第31話「融合」

「あっ……!」

 治療の為、惟月のもとに歩み寄る途中、つまずいて転びそうになる優月。

 倒れ込みそうになったところで、正面にいた惟月にぶつかってしまった。

 しかも、その拍子に彼の懐へと手を突っ込んでしまい――。温かく滑らかな肌の感触が。

 会って間もない美少年と思いがけず密着。さすがにこれはまずい。

「すっ……すみませ――」

 慌てて離れようとした次の瞬間。こめかみに激しい衝撃を受けて、優月は吹き飛ばされた。

「目障りだ……」

 地面を転がった優月に冷ややかな視線を送るのは雷斗だ。指先がかすかに光っているように見える。

 彼はそのまま立ち去ってしまった。

「大丈夫ですか?」

 惟月は襟元を正してから、優しく手を差し伸べてくれる。

「は、はい。えっと……今のは……?」

「雷斗さんの霊子弾です。霊子の一欠片を指先から放つ技で殺傷力まではないと思いますが……」

「あっ、そうですね。大丈夫だと思います」

 衝撃は強かったが、霊力を持っている優月の命に関わるほどの威力ではなかった。

 しかし今ので雷斗の怒りを買ってしまったのではないだろうか。

 優月の手には、まだ惟月の肌から伝わってきた体温が残っており、妙な罪悪感を覚えてしまう。

「雷斗さんは私の心配をしてくださってるのだと思います」

 そう言って、そっと目を伏せる惟月。

「そ、そうですか。それは良かったです」

 良かったといっていいものか分からないが、あの雷斗でも共に行動している惟月のことは気にかけているのだと思うと何となく安心した。


「先ほどは失礼しました……」

 惟月の治療を受けながら、改めて謝罪する。

 彼の掌からは淡い光が放たれており、それが優月の身体を包んでいる。柔らかな感覚が全身に広がり非常に心地いい。

「いえ。それより――、優月さんは何故強くなりたいと?」

 優しく穏やかな声音で尋ねてくる。

 ――強くなりたい理由。

「わたしは……、龍次さんにもう一度会いたいんです」

 その為には今のままではいけない。

「龍次さんは、わたしと違って明るくて、勉強も運動もできて、みんなの人気者で……、わたしなんかじゃ手の届かない人だったのに……、わたしのせいで傷つけてしまって……」

 結果的に命が助かったとしても、戦いが起こる度に彼の前で傷を負っていたのでは、彼の心を傷つけるばかり。誰も傷つけさせない、戦いなど起こらないほどの強さが欲しかった。

「やっぱり、あなたは優しいですね」

「そ、そうでしょうか……?」

 龍次も涼太もそう言ってくれる。だが、本当に優しい人物なら人を傷つけるようなことをするだろうか。龍次を傷つけてしまった自分が優しいといえるだろうか。

「傷つけたことを悔いるのも、傷つけたくないと願うのも、全てあなたの優しさです。他のことに自信が持てないとしても、そのことだけは誇りに思って構いません。誇りに思えば、その誇りを守る為に行動できるでしょう」

 惟月の春の木漏れ日のような温かい眼差しに、不安な気持ちが薄らぐ優月。

 誇り――。確かに、力強さや器用さ、賢さなどといったものを誇りにすることは優月にとって難しい。

 何か一つ誇れるものを、というならばそれしかないだろう。

 果たして、誰よりも優しくある為に行動することが自分にできるだろうか。




 ひたすら霊力を行使し続けるだけという単純かつ過酷な修行は数日間続き、日に日に自身の中にある霊気が放つ圧が強まっていくのが分かった。

 途中心が折れそうになることもあったが、その度に龍次や涼太を傷つけてしまう恐怖がよぎり、また、涼太と惟月がいたわってくれたおかげで立ち直ることができた。

 そして迎えた修行の最終段階。


 夕刻、雷斗たちの拠点の庭にて。

「かなり霊力が高まってきましたね。この分だと――そろそろいいかもしれません」

 惟月は、優月の差し出した掌に自らのそれを重ねて霊力の具合を確かめている。

 彼自身は穏やかな佇まいでいるが、対人緊張の強い優月としては――あるいは強くないとしても――俗世間から切り離されたかのごとく神秘的な絶世の美少年と触れ合っていることにドキドキせずにはいられない。

 龍次の力になる為に修行をしているというのに、こんな調子でいることには後ろめたさを感じる。

「えっと……、そろそろとは……?」

 なんとか取り繕いつつ、言葉の意味を尋ねる。

「修行を三つの段階に分けるということはお話ししましたよね? 今までの霊力を高める修行が第二段階。これから修行の締めくくりをしてもらうことになります」

「あ……」

 遂にここまで来た。この修行の目的は、優月の魂を羅刹化させること。とうとうそれが実現する時のようだ。

 やはり感慨深いものがある。魂そのものが変化するということは、自分が純粋な『人間』ではなくなることを意味する。もっとも霊力が使えるようになった時点で普通の人間ではなくなっていたのだが。それでも、羅刹という存在に変わることには複雑な思いがあった。

 怖いと感じる部分もある。それと同時に期待している部分もある。

 羅刹となることができれば、今までの情けない自分と決別できるかもしれない。あくまで自分は自分のままで、弱い心がなくなる訳ではないかもしれないが、少なくとも龍次に今までとは違う姿を見せられる。

 もう一度、龍次の傍に――。

「えっと、締めくくりとしては何をすれば……?」

「あなたと強い結び付きを持った羅刹の力――すなわち霊刀・雪華とあなた自身が融合することです」

 惟月は、柘榴色の瞳で優月をしっかりと見据えて告げた。

「肉体に憑依させるのではなく、魂魄自体に溶け込ませるのです。その為に――、刀をあなたの身体に突き立ててください」

「……っ!」

 思わず目を見開く優月。

 刀を自分自身に突き立てる――。これまでの修行も痛みを伴うものだったが、自分で自分の身体を貫くなど、そんなことができるだろうか。

「羅刹と化すということは、人間としての本能から外れるということです。それ故に、いわゆる生存本能に逆らって自身を傷つけながら刀を受け入れる必要があります」

 惟月は声音を変えることなく、説明を加える。彼の目は、優月に対して、それを成し遂げることを期待しているように見えた。

 そもそも霊刀・雪華は惟月の母親・蓮乗院風花の武器だった。残されたこの刀の役割といえば、本来なら息子である惟月を守ることのはずだ。

 にもかかわらず、彼はその形見を完全に優月に譲ってしまうつもりらしい。

 そこまでしてもらうからには、期待に応えなければならない。――そう分かってはいる。しかし――。

「あ、あの……、突き立てる……というのは、自分でやらないといけないんですよね……?」

 情けない声が漏れた。

 質問してはいても答えは分かっている。それでも訊かずにいられなかった。

「その通りです」

 予想通りの回答。やはり、やらなければならない。

「――今すぐに決断できなくても構いません。少しだけなら時間があります。私たちが羅仙界に帰るのは二日後です。その間にじっくり考えて……覚悟が決まったら、私のもとを訪ねてください」

 とても優しい声だった。年の頃は優月と変わらないように見受けられるが、親が子供を安心させるような、そんな声色だ。

 惟月は、『必ずしも修行を完遂する義務がある訳ではない』と付け加えて、家の中に戻っていった。

 広い庭に残った優月は――。

(せっかくここまで来たんだから……。最後までやらないと……)

 その手にした霊刀・雪華の刃をしみじみと眺めながら想像する。

(これを……自分に刺す……)

 惟月は二日後に帰るといった。猶予はそれまでだ。それまでに覚悟を決めなければ。

「優月……、無理はしなくていいぞ」

 後ろから声をかけられた。

「涼太……」

 涼太も優月の修行中、惟月から学んだ霊子学の知識を元に一人で鍛錬をしていたようだった。

 涼太から感じる霊気も強くなっており、ますます頼もしさが増したように思える。

「もう十分頑張ったんだし、別に完全な羅刹化ってのができなくても日向先輩に会いに行くぐらい問題ないだろ」

 確かに、羅刹化を目標としてはいたが、それができなければ羅刹の世界に行けないとは言われていない。

 しかし、中途半端な形で連れていってほしいと頼んで良いものか。仮に受け入れてもらえたとして、それで本当に龍次の力になれるのか。

「ありがとう涼太……」

 惟月に言われた通り二日間じっくり考えてから答えを出そう。

 二人の優しさに触れて、胸に温かいものを感じながら自分も部屋に戻ることにした。


 その日の夜。

 貸し出された部屋のベッドの上で天井を見つめ物思いに耽る。

 自分は本当に人から良くしてもらっている。

 隣で寝息を立てている涼太は、優月が苦手としていることを把握して様々な場面で気を遣ってくれている。幼い頃から世話になりっぱなしだ。

 惟月は、ある意味において母親を奪われてしまったというのに、それを許してくれるどころか形見の品まで譲ってくれた。

 雷斗は、優月のことになど興味がないといった風だが、それでも修行には力を貸してくれている。彼はおそらく人間である優月が羅刹の刀を持つことを快く思っていないのだろう。だからこそ、刀に相応しい力を得ることには協力しているのではないだろうか。

 赤烏は、敵であるにもかかわらず優月を対等の存在として認めてくれた。玄雲もそのようだった。

 そして龍次は――。

(龍次さん……。こんなわたしにも優しくしてくれて、クラスに馴染めるように頑張ってくれて……。わたしなんかのことを……、好きって……)

 今も同じ気持ちでいてくれているとは思わないが、人から『好き』と言ってもらえたのは初めてのことだった。

 やはり彼の好意に報いる為にも、万全の力を得て会いにいきたい。

 修行をやり遂げたい気持ちは強くある。しかし、それを阻む恐怖が――。

(――!)

 突然、目の前に紫色の光が走る。

 反射的に目を閉じると、まぶたの内側に一つの光景が浮かび上がった。

『さよなら、優月さん』

 別れ際に見た、龍次の儚く悲しげな笑顔が再び蘇る。

 ――もうこんな顔はさせたくない。させてはいけない。

 優月は飛び起きて、そのまま部屋を出た。


「はい」

 惟月の部屋のドアをノックすると、すぐに返事があった。

 ドアを開くと、彼は椅子に腰掛けこちらを見据えている。

 こんな夜更けだが、眠ってはいなかったらしい。まるで優月が来ることを知っていたかのようだ。

「答えは出たようですね」

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