第26話 因縁/決着/風魔小太郎

 相模国大庭おおば城。

 三浦方の玉縄城とにらみ合う位置にある、伊勢方の最前線だ。

 その、大庭城の一角。大道寺屋敷の片隅に、大道寺八郎兵衛だいどうじはちろべえは寝かされていた。

 大道寺一門の荒武者は、由比ヶ浜ゆいがはまでの戦いにおいて三浦家当主、荒次郎義意あらじろうよしおきと一騎打ちに敗れ、深刻な重症を負っていた。



「しかし、八郎兵衛」



 見舞いに来ていた大道寺家当主、孫九郎盛昌まごくろうもりまさは、枕元でしみじみとつぶやく。



「お前もつくづくすげーなあ。なんで生きてんの? かなり本気で」


「生き延びたのは忸怩じくじたる思いだが、そうまで言われては腹が立つ――っ、痛ぅっ!」



 抗議しかけて、八郎兵衛が声を上げた。

 彼自身、把握していないが、全身打撲、両腕および肋骨を複数個所骨折している。生きているのが不思議、という言葉は、けっして誇張ではない。



「ほらほら、動かない動かない」



 大道寺盛昌は苦笑を浮かべて八郎兵衛を止める。



「――いや、でもさ、あの三浦義意の大丸太の一撃。しかも掛け値なしの全力をさ。直撃食らって生きてられるなんて、八郎兵衛も本当にしぶとい」


「……全力ではない」



 うれしげにつぶやく盛昌に、荒武者は苦々しげに漏らした。



「ん。どういうこと?」


「風魔よ。あの忍めが、余計なことをしよったのだ」



 一騎打ちの最後の瞬間、風魔の投じた手裏剣が荒次郎の手の甲にあたり、それが丸太の威力を減じたのだ。



「ああ、なるほどなー。大殿の指図か。粋なことをしてくれる」


「冗談ではない。無粋も極まる。おかげで生き恥をさらす羽目になったわ」


「そんなこと言うなよ」



 毒づいた八郎兵衛に、盛昌が笑いかける。



「――俺は大殿に感謝してるよ? 俺にはまだ八郎兵衛が要るしなー」


「ふん」



 荒武者は痛みに顔をしかめながら、当主に背を向けた。

 八郎兵衛の背に苦笑を向けながら、大道寺家の若き当主は「さて」と息をつく。



「それにしても、どうしたもんかなー、この状況」



 こぼしながら、盛昌は思案する。

 三浦と伊勢の戦いは、全体的に見れば伊勢方が押している。

 だが、攻めきれていない。三浦方は要所要所で確実に切り返して来る。



「いくら最低限の成果は上げているっつっても、こんなことが続けば、士気に関わるんだけどなあ」



 現在は風魔による鎌倉焼き打ちが成果を上げている。

 当面は問題ないとはいえ、戦が長びけば、おのずと直面する問題だ。



「わしに問われても困る」



 八郎兵衛が細い息で答えると、盛昌は苦笑した。



「ごめん。ちょっとぼやいただけだって。まったく、大殿相手にここまで渡り合えるなんて、ヤなヤツが同じ時代にいたもんだよ」



 盛昌はため息をついた。

 吐き出した息が呼び寄せたように、来客の報せがあった。

 その名を聞いて盛昌は腰を浮かして出迎えたが、すぐに八郎兵衛のもとに戻ってきた。


 盛昌は、戸惑いとともに頭を掻いている。

 共に姿を現したのは、伊勢氏綱いせうじつな。伊勢宗瑞の嫡子だ。



「やあ。八郎兵衛、無事でなによりです」



 八郎兵衛に見舞いの言葉をかけてから、伊勢氏綱はおもむろに座す。

 盛昌も頭を掻きながら、八郎兵衛のそばに座った。



「すみませんね、なんの用意もなくて」


「いえ、唐突の来訪です。それに、今日はお忍びで来たのですから」



 頭を下げる盛昌に、伊勢氏綱は涼しげな顔を崩さず、返した。



「でも、若殿。任されていた小田原城の守備はどうされたんです?」


「城は多目六郎ためろくろうに任せています。ですから父にも、どうか内密に。まあ、すでに把握されているとは思いますが」



 痩せたほほを笑みの形に歪めながら、伊勢氏綱は言った。


 多目家当主、六郎は十やそこらの若年である。

 この少年は荒次郎の留守を突いた誘引迎撃策をしくじったため、痛んだ手勢とともに、小田原城の守備に回されている。



「六郎に? 言ってはなんですが、荷が重いんじゃ……」


「そうでもありませんよ」



 盛昌の懸念を、伊勢氏綱は否定した。



「六郎は、さきの敗戦がよほど堪えたらしい。戦場の古兵ふるつわものの話を聞いて回って、机上の知識を血肉にしようとやっきになっています。こう言っては何ですが、さきの敗北も、六郎にとっては良かった」


「それで、六郎はいいとして……若殿はなんでこんなとこに? 大殿に大目玉食らうのを覚悟してまで」



 盛昌は尋ねた。

 それに対し、梟雄の子は切れ長の目を細めて、言った。



「三浦荒次郎義意。彼のことを最もよく知っているのは、貴方がただと判断しました。私は彼について、もっと知りたい……古き秩序にありながら、新しき秩序を求める、あの男について」







「さあ始めるぞっ! 三浦家戦略会議ーっ!」



 玉縄城本丸御殿。荒次郎の私室。

 両手を広げて立ち上がり、宣言したのは真里谷初音まりやつはつねだ。

 夜である。灯明に浮かぶ顔は三つ。初音のほかは、当然荒次郎と猪牙ノ助ちょきのすけである。



「今回の議題は、忍者対策っ! 鎌倉焼き打ちをしつこくしつこく仕掛けてくるヤツらをどうするかを考えよう!」


「ちなみに残念娘、対応策はあるか?」


「残念娘じゃない! 大軍師初音さんだっ!」



 残念な少女は胸を張って返すと、車座になった三人のど真ん中に書類を叩きつける。



「策はあるっ! これだぁっ!」



 自信たっぷりの少女に、思わず目を合わせながら。

 荒次郎と猪牙ノ助は書類を手に取り、順に目を通した。



「鎌倉警備に大規模な兵を動かし、わざと玉縄城を手薄にして、敵の攻撃を誘う……ふむ。荒次郎くん、どう思うね?」


「おいなんで荒次郎に話振る」


「エルフさん」


「い、言わないぞ。“エルフ言うな”なんて返さないからな!」


「足りん」


「ばっさり!?」



 エルフの少女のツッコミを流して、荒次郎は話を続ける。



「玉縄城を手薄にすれば、相手は寡兵での攻略を狙ってくる。これには同意する。俺の玉縄城一夜取り。この武名をかき消す絶好の機会だからな。

 攻略に忍びがついてくる、これも間違いない。おびき寄せた忍を、エルフさんの忍び殺しの仕掛けを利用して殺す。これもいい策だと思う」


「え、えへへ」



 いい策だと褒められ、初音は恥ずかしそうに頭を掻いた。嬉しいのか、耳がぴこぴこ跳ねている。



「しかしだ。おそらく、同時に大規模な軍事行動を誘う結果になる」


「うん?」



 とっさに理解が及ばなかったのか、エルフの少女はきょとんと眼を見開いた。

 横では猪牙ノ助がさもありなんとうなずいている。荒次郎の見識にうなずいたのか、それとも初音の不理解にか。


 それを尻目に、荒次郎は説明を続けた。



「相手は伊勢宗瑞だ。こちらの誘いが読めないわけがない。それに、たとえ寡数で城をとることができても、それを維持するためには兵が要る。

 鎌倉の兵への牽制も兼ねて、おそらくは大庭城の兵を動かしてくるだろう。そうなると、応手が難しい。はっきり言うと、相手の手が読み切れない」



「だから」耳をしおれさせた初音に、荒次郎は言った。



「――もっと単純に誘う」


「単純に誘うって、どうやって」


「玉縄城以上の餌を用意する。この戦の決着をつけかねない。そんな餌を」


「……おい待て、まさか」



 ほほをひきつらせた少女に、荒次郎は事も無げに言った。



「鎌倉公方義明を、餌にする」



 少女の驚きの声と、老人の笑いが重なった。







 鶴岡八幡宮の東に、法華堂ほっけどうがある。

 鎌倉幕府初代、源頼朝の墓所で、古には政争の舞台にもなった場所だ。

 永正11年5月の吉日、鎌倉公方足利義明あしかがよしあきは、この法華堂に篭もった。



「なに、ちょっと夢に頼朝公がお越しになったのでな。お礼がてら、わしが正当なる鎌倉公方だと直に申し上げておこうと思ってな。がははははっ!」



 足利義明は家臣たちにそう告げ、笑った。剛毅な男である。


 厳重に人払いがされ、法華堂には義明のみが籠もった。

 警備のため、法華堂周辺には、千を数える武士が詰めている。

 なにしろ、頼朝公に関わる吉事だ。あやかろうとする在地の武士は多かった。


 その夜は、5月だというのに、季節をふた月も逆戻りさせたような寒さだった。

 堂内へは誰も入ることを許されておらず、警備の武士たちが焚くかがり火も、遠い。


 あつらえたような舞台に、暗殺者は音もなく現れた。

 灯明でおぼろに照らされた堂内、揺れる炎にたなびく影は、ひとつ。

 影の主は大鎧を身にまとい得物を手に、仁王立ちしている。その視線は過たず、暗殺者を捕えている。



「待っていたぞ、風魔小太郎」



 影の主は、暗殺者に声を投げかけた。

 それに応じて、暗殺者――風魔小太郎は、赤い口蓋を見せて笑った。



「三浦荒次郎。やはり入れ替わっていたか」


「ふむ」



 7尺3寸の巨体を小揺るぎもさせずに、三浦荒次郎は低く唸ると言った。



「――やはり、分かっていて来たか」


「風魔を舐めるな。しかし、正直驚いたぞ。頼朝公の墓所に誘うとはな」


「義明さまの発案だ。あの方は、俺などよりよほど器量がでかい」



 荒次郎は言った。

 忍対策について足利義明に言上した時、この豪快な貴人は「面白い。それならば、協力してやろう」と、この状況をしつらえたのだ。



「くく。大殿は、法華堂を襲う格好ふりだけでよい、それで十分意味がある、と言っておられたがな。どうも年のせいか、風魔の使い方をお忘れになったらしい」



 言って、風魔は笑う。

 その口は、赤い三日月のよう。



「――わが性は破壊! 破壊! 破壊だ!!」



 風魔が、吼えた。

 その声は法華堂を揺るがす。

 小太郎が黒い塊を宙に撒くと、四方で爆音が響いた。



 ――火薬玉か。



 木の焼ける匂いがないか確認しながら、荒次郎は小太郎と対峙する。

 幸い爆発のみで、法華堂が燃える気配はない。



「殺しに来たぞ! 三浦荒次郎!」


「こちらも同じだ。お前ひとりを殺るつもりで、この仕込みをやった」



 ただひとり、風魔小太郎をる。

 小太郎は少壮だ。子も若いに違いない。間違いなく風魔の統率は緩む。

 そうすれば、鎌倉侵入とて、容易ではなくなる。これが荒次郎の忍対策だ。


 そのために、厳重な警戒により、侵入できる敵を絞りに絞った。

 ここに来れる忍があるとすれば、ただひとり、風魔小太郎だけだ。

 いや。小太郎とて多数の忍びの助けを借り、警備をゆがめてその隙間から無理やり体をねじ込み、かろうじて侵入を果たせたのだ。他の忍に、それができようはずがない。



「なにがあっても兵は動かん。たとえ法華堂が燃えても、外への警戒は解くな、と言ってある」


「当然の処置だな。ぬしは大殿よりも忍を知っている」



 ここで囲みを動かせば、それにまぎれて風魔が侵入してくる。惨事は免れない。

 だから、決着をつけるのだ。荒次郎と小太郎、たったふたりで。


 荒次郎が丸太を構えた。

 小太郎が忍び刀を構える。

 ともに七尺を越える巨体の主。この法華堂自体を狭く錯覚させる威容だ。


 膠着は一瞬。

 荒次郎が丸太を横に振るう。

 小太郎が避けながら、手裏剣を投じる。荒次郎はこれを鎧の襟で防いだ。



「相変わらず、馬鹿のひとつ覚えかっ!」


「丸太以上の武器などない!」


「ぬしが持てば、そうだろうなっ!」


「お前は丸太を持たんのか!?」



 言いあいながらも丸太が旋風を起こし、忍び刀が閃く。



「ぬしと力で勝負すれば負けるは必定! なら勝つ武器を選ぶが忍よ!」



 ふいに、風魔が手裏剣をまき散らした。

 荒次郎は丸太を正面に構え、襲いかかる手裏剣を防ぐ。

 同時に、足元にも撒き菱が転がされたのを見逃していない。

 しかし準備は万端。わらじは鉄板仕込みだ。たとえ毒が塗ってあろうと問題ない。



「丸太を盾に使うか! ええい、厄介な!」


「厄介な武器だろう? いいだろう?」


「しつこいわっ!」



 叫び合いながらも手は止まらない。

 大丸太の大旋風と手裏剣と刀の旋舞。

 ふたりの巨人の戦いは、雄々しく、激しい。



「……ひとつ、聞いていいか」



 激しい応酬の末、ふいに動きを止めると、小太郎が問いを発した。



「なんだ」


「ぬしは、大殿を倒して、どうしたい」


「……なぜ、そんなことを聞く?」



 荒次郎が問い返すと、風魔は口の端を曲げ、言った。



「大殿の望みは天下の差配だ。その最大の障害である、ぬしの望み、冥途の土産に聞いておくも一興」



 壮絶な笑いを浮かべる小太郎に、荒次郎は表情を崩さず考え……答える。



「……五百年後の皆に、“俺”の名を届かせる。現状、望むとすれば、その程度のことだ」



 むろん、元の時代に戻れるものなら戻りたい。

 しかし、それが叶わないのなら。せめて自分の名を未来の皆に届けたい。それが荒次郎の思いだ。



「その程度とぬかすか。五百年の後に名を残すことを、その程度と」



 風がくように、風魔が笑った。



「――ふっ。大殿とぬし、どちらが上か。所詮忍び者にはわからんわ。だが、その壮大な夢を破壊出来るのなら、この上ない喜びよ!」


「そうはさせん!」



 双方、叫びながら構えをとる。

 いつしか、小太郎の瞳には清澄なものが宿っていた。


 荒次郎は気づいている。

 平静を装ってはいるが、小太郎の左足が折れていることを。

 荒次郎が振り回した大丸太の一撃を、躱しきれずにかすらせた結果だ。

 折れた足で、法華堂の警備を抜けるものではない。小太郎は荒次郎と刺し違えるつもりなのだ。



「三浦荒次郎義意、参る」



 荒次郎は自然、名乗っていた。

 風魔が悪鬼のごときその顔に苦笑を浮かべた。



「忍び者には過ぎたる光栄よ……卑しい身なれど風魔小太郎、受けて立とうぞ!」



 叫び声。

 殺気が膨らんだ。

 七尺を越える風魔小太郎の巨体が動く。

 その動き疾風の如く、まさに風の魔そのもの。


 命を捨てた小太郎の一撃。

 荒次郎も、すべての力を一撃に注いだ。



「おおっ!」



 みちり、と異様な音を立て、荒次郎の指が丸太に埋まった。

 八十五人の大力を存分に尽くして、荒次郎は一陣の風と化した風魔に、颶風ぐふうを巻いて唸る丸太の一撃を叩き込む。


 もし。

 もし、小太郎の足が万全ならば。

 その動きは疾風でなく、光に形容されるものになっていただろう。

 だから、紙一重。届かなかった忍び刀の一撃は、本来ならば荒次郎に届いていた。荒次郎の命に届いていた。


 その手練に敬意を表しながら、荒次郎は叫ぶ。



「三浦荒次郎義意、風魔小太郎を討ち取ったり!」



 荒次郎の声が届いたのだろうか。

 丸太に潰され、半分になった小太郎の顔は、なんともさわやかな笑顔を浮かべた。


 風魔小太郎、法華堂にて討たれる。享年は不明。

 これにより、以後、鎌倉への焼き働きは止んだ。







◆用語説明

俺にはまだ八郎兵衛が要る……ガタッ

エルフさんの忍び殺しの仕掛け……劣化熊本城である。

さもありなん……両方である。


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