1/魔術師+聖職者+身元不明=騒乱
1‐1
■■■
―――どこだ、ここ?
目が覚めると、遥か彼方まで続く草原に放っぽり出されていた。
人工物も森林も山岳も何一つない。グリーン一色の平たい大地と、怖いくらい真っ青な空に太陽がぽつりと浮かんでいる。
先程口にした通り、現在位置は不明。
とにかく今までの記憶を思い返してみよう、と頭を捻ってみるものの過去の記憶そのものが空白だった。何も覚えていない。何かあったような気はするが、その何かが分からない。自分の名前すら微塵も覚えていない。
もしかして記憶喪失なのだろうか?
つまり、場所も分からなければ、自分のことも分からない。
そう思うと、のんびりとした空間が周囲に広がっているものの、正体の分からない恐怖感が心の奥から湧いてきた。僅かに表情に焦燥の色が浮かんだ。
それで、数分の間考え込むのだが。
見渡しても人がいないこの地から一先離れようと決心すると、起き上がり前へ前へと足を進めていく。
――だがしかし。
進めど進めど景色が変貌することはなかった。
真っ青な空と一面広がる草原ばかり。
太陽は一点から一向に動かない。
より一層、恐怖は積もる。
焦って草原を走り抜けてみるものの速度の必要性など皆無とでもいいたいのか、それとも距離の概念すら存在しないのか、動いているはずなのに全く景色が変わらない。それからようやく、これは可笑しいと本格的に疑問を抱くようになる。
しかし、解決策など一向に浮かばないもので。
そんな時、背後から、何かが大地を擦る音が聞こえてきた。
この変わりない世界に訪れた変貌に思わず歓喜しそうになるが、後ろを振り返ってみると顔を青ざめることとなった。
――それは、簡単に言うならば巨大なスライムだ。
ライムグリーン色のスライムはまるで山岳ほどの巨体を誇り、ただまっすぐとこちらへ接近する。咄嗟に横に逃げようかと思ったが、スライムの横幅を目測したところ正直言って先が見えなかった。
よって、ただ前進に突き進むのだが。
遅いように見えて巨大スライムの速度は想像以上に早く。
俺は跡形もなくそいつに飲まれてしまった――
「―――――――――ッッッ!!」
思わず叫び声を上げそうになりがら、ガバリっと起き上がる。
その時、ふと思った。
……あれ、スライムは?
周囲を見渡してみると、この場所に見覚えはないものの、見知ったものはあるようで。木材を基調として作られたこの室内には、生活するための家具や日用品が様々な場所にあった。俺は一人用のベッドにいて、被っていた毛布は起き上がった当時に身体から殆ど剥がされていた。窓からは陽光が指していて仄かに室内を照らしていた。
どこだ、と問うことはまだなく。俺は少しばかり天井を呆然と見つめていると、ようやく先程の光景が夢だということに気が付いた。
で、安堵したのか力無くベッドに再び倒れこむ。
そして、
「……ここ、どこだ?」
今更ながらそんなことを呟いた。
そして、それから一、二分すら経たず奥の方からガチャガチャと扉を捻る音が聞こえてきた。瞬間、再びベッドから起き上がり思わず身構えた。
が、奥の方からやって来たのは銃を構えた特攻隊長でも、チェーンソー構えた首切りバニーでもなく。少しばかり目つきは鋭いが顔の作りは整っていて、肩に掛かる黒髪が綺麗で、背丈が低くい華奢な可愛らしい少女だった。
少女は少しばかり膨らんだ茶色の紙袋を抱えていて、こちらに気が付くと僅かに意外そうな顔を見せた。
「なんだ、まだ居たのか」
「……えっと、貴女はどちら様で?」
戸惑ったように冗談っぽくそう口にすると。
「この家の主だ。……ほら、起きたならさっさと家に帰れ」
紙袋を傍のテーブルに置きながらぞんざいな口調で言った。
一方、こっちは困ったような表情をしながら、
「あの、もう少し状況説明をお願いしたいというか……。どうしてこうなっているのかを教えていただければ嬉しいなあ、なんて……」
「? 覚えていないのか、お前?」
「ええ、まあその。てか、自分の――」
――名前すら分からない。
と、口にしそうになったその時だった。
胃が空っぽだったのだろう。
くぎゅぅっ、となんとも可愛らしい音が聞こえてきた。
こっちはそれにとても恥ずかしい思いだったが、少女の方は平然というかむしろ呆れものを見るような目をしていた。
「飯までたかるつもりか、お前?」
「………………すみません。お腹空きました」
■■■
冷たい視線を浴びせながらも、少女は親切なことに朝食をサービスしてくれた。出されたものはシンプルで、トーストとママレード。そして、ミルクが入った紅茶だった。
目の前にそれに目を惹かれていると、
「……量が少ないとか、飯が簡素だとか言っても知らないからな。これが英国式だ」
「いやいや、そんなこと微塵も思ってませんよ? むしろとても感謝してます」
そう言って、深々と頭を下げたが。少女は短い返事としてさっさと朝食に手を付けていた。それに遅れて俺も朝食に手をつける。
(英国式ってことは、これがフル・ブレックファストってやつかぁ……)
と、妙な感心を抱きながら朝食を頂いていると、よっぽど空腹だったのか食事をしながら話を聞くつもりが食事そのものに集中しすぎていた。で、朝食を食べ終えた後、満足感に浸って表情を緩めていたが。
その時、
「……お前、話が聞きたかったんじゃなかったのか?」
「…………、」
「ああ、馬鹿なんだな」
酷いやい、と軽く落ち込んでいると。
こちらを一切気にすることなく少女は口を開いた。
で、話を聞いて分かったのだが、どうやら俺は人型のスライムに捕食されたのか知らないが、そのスライムの身体から出て来たらしく。しかし、出て来たものの気絶していたようで、少女はこの家で介抱してくれたようだ。……スライムに食べられたのって夢じゃなかったのか。いや、あれは夢なんだろうけど。
そんなことを思っていると、少女は手で払うような仕草をしながら言った。
「ほら、全部話してやったんだから、さっさとここを出ろ」
そう言われて、少しばかり戸惑っていると。
少女は怪訝そうな顔をする。
「……なんだ? 何か用件でもあるのか?」
「いや、そのー……ここを出たところで行先がないというか。帰る場所がないというか、現状色々と忘れてしまったというか、自分の名前すら覚えてないっぽくてー。身分証明書とかも一切手持ちにないんだけどー。
――ぶっちゃけこれ、どうしたらいいんだろう?」
「………………、」
凄く形容し難い視線が飛んでくる。
必死に苦笑いを浮かべることでその視線から耐えていると、
「つまり、記憶喪失なのか……?」
「…………はい」
「……まさか、『アルビオン』のことも分かっていないのか?」
「???」
初めて聞く単語に思わず首を傾げる。
対して少女の方は、「マジか、お前……」と顔を押さえていた。
それから、少しばかり間を置いて少女は『アルビオン』というこの街について話してくれた。話を聞いていると、ところどころ理解の追いつかない話しがあったが、少女曰く、「この街に存在するものは、街の外にいる連中にとって金になる木に見えるようだ。そのお陰か、各国から様々な組織、人間がこぞってここに居を構えている。それに、世界の闇に紛れていた連中もうじゃうじゃと暮らしている。ま、ようは物騒な街ってことだ。実際、ここの死亡率半端ないからな。暮らしている人間もろくでもない奴が多いし、人間を食う化物とか普通にいるからな。人気の少ないところに足を運んでしまい、気が付けば脳味噌だけになってしまいましたとか話も多々ある」ということらしく、ここはかなりやばいということを理解した。あと、どうしてそんな場所に俺はいたのか心底不思議だった。
少女は『アルビオン』とやらについて話し終えると。
「まあ、とりあえず警察の下まで届けてやるよ」
やっほうい、と内心で歓喜した。
そして、
「その、ありがとうございます……えっと、」
「
「……ありがとうございます、オトギさん」
心を込めて、改めて礼を口にすると。ふんっと随分と素っ気ない態度を取られてしまった。が、確かにこの人は、こんな見ず知らずの正体不明男に手を焼いてくれるほど優しいのだろう。もう一度だけ、心の中で感謝しておいた。
その間にオトギさんは出かける支度済ませたらしく、
「ほら行くぞ。ちなみにタクシーは使わないからな。徒歩だぞ、徒歩」
そう言って催促してきた。
そして、俺はオトギさんの後をついて行く。
で、道中のことだが、その時ばかりはこれで救われると思い。また、さっさとこんな場所をおさらばして平穏を手に入れようと呑気なことを考えていた――そんな考えを抱いてしまうくらい、街を出歩いた瞬間ろくでもない光景が広がっていた。どうして街中でアクション映画よろしくばかりに銃撃戦が行われているのだろうか。その弾丸を何発も受けてピンピンとしていた、あの筋骨隆々としていて腕が六本も生えていて明らかに人類とは程遠い造形をした化物は何者なのだろうか。オトギさんはこれが日常といった風に平然としていたが、小庶民である俺にとっては恐怖でしかなかった。こんな日常、一時たりとも耐えられる訳がない。
恥ずかしながらも俺はオトギさんの腕に掴まりながら歩いていること数十分、ついに念願の警察署へと辿り着いた訳である。
そこで、オトギさんとは別れ、署内へとレッツゴーである。
この時は随分と浮き足立っていて、事情説明の時もなぜか浮ついた調子で話しているたところ。
「―――え? 君、記憶喪失なの……?」
そう、警察の人は驚いていた。
そして僅かばかりに警察の人は頭を抱えながら、「……まいったなあ。こういう時って確かちゃんとした方法だと身元調べたり、病院届けたり、自治体がどうのうこうのうって色々と面倒だったよなあ。あー、嫌だなあ。こういう奴ってどうしてこうこの街で一定の確立で出てくるんだよー。こういう時にレザーさんがいれば……あっ、そうだ」、と何かを呟いていたが。声が小さいこともあって、一切聞こえなかった。唯一分かったことと言えば、警察の人が妙案閃いたとも言いたげに何かを思い付いた表情をしていたくらいだ。
で、警察の人は、
「少し上の人と話してくるから、そこで待っててね」
そう口にして数分ばかり席を外すと。
こちらの下へ早歩きをしながら帰って来た。
……不気味なほどいい笑顔をしながら。
それにはつい俺は怪訝な顔をしていたところ、そんなもの一切気にする素振りを見せるとなく警察の人は口を開いた。
「えっと、確か君をここまで連れてきたのって、『宝月オトギ』っ人でいいいんだよね?」
「え、あっ、はい」
警察の人からの質問に、僅かに声を詰まらせながら答えた。
すると、
「了解っと―――じゃ、当分こっち方で身元を保護するから」
突然とそう告げた。
この時は、これからどうなるのか先の分からない不安に僅かに怯えていたが、胸中の大部分を占めていたのは、保護されることにより安全を確保された、ということに対しての喜びだった。
実際、保護されていた間は、働かなくても三食が付いて来たし、化物が暴れているド級に危険な外界に干渉することなく安全に暮らせることが出来て、まさに安寧で幸福だったのだろう。
――しかし、だ。
警察の下に保護されから一週間後。
結末は、予想外の事態に陥るのだった。
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