第一章 始まりはいつも不意に

第1話

 毎日毎日、同じことの繰り返し。生まれてこの方、この人生を楽しいと思ったことはなかった。


 朝食を食べて勉強をして昼食を食べて勉強をして運動をして夕食を食べて自由時間。外出なんてできやしない。だから八月だというのに夏を感じることはない。夏に限らず季節を感じる時間なんて用意されていなかった。自由時間がある。でも、できることには限りがある。国営放送だけが流れるテレビを観るか、雑誌や面白くもない本を読むことぐらいだ。


 空中国家〈日本〉。北海道も本州も四国も九州も沖縄も宙に浮遊しているこの国。その沖縄に設置された【特異生物収容所】。


 一七歳・高校二年生に相当する俺――水神みなかみ竜杜たつとはそのくだんの収容所に収容されている身である。


【特異生物収容所】。


 魔法使いだらけの〈日本〉において、通常の魔法使いよりも特異性のある生物を問答無用で収容する施設であり、ほぼ強制収容所と言っても差し支えはない場所。つまり、この収容所にいる奴らはみんな普通じゃない。いや、ただの人間にとって魔法使いは普通じゃないのかもしれない。でも、ここにいる俺らはただの人間からしてもただの魔法使いからしても普通じゃない存在だ。


 異端者は迫害される。


 かつて、魔法使いが日本などという小さな島国に追いやられたように。俺たちのように特異性のある異常な生物はここ沖縄にある【特異生物収容所】に追いやられるのだ。


 俺なんて物心ついたときからここにいた。おかげで両親の顔なんて憶えていないし、そもそも自分の出自さえ知らない。


 俺の世界はここだけだった。


 真白な病院のような【特異生物収容所】だけが俺の世界だった。すべてはここで完結し、きっと俺はこの場所で一生を終えるのだ。そう思っていた。

 でも、それは違った。予想外にも違ったようだ。


「この小さな世界から外の大きな世界へ出る気はないか?」


 夕方。今日のスケジュールを消化した俺は夕食までの時間、自分の独居房にいた。

 俺が寝起きする病室のように清潔感のある独居房の前で、【特異生物収容所】所長のアルティゴス・ティフォンがそんなことを言った。そもそも所長さまがこんな所へやって来るなんてことは有り得ないはずなのに、いったいどういうことなのか?


 俺は所長がここにいることへの疑問を抱きつつも、言葉の意味を図るために「どういうことだ?」と訊き返す。


「この収容所を出たくはないか? って意味だ」


「そんなの出たいに決まっている。でも、出られないから俺はここにいる」


「そうか。出たいとは思っているんだな」


 アルティゴスはそう言って少しだけ口角を上げて「ふっ」と吐息をするように笑った。


「ならばついて来い」


 アルティゴスがそう言うと、がちゃりと牢獄の扉が開く。


「行くぞ」と言ってアルティゴスが歩き出すので、俺は彼について行く。


 何がどうなっているのかわからないけれど、ついて来いと言われた以上はついて行く。


 そして、行きついた先は所長室だった。


 アルティゴスに続いて俺も所長室に入る。入ると、そこには先客がいた。男だった。歳はアルティゴスと同じくらいの六〇代と言ったところか。だが、ブロンドの髪であるアルティゴスに対してその男の髪は黒。北欧系のアルティゴスに対し、その男は日本人であった。


「誰だよ、あんた」


「私はこういう者だよ」


 そう言って男は名刺を渡してきた。


 名刺にはこうある。


 公安調査庁 調査第一部第三課長 五瀬いつせ穂尊ほたか


「公安……」


 公安と言えば、それはつまり情報機関ではないか。また何で公安の人がここに?


「いったい、俺に何の用で?」


 俺は五瀬さんに訊く。


 ごほん、と。五瀬さんが咳払い。


「今、」と彼は口を開く。「巷で猟奇殺人事件が起こっているのをきみは知っているだろうか?」


 言われて、俺は考える。そういえば、と思い出す。ニュース番組や新聞で変死体が相次いで見つかるという内容のものを見かけた気がする。


「聞いたことはある、かな」と俺は言った。


「そうか。でも、その口ぶりだと詳しいことは知らないようだな」


 俺は頷く。


「ならば、説明しよう」


 五瀬さんはそう言って書類をテーブルに並べる。その書類の中には写真もあって、免疫のない人が見たら卒倒する内容だった。欠損のある血まみれの死体が写った写真。


「今まで五人の人間が殺されている。殺害現場は主に奈良県が中心だ。それで、五人のうち三人は両腕を切断され、あとの二人は頭部を切断されている。切断された両腕及び頭部はまだ見つかっていない」


「犯人が持って行ったんですか?」


「我々はそう考えている」


 俺は写真を見る。腕のない死体。頭のない死体。頭のない死体の写真を見ると、眼球が一緒に写っているのが見える。これってつまり眼球を刳り貫いてから頭部だけを持ち去ったってことか。


「犯人はわざわざ眼球を刳り貫いてから、その頭部を持ち去ったんですか?」


「ああ、そうだな」


「どうしてそんなことを?」


「眼球はいらないのではないかな」


 だから、どうして眼球はいらないのか。つーかそもそも犯人は何のために腕と頭を集めている?


「で、本題はここからだ」


 五瀬さんがそんなことを言う。いよいよ、俺がここへ呼ばれた理由が明かされるらしい。


「我々はこの殺人事件の裏にある組織が絡んでいると踏んでいる」


「ある組織?」


「そう。その組織の名は【此岸征旅ツーリスト】。魔法使いの繁栄と領土の拡張を掲げており、それを名目に下界への攻撃を何度も企んでいる。まあ、いずれもその情報を得た我々の介入があって未遂に終わっているがな。……で。きみにはこの【此岸征旅】の目的を阻止してほしい。どうせ今回も下界への攻撃だろう。きっとこの殺人もそれに必要だからやっているのだと思う」


【此岸征旅】の目的である下界――〈日本〉の下にあるアメリカなど世界各国への攻撃を阻止。確かに、空中国家〈日本〉と下界の世界とでは互いに干渉はしないという《不可侵協定》がある。だから、〈日本〉が下界に攻撃をすることはできない。逆もまた然り。


 で、五瀬さんは【此岸征旅】のその目的の阻止を俺にしろということらしい。いや、なんで? 今までだって公安やら警察やらが【此岸征旅】の行為を阻止してきたのだから、ここにきて俺に頼む必要はないのではないか?


「そんなのあんたらがやればいいだろ。どうして今になって俺を頼る。それに、俺はこんなことが任せられるほど有能じゃない」


「いやいや、きみは必要だよ。だいたい、我々は奴らに警戒され過ぎている。警戒され過ぎているということは、我々が奴らを監視している以上に奴らは我々を監視している。つまり、我々は動きにくい状況にある。奴らは我々の目を掻い潜りつつ計画を組み立ていくだろう。そこできみだよ。【此岸征旅】がまったく感知しない人間を用意することで奴らを出し抜くことができる」


「だから、なんで俺が?」


「きみが有能だからだよ」


「さっきも言ったが俺はそんなに有能じゃ――」


「いや、きみは有能だ」


 幼い頃からこの閉鎖的な施設に押し込められて、外の世界の情報なんてテレビや新聞や雑誌からしか得られなくて――つまり外界のことなんて無知に等しいこの俺が有能なわけがない。頭がいいわけでもなく強いわけでもない。


 五瀬さんは言う。


「きみは特殊な魔法使いだ。特殊で強力な」


 確かに特殊であることは否定しない。特殊だから俺はここ【特異生物収容所】にいるのだ。


 でも、


「別に俺は強くないと思うんだけど」


「謙遜はいけないな。きみは充分強い。なあ、ティフォン。お前もそう思うよな?」


 五瀬さんが所長の席に座っていたアルティゴス・ティフォンにそう問いかける。それを受けてアルティゴスが言う。


「そうだな。お前は強いよ。水神竜杜」


 な、なんだよ。二人揃って俺を持ち上げているのか。俺を調子に乗らせてこの依頼を受けさせようとしているのか。


 その手には乗らない。


「……」


 俺が黙っていると、五瀬さんが言う。


「まあいい。一日だけ時間をやる」


 五瀬さんが立ち上がる。そして扉の方へと向かい、ドアノブに手を掛けて扉を開ける。部屋から出る際に彼は口を開く。


「また明日来るから、いい返事を期待しているよ」

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