第2話 エルフ/TS/お姫様

「あ、荒次郎さま……お呼びでしょうか」



 エルフの少女が、硬い声で尋ねてくる。

 どのような理由からか、がちがちに緊張している様子だ。



 ――なぜだ。



 荒次郎は混乱した。

 ここは戦国時代のはずだ。

 だが、目の前にいる荒次郎の嫁だという少女は、どう見てもファンタジーな世界の住人だ。



「……ふむ。おりいって話さねばならないことがあってな。まあ、座ってくれ」


「は、はい」



 荒次郎が気を取り直して声をかけると、少女は消え入りそうな返事をして、ちょこんと座った。



 ――耳がしおれているのは、感情表現か。



 などと考えながら、エルフを見下ろす。


 身長差が激しい。

 まつと比べれば、少女も小さくはないが、それでも2mをはるかに越える荒次郎からすれば、幼児を見下ろす感覚だ。



「ご、ご用件は何でしょうか」



 ――どうも怖がられているようだ。



 考えながら、荒次郎は思考を巡らせる。

 想定外もいいところだが、この和装エルフは自分の嫁で間違いないようだ。


 だったら。

 荒次郎は当初の予定通り、彼女を頼ることにした。



「……端的に話そう」



 エルフの少女を見下ろしながら。

 荒次郎は短く告げて、それから言葉を続ける。



「どうやら俺は記憶喪失らしい」「や、やっぱりする・・んでしょうか!?」



 ふたりの言葉が重なった。

 おたがい、しばし沈黙。

 ややあって。



「はい?」



 エルフの少女が、頓狂とんきょうな声をあげた。



「ふむ?」



 と、軽く首を傾げてから、荒次郎は説明する。



「どんな具合か、俺には以前の記憶というものがない。だから嫁のお前に、まず相談することにした」


「……あー、ひょっとして、ですけど」



 恐る恐る、という風情で、エルフの少女は尋ねてくる。



「――パソコンとかロケットとかって、わかったりします?」


「知っている。学校で習ったからな」



 少女の問いに、荒次郎は淡々と答える。

 それを聞いて、少女の顔が、みるみる紅潮していく。



「は」


「は?」


「早く言えこのばかー! てっきり、ついにねやへお呼びがかかっちゃったのかと思ったじゃないかー!」



 体全体で、怒りを主張するエルフの少女。

 荒次郎には、彼女が怒る理由がわからない。


 彼女は荒次郎の嫁のはずだ。

 だったら、閨にお呼びがかかっても、なんら不思議はない。彼女の方も、それを恐れる理由は無いはずだ。



「どういうことだ?」


「ああっ! 察し悪いなあっ!」



 首を傾ける荒次郎に、少女は頭を乱暴にかく。

 それから耳をつんと跳ねあげて、彼女は言った。



「――私もおんなじ境遇なんだよっ! 三日前からっ!」







「私の名前は真里谷初音まりやつはつね



 エルフの少女が名乗る。



上総かずさ武田氏、真里谷信勝まりやつのぶかつの娘ってことになっている。お前――相模さがみ三浦氏当主、三浦弾正少弼義意みうらだんじょうしょうひつよしおきの嫁だよ」


「悪いが、言っていることが、まったく理解できん」



 初音の自己紹介を、荒次郎はバッサリと切り捨てた。

 少女は「まあ、一般レベルじゃ知らないよなあ」とため息をついてから、荒次郎に向き直る。



「なにがわからないの?」


「全部だ」


「……全部じゃわからん。イチから説明するから、ちゃんと言え」



 なにかを必死で抑える様子の少女。

 眉とともに、耳がぴくぴくと震えている。



「では、まず俺のことを教えてくれ。三浦弾正なんとか、とは何だ」


「弾正少弼な。官職名。そのへんはおいおい説明する。差し迫って必要じゃないし、さきに抑えとくべきとこ抑えとかないと、情報と専門用語の嵐におぼれて理解できないと思うから」


「ふむ。では俺がまず、知っておくべきことは何だ」



 荒次郎が尋ねると、エルフの少女は人差し指を床に立てて、問う。



「まず、ここがどこか知ってるか?」


「知らん。だが、伊勢宗瑞いせそうずい――北条早雲ほうじょうそううんが居るのだから、関東の南のあたりか?」


「どの程度の知識でそう判断したのか知らないけど、正解。現在――というか、平成でいうところの神奈川県、三浦半島の先っちょのほうに、この城はある」



 一息ついて、少女は言葉を継ぐ。



「大昔からこの三浦半島に土着している豪族が、荒次郎。お前が当主をやってる相模さがみ三浦氏だ。相模は国名な。あ、国ってのは律令制の――ああっ! ややこしい! 単語の説明は後回しにするぞっ! とにかく、まず理解すべきなのは、三浦半島を支配する豪族の当主で、数え十八歳ながら“八十五人力の勇士”の異名をとる、お家にとって欠かせない逸材が、お前にすり変わっちまったってことだっ!」


「ふむ。なるほどな」



 荒次郎はうなずいた。

 本来居るべき有能な当主と入れ替わってしまったという事実は、荒次郎も薄々は察していた。



「――しかし、俺と同い年の当主か……若いな」



 荒次郎は、なんとなくつぶやく。

 その言葉に、エルフの耳が跳ねた。



「同い年って、“中”の話だよな? その落ち着きようで……年下?」


「ふむ。エルフさんは年上なのか?」


「エルフ言うな。二十六歳だよ。まあ、“真里谷初音”はお前よりまだ年下だけど」


「敬語を使った方がいいか?」


「いや、止めてくれ。対外的には夫婦なんだ。いまのままでいいよ。むしろ私の方が、他人が見てるところでは“旦那さま”とか“主さま”とか呼ぶから、それで変な顔するなよ」


「ふむ」



 少女が忠告すると、荒次郎は顎に手を置き、想像して、それから言った。



「――いいな」


「いいな、じゃない! こっちは真面目に考えてるんだから、真剣に聞いてくれよ!」


「俺はいつでも真剣だが?」


「なお悪いっての……まったく、私が初音として目覚めた初日なんて、周りが引くくらいパニック状態だったのに、なんでそんなに落ち着いてるんだよ」


「情報が足りず、なにをすべきかも分からないのに、いたずらに騒ぐべきではないだろう」



 年少者の的確な答えに、エルフの少女は打ちのめされた様子だったが――ともかく。



「話を戻そう」



 しばらくしてから、少女は切り替えた様子で、話を再開する。



「――現在、私たちの居る新井あらい城が伊勢宗瑞の軍に攻められているのは、知ってるな?」


「ああ。にしては、なんというか、静かだが」



 白刃のぶつかる音、ときの声。断末魔だんまつまの叫び。

 籠城からイメージされる、そういった音の類が、この部屋には一切届いていない。



「城攻めといっても、ぶつかり合いが毎日続くわけじゃないし、いまのとこ、戦場は“外の引橋ひきはし”――この新井城から北東に三キロほど行ったあたりだからな」



 荒次郎の疑問に答えてから、エルフの少女が言葉を続ける。



「伊勢宗瑞は、知ってると思うが、後の北条早雲だ。中央官僚だったのが地方に渡り、一代で伊豆いず、相模二国を平らげた乱世の梟雄……で、なんとなくわかってると思うけど、私たちの居る新井城は、相模国・・・三浦半島の先っちょにある。つまり」


「俺たちは、このままいけば滅ぼされる運命にある、ということか」


「史実では3年、持ちこたえたけどね」



 乾いた笑いを浮かべながら、初音が言葉を継ぐ。



「――頼りの三浦家当主がこのザマじゃ、一ヶ月耐えられるかどうか……まあ、ガチムチに無理やり手籠めにされる心配だけは無くなって、正直ほっとしてるけど」


「ひょっとして」



 ふと思いついて、荒次郎は問う。



「エルフさんは、元は男なのか」



 外見は、どうしようもなく女だ。

 しかし、この和装エルフ、言動や仕草がどうにも男っぽい。



「そ。ただのしがない歴史マニアのサラリーマンだよー。それがなんの因果でエルフの女になっちゃってんだか。あははははー」



 そう言いながら、エルフの少女はヤバげな表情で笑う。

 それを見ながら、荒次郎は疑問を口にする。



「ここは、本物の戦国時代なのか?」


「あー、それは間違いないよ。永正10年。西暦にすると1513年の日本。聞こえてくる固有名詞、歴史の推移、軍の装備なんかを見ても、間違いない。ついでに言うと、エルフな外見の人間も私以外存在しない。なんだよこれ異端ってレベルじゃねーぞ!」



 よほど鬱憤がたまっていたのか、外見だけは美しい金髪美少女は、一息に吐き出した。



「……なんというか、俺よりよほど大変だな」


「当たり前だ。というか私と同じ境遇になったと考えてみろ。男とえっちするとか、考えただけで軽く死にたくなるぞ?」


「そうか」



 うなずきながら、荒次郎はふと疑問に思う。



「――しかし、そんなに嫌だったなら、仮病でも使えばよかったのではないか?」


「それがダメなんだよ。まつがな」


「あの侍女か」


「ああ。あの娘、ああ見えてむちゃくちゃ押しが強くてさ。私がお前とねやを共にするのを嫌がったら、泣きながら怒るんだよ。せっかくの機会をふいにするつもりですか!? とか」



 エルフの少女は、耳を垂らしながらため息をついた。


 まつは純粋な少女だ。

 それゆえに、夫婦の営みを持つことは、主たちにとって良いことだと信じきっているのだろう。

 まあ、まさか自分の仕える女主人が、別人格かつ男の精神を宿しているとは、想像がつくはずもないだろうが。



「それで、来た時あんな状態だったのか」


「ああ。まあ、そんなわけだから、まつの前では、ちゃんと夫婦してる風を装っていてくれ。頼むから」


「ふむ」



 荒次郎は顎に手を置き、それから事もなげに言った。



「別にフリじゃなくてもいいぞ。俺は」


「私がヤなんだよ。アホか。死ねよ」



 エルフの少女は目を怒らせて毒づいた。

 罵られて、荒次郎は天井を見上げながら、不思議そうにつぶやいた。



「なぜだ」







◆用語説明

閨――寝室のことだが、「閨にお呼び」で夜のお誘いの意味になる。

史実の荒次郎――リアル戦国無双にして怨霊伝説を持つ戦国屈指の陸戦モンスター。


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