第32話「羅仙界へ」

「いやあ、久し振りですね、優月さん」

「はぁ……」

 天堂家の玄関先でうさんくさい笑顔を浮かべる沙菜と、それに対し微妙な答えを返す優月。

「そんなに久し振りでもないだろ。そんな頻繁にお前に会いたくもねーし」

 涼太が、うんざりしたような表情で言う。

 確かに、優月の修行中は沙菜の姿は見かけなかった。雷斗と惟月が羅仙界に帰るのと入れ違いで再び人間界にやってきたようだ。

「つれない言葉ですね。――しかしまあ、優月さんは無事修行をやり遂げたようで何よりです」

 龍次が最後に見せたあまりにも悲しい笑顔。それを思い出した優月は、また彼にそのような表情をさせてしまうことへの恐怖によって、刀で自身を貫く恐怖を上書きされて、見事修行の最終段階を乗り越えた。

 惟月には魂魄に干渉する能力があり、彼の力で、突き立てられた霊刀・雪華の魂と優月の魂を融和させることで肉体ではなく霊体の羅刹化を実現したのだった。

 しかし、今の優月は羅刹化した状態ではない。

 刀の魂と融合しただけでは半分は人間のままであり、人間の状態と羅刹の状態を切り替えることが可能になったのだ。

「それで、羅仙界とやらにはお前が案内してくれんのか?」

「私がしなかったらどうやって行くつもりです?」

 確かに沙菜を頼る以外に羅刹の世界へ行く方法はない。そもそも場所どころかどのように存在している世界なのかすら知らないのだ。

「じゃあ、お願いします。わたしを龍次さんのところへ……」

「いいでしょう。まあ、こんなところではなんですし、リビングに上がらせてもらいましょうか」

 沙菜は、優月たちの返事を聞くまでもなく家に入ってくる。

「は? おい、羅刹の世界に行くんじゃないのかよ?」

「行きますよ。こっちの方から行くんです」

 いまひとつ意味が分からないまま、優月と涼太も後を追った。


「あら? あなたが如月さん?」

「お、珍しく優月さんのお母さんがいるじゃないですか」

 部屋に入った沙菜は、優月たちの母親と顔を合わせる。

 沙菜は、しばらくの間天堂家に入り浸っていたが、優月の部屋を適当に片付けてそこに隠れ、親には見つからないようにしていたので、これが初対面だ。

「――ていうか、私のこと親に話したんですね」

「まあな。向こうに行ったら、いつ帰ってこれるのかも分からんし、さすがに説明しない訳にもいかないだろ」

 両親は元々優月たちの霊力のことは知っていた。最近の戦いや沙菜たちの存在は伏せていたが、羅刹の世界に行くことが決まって涼太の口から説明したのだった。

「まさか、こんなに大変なことになってたなんて知らなかったけど――、涼太と優月のことよろしくお願いします」

「自分の子供の身柄を私に預けようとは、なかなか酔狂な親ですね。龍次さんの母親なんて説得に随分苦労しましたよ。最後はちょっとした裏技を使いましたが――」

 そう言って肩をすくめる沙菜。

 『裏技』という言葉については誰も深くは訊かなかった。

「それで……、えっと、羅仙界……にはどうやって行くんでしょう……?」

 優月は当然の疑問を口にする。

 異世界に行くといっているのに、沙菜はわざわざ家の中に入ってきた。こんなところから異世界に行けるのか。

「こいつを使うんですよ」

 沙菜は懐からガラスの破片のようなものを取り出す。それは電灯の光を反射してキラキラと神秘的な光を放っていた。

「それは……?」

「まあ、見ていてください」

 取り出した破片の両端を人差し指と親指で挟んだ沙菜は、力を込めてそれを砕いた。

 細かくなりパラパラと散っていく破片は床に落ちる前に光の粒となって消える。

 その次の瞬間――。

(――!)

 優月と涼太、そして母も揃って息を飲んだ。

 リビングの中心の空間に、いきなり穴が空いたのだ。

 黒い円が浮かんでいるようにも見えなくはないが、実際には空間そのものに文字通り穴が空き、その先に真っ暗な空間が広がっているようだった。

「なんだこりゃ?」

 涼太の問いに沙菜が答える。

界孔かいこうといいましてね、この穴から人間界を出て狭間の空間――狭界きょうかい――を通って羅仙界まで行く訳ですよ」

「こんなところが通れるのか?」

「並の羅刹なら専用の装置を使って『道』を安定させていないと危険でしょうけど、優秀な先導者がいれば、結界で道を作りながら進むことができます」

「優秀ってのはお前のことか?」

「他に誰がいるんです?」

 ない胸を張ってニヤリと笑う沙菜。

 優月は魂の羅刹化という能力を得たが結界は使うことができない。

 この人を頼って、こんな不気味な場所を通っていかなければならないとは少々不安を感じる。

「ところで、今使ったのは……?」

 これから通ることになる挟界という空間も気になるが、そこへ通じる穴――界孔とやらを開いた道具らしきものが優月としては気になった。

「いい質問ですね。こいつはくうの欠片と呼ばれるアイテムでして、惟月様の兄君がその時空を司る能力の一端を固体化させて生み出したものです」

 沙菜は先程と同じ欠片を懐から取り出し、優月たちに見せびらかす。

 惟月に兄がいるという話はこの時初めて聞いたが、どうやら途方もない力を備えているらしい。

 時空を司るとは一体どれほどのことなのか。想像することすらできない。

 優月は、雷斗と比べたらどちらが上なのか少し気になったが、なんとなく失礼な気がしたので、これについては訊かないことにした。

「時空を司る力とやらで異世界につながる道を開いたって訳か。――分からないことを全部訊いてたらキリがないし、優月、そろそろ行くか?」

「あ、うん」

 挟界と呼ばれる漆黒の領域に対して恐怖がない訳ではないが、龍次に会いにいくと決めた。いまさら躊躇する気持ちはなかった。

「ねえ」

 優月たちがいよいよ未知の領域に踏み込もうとしているところで、母が呼びかけてくる。

「今更かもしれないけど、――やっぱり、涼太だけでも残らない?」

「ん?」

 そのままだと目線の高さが合わない涼太が母の顔を見上げる。

「涼太はこっちの世界でも十分やっていけるんだし……、優月はこっちにいてもちゃんと就職できそうにもないけど……」

 やはりこの親は涼太の方が大事なようだ。もっとも、この扱いには優月自身納得しており、言っていることも間違っていないと思う。

 今の発言を聞いた沙菜が眉をひそめるのが見えたような気もしたが、彼女が優月と家族との関係に特別興味を持っているとは思えないので気のせいだと考えた。

「おれがついてなかったら誰が優月の面倒見るんだよ? 心配しなくてもおれは向こうでもそれなりにやってくって」

「そう……」

 見た目は小学生並で実年齢でも十四歳の涼太を遠い世界に送り出すことに対して親が心配するのは当然だが、それでも姉よりしっかりした弟の強い目を見て引き留めることはしないと決めたようだ。

「ありがとう、涼太」

 優月としては、自分の都合に涼太まで付き合わせてしまうのは申し訳なく思っていたが、それ以上にこれからも一緒に行動し続けたいという思いが強かった。

「それじゃあ界孔が閉じないうちに行きますよー。まあ、閉じてももう一回開けますけど」

「は、はい……!」

「おう」

 沙菜の呼びかけに、優月と涼太二人揃って応えた。

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