東北バレンタイン

 東北の冬は痛い。

ぬくぬくとした都会で育てられてきた私につきつけられた厳しさの一つである。

私がこの東北の、それでいて日本海側にあるこの町にやってきたのは今から二年前のことである。出来もあまり良くなく、大家族で家計にも余裕がない私が合格までこぎつけた大学はまさしく陸の孤島と呼ぶにふさわしい立地条件であった。商店街は小規模ショッピングモールに潰され、そこが唯一にして最大のアミューズメントパークとなっている。大学周辺ですら飲食店は少なく、学生はアパートか大学食堂を探せばだいたい数え終わるときている。そこにいないのは地元民か小規模ショッピングモールに出かけているからである。

ここまで言えば分かるだろうが気候的にも経済的にも寒いとしか言いようがない。そんな街の時給は七百円を切る。街で一番稼いているだろう小規模ショッピングモールのバイトの求人を見て驚いた。それでも仕事が少ないこの街なので私はそこでバイトをしている。

それはともかくとして、私は勉強とバイトしか成し遂げていない大学生活において親友と呼べる友人を持つに至った。言ってしまえばこの親友を得たからこそ私は色々なことを考える羽目になる。私が今、日も暮れ、吹雪いてさえきたこの街の風を遮るものが一つとしてない往来にいるのも親友が一因である。

この親友、美人さんである。背が高く、胸も大きい。容姿端麗に加えてもっと上の大学を狙えたのに地元志向というので本学に入学した秀才さんでもある。ちんちくりんで不出来な私とどうして親友となれたのか不思議な完璧さんである。おそらく凸凹がうまく噛み合ったのだろうと結論づけている。

さてはて、この美人さん昔は体が弱かったらしく、それが一因となり家庭に不和をもたらしていたと二人きりの酒の席で語ってくれた。騙っているのではないかと一笑したが、時折ショッピングモールに買い物に訪れる美人さんのお兄さんも血が繋がっていないという。いわゆる連れ子同士らしい。

その話を聞いて、腑に落ちた。

二人は似ていないにもほどがありすぎるのである。痩身な美人さんと比べて、お兄さんは恰幅が良いのである。小太りなお兄さんはちんちくりんな私からすると背が高く、森のクマさんのようだった。ちなみに美人さんはお兄さんよりも背が高いノッポさんである。

また、お兄さんとは美人さんが中学校に上がるのとほぼ同時に音信不通状態であったとのこと。

お兄さんは新しいお母さん、美人さんのお母さんとのわだかまりがあり、早々に家を出たとのこと。父親はどっちつかずで、お兄さんに愛想をつかされてしまった。もっとも悪い人ではないので美人さんとは仲が良かったらしい。らしいというのはもうすでにこの世にいないからである。

それも酒の席でこぼしたことである。

病死した父の葬式にも来なかったお兄さんに激怒し、家に怒鳴り込んだとのこと。詳しいことは端折るが、なんだかんだがあり家族は和解したとのこと。お兄さんとお母さんは実は趣味が合うらしい。時々夕食に招かれては、お酒を酌み交わすこともあるとのこと。美人さんは「私達は家族になるタイミングが悪かっただけみたい」とお酒が入ってうつろになった目をして言った。

それが彼女とお兄さんの物語。

映画や小説ならここでエンドロールでも流れるが、どうにもそうはいかないらしい。

表すならば一部完といったところだ。

二部は私の恋物語。

私はお兄さんに惹かれてしまっていた。

美人さんは一時期お母さんと大喧嘩し、お兄さんの家に泊まっていたことがある。私と呑んで、酔いつぶれた美人さんを捜しに来たお兄さんは走ってきたのか珠のような汗を流し、息も途切れ途切れだった。その姿に惹かれてしまった。

私は長女で、物心ついた頃には数年ごとに増えていく妹の世話をするのが当たり前であった。だからか必死になってくれる兄のような存在に憧れたのだと思う。

そうなると気になるのはお兄さんと美人さんの関係である。いくら兄妹といえど、血が繋がっていないのだから実態は他人も同然である。加えて、美人さんにその気はないけれど、仲間内ではブラコンの烙印が押されているのである。一夜の間違いがないにしても、気があるのではないかと勘ぐってしまう。お兄さんの方もよほどの美人である妹にいつまでも我慢を続けていられるのか甚だ疑問である。

「男はみんな狼だ」

 父いわくそういうものらしい。お兄さんは熊さんであるが、このさいケダモノであるのならば意味合いは同じだろう。羊の顔をした狼だなんて歌がありふれているぐらいなのだからそうなのだろう。ただ、そうなると肉食系どころか草食系すら寄り付いてこなかった私は有機物ですらないのではないのだろうか。そうなるとあの歌はそうではないことを祈る歌のように聞こえてくる。不思議だ。

一度、美人さんとお兄さんのそれぞれに冗談めかして気があるではないかと尋ねたことがあった。二人とも笑い、「そういう対象じゃない」とまるで打ち合わせでもしたかのように一語一句変わらない答えが返ってきた。

美人さんは私がお兄さんにその気があるのを知ってからは何かと協力してくれているので信用はできると思っている。ただの仲良し兄妹である。そう思いたい。

ここで話は寒空の下にいる理由へと戻ってくる。

本日は女性が意中の男性へチョコレイトを送る名ばかり記念日だ。俗に言えばバレンタインというものらしいが、問題はここではありません。名ばかり記念日だということが問題なのだ。

私はいわゆるモラトリアム期間真っ最中であるので時間は持て余すぐらいある。加えて何もない田舎町。町よりも集落寄りな場所に住んでいるため、貴重なモラトリアム期間を日々何をして潰すか考えるぐらい持て余している。

対してお兄さんは社会人である。お金はあれども使う時間がないというアレな身分である。モラトリアム期間カムバックと叫びたくなると嘆いていたアレである。

そんなわけで二人が平日に会いたければ、自然と私の方が時間を合わせる必要があった。アレな身分であるお兄さんは今日も今日とて急な残業になってしまった。

前述した通り、ここは田舎である。比喩でもなんでもなく本当に何もない田舎。自然の中に人工物が時折見える程度の田舎。ほぼ村落である。お兄さんが働いている会社もそんな中にある。一面雪のホワイトな景色の中にブラック企業がある。

 そういうわけで私は隠れ場所一つ無いなかで吹雪に晒されているのである。

お兄さんに「かわいい」と思ってもらうため、それなりの薄着をしてきたのが仇となる。寒さ自体は覚悟ができていたので我慢はできる。ただ雪がそれはもう、ただひたすらに痛いのである。ここへ来る前は雪国というのはシンシンと雪が降るのだと想像していた。それが蓋を開けてみればどうだろうか。雪は湿り気を帯び、日本海から吹き上げる風で氷となる。それが弾丸のごとく肌に当たるのだ。痛くないはずがない。

帽子を深く被り、マフラーを目元以外を隠すように巻く。それはどこぞの砂漠の民のような出で立ちとなっていた。

瞳を狙い撃ちにしてくる雪に耐えるため瞳を閉じる。

 そうすると走馬灯に似た思い出が蘇ってきた。

 あれは私がバイトにかまけすぎて単位を落としかけた時の飲み会のことだった。お兄さんと美人さんと私の家で飲み、美人さんが酒やけした喉で演歌を歌い始めた頃合いのことである。私はその時すでにお兄さんに気があったが、微妙な距離感で二人きりだとどうにも会話が盛り上がりに欠けていた。焦った私が変なことを言いだし、さらに距離が開くという悪循環にも陥りかけていた。

「妹は大学ではどんな感じですか?」

 妹の心配をするお兄さんの顔は、義理でもなんでもなく『兄』の顔をしていた。

 その妹は隣で「アジャパー」と声をあげていた。

「一言で言えば凄いですね。容姿端麗、頭脳明晰、それでいて聖人のような人の良さ。女の子たちも別の階層の人と思って接してるみたいで、大きな争いもないですね。もっとも男の子からもそう思われてるみたいで浮いた話の一つも出てこないです」

 お兄さんは私の話をゆっくり咀嚼し、妹の顔を眺める。

フローリングの床に美人さんのよだれが大量に垂れていた。もはや決壊していた。

「これが?」

「それが」

 お兄さんは信じられないという顔をした。

 それから二人の間に得も言われぬ静かな空気が流れる。それに耐え切れなくなった私は言ってしまう。「彼女いますか?」と訊いてしまった。冗談めかして聞くのではなく、結構な本気具合で訊いてしまう。おそらく私はひどく赤面したはずだ。酔った勢いというのは恐ろしい。その時ばかりは大好きなブランデーを恨んでしまう。

サーッと酔いが冷めてしまった私は「今のはなし!」と話を切り上げ、「おつまみ作ってきます」と伝えて逃げた。おつまみを作って戻ってきた私はそのことに触れないように当たり障りない会話を続けることに専念していた。

 両肩に手の感覚があった。

瞼を開くと、そこにはお兄さんの姿があった。

「大丈夫?」

 私はどうやら本当に走馬灯を見ていたらしい。軽く意識が飛んでいた。

 だがその手にはしっかりチョコレイトが入った包みが握り締められていた。

「はい、大丈夫です」

 続けて私は包みを両手で差し出す。

「これ、チョコレイトです」

 もっと上手いこと言えればいいのにと不甲斐なさに嘆きたくなる。

 お兄さんは「ありがとう」と受け取ると、「少し早いけどお返しいいかな」と前置きをする。

「付き合ってください」

 私は何も考えられなくなった。

「あ、ブランデーの方が良かったかな」

 返事がない私に慌てる先輩。

その先輩の姿を見て思う。

一足早い春が来た、と。

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