第一章 勇あるものの系譜

第1話 「勇者」の末裔

 空を見上げていた。人工衛星は、晴れた日なら肉眼でも観察出来るそうだ。どこを飛んでるかも知らないけど。

 ふぅと息をつき、教室内に目を戻す。新米歴史教師が、黒板に≪魔法史≫と大書していた。中学の頃の授業内容によれば、江戸時代直前に挟まれた暗黒の200年間だったか。その頃の市民は魔法が使えたらしい。ほんとかよ。まあ歴史家が実在したと言い張るならもうそれでいい。空を飛び回るのが人工衛星だろうと魔女だろうと、頭の上に落ちてこない限り僕には関係がないのだ。

 この授業、漫画読みなんかは大喜びしそうなものなのに、その実クラスの半数は眠りに落ちていた。お勉強にされてしまえば、結局ただの作業になってしまうのかもしれない。趣味は趣味のままおいておくから趣味であって、こうやって真面目に考えるものではないんだろう。かくいう僕も積極的に眠りに就くつもりだった。どうせ導入くらいは中学でもやっている。そして結末はこんな感じ。『勇者』に追われた『魔王』は東へ東へと逃げ、最終的に日本で果てたのだった…。中学の教科書で見た挿絵は、勝利した『勇者』の浮世絵。古いゲームにでも出てきそうな聖騎士が浮世絵(もちろん聖剣の形は日本刀)。乾いた笑いしか出なかったものだ。

 もういいや、そろそろ寝よう。教科書を閉じ机に突っ伏する。途中で目に入ったのは、また一人脱落したことに、あたふた泣きそうな先生…うん。おやすみ。ごめんだけど、僕にはこっちの方が重要だ。目を閉じればすぐに、五感から来るあらゆる情報が途絶えた。


 授業終了のチャイムで目が覚める。きっかり一限がっつり熟睡。我ながら見事だ。先生が肩を落としながら教室を去り、日直が黒板を綺麗にしたら今日の5時間目は完全に消失した。木曜日はHRなし。後は帰宅するだけだ。弛緩した空気の中、僕はさっさと立ち上がり級友に声をかける。

「望月、帰ろ」

「お。今日は部活はいいのか?」

「今週は顧問が休みだから、自主練」

「なるほど。感心しないな」

そう言いながらも微かに笑い、帰り支度に入る帰宅部望月。付き合いやすい良い奴め。

 廊下へ向かう道すがら、何人かと挨拶を交わす。…なんだか妙ににやにやされている気がする。なにかやらかしただろうか。

「お前が寝てる間に、ちょっとな」

「え。マジで理由あるのこれ」

「教科書読めばすぐわかるぞ」

「…じゃいいや」

望月までにやにや笑い始めた…。ま、どうせ寝てる間にいたずら書きでもされたのだろう。そしてこういう悪ふざけに全力で乗っかるのは男子の嗜みだ。きっとみんな僕のリアクションを期待しているのだろう。ならば応えなければなるまい。次に教科書を開くとき、どんな風に驚けばウケがいいだろうか。また考えておこう。

 校門を出てすぐ右に曲がる。学校のすぐ裏手に寺があって、なんというかそこが望月の家である。一緒に帰るって感じは正直薄い。でも寺の参道は時を経て片側二車線の大通りと化しているので、バス通学の僕はこの辺りから乗車するのが地味に便利なのだった。

「それじゃ、また明日」

「うん。またね」

 一緒にバスで帰れる友達くらいいないでもないのだが、流石にイレギュラーな休みはひとりぼっちの帰路となる。流れていれば最寄りバス停まで20分。そしてバス停から徒歩10分で自宅。まあまあ近い方なのではないか。

 都合よくすぐ来たバスに乗り込み、次回の盛り上げのために歴史の教科書を開く…が、特にいたずらは見当たらなかった。とすると、記述の方だろうか。《魔法史》の範囲に、何か悪口めいた語呂合わせでも見つけたのか――

  視界が、反転した。


 違う反転したのはバスそのものでガラスの割れる音叫び衝撃腕に走る痛み、カバンが飛んで行く、拾わなきゃ、いやそんなばあ、いじゃ、ない

 視界が真っ白になり…全てが止まった。窓も何も通さず空が見えて、車外に投げ出されたことがわかった。全身痛いが、傷は軽いようだ。起き上がれる。確認するように見回すと、バスは思ったより遠くに転がっていた。一方近くには、読みかけていた歴史の教科書が、先ほどのページを開いたまま転がっている。

 拾おうとして気づく。側にはもう一人、横たわる少女がいた。服はそこかしこ破れているが傷はない。そしてこちらをじっと見ていた。

「…!」

かわいい。


…。

…。

「じゃなくて!」

「?」

「大丈夫?怪我はないみたいだね」

「え、あ、うん」

「歩けるかな」

「あの」

「え?」

なんか思いつめてる? かわいい女子がしどけない姿で上目遣いで。事故直後に。いやおかしいだろ。

「あの…」

「は、はい!」

思わず元気に挨拶しちゃう僕なのだった。女子に免疫がない。

「私を」

「あなたを」

「私を、斬り殺してください!」

「わかった。ごめんわかんない」

…想定外に想定外を重ねてきた。完全にキャパオーバーだこれ。

「あ、刀はこれです」

簡単に渡してくるし。日本刀。勇者の浮世絵みたいなマジなやつ。なんであんのよ。しかもなんかこの重みは本物な気がする。つーか待って、展開進めないで。

「追っ手が来てるの。バスをひっくり返したのもその人なんです。だから斬って?」

脈絡が全く掴めない。

「大丈夫、斬り殺しても私はしなないんだよ。傷もすぐ治るの」

あー無傷だったのはそういう。いや信じられるかよ。

「斬ってくれたら、たぶん勝てるから」

なにひとつわからない…でも。

向こうからゆっくり歩いてくる、異常な大男。それが、この子を狙ってることだけは明らかだった。

護れ。どこからか、囁かれた気がした。それは僕の気持ちと不思議とリンクした。

「なんで、斬ると勝てるの?」

「レベルが上がるの。経験値だよ」

「そっか」

信じられる気がした。刀を抜き、刀身を眺める。濡れたように光る刃には何か、そう魔力のようなものが、感じられた。

そして

そのまま

僕は

刀を

振り

彼女を 斬った。


 躊躇いはなかった。一瞬彼女は目を見開き、一瞬彼女の中身が見え、一瞬彼女は血に塗れ、一瞬後に、彼女は無傷のまま小さく喘いだ。

【ぺーぺぺぺーれれれってって〜♪】

ファンファーレが鳴り響いた、気がした。

 気づけば、大男はすぐ目の前に迫っていた。巨大な手斧を持っているのに気づく。彼はそれを振りかぶると、僕らに向かって全力で振り下ろす。一連の流れは――全く躍動感のない動きに見えた。

斜め15度くらいから降りてくる斧を、僕の身体がスムーズに避ける。刃の側面についた傷が幾筋も見える。大男が空振りし、バランスを崩したのが手に取るようにわかる。脚を適切な位置にかけるだけで、彼は完全にコントロールを失い、豪快に転んだ。

「おおお!」

勢いに任せ、僕は転んだ男のみぞおちを思いっきり踏んづけた。すると思いの外エグい音がして…彼は痙攣し、全く動かなくなった。やり過ぎじゃないことを祈る。斧とか持ってるんだもん(日本刀を持った少年は語る)。死んでないよね? 追加の経験値も入ってないみたいだし。


「…で、改めて説明してもらっていいかな」

「あの…」

また上目遣い。マジやめて欲しい。顔が熱くなるのを感じて目をそらす。

「あの…!」

うわ、回り込んできやがった。アクティブかよ。延長線上にさっきの教科書が落ちていたので、見つめて堪える。あれほど激しい戦闘の後なのに、未だに例のページだった。かかか帰ったら今日の復習をしないとなー。

「あの」

こほん。彼女が軽く咳払いをして朗々と口上をあげたのと、泳いだ目が開いた教科書の一節に届くのはほぼ同時だった。

「貴方を勇者の正統なる子孫と慕って参りました。私を守ってください。会津春成さま!」

『勇者の血統は現代では広く伝わり、会津家など日本国内にも現存する。』


…は?

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