彼女がポットを手に再び戻ってくる。
「今日はお一人ですか?」
佳枝はカップを引き寄せ、その中にコーヒーを注ぐ。
「うん、旅行に行ってるんだ」
「へぇー、わたしはてっきりふられたのかと思っちゃいましたよ」
彼女は控えめながらもくすくすと笑い出した。
「ま、今のところ別れる予定はないから」
自分でそう言いながらも、爽平は不安になる。実際、恋人のように二人きりで遊びに行ったり、部屋にまで起こしに来てくれたりする。
だが、恋人と言えるのだろうか? 付き合って一年近くにもなるのに、未だプラトニックな関係だった。
「はい、どうぞ」
すっと、注がれたコーヒーが爽平の前へと置かれる。アルバイトとはいえ、手さばきは慣れたものだった。
「ね、ちょっと聞きたいことあるんだけどいい?」
「わたしの電話番号以外でしたら」
佳枝はにっこりと笑う。営業スマイルそのものだった。
「そうじゃなくて、麻衣夏の事で」
「あらあら、彼女一筋なんですね。うふふふ」
わざとらしい笑い声ではあるが、爽平は気にしないことにした。からかわれていることはわかっている。
だから、下手な前置きはやめて、ストレートに聞くことにした。
「麻衣夏ってさ、もしかして双子の姉妹とかいるの?」
「え? 知らないんですか?」
佳枝は知っていて当然だと言わんばかりの視線を爽平に浴びせる。と同時に自分の予想が確信へと変わった。
「いや、彼女、自分からそういう事を言わないんだ。だから、もしかしたら話せないような事情があるんじゃないかって」
自分からあまり家族の事を話さないというのは本当の事だ。だが、これまでは爽平はその事についてはあまり感心を示していなかった。だから、そこまで深読みはしていなかったのだ。
「うん、いるよ。『カレー』でしょ。先に生まれたから、いちおう『エイフー』の姉って事らしいよ。両方ともクラスメイトだったからわりと親しかったけど、家族の事で何か秘密にしなければならないようなことはなかったと思うけどなぁ」
『カレー』と聞いて、また妙なあだ名をつけたものだと爽平は苦笑する。この子のセンスには少々ついていけないものもあるが、まあ納得のできない範囲ではない。が、納得はできたものの何かがひっかかる。それがなんであるかは、彼自身にも理解できていなかった。
「すいません!」
奥の席の方で客の手があがる。どうやら、あちらもおかわりが欲しいようだ。
「はい、少々お待ち下さい」
元気にそう応えると、爽平に向かって小声で囁く。
「双子で二股かけようなんて気じゃないでしょうね。でも、残念。『カレー』にもちゃんと彼氏はいるんだから、そんな夢のようなシチュエーションなんか考えちゃだめだよ」
彼女は爽平の反論も待たずに去っていく。
店内はそれから団体客が訪れて忙しくなり、佳枝ともう一度話すことはできなかった。だが、無理に反論したところで意味はない。それよりも、確かめられたことでだいぶ心が落ち着いてきた。
他人のそら似は確かに存在する。それでも、そっくりということは希である。
爽平が出会った女性は、麻衣夏に似すぎていた。まるでクローン人間のように。
でもそれは、双子というのであれば納得がいくのだ。
(今度会ったら、確かめてみるか)
そう呟きながら、ハンカチを取り出す。
刺繍には『Karen.W 』の文字。
一般にはあまりない略し方を由来としたあだ名だが、よほど『カレー』が好きなのだろうか。そう考え、思わず吹き出しそうになる。それともよほど嫌いなのだろうか。
どちらにせよ、ミステリアスな女性は一転してコメディタッチへと成り下がった。
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