第二話 消え入る意識

「は………………」

 本当に呆けた声が出た。眼前の世界が違った。

 先刻まで見ていた景色とは一転、神羅万象が無と化していた。

 何もない、本当に無の空間。意味が分からないと、その一言で済ますには憮然さが足りない。

 これを言葉で表現し理解しようとしたら、理屈と合理性はないと考えるべきだ。

 一体どれだけの数式や公式を扱ったとしても、現状に通じる「解」を正当性のある言葉では表しきれない。

 論外すぎる程非現実的で、故に一抹の現実味も帯びない虚無の空間。

 流石にこれを「夢でなく現実です」と言われてしまえば、言葉を詰まらせることしかできない。

 というか現時点で既に言葉は詰まり失っている。

 夢だろうが現実だろうが、眼前にこれだけの”無”と”ゼロ”が広がれば一驚はする。

「どう? 少しは驚いた? てか、私の存在信じてくれた?」


 言われて気付いた。この世界に来て尚、ふわふわ浮いている少女の姿に。

「し、信じるっつうかさ、これって本当に現実なのか……?」

「やっぱり信じてないんだねその反応。ほっぺたをつねれば完璧に分かるでしょー」

「いでででっ」


 少女が一途の背後に回る。そのまま勢いでほっぺたをつねる。確かに痛い。

 けれど痛いから夢じゃないと一直線に考えていいのか。

 実際、理屈だけではまかり通らない世界を目の当たりにした。

 そんな単純な経路を通し解に至っては馬鹿を見そうだ。

「と、とにかくだな。ここがどこなのか、お前が誰なのかの状況説明をお願いしたいんだけど」

「めんどくさいなあ。この状況を見て何となく察しなさいよねー」

「無理に決まってんだろ。ここがどこなのか、おおよその見当すらつかねえぞ」

「はぁ。”ゼロの世界”だって言ってんじゃん。そんでもってアンタは異世界転生するのよ分かった? 理解した?」

「いやそんな容易く順応できる訳が……」

「あーはいはい分かったから早く順応して。アンタは異世界に転生できる人間に選ばれたの。喜びなさい」

「喜ぶっつったって、なんか大したメリットなさそうなんだけど」


 チートな能力とか、最強の力をくれるならメリットもある。

 が、現状それをくれる気配がない。

 しかし仮にチート能力をくれなくてもだ。くれなくても、異世界転生が真実であり現実であったなら嫌気は感じない。

 だからきっと、異世界転生も拒みはしないと思う。

 むしろワクワクさえするかもしれないが、多分転生の良否を問う前に勝手に転生されそうな予感。

 とりあえず何の説明もなしに「異世界へいってらっしゃい」は止めてほしいと切実に思う。

 想いはしても、その想いを発言に起こす余裕が今はない。

 第一、今の一途は現状が現実なのか夢なのかの判断すらついてないのだ。

 内心は混乱し焦りまくっているのだが、外見を一瞥しただけでは冷静さの方が目立ってしまうか。

 パニックを極めれば、誰だって無口化すると思う。

 故にこの光景を見れば、誰もが言葉を失うはずだ。そして冷静に見えるほどの唖然を体験できるはずだ。

 一切の突起もなければ、一ミリの凸凹も何もない無限の地形。それがはるか彼方まで、寸分の誇張もなしに続いている。

 空間も灰色、地面も空も灰色、色に誤差や交じりはない。

 距離感や認識力が鈍るまでに全てが灰一色の禍々しさ。

 直喩ではあるが、この世のものとは思えないぐらい異形な場所だった。

「まーだ現実だと認識できてないみたいだけど、まあいずれ嫌でも完璧に分かるしいいか」

「なにがだよ」

「これが現実だということ。そして君が、地球に存在する七十億人の中の”半分”だということも」

「半分? どういう意味だ?」

「んー、そうだねえー。まあ大雑把に説明すると、まあさっき言った通り私は天神なのよ。地球上で私のような存在は一つの都市伝説として扱われてるみたいだけど」

「悪い子を連れ去って行くっていうやつだろ。要はお前は、その都市伝説の中の一人ってことでいいんだよな」


 馬鹿にしていた都市伝説の登場人物が実在していた。

 その点については多少のショックさもある。が、その都市伝説の肝である「悪い子を連れさる」という内容に誤差を感じた。

 確かに一途は連れ去られてここに来たわけだし、「連れさる」の表現も当てはまる。

 当てはまるのだが、連れ去られた理由がいまいち不明瞭。

 悪いことをした覚えもなければ、そもそも選ばれた人間であるのも謎。

 そして何より怖いのが、この都市伝説には「連れ去られた」後の続きがないことだ。

 つまりこの物語の終着点は「連れ去られる」だけで終わる。その後の続きがないせいで、不明さの生む恐怖があった。

 その物語の続きは、一途が身を持って経験することになるだろう。

「そうそう、その連れ去っていくっていう都市伝説の神。それ私ね。ちなみに名前はハルワタートセーナっていうんだけど、知ってる?」

「そう当たり前のように問われても知らない」

「うぇー私のこと知らないのー? 無礼だなぁー。この衣装が結構ヒントなんだけど」


 ヒラヒラと、少女は着ているワンピースを自慢するよう一回転。

 衣装をヒントと言われて連想できるものが何もない。だが強いて言えば、少女の着ているワンピースは水玉模様や、青色のレースが多く刻まれている。

 多くどころではないか。服やヒールのメイン色は殆どが青。

 普通に似合ってはいるのだが、それが何かのヒントになるのか。

「……まあとりあえずいいや、お前の……じゃなくてセーナちゃんの情報はいらないからこの世界のことをだな」

「……」


 僅かに走る沈黙。興味もないと言わんばかりの直球な訴えに場は凍る。

 ちょっとショックだったのだろうか。

 こちらにに背を向けると、セーナは一つ咳払いをしてまたこっちを向く。

 やがて、先刻となんら変わらぬ声音で説明を続けた。さながら何事もなかったかのようである。

「ま、まあとりあえず君は選ばれた訳なんだけど、私は疑問に思うね。こんな奴が本当に選ばれし人間なのかと。なんか平凡で凡々すぎて一般人すぎるし、鈍感で顔も背格好も凡人すぎるよね。確か今高二で彼女いない歴=年齢でしょ。私に興味ないとかデリカシーの欠片もない発言するし納得だよ」

「げっ……、なんで知ってんの……」

「そのくらい把握してるに決まってんじゃん織木一途くん」

「当たり前のように名前まで把握済みかよ」

「神だからね」


 ドヤ顔で胸を張る少女。無い胸を張られたところで威圧感の欠片もない。

「まあとりあえず俺は教えてほしいんだけど、この世界のことにつ」


 面倒くさいセンサーが何かを感知したのだろうか。

 まるで聞く耳を持たない仏頂面で、セーナは遮るよう言った。

「あーはいはい分かったから。とりあえず自分の目で見て体験して覚えて。じゃなきゃ君みたいな鈍感野郎は口で言うだけじゃ分かんないもん。いってらっしゃい、俗に言う"異世界"とやらに。そこで死ぬも生きるも君の自由。魔法、異能、剣戟と銃撃。その世で待ち受けるのは生か死か。闇か光か。そして希望か絶望か。二極化し二分化した善悪に君は何を欲しどう動くかのか」

「……?」


 疑問にも思う。唐突的に発せられる暁舌は、明らかに今までの口調と違った。

 言葉の抑揚はなくなってる。

 凹凸も音調の上げ下げも、言葉に宿る感情は消える。

 機械のよう冷たく単調で、無機質な程の謳いは不気味さえ通り越す。

 そしてセーナの言葉に耳を傾ければ、呪文めいたことを唱えているのが分かった。転生させるための詠唱なのか。

「我れ無粋ながら、君の辿る行く末を、そして”あの世界”の結末を見届けるとしよう。善に染まるか闇に堕ちるか、二極化した色が渦巻くあの世界で、君は何色に染まり何色を欲する。その果てに宿る結末を君が左右できるとしたら、それは救世主にも破壊者にもなれるだろう。どちらに転ぶかは君の運命と感情次第。――では誘うとしよう。その地球へ。圧倒なまでに二次論な世界へ!」


 揺れ動く、世界が青白く染まる。一途の視界が二重に錯乱し意識が遠のく。

 何も考えられなくなりそうだ。

 全てが真っ白になりかけて、体に力が入らない。あまりにいきなりすぎて一切が白紙になる。

 この感覚、この感じ、明らかに普通じゃない。

 痛いとか冷たいとか痒いとか苦しいとか、そんな次元の”感覚”はない。

 言葉では表しようもなかった。だからこそ、朦朧とする意識の中想う。

 ――本当に、本当の本当に――――――――




 このまま異世界へ行くのだろうか。

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