第27話 布石/周到/盤上合戦

 風魔小太郎ふうまこたろうを討ち取った後。

 鎌倉公方かまくらくぼう足利義明あしかがよしあきとふたたび入れ替わった荒次郎は、小太郎の遺骸を密かに弔うと、翌朝何気ない顔をして法華堂を訪れた。

 昨夜の騒ぎのせいか、前日警備にあたっていた武士たちや、彼らから話を聞いた者たちは、不安を隠せない様子だった。


 そんな武者たちをかき分けながら、石段を上っていくと、ちょうど足利義明が法華堂から姿を現した。



「がはははっ! 皆の者、大義であるっ! 昨晩の騒ぎは皆にも聞こえたかっ!?」



 笑いながら、この貴人は小太郎の襲撃を利用することを忘れない。



「昨晩、夢うつつに頼朝よりとも公がお出でになってなぁ! 英雄は英雄を知る。たちまちうちとけて語ることしばし、英雄の歓談に惹かれたのか、邪鬼が現れよってな。さればわしがと大立ち回りの末、これを討ち取った! 頼朝公は我が武勇天晴れと、この太刀をくだされたわっ! がははははっ!」



 言いながらかざしたのは、一振りの大太刀だ。

 おお、と武士たちが歓声をあげた。源頼朝に与えられたと聞けば、現金なもので、現代人の荒次郎でも素晴らしい太刀に見える。迷信と信仰に囚われた戦国の武士たちであればなおさらだろう。



 ――見事なものだな。



 狂騒する集団の様子を見て、荒次郎は感心した。


 その日は祝宴となった。

 真実を知る者がほとんどいない以上、荒次郎が表だって賞されることはない。

 足利義明はそのことを荒次郎に謝し、後日、なんらかの形での褒賞を約束してくれた。

 とはいえ、現状では鎌倉公方にできること、やっていいことなど、限られてはいるが。


 ほどなくして荒次郎は帰途についた。

 最前線である玉縄城を放ってもおけない。

 それ以上に、仲間である真里谷初音まりやつはつね三浦猪牙ノ助みうらちょきのすけに状況を伝え、善後策を練るべきだ。荒次郎はそう考えている。


 なにしろ敵は、乱世の梟雄、伊勢宗瑞いせそうずいなのだ。







「あらじろーっ! 大丈夫か生きてるか足はちゃんと二本あるかっ!?」



 帰城するや否や、荒次郎は大手門から飛び出てきたエルフの少女に飛びつかれた。



「エルフさん」


「怪我とかないか!? あいつら毒とか使うから、かすり傷でも気をつけろよっ!」


「エルフさん」


「心配したんだぞっ! あの風魔小太郎相手に決闘とか、もう……もし荒次郎が殺されたらって思うと不安で仕方なかったんだからなっ!」



 目を潤ませ、直垂ひたたれの裾を掴んでまくし立てる少女の耳を、荒次郎は無言で握りしめた。



「ひゃっ!? なにをするっ!?」



 ずざざざっと退いた初音に、荒次郎は声をかける。



「落ち着け、エルフさん。俺は無事だ」


「……お、お、おう。すまない、ちょっとテンションおかしかった」



 我に返って気恥かしくなったのだろう。初音の耳は真っ赤になっている。

 それを誤魔化すように金髪を指先でくるくるさせながら、エルフの少女は思い出したように声を上げる。



「――そうだ、首尾は!? うまくいったか!?」



 意気込んで尋ねてくる少女に、今度は荒次郎が頭をかいた。



「まあ、人があることだ。部屋で落ち着いて話そうか」



 周りでは、家人や三浦の衆が、ほほえましいものを見るような目でふたりの様子をながめていた。







 本丸御殿の私室に戻り、荒次郎は風魔小太郎との戦いの一部始終を語った。

 鎌倉公方足利義明を囮として、小太郎を法華堂におびき寄せたこと。小太郎がそれを半ば承知だったこと。義明を入れ替わっていた荒次郎と一騎打ちの末に、小太郎が散ったこと。



「荒次郎……私、荒次郎が仲間で本当に良かった!」



 語り終えると、少女は感極まったように荒次郎の手を取った。

 ついていけず、荒次郎は眉をひそめる。



「いきなりなんだ、エルフさん」


「だってさ! 風魔小太郎だよ!? 戦国時代でもビッグネームだよ!? いやたしかに有名なのは五代目だけどさ! それでも“風魔小太郎”を一騎打ちでぶっ倒すなんて、本気マジですごいっ! さすが今為朝っ!」



 ――ひょっとして、風魔小太郎を、武将として誰よりも評価しているのは、エルフさんなのかもしれないな。



 両手両耳をせわしなく動かしながら、熱く語る少女に、荒次郎はそう思う。

 悪い気分ではない。が、ふとひっかかる。



「そう褒められると面映おもはゆいが……今為朝?」



 知らぬ呼び名だ。

 エルフの少女は「おっと」と膝を打ち、語る。



「いつか説明しただろ? 鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためとも。源頼朝の叔父。七尺を越える大男で、武勇絶倫。“古今無双の弓矢の達者”と評された人。平安末の猛将だけど、お前と共通点多いだろ? だからげんだいの為朝。みんなわりと言ってる」


「ふむ」



 荒次郎はうなずいてから頬をかく。



「なにやら気恥かしいな」


「いいじゃないか。それだけ荒次郎が英雄視されてるってことでしょ。ああ、いいなあ。私も今孔明とか呼ばれたい」



 ――猪牙ノ助さんが居れば、どう突っ込むだろう。



 などと考えながら、荒次郎は賢明にも黙っていた。



「……そういえば」



 そうしていると、初音が思い出したように手を打った。



当代風魔小太郎あのばけものが居なくなれば、風魔は弱体化する。おいそれとは鎌倉に侵入してこれなくなるよな」


「ああ。元々それが狙いだ」


「じゃあ、あとは」


「ああ。後でまた相談するが、あとは鎌倉の防衛に専念すればいい。あと数ヶ月。九月まで鎌倉を守り切れれば……今度は俺たちの手番だ」



 襖の向こう、西の空を射抜くように見る。

 視線の先にあるのは大庭おおば城。いや、そこに居るであろう大敵、伊勢宗瑞だ。


 それに気づいた初音が、荒次郎に視線を添わせ、言い放った。



「見てろよ伊勢宗瑞。今為朝と今孔明がぶち倒してやるからな!」



 ――猪牙ノ助さんなら、遠慮なしに突っ込んでいるのだろうな。



 考えていると、ちょうど本人が訪ねてきた。



「かかっ! 聞こえておったぞ残念娘。よりにもよって今孔明とは吹いたものだなぁ! 本家(竹中半兵衛)に遠慮して、その部下にあやかった方が良いのではないか? 今馬謖ばしょく! かかっ! なかなかに相応しいではないかっ!」



 ばっさりだった。







 相模国大庭城。

 伊勢方の最前線。そして乱世の梟雄、伊勢宗瑞が住まう地。

 風魔小太郎の死を知った伊勢宗瑞は、御殿の最奥に篭もっていた。


 灯明の明かりを睨みつける。

 睨みつけながら、梟雄は涸れた手を握りしめた。


 風魔小太郎との付き合いは、長くはない。

 だが、小太郎は宗瑞の闇の部分に、深くかかわってきた。

 それゆえ伊勢宗瑞という男を、もっともよく知る人間だと言っていい。

 多目権兵衛ためごんべえ大道寺太郎だいどうじたろう。駿河下向に従った腹心たちを失ったに等しい虚ろが、宗瑞の胸に空いている。



「小太郎よぉ。お主ほどのものでも、己を抑えきれなんだか」



 梟雄は口惜しげにつぶやいた。

 宗瑞の命令に従っていれば、風魔小太郎が死ぬことはなかった。

 だが、小太郎の風魔としての矜持が、それを良しとしなかった。



 ――破壊こそわが性。



 そううそぶく忍には不本意な仕事を、宗瑞は与えてしまった。



「その、報いか」



 伊勢宗瑞の、自覚なき傲慢が産んだ失策と言っていい。

 抜群の手練と統率力を持つ小太郎を失った風魔衆が元の力を取り戻すには、数年はかかる。老いた宗瑞にとっては絶望的な時間だ。

 伊勢宗瑞一世一代の大戦に、鋭い嘴を失った風魔で挑まねばならなくなった。

 炎の向こうに架空の棋盤を思い描きながら、宗瑞は歯噛みする。


 こちらの策も、軍も、すべて返された。

 盤上の模様は、伊勢方不利に傾きはじめている。



 ――だが。



「うまく凌いでいる、などと勘違いしておるとすれば、大間違いだぞ。道寸の倅……荒次郎よぉ」



 宗瑞は哂った。

 灯りに照らされた口元が、凄絶な角度に釣り上がっている。



「策を巡らし兵を募りて攻め込み、また搦め手を突く。それ自体が策よ……荒次郎よぉ」



 灯明を睨みつけながら、梟雄はつぶやく。



「――時はわしの味方よ。それに気づいておるか? なあ、荒次郎よぉ!」



 涸れた声には、強い怨毒が含まれていた。







◆用語説明

戦国時代でもビッグネーム……関東圏なら北条早雲に次ぐ知名度か。

古今無双の弓矢の達者……荒次郎のは弓矢と呼ぶべきかどうか。哲学的な問題である。

ばっさりだった……言葉の日本刀により斬られたエルフさんは顔を真っ赤にして反論したが、最後は荒次郎に泣きつきました。なお


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