第1章 6
ガチャ、という扉の開く音がする。わたしの部屋の扉ではなく、家の玄関の扉。わたしの部屋は引き戸だから、そんな音は鳴らない。彼と雑談をしていたスマホから顔を上げる。楽しくLINEをしていたらもう親が帰ってくる時間だったらしい。玄関から声がかけられる。
「ただいまぁ。あんた、また部屋にいるの?」
「うん、学校の宿題があるから、部屋でやってる!」
大学生の彼氏と、部屋でLINEをしている、とは口が裂けても言えない。いや、さすがに口が裂けたら行ってしまうかもしれないけれど。
わたしは言葉を次ぐ。
「ご飯のときまでには、そっちに戻るよ」
「わかった。頑張ってね」
頑張っているときに、「頑張ってね」と言われると普段なら、言われなくても頑張ってるよ、と少しだけむくれるわたしだけれど、今日に関しては罪悪感が先に来た。咄嗟に出てきた言い訳とはいえ、ほかに口実がなかったものかと考える。まあ、人間なんて欺瞞の中で生きているわけで、そのなかで嘘の一つや二つなど、大して変わらないような気がするけれど。
わたしは再びスマホに目を落とす。彼に返信を送ると、それに対してまた返信が送られてくる。そんなことを、ただただ繰り返す。わたしはなんとなく、ベッドの上に身を投げ出す。ごろーん、というオノマトペが適切な気がするような寝転がり方だ。一昔前の人に見られたら、女の子のくせにはしたない、などと言われそうだな、なんてことを考える。そんなことをしているうちに、また彼から返信が送られてくる。今日の内容は、もっぱらわたしたちが知り合った時の思い出話だ。
『いやぁそれにしても、東京に住んでるよ、なんて言われたときはビックリしたよ。運命感じちゃった(笑)』
「そう?」
『うん、そうだよ』
「そういえば、大学に通うのに、東京へ上京してきたんだって言ってたもんね(笑)」
『そうそう。地元は福島だからさ(笑)』
「そうだっけ?」
『そうだよ。言ってなかった?』
「そう言われてみれば、そうかも(笑)」
『おい!(笑)』
そんな他愛もない内容で盛り上がれるなんて幸せだな、なんて思ったりする。実際、好きな人と一緒にいる時間は、お互いに黙っていてもなぜか心がワクワクするものだ。
恋に恋をする、という言い方がある。今のわたしがそれに当たるのか、そんなことはわからないけれど、少なくとも最初はそうだったのかもしれない。寂しくて、ネットだけの彼氏が欲しいなんて思ったのは、恋に恋をしているからなのかもしれない。たぶん、そうなんだと思う。元カレと別れてから、元カレと一緒だったときの温もりが忘れられず、インターネットで彼氏を募集するまでしてしまった。
小学生くらいの頃だったろうか、「女性は、一度目の恋は相手に恋をして、二度目以降は恋は恋に恋をする」みたいな言葉を聞いたことがある。初めて聞いたときは、そんなことあるものかと思ったけれど、今なら納得できる気がする。
わたしはスマホを片手で握ったまま体を起こす。スマホの画面には、例によって彼氏からのLINEが届いている。
『スカイツリーって何があるのかな?』
話題は思い出話から、週末デートの話に戻っている。
私は答える。
「うーん、わたしも行ったことないからわからないよ、ごめん(笑)ふたりでいろいろ見てまわろうよ!」
『あ、いいよ、全然。こちらこそごめんね。そうだね、どんなのがあるのか探しながら巡ろうね』
「そうだよ、それが楽しそう」
『どうする? 何も遊ぶものなかったら(笑)』
彼はこういうとき、無駄に倒置を使おうとする。
「別にどうもしないよ。ていうか、ないわけないでしょ(笑)それに、何もなくても、わたしは一緒にいられたら楽しいから(笑)」
『ま、それもそうか(笑)てか、嬉しいこと言ってくれるね、ありがとう。俺も同じだよ』
ああ、わたしたちって、本当にバカップル。わたしはバカが嫌いだけど、でも、彼と一緒にいるときや話しているときの、こういうバカさ加減はなんか心地よくて好き。
わたしって自分に甘いのかな。
そんなふうに考えながら、ひとり微笑んでいると、リビングから母に呼ばれる。
「ねえ! ちょっと! もうご飯だよ。ご飯までには来るって言ってたじゃない!」
部屋を隔てているから、母のセリフにはエクスクラメーションマークがついているけれど、決して怒っているわけではない。「もうご飯だよ」というフレーズが、「蒙古斑だよ」なんてふうに聞こえたので、少しだけニヤけながら、わたしは「わかった。ごめん、すこし長引いちゃった」と答える。
一度だけスマホを確認してから彼に、「ごめん、ご飯だからまた後でね」とメッセージを送り、スマホを勉強机の上に置く。『うん、わかった。待ってるね。いってらっしゃい』なんていう優しげな返信が来るのを尻目にわたしは部屋を出てリビングに向かった。
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