断章-慈悲の仮面-

第215話「追憶:氷血の童子」

 これは惟月が優月たちと対面する六年前の話。


 聖羅学院――羅仙界一の名門校であり、良家の子女や優秀な学生が通っている。

 初等部四年生の教室で、大貴族の御曹司おんぞうしであり、霊神騎士団団長・蓮乗院久遠の弟でもある惟月が霊法の構成式が記された教本のページをめくっていた。

(この程度なら、俺が自分で作った方が早いな)

 惟月の両親は、少し前に人間界で死んだ。

 葬儀など、諸々の儀式が終わって落ち着いたため、こうして登校してきている。

 落ち着いたといっても、家の状況の話であり、惟月自身の心はなんら乱れていなかった。

 断劾こそ会得していないが、準霊極に匹敵するほどの霊力を持つ惟月は、親など必要としていなかったのだ。

 親に限らず、同級生に対しても興味がない。

 慈悲心が欠けている代わり、類い稀なる戦闘の才を持っている――それが蓮乗院惟月だ。

 教室の扉が開き、惟月とは対照的に同級生を全員友達認定している少女が入ってきた。

「どうしたの、穂高ちゃん? そんなボロボロで」

 近くにいた女子が尋ねた通り、穂高の着物は随所が破れている。

「ちょっと探検してたの。自然が多いとこにあるって聞いたから」

 呑気な口調で答える穂高。

「探検?」

「これ見つけたんだよ」

 穂高は懐から赤い石を取り出す。

「そ、それって天理石じゃ……! 奇跡的な幸運をもたらすっていう」

 にわかに教室内がざわめき始める。

(天理石――王室の家宝にもなっている宝石か。相当貴重なもののはずだが、よく見つけられたものだな)

 くだらないことに精を出すものだ。

 奇跡などに頼らず、自分の力を磨けばいいものを。

 集まってくる同級生たちの間を通って、穂高は惟月の席の前に立った。

「これ、惟月さまにプレゼント~」

 宝物として大事にするのかと思いきや、こちらに差し出してきた。

 教本を置いて、一応受け取ってみる。

(妙な物質だな……。魂は込められていないのに意思のようなものを感じる。奇跡を呼ぶといううわさと関係があるのか?)

 先ほどまで明るかった穂高が悲しげな表情になって告げてくる。

「惟月さまのおとーさんとおかーさん死んじゃってさみしいと思うけど、これでなにかいいことあったら……」

 親を失って落ち込んでいる惟月を励まそうという考えらしい。

 見当外れもいいところだ。

「いりません」

 冷たく言い放つと、惟月は天理石を窓から投げ捨てた。

「あー」

 間抜けな声を上げる穂高に対し、惟月は鋭い目を向ける。

「天理石は幸運の石と言われていますが、これを持つと断劾が使えなくなるとも聞きます。私ではどのみち断劾を会得することなどできないと侮辱しているのですか?」

 そんな意図はないと知りつつも、厳しい言葉で返す。

 悪意がなくとも、こうしたバカな連中は嫌いだ。

「ご、ごめんないさい……」

 気後れした穂高は、惟月の席から離れる。

「わーん、ちーちゃん。捨てられちゃったよー」

 本気で泣いてはいないが、親友の男子・桜庭千尋に抱きつく穂高。

「おー、よしよし。お前はそんなに悪くないからなー」

 全く悪くないのだが、雑ななぐさめ方をする千尋。

「どうしよう、ちーちゃん……」

「どうしようもないだろ。氷血の蓮乗院惟月。オレらとは住んでる世界が違うんだよ」

 千尋の表現が的を射ている。

 惟月に彼らと同じ世界で生きるつもりはない。

「それより、天理石拾いにいかなくていいのか?」

「ほわ、そうだった」

 穂高はパタパタと走って教室を出ていく。

 下に誰もいないことは確かめてから投げた。すぐに拾いにいけば間に合うだろう。

 これから始まる朝のホームルームに間に合うかどうかは知らないが。


 霊剣術の授業。

 剣道場に集まった学生たちは、魂装霊倶の扱い方についての指南を受けていた。

 惟月は今さら教わることもないので、脳内で新しい技の霊子構成を考えている。

「よく聞け、お前たち。今日はこの学院に霊神騎士団の団長・蓮乗院久遠様が視察にいらしている。少しでも見込みがあるところをお見せしておけ。将来騎士団員として取り立てていただけるかもしれんぞ」

 剣術担当の教師が学生たちに呼びかけた後、案内の者と一緒に久遠が入ってきた。

「失礼する」

 久遠が現れたことで、学生たちの間に緊張が走る。

 まとっている霊気の格が段違いだ。

(久遠さん……か)

 惟月は実兄の姿を見て目を細める。

 歳がかなり離れており、惟月が物心ついた頃、久遠は既に霊極だった。

 喰人種と相打ちになった母・風花は惟月に及ばない実力だったが、逆に偉大すぎる肉親がいるというのも考え物だ。

「私のことは気にせず続けてくれ。かしこまる必要はない。ありのままの君たちの姿を見せてもらいたい」

 久遠は学生たちへと温かい目を向ける。

 すべての羅刹の頂点に君臨する霊極第一柱でありながら、下にいる者を決して蔑ろにしない。久遠は、まさしく人格者呼ぶにふさわしい人物だった。

 この時代においては、羅刹王の血を引く王族は霊極より尊い存在だという建前になっていたが、霊力が最も高いのはやはり久遠だ。

「わあっ! かっこいい上に優しい!」

「惟月様とご兄弟なのよね? 惟月様もあのぐらい優しかったらなー」

 一部の女子たちは歓声を上げている。

 久遠が一人一人の学生と会話を交わし、その練度を見ていく中、外から轟音が響いた。

(喰人種の気配……!)

 一同は窓から音のした校庭の方を見る。

「あれは完全変異体だな。ちょうどいい機会だ。私が倒すことにしよう」

 久遠は学生と教師と共に校庭に出た。

 まがまがしい力をまとった黒い巨人が校舎を殴りつけようとするが、久遠がそれを阻む。

「刹那三の型・絶空ぜっくう

 空間の断絶による究極の防御だ。

 邪魔者に気付いた喰人種は久遠に向かって歩き出す。

「久遠様。今の学生たちと騎士団長でどれほど実力の乖離があるか分かるようそのお力を示していただければ」

「分かった」

 教師に対してうなずいた久遠は刀を構える。

 久遠のまとった霊気が一段と強くなるのが分かる。

「断劾『刹那一式・白鳳天翔破』」

 久遠が霊刀・刹那を一振りすると、風のような霊気が広がり喰人種を斬り裂いた。

 バラバラになった喰人種は朽ちて消えていく。

「すっげー」

「攻撃範囲も霊気の密度も私たちとは全然違う……」

 感嘆する学生たちに教師が声をかける。

「どうだ。想像以上だろう。しかし、お前たちには将来このお方の補佐ができるぐらいまで成長してもらわねばならん」

 実際には第一霊隊の副隊長になる者など名門校からでもそうそう現れるものではないが、そうした志を持って励めという意味だ。

 納刀する久遠だが。

「もう一体近づいている」

 久遠に少し遅れて惟月も気付いた。

 今度は巨獣の姿をした喰人種が現れる。

 やはり全身が黒く染まりきった完全変異体だ。

(どうやら学院の結界が破られているようだな……)

 久遠が来訪している時だったのが不幸中の幸いか。

「次も私が倒そう。今から放つ技が見えた者がいたら名乗り出てくれ。すぐにでも騎士団で採用したい」

 どんな技を繰り出すのかと、皆揃って目を凝らす。惟月以外。

「刹那十式・飛天瞬塵破ひてんしゅんじんは

 久遠は腰に差した刀の柄に手をかける。その直後には――。

「いきなり喰人種が消えた……?」

「敵を消滅させる技だったのかな……?」

「何を見れば良かったんだろう……」

 学生たちはどよめく。例によって惟月はそこに含まれない。

(四億三千二百七十一万六千二十三回か。また一万回以上増えているな)

 惟月には飛天瞬塵破の斬撃がすべて見えていた。敵は消えたのではなく、目視できないほど細かく斬り刻まれたのだ。

(俺の兄ではあるが、大した人だ)

 久遠の存在は惟月にとってコンプレックスの種となっている。

「おそらく、ほとんどの者にはなにも見えなかったと思う。大切なものほど目には見えにくい。霊力の源は心であり、それを磨くのは絆という形のないものだ。君たちのような守るべき存在がなければ、私の断劾もまた存在しなかっただろう」

 断劾を習得するために必要なのは強い意志と慈悲の心。

 惟月にも高みを目指す強い意志はある。だが、慈悲の心はというと。

「惟月。お前は騎士団に入る気はないのか?」

 久遠が弟である惟月の元に歩み寄る。

「他人と協力しなくても、実力さえあれば仕事が成り立つ征伐士業の方が性に合っているので。ゴミのような人間でも客が相手だと頭を下げなければならない接客業などはさらに論外ですが」

 先日も喰人種化していた幼い少女を殺したところだ。

 別に喰人種から人々を守りたい訳でもない。敵を殺すだけで実績が作れるから征伐士をやっている。

「そうか。だが、父上も母上も亡くなった今、お前の家族は私だけだ。少しは頼ってくれないか?」

「考えておきましょう」

 惟月に他人を信じる心はなかった。慈しむ心も。

 特定の感情が欠落する先天的な障害であり、どうにもならないことではあるが、霊力の奥義である断劾を会得できないのは惟月にとって屈辱だった。


 放課後。

(久遠さんにも欠点はあるんだろうか。ないということもないだろうが、誰もが久遠さんを完璧な人間として崇めていれば、蓮乗院久遠に欠点はないも同然だ)

 どうあがいても自分が兄に追いつくことはできないのか。

 そんなことを考えながら、学院を出ようとする。

 すると、校門前で一匹の子猫がちょこんと座っていた。

 穂高の飼い猫だったか。主人を待っていたのだろう。

「ねこたん、お迎えにきてくれたの? よちよち、いい子だね~」

 それを抱き上げて赤ん坊をあやすようになでてやる穂高。

 なんとも能天気な光景だ。

(そうか。その手があったか)

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