緩温の距離
五番目
第1話 黒野と九頭、回転すし屋にて。
「実は俺、死んでるんだ」
「……へぇ、そうか。見えないな」
我が友、黒野白夜の突然の中二発言に、私こと九頭ハジメはとっさにボケることも出来なかった。
学校の帰り道、ふらりと寄った回転すし屋でシメの蕎麦を食べている最中だったのがいけない。
「なんだよ、信じないのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどな」
テーブルの向かい側でいらただしげに箸でプリンをつつく黒野に、私はつい言葉を濁した。
高校生になり、黒野と言う人間と友人になって早半年。
黒野がそう言った話題――命とか死とか哲学とか、いわゆる中二的な話題を好むのは十分に知っていた。だが、我が友は嘘を好まないことも私は知っている。
「……一応確認するが、それは物質的にという意味ではなく、精神的に、という意味だよな?」
であれば納得がいく。というか、それ以外ないとも思う。
物質的に、つまり生命活動を停止した死体であるという意味なら、ついさっきまで寿司をぱくつき、今器用に箸でプリンを食べている目の前の人物はなんだと言うのか。
ゾンビか?ゾンビは寿司やプリンを食うのか?
「物質的、肉体的に、という意味で。俺は決して、生きてるなんて胸張って言えないまがいモノなんだ」
「……へぇ。それはそれは……大変だな?」
私はまた間の抜けた返事を返してしまった。
仕方が無い、平凡とは言わないが、私はそれでも十分常識に連なる人間なのだから。
「……九頭、やっぱりお前信じてないだろ? ……いや、保留してるのか?」
「まあ、そうなるのかな」
黒野は目から私の内面を掬いとるようにじっと私を見つめた。
黒野の言うことだ、黒野の主観では正しい、自明のことなのだろう。だから黒野は死んでいる、それは間違いが無い。だが客観的な、私も共感できる答えとは限らない。だから保留。
黒野の視線には私の無理解を非難する色が、隠れもせず含まれていた。
「……どっちつかずの半端者」
「私は何時だって私の側だよ」
とは言っても、私は黒野の友だ。
できれば私の側を黒野の側と重ねてやりたい。理解者で、味方でありたいと思っている。
外から見た感じ、肌こそ白いがそれはいつも通りで、死んでいるとは到底思えないが……。
「そうだ、脈だ」
「は?」
「君がゾンビであれ幽霊であれ、肉体が死んでると言うなら当然脈も止まっているんだろう? なら脈を測らせてくれれば一発だ」
ゾンビや幽霊に脈があるとはついぞ聞いたことがない。
簡単だし、悪くないアイディアだと思うが。
「ゾンビでも幽霊でもねえよ。ま、そりゃ止まってるさ。でも……」
「なんだよ」
黒野が、ふい、と顔を逸らした。
「――お前、俺に触る気かよ……」
「……ああ、そういえばそういう話しもあったな」
言われて私は入学当初に聞いた噂を思い出した。
『黒野白夜に触れた人間は不幸になる』、というとんでもない噂だ。
どうやら黒野と同じ中学、小学校では常識のような噂らしかったが、この余りに卑劣な内容が高校でも広まろうとしていたのが腹立って、この噂に反発して私は黒野と友達になったのだ。
黒野は病的に他者との肉体接触を嫌がり、当然私も例外ではない。
何時か隙を見てこっそり触ってやろうと思っていたのだが、一緒にフラフラ遊んでいるうちにすっかり忘れてしまっていた。
「丁度いい機会だ。ほら、手を出せ」
「……あれ、本当だぜ。しかも俺が死んでるのに動いてる理由に関わる、不吉なやつ。それ以外の方法にしたほうがいい」
またオカルトな話だったが、黒野は見るからに真剣だった。
これも、黒野にとって正しい、確信で、自明のことなのだろう。
「そうか」
私はすっと右腕を伸ばし、プリンを食べるのが止まっていた黒野の右手に触れた。
「バッーーぐぅっ!?」
それに驚いた黒野が触れた私の手勢いよく弾き。ソファから跳ぶように腰を上げてテーブルに思い切り太ももをぶつけた。
周囲の客がバカ騒ぎするバカ学生を非難するような視線を向ける。
「君……びっくりしすぎだろ、ウケルー」
「ウケルーじゃねぇよこの馬鹿ッ! クズ! お前何考えてるんだ!」
今にも箸を刺してきそうな剣幕で黒野が切れる。
「俺に触って体育の後藤が足折ったの知らないのか!?」
「知らなかった」
「ガッ!?この――!?」
余りの驚きで言語野がマヒしたらしい。
半年間つきあって、こんなに驚いている黒野は初めて見た。
動画にとっておきたいくらい珍しい。
だが、これで絶交にでもなれば確かに不幸だがら釈明しておく。
「私は不幸にはならないよ」
「どうしてそう言える?」
「幸福や不幸なんて、誰と分かち合うかで決まる曖昧な事柄だと思う。他人からみてどんな酷い仕打ちでも、やられる本人にとっては幸せということもあるだろう。なら、黒野と分かち合える不幸なら、そう悪くない気がするから」
かなり恥ずかしい内容だが、私的にはこの半年で確信にいたった自明のことだった。
「九頭、お前……」
黒野が信じられないものを見るような眼で私を見た。
「お前、とんでもない変態で、マゾなのか?」
「黒野、ここは友情を感じてほしかったな……」
こうして互いに煽りあってから少しして、また黒野の手に触れてみたが、今度は弾かれることも無く、脈を測ることが出来た。
初めて触った黒野の手はヒヤリと冷たく、そして、脈も無かった。
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