第147話「世界の理」

「なんでだ!! 喰人種は倒したのに!!」

 翌朝は、春人の怒声と壁を叩く音で目が覚めた。

 あまりのことに、千秋は春人の部屋に駆け込んだ。

「ど、どうしたの兄さん……?」

 春人は、全身にぐっしょりと汗をかいている。

 しかも、たった一晩でひどくやつれたように見える。昨晩はあんなに満足げだったというのに。

「い、いや……、ちょっとストレスが溜まってただけで……」

 いくらなんでも無理がある。

 昨日の今日で普通のストレスが蓄積するはずがない。

 考えられるのは、昨晩見た予知夢のせいだ。

「兄さん、本当のこと教えて」

 今の千秋には目がないので見ることはできないが、兄の顔としっかり向き合った。

「ごめんなさい……。わたし、兄さんのこと信じてるって言って、つらいこと全部兄さんに押しつけてた……。今からでも兄さんが感じてる不安なこと、わたしにも背負わせて」

 春人が予知夢の内容を告げずに、対策だけ伝えてきていたのは、千秋を不安にさせないため。

 しかし、それに甘えているだけでは、兄妹で支え合っているとはいえない。

「千秋……。でも、こればっかりは……」

 春人は、目をそらす。

 春人がここまでして隠そうとするとなると、その内容は――。

「もしかして……、わたしが死ぬとか……?」

 春人が予知夢で見るのは、迫りくる危険についてだ。

 そして、千秋に対して最も言いにくいことといえば、それぐらいしか思いつかなかった。

「千秋……!」

 魄気を通して伝わる春人の感情で、勘は当たっているのだと分かった。

「オレがそんなことはさせない! 今度の相手も喰人種だ。そいつもオレがぶっ倒す!」

「やっぱり、そうだったのね……。だったら、わたしも一緒に戦わせて」

「ダメだ! 千秋が殺されるところを見たのに、千秋を戦わせたら本末転倒じゃないか!」

 春人の言うことにも一理ある。だが、このまま兄ばかりを危険にさらす訳にもいかない。

 それに一つ疑問がある。

「……前の予知夢でわたしを殺した喰人種は兄さんが倒したんだよね?」

「あ、ああ」

「じゃあ、なんで未来が変わってないの?」

 予知した未来は変わる。その性質は、今までの経験からして間違いない。

 しかし、よく思い出してみれば、旅行をやめると言った時点から春人の様子はおかしかった。

 おそらく出先で千秋が殺される未来を見たのだろう。だから旅行を中止した。

 いつもなら、これですべて解決するところだ。

「分からない……。でも、確かに見たんだ。今度は別の喰人種が相手で……」

 春人は、泣きそうな顔をしている。

 単に敵が強いだけなら、兄はこんなに弱気にならない。

 未来が分かっていながら変えることができない――それは、自分たちにとって初めてのことだった。

「そうだ。兄さんのお師匠様に相談してみましょう。なにか分かるかも……」

 予知能力の性質を教えてくれたのも、春人の師匠だ。

 変わらない未来を変える手段も知っているかもしれない。

「千秋……、怖くないのか……?」

「……怖い……けど。でも、兄さんが一緒ならなんとかなるって信じてるから」


 緑枝町唯一の霊剣術れいけんじゅつの道場。

 二人は、師匠に事情を説明した。

「ううむ。よもやこのような事態になるとは……」

「師匠! 何が原因なんだ。どうなってるんだよ!」

 考え込む師匠に対し、必死に尋ねる春人。

 千秋も、師匠がどう答えるか気が気でなかった。

「真偽のほどは分からぬが……、生物の寿命というものは世界のことわりによって定められているという説がある。もしそれが真実なら、お主の話も合点がいく」

「じゃ、じゃあ、千秋が死ぬことは決まってるから、どうやっても助からないっていうのかよ!?」

 春人は悲痛なさけびを上げる。

 黙ってはいるが、千秋も絶望しかかっている。

 しかし、また一つ疑問が増えた。

「ちょっと待てよ。前に予知夢で千秋を殺した喰人種は、オレが先に殺したぞ。それはどうなって……」

 うつむいて考え込んでいた師匠が、春人の言葉を聞いて顔を上げる。

「そうじゃ、思い出した。この世界には、理の支配下に置かれない羅刹が二種類いるとされている」

「その二種類っていうのは……」

「一つは喰人種。奴らは、喰人種化が発症した時点で理から外れるとされている」

 かすかに希望が見えたかと思ったが、千秋が喰人種になって生き延びることは誰も望んでいないだろう。

「もし、もしも、オレが喰人種になって戦えば千秋を守れるのか……?」

「兄さん!」

 春人の考えもまた危険なものだ。

 千秋を理から救った上で死ぬつもりなのだろうが、そんなことは千秋が認められない。

「早まるな。それでうまくいく保証はない。それよりもう一つじゃ」

 続く師匠の話は、いくらかは希望になるものだった。

「羅刹が持つ霊力の奥義『断劾だんがい』。これは理を超越する力だと言われている。断劾を会得した者もまた理から外れた存在といえるだろう」

「断劾……か……」

 春人は歯噛みする。

 春人も千秋も断劾は会得できていない。師匠ですら無理だった。

 そもそも断劾は、数十年の修行を経ても習得できるかどうか分からない技だ。

 今から断劾の習得を目指しても間に合うはずがない。

「そんなもん、どうすりゃいいんだよ……!」

「確かに、わしらが断劾を会得するのは難しいじゃろう。だが、断劾を会得した者を頼ることはできる」

 師匠の案を聞いて、今度こそ春人と千秋に希望が戻ってくる。

霊京れいきょうに向かえ。騎士団の実力者なら断劾を使えるはずじゃ」

 羅仙界を守護する霊神騎士団れいじんきしだん。巡回にきた第四霊隊の隊員には会ったことがある。

 苦しんでいる民を救うのも騎士団の仕事。助けになってくれることを期待してもいいだろう。

「分かった。すぐ行こう、千秋!」

「うん!」


 千秋と春人は、最低限の旅支度をして霊京へと出発した。

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