第31話 出陣/誓い/いざ開戦


 相模と武蔵の国境。

 名もなき間道を行く、二百ほどの小部隊があった。

 部隊の主は三浦猪牙ノ助ちょきのすけ。三浦家一門格にして、故三浦道寸どうすんの影武者だ。

 猪牙ノ助は、武田の侵攻を防ぐため、甲斐と国境を接する津久井つくい城に向かっていた。



道露どうろどの、ひとつ、伺ってよろしいか?」



 轡を並べる若武者が、猪牙ノ助に声をかけた。

 荒次郎が自身の精鋭部隊、丸太衆から抜き出して付けてくれた護衛の一人だ。



「ふむ?」


「なぜ、横須賀よこすかの衆をお連れになった。裏切り者ですぞ」



 若武者が、後続の集団にちらと視線をやりながら、眉をひそめて尋ねた。


 横須賀氏は三浦半島東部に居を構える三浦の支族だ。

 かつて荒次郎たちが半島の突端、新井城に追い込まれていた時、裏切って伊勢宗瑞いせそうずいの騎下に収まっていた。

 その後、大船合戦を経て西相模を奪還した荒次郎のもとへ帰参したのだが、新井城で生死を共にした三浦衆にとっては「信用できない裏切り者」だ。



「……貴殿は丸太衆であったな。ではひとつ、教授して進ぜよう」



 馬速をゆるめぬまま、猪牙ノ助は馬上で胸を張った。



「――まず、横須賀家当主、横須賀連秀よこすかつらひで。この男、三浦旗下に戻りはしたが、もとより三浦家と運命を共にするつもりはあるまい。こちらが追い詰められれば、矛をさかしまにするくらいのことは、当然やるであろう」



 大上段に切り捨てた猪牙ノ助に、若武者は不審げに首をかしげる。



「では、なぜわざわざ危険な彼奴きゃつ等を連れてきたので?」


「わからぬか? 横須賀の所領は三浦半島の東岸よ。鎌倉に攻め込まれてもおらぬ状況では、裏切りたくても裏切れぬよ。

 とはいえ、伊勢宗瑞と御当主の決戦中に、裏崩れでも起こされては、そのまま敗北、鎌倉失陥となりかねん。だから、別口の最前線に連れていってやるのだよ。ここで裏切っても、伊勢との連絡も回復できん。さしもの横須賀連秀とて、武田にまでは話を通しておるまいしの……ま、簡単に言うとだな」



 猪牙ノ助は、言いながらにやりと笑う。

 人を食ったような、ひどく意地の悪い笑みだ。



「――北相模の不穏分子を押さえるのに、東相模の不穏分子を使ったのよ。御当主の背後の危険も減らせて一石二鳥であろう?」


「……横須賀殿に同情いたします」



 背後の集団に同情めいた視線を向けながら、若武者が低い声でつぶやいた。

 若武者の様子に、猪牙ノ助はいたずらっぽく微笑む。



「おっと、吾輩にも同情してもらいたいものである。なにしろ、戦意に乏しい兵たちを焚きつけて、兵に優る甲斐の武田と戦わねばならんのだぞ?」



 若武者がため息をついた。

 語調に反して、言葉の内容は重い。



「道露どのは、なぜそこまで苦労を背負いこもうとなさる? 我らが御当主は一代の英傑。その程度の苦難、ものともするまいに」



 猪牙ノ助はおやおやと呆れ交じりの微笑みを浮かべる。

 この若武者にとって、三浦荒次郎は万能の英雄であるらしい。



 ――吾輩にとっては、どうだろうか。



 その問いに対するあやふやな思いを言葉にする前に、猪牙ノ助は、「なぁに」と若武者に白い歯を見せる。



「――あるじ道寸が生きておれば、やったであろうことよ」



 そう言う猪牙ノ助の瞳は、童子のように輝いていた。


 永正12年3月7日。猪牙ノ助は荒次郎の名代として、津久井城に入る。

 武田挙兵の報せに動揺が走っていた北相模は、これで落ち着きを取り戻した。


 たかだか二百の兵――ではない。

 伊勢宗瑞との決戦での不利を承知で、身を切るようにして寄越した兵だ。



 ――北相模は、絶対に見捨てない。



 鎌倉公方と荒次郎の、言葉なき言葉だった。

 それは北相模衆の打算と信頼、双方を満足させるものだ。


 それからいくらも経たずに、武田軍の動きが報ぜられる。

 武田が北相模攻めに動員したのは、領地を接する小山田おやまだ勢を基幹とした二千。対する猪牙ノ助たちは八百程度だ。



「道露どの」



 気負いと不安が半ばと言った様子の若武者に、猪牙ノ助は己を指差しながら言った。



「ふふん。吾輩を誰だと思っておる? はばかりながらこの三浦道露どうろ、御当主に見込まれて北相模を任された戦巧者よ。安心して任せるがよかろう!」



 ――我ながら吹いたものよ。



 心の中で苦笑しながら、猪牙ノ助は不敵に笑う。

 笑いながら、自らが率いるいびつな寄せ集め集団と、甲斐より攻めよせてくるであろう武田信虎の精鋭を心に描いた。



 ――さて、どこまで誤魔化せるであろうか。我ながら見物であるな。







 一方、相模玉縄城。

 永正12年、3月8日未明。

 今川軍の大庭おおば城入りを確認すると、荒次郎は城にわずかな抑えを残し、三浦衆をひきつれて鎌倉へ向かうことにした。


 出発間際、留守を預ける佐保田彦四郎さほたひこしろうに二、三、言伝をした後、荒次郎は見送りに来た側室、出口冴でぐちさえに向き直った。

 臨月間際の少女の腹は、大きく膨らんでおり、侍女が気遣わしげに彼女の体を支えている。



「行ってらっしゃいませ、ご主人さま。勝報を心待ちにしております」


「まかせておけ」



 表情を崩しもせずに言う荒次郎の隣で、妻の真里谷初音まりやつはつねが冴に微笑みかける。



「冴さんにもおなかの子供にも、いっぱいお土産話持って帰ってくるから」



 邪気のない初音の表情に、身重の少女は「かないませんわね」と口の中でつぶやいてから、笑顔を返す。



「奥方さまも、お体を大事になさってください」


「大丈夫、大軍師真里谷初音さんに任せなさいっ!」



 胸を張るエルフの少女だが、言うほどには自信がないのだろう。額には冷や汗が浮かんでいる。

 見送りの中に居る初音の侍女、まつが、「おひいさまはお人よしなんだから」などと不満げにつぶやいているが、初音の耳には入らなかったようだ。



「――でも、私の心配してくれるのは嬉しいんだけど、主さまあらじろうの心配はしなくてよかったの?」



 初音が問うと、出口冴は切れ長の目をやさしく細めて、答えた。



「ご主人様は英雄ですわ。きっと今回もわたくしたちに勝利をもたらしてくれます」


「……ああ。もちろんだ。冴さん。留守を頼む」



 視線を交わすふたりに通い合うものを察してか、初音は面白くなさげに眉をひそめる。



「おひいさまに冴様を咎める権利なんてありませんよ。口惜しいのなら、ちゃんと行動で示してください」



 零下の視線を向けるまつに、エルフの少女はうなずき。

 労わるように冴の肩を抱く荒次郎の膝を「てやっ」と蹴りつけた。へっぽこきっくだったため、跳ね返されて転んだが。



「なにやってんですかー!」



 尻もちついて「むー」と膨れている初音を、幼い侍女が怒鳴りつけた。



「え、いや、このムカつきを態度で……」


「違うでしょう!? おひいさまは御当主さまと冴さまがくっついてるのがお嫌なんでしょう? だったらおひいさまもくっつけばいいんです! 親しげに抱きつけばいいんです! はしたないことすればいいんですっ! それをなんですかっ! 皆の前で夫を蹴り飛ばす正妻がどこにいるんですかっ!」


 嫉妬の対象が違うんだ、とは言えないのだろう。

 エルフの少女は両手で頭を庇いながら、小さな嵐が吹き荒れるのを堪えていた。


 そんな少女たちの様子に、荒次郎の口の端がわずかに上がるのを見て、出口冴は羨ましげに頭を振った。

 その横では、佐保田彦四郎がいつも通り胃のあたりを押さえてため息をついている。







 玉縄城を後にした荒次郎率いる三浦軍は、陸路を鎌倉へ。

 一方初音は船手衆とともに、舟で柏尾かしお川を下っていった。


 同日朝、三浦軍は鎌倉入りする。

 鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐう周辺には、いち早く駆けつけた相模衆の姿が多く見られた。

 彼らに軽い挨拶を投げかけながら、荒次郎は鎌倉公方、足利義明あしかがよしあきの待つ若宮わかみや御所に向かう。

 御所では、重厚壮玄なる大鎧を着込み、“源頼朝みなもとのよりともから夢の中で拝領した”太刀を履いた鎌倉公方が待ち構えていた。



「がははははっ! 待っていたぞ三浦介っ! ついに決戦だなっ!」



 この貴人は、劣勢の戦を前にして動じない。



 ――つくづく大物だ。



 内心苦笑しながら、荒次郎は足利義明の前に膝をつく。



「はっ! 文字通り、伊勢、今川との争いに決着をつける一戦になります」


「頼んだぞ、三浦介! 我が運命は扇谷おうぎがやつ上杉や真里谷まりやつなどではなく、三浦に預けておる。ワシの鑑識眼めききが確かだったと、世人に誇らせてくれよ!」



 そんな会話をしたのち、鎌倉公方、足利義明は鶴岡八幡宮のふもとに兵をあつめた。

 三浦衆ほか、西相模諸衆を合わせて、その数、四千強。その前で、豪胆の貴人は無造作に演説を始めた。



「がははははっ! みなの者、よくぞ集まってくれた! ワシが鎌倉公方、右兵衛佐うひょうえのすけ義明であるっ!」



 この大音声に、侍どものざわめきがぱっと止んだ。

 静寂の中で、足利義明は語り始めた。



「どうやら鎌倉に敵が攻めてくるらしい! 知っての通り、伊勢に今川だ! 多いぞ! 両軍合わせて八千か九千か……ワシらの倍はおろう!」



 煽るような鎌倉公方の言葉に、侍衆はまたざわめきだす。



「――だが、安心せよ。当方に頼朝公しらはたの加護ぞあり!」



 言いながら、義明はやおら腰の太刀を抜きはらった。

 玉の露が浮かばんばかりの冴えた利刀の光が、陽光を浴びて輝きを放つ。



「この、頼朝公拝領の御神刀と、そして生きた武神が我が元にある! 知っておろう。今為朝いまためとも、三浦荒次郎義意よしおきの名を! 玉縄城を一夜にして落とし、大船おおふね合戦に勝利をもたらし、伊勢の脅威より鎌倉を守り続ける、その武勇と知略を! 見よや! 勝利はここにある・・・・・・・・!」



 一拍、置いて。

 歓声が、爆発した。

 熱狂とともに、武者たちは声をあげ続ける。



 ――困ったお人だ。



 義明の後ろに控えながら、荒次郎は内心苦笑した。

 扇谷上杉、真里谷による鎌倉公方体制は、三浦家が関東管領、扇谷上杉朝興ともおきの名代として足利義明を支えることにより、危ういバランスが保たれているのだ。

 三浦の過剰な優遇は、上杉朝興との間に不和を生じかねない。


 とは言え、神輿として担がれている義明にしてみれば、三者の連帯があまり強固でも困るのだろう。

 神輿ではあっても達磨ではない。そういう絶妙な位置に居続けるために、くさびを打っておくことを忘れない。豪放磊落ではあっても、そのあたりは、やはり足利一族である。



「三浦介、ぬしも話せ」



 と、ふいに義明が荒次郎を前に押しやった。

 引きはじめていた歓声の波が、再び押し寄せてくる。



 ――この、国衆の前で、自分は何を言うべきか。



 期待の視線を受けながら、考える。

 ややあって、荒次郎は表情をわずかに緩めた。



 ――よく考えれば、答えはとっくに出している。



 三浦家のために。猪牙ノ助や初音と一緒になって、ずっと考えていたそれと、言うべきことは変わらない。



「三浦介義意よしおきだ。みな、聞いてくれ。我々は去る年、鎌倉に公方を迎えた……だが、この公方は、みなが思うような、“新しい公方”ではない」



 しん、と、場が水を打ったように静まりかえった。

 熱狂に冷水を浴びせるような、それは言葉だった。


 荒次郎は言葉を続ける。



「――“新たな秩序をもたらす公方”だ。

 みな、思ってもみよ。いままで幾度、父祖伝来の領地が危機にさらされてきたか。親兄弟で奪い合ってきたか。武力により、略奪されてきたか。それらすべて、旗振る者が弱かったからだ」



 ゆっくりと、だが確実に。

 武者たちに理解が広がっていく。



「だから、あらためて言う。ここにおわす公方は、政変により、昨日とは別の公方が就任する。そのような、たんに新しいというだけの公方ではない。我々に新たな秩序をもたらす、新たな時代の公方だと!」



 感動が、波紋となってみなの胸を打つ。

 荒次郎の言葉は、この場にいる皆が、無意識のうちに望んでいるものだ。



「鎌倉は落ちん。俺が落とさせん。落ちぬ御所が、みなの所領を安堵する。約束しよう。昨日まで己のものだった土地が、武力で、政治で、理不尽に奪われる。そんなことのない新たな時代を! たしかな秩序を!」



 いち早く理解した者が、感動に吼えた。

 それが、次々と連鎖していく。


 飽き飽きしているのだ。

 関東の、ことに相模の武士たちは。

 日本で最も早く戦国を経験し、百年近く。南北朝から数えれば、二百年近くも戦い続けてきた彼らは、すでに戦に飽いていた。

 うち続く戦乱で、鎌倉以来といわれた家が、いくつ潰れたか。何人の同胞縁者の命が奪われていったか。

 古河公方も、関東管領も、相模の国人たちにとってはくそくらえだ。ただ数百年も前から守り続けている土地を安堵してくれる者だけが、彼らにとっては正義だ。


 戦国時代中期。

 まだ室町の気風が色濃く残る関東にあって、相模国衆の心は、そこまで荒みきっていた。

 だからこそ、強い者。新しい者。既存の枠でなくてもいい。強固な力を持って自領を保護してくれる戦国大名そんざいを、彼らは無意識に求めていたのだ。


 この演説の及ぼす影響を、いち早く察知したのは、やはり鎌倉公方、足利義明である。

 彼は荒次郎に並び立ち、吼え声の止まらない武士たちにむけて、うん、うんとうなずいた。最初から、荒次郎の言葉を承知していた、というように。



「軍配は、この御神刀とともに三浦介に預ける! みなの者、三浦介に従い、奮戦せよ!」



 ひときわ大きな怒号が、鎌倉を震わせた。

 御神刀を預けられ、困惑した表情の荒次郎に、義明は密かに耳打ちした。



「面白い演説の礼だ。法華堂の修繕のおり、破損した柱を加工して、丸太に仕立てた。ヌシにはそれもあわせて進ぜよう」



 ――この方は、やはり素晴らしい!



 いたずらっぽく笑う義明に、荒次郎は感動に震えながら頭を下げた。

 こののち、荒次郎は相模衆に自らの策を明かし、それから伊勢軍の迎撃に向かう。

 柏尾川とその本流、さかい川の合流点、砥上渡し。下流に江の島を見る地点で、両軍はたがいの姿を確認する。


 鎌倉合戦、その第一部が、始まろうとしていた。







◆用語説明

佐保田彦四郎……胃の腑の人と同義である。

大軍師真里谷初音さん……まだ諦めていいない様子。

はしたないこと……ガタッ

船手衆……水軍構成員。

素晴らしい!……法華堂の柱だった丸太だと高いのか安いのか……たぶん荒次郎にとっては関東管領より上に分類される。

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