第4話 8月12日
金属バットを手に握りしめている。
周りは砂浜だった。
ビーチバレーならぬビーチベースボール? はっきりしない思考で、そんな言葉を絞り出す。
「わけわからん!」
飛び起きた時には夢の大部分は薄れていた。最近見る妙な夢を分析してもらいたいと、爽平はつくづく思う。
朝方見る夢は記憶に残ってしまうだけに、余計に質が悪い
*
昨日の夜遅くに、プールに行こうと麻衣夏に電話がかかってきた。今日から爽平の会社がお盆休みに入るからだろう。
十時半に駅の改札口の前で待ち合わせということだったので、爽平はその十分前には到着した。
ところが、待ち合わせの時間になっても彼女は現れない。多少時間にルーズなところもある性格なのでいつもの事だと思い、長期戦になることも考えて改札口が見える場所にあるベンチへと移動する。
そこで爽平の身体が固まった。
ベンチには人目を惹くように一人の女性が腰掛けている。全身黒ずくめのゴスロリファッションだ。
たしかにこの服装は、街に二人以上いてもおかしくはない。だが、その顔立ちには確かに見覚えがあった。
麻衣夏に似た、麻衣夏ではない女性。
長い髪の毛は、首筋どころか顔の輪郭さえぼやかしている。が、露出した部分だけ見てもやはり彼女にそっくりだったのだ。
爽平は我を忘れて目の前の女性へ釘付けとなった。
ふと彼女が彼に気付いて目を上げる。そして、交差する視線。
見れば見るほど麻衣夏とそっくりだった。
爽平の額から一筋の汗が流れ出る。固まった身体はまだ動かない。まるで魔法をかけられたかのように。
彼女は服装に恥じないぐらい、それが自然と思えるくらい優雅に立ち上がり、彼に向かって歩いてくる。
まだ魔法は解けない。
ほぼ1m手前で彼女が立ち止まる。視線はずっと爽平を捉えている。逃げられない、五感の全てがそう叫んでいるようだ。
艶やかな彼女の唇がゆっくり動く。
「あなたは私を知っているの?」
綺麗なソプラノヴォイス。どこかのお嬢様かとも思える滑らかな喋り方だった。
だが、彼女が麻衣夏でないのなら爽平には見覚えはない。彼はゆっくりと首を振る。
「じゃあ、あなたは人を殺したことがある?」
一転して小悪魔的な口調に変わる。彼女が何を言っているか理解できなかった。微笑んでいるような、蔑んでいるような、邪気のない子供のような微妙な口元。
その姿はまるで完成された人形のようにも感じた。麻衣夏のような人間くさい仕草はいっさい窺えない。
呆然としている彼を見て、興味を無くしたかのように彼女の表情から色が消える。
「さようなら」
そう言って彼女は通り過ぎる。
爽平は声をかけようとして振り返り、彼女へと手を伸ばそうとした。
だが、何を言えばいい? 爽平にはなぜ意味深な質問をされたのかすらわからないのだから。
でも、もしかしたら、知らない男に言い寄られない為の防御の言葉なのかもしれない。よくあるナンパや勧誘をかわすためだ。爽平はそう思い込もうとした。
それでも彼女の言葉は心の奥底に突き刺さったままだ。なにか気持ちが悪い。
動くこともできず、しばらく彼女の後ろ姿を見送っていく。
その時、気の抜けたような着信メロディーが鳴り響く。ジーンズの後ろポケットに入っている携帯電話はそれに連動して震えていた。
彼はあわてて携帯電話を取り出そうとする。だが、目前の女性のこともあり、取り乱していたことで床に落としそうになる。彼は深呼吸をして心を落ち着かせる。
拾い上げた携帯電話のディスプレイには『麻衣夏』の文字が映し出されていた。
もう一度深呼吸をして、通話をタップする。
「もしもし」
「ごっめーん! 寝坊しちった」
緊張感のない麻衣夏の声が響く。脱力感が爽平を襲った。
「……」
「ね、怒ってる? ごめん、許して。お願い、今日は爽平のわがまま聞くから」
「麻衣夏……」
口数の少ない爽平に怒っているのだと勘違いしたであろう麻衣夏が、謝罪の言葉を並べ立てる。
いつの間にか床を見ていた視線をあげ、先ほど去っていった彼女を捜そうと周りを見回すが、その姿はどこにも確認できなかった。彼女との邂逅がまるで夢であったかのように、現実からその気配は消え去っている。
「ね、悪いと思うけど、あと30分くらい待てる? 今日、ぜんぶあたしのおごりでいいからさ」
「待つのは構わないさ。慣れてるし」
それに考えたいこともあった。
「今日は優しいじゃん。じゃ、ソッコーで着替えて行くから」
起きたばかりナノカヨ、との突っ込みを入れる気力はなかった。
麻衣夏との通話を終えて爽平は吐息をつく。全身から力が抜けたようで、よろよろとベンチに向かって歩いていく。
再び吐息をつきながらベンチに座ると、なにやら右手に布のような感触が伝わる。
見ると、白いハンカチーフがベンチに落ちていた。誰かの忘れ物だろうか、と爽平は思う。
広げてみるとレースの縁取りがされ、中央に不思議の国のアリスに出てくるホワイトラビットらしきイラストがプリントされたものだった。
駅員にでも届けようと思い、立ち上がろうとして、生地の隅に目立たないように刺繍された文字に気付く。
『Karen.W』
アルファベットでそう書かれていた。そして同時に気付く。この場所が、先ほど邂逅した女性が座っていた場所だということに。
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