前日譚-羅刹の世界-

第0話「羅刹王女-princess vermilion-」

 幼き日の思い出。

久遠くおん、もうすぐ、あなたが騎士団長になるのよね」

 煌びやかな装飾の施されている、和服のようでいてどこか違った印象の装束を纏った、幼い少女が感慨深そうに話す。

「はい、前団長から奥義を継承していない者が就任することは異例ですが、姫様と世界を守り抜く意志に相違そういはございません」

 恭しい態度で返答する長髪の青年。

 彼の纏う黒い着物と羽織にも、やはり現代的な意匠が取り入れられている。羽織の胸には家紋と思しき紋章。

「久遠は、今までの団長より強いから、奥義継承の必要がないだけって聞いたわ。……ねえ、久遠。私もいつかは王位を継いで女王になるのだけれど……、私たち……結婚できないかしら? 女王と騎士団長、力を合わせて、この世界を守っていくの」

「もったいなきお言葉。いずれきたるその時に、お気持ちが変わっていなければ、再びお聞かせ願えればと存じます」





 羅刹らせつ――。その存在が初めて誕生したのは、人間の世界で武士が台頭し始めた頃。

 一人の武士が精神修養を続ける中、精神そのものを源として生み出される超人的な力を見出した。それを『霊力』と名付けた彼は、さらなる修行の果てに、人間とは別の種族と呼ぶに相応しい特別な存在となる。

 その時には、修行を共にしていた数人の仲間にも、『霊力』が目覚めていた。

 最も早く『霊力』に目覚めていた彼は、自身の力が他の者とは別次元の『命を司る』ものだと気付く。

 そして、『命を司る力』を以って、仲間たちも新たな存在へと生まれ変わらせ、自分たちを『羅刹』と呼称した。

 新たな種族『羅刹』となった者たちは、新天地を求める。

 人間界以外にも、世界と呼べる空間があると知った『羅刹』は、『霊力』を駆使して別世界へと渡った。

 そこに元々いた生物をも『羅刹化』させ、人間ではなく羅刹のみが暮らす世界が作られる。

 月日と共に、数多の『羅刹』が生きるようになった、その世界は『羅仙界らせんかい』と呼ばれ、人間界にはない『霊力』による発展を遂げていった。

 世界で初めて『羅刹』となり、全ての『羅刹』の始祖となった人物。

 それが――初代『羅刹王』。





 時は流れ、現代。

 羅仙界の中心にそびえ立つ王城の一室。一人の少女がベッドで目を覚ます。

(ん……。夢……。八年ぐらい前のことかしら、久遠にあの話をしたのは)

 少女の名は、真羅朱姫しんらあきひめ。羅刹王の血を引く王女だ。立場も姫ということになるが、『朱姫』はあくまで下の名前であり、王位を継承しても変わることはない。

 召使いを呼ぶこともなく、一人で着替えを済ませる。

 その服は、日本古来のものが元になっているのだが、時代と共に変遷したデザインで、和洋折衷と表現できるかもしれない。

 当人の容姿は、金髪碧眼で、なかなか華やかな雰囲気を持っていた。

(うん、いい天気)

 窓を開けると、爽やかな風が吹き込んできて、長い髪を揺らす。

(どこかに出かけようかな)

 部屋を出て、城内を歩いていると、ようやく従者に会い声をかけられる。

「殿下、今日は礼儀作法のお勉強を――と言ってもお聞きになられませんよね……」

「ええ、聞かないわ。街を散歩してくる」

 すっかりおてんばに育った朱姫は、王女という立場に、何の責任も感じていない訳ではないが、できる限り普通の女の子でいたい、そう考えていた。

 その結果、城を勝手に抜け出して、遊んでいることも多い。

 最早、親や家臣も諦めかけているが、いつかは王家の者として、自覚を持つようになるとの期待もしている。

 そんな期待を知ってはいるが、今は自由にと外出しようとしたところで、一人の青年と出くわす。

「殿下」

「あっ、久遠」

 青年の名は、蓮乗院れんじょういん久遠くおん。王家と羅仙界を守護する『霊神騎士団れいじんきしだん』の団長だ。

 霊神騎士団は、第一霊隊だいいちれいたいから第七霊隊だいななれいたいまでの、主要任務が異なる部隊で構成されている。

 第一霊隊は、特に王室の警護において中心となる部隊。

 久遠は、騎士団長であると同時に第一霊隊の隊長でもあった。

「お出かけですか?」

「う、うん。その……良かったら久遠もどう?」

 朱姫は、気恥ずかしそうに尋ねる。

「ありがたいお誘いではありますが、任務がありますので、今日のところはこれにて失礼いたします」

「そ、そっか、残念。じゃあまた今度ね!」

 夢にも出てきた青年・久遠。朱姫の成長具合に比べ、久遠の容姿はあまり変わっていない。

(騎士団の任務は色々あるんだし、何もない時まで私の傍にって訳にはいかないわよね……。そもそも、今の羅刹王はお父様だし)


 街に出た朱姫は何をするでもなく、ブラブラと歩き回る。基本的に屋内でじっとしているより外にいる方が性にあっているのだ。

(久遠は覚えてないかしら……? それとも覚えてるけど本気だと思ってない? 私は今でも……)

 別に、王女が騎士団長と結婚することに問題がある訳ではない。羅刹の外見は、霊力によって若いまま保つことも可能である為、歳の差もさして気にしなくて良い。単に、告白するのが恥ずかしいだけ。

 もちろん、久遠にも断る権利はある。怖さも原因の一つといっていいだろう。


 羅仙界の首都である、霊京れいきょうの街並みは、人間界とスケールが違い、豪奢で、なおかつ気品にも溢れている。

 和のテイストも取り入れられた洋館が立ち並んでおり、和服に洋のテイストを組み合わせた羅刹装束とは逆のパターンだ。

(あら? あの子……)

 道端で泣いている小さな女の子を見つけた。

 仮にも王女と呼ばれる者として、見過ごすことはできない。

「どうしたの?」

「……ママにもらった帽子が飛ばされちゃったの……」

 女の子に優しく声をかけた朱姫は、すぐに周辺の空を見渡す。

 いかにも可愛らしい麦わら帽子が宙に舞っているのを発見した。そのまま風に吹かれ続ければ、探しようのない場所まで飛ばされてしまうだろう。

「待ってて、お姉ちゃんが取ってきてあげるから!」

 そう言うと朱姫は、空へと飛び立つ。

 羅刹の霊力を用いれば、特別な乗り物や装備がなくとも空中を移動することが可能だ。

 もっとも、羅刹なら誰でも使える能力ではない。それなりに高い霊力と、それを操る技量が必要となる。

 一気に帽子のもとまで飛んでいき、それを手に取って再び地上へ。

「はい、もうなくさないようにね」

「ありがとー、お姫様!」

 嬉しそうに駆けていく女の子に、手を振る朱姫。

 その姿を見送った後、これからどうしようかと思案する。

(街の中だけっていうのも、そろそろ飽きてきたし、霊京を出て――。うん、登山でもしよう。色んな動物がいるだろうし、何よりお城とはかけ離れた場所だわ)

 朱姫にとって、思いつきで行動するのは珍しいことではない。

 早速、行ってみようと考えたところで、父の言いつけを思い出す。

(霊京の外まで行くなら、さすがに護衛なしはまずいか……。第一の誰かに頼もうかしら)

 第一、第二、と番号を振られた組織や集団は他にもあるが、羅仙界において最も有名で、朱姫にとっても馴染みがあるのは、霊神騎士団の第一霊隊だ。

(道すがら話もするなら、うってつけの二人がいるじゃない!)


 霊神騎士団・第一霊隊詰所の執務室。

 そこでは、二人の隊員が書類作成に当たっていた。

 少し地味な雰囲気の女性が、第一霊隊第四位・東雲しののめ若菜わかな。服装は、素朴さを感じさせる薄緑の着物。

 華奢なスタイルで、庇護欲をそそる美少年が、第一霊隊第五位・おおとり昇太しょうた。服装は、花の模様が入った薄紫の着物。

 それぞれ、若菜はわらじ、昇太はブーツを履いているが、羅刹の間ではどちらもよく見られるものだ。

 また、昇太が『少年』というのは外見の話で、実際には成人している。

 若菜についても、昇太よりは明らかに年上に見えるものの、入団から二十年以上経っているにも関わらず二十代ぐらいの容姿ではある。

 高位の羅刹にとって外見的な若さを保つぐらいは造作もなく、中年や老年といった姿の者はそう多くない。

「若菜先輩、書類全部できましたよ」

「さ、さすが早いね、昇太君」

 昇太が声をかけつつ、デスクに向かう若菜の傍へ歩いていく。かなり距離が近く、親密な仲であることは明白だった。

「あたしの方は、まだまだー。昇太君手伝ってー」

「そう言うと思って、先輩の分も作っておきました。ほら、共有フォルダに残りが入ってるでしょう? 今、書いてる分で最後です」

 若菜がモニターを確認すると、現在作業中のもの以外、必要なファイルが揃っている。

「ホントだ! すごいね、昇太君。もう書類はみんな昇太君でいいんじゃない? その代わり、戦うことになったら、あたしが守ったげるから」

「先輩、こういう作業苦手ですもんね。いいかもしれません。僕も、かっこよく戦う若菜先輩を見ていたいですし」

 どちらからともなく、身を寄せ合う二人。

 彼らが使っているのは、人間界のパソコンと似たような機器だ。

 『据え置き型霊子れいし情報端末じょうほうたんまつ』が正式名称なのだが、個人使用を前提としたコンピューターであることには変わりない為、こちらの世界でもパソコンと呼ぶ者は多い。

 携帯電話に相当する『携帯型霊子情報端末』もあり、こちらは『霊子端末』・『携帯端末』などと呼ばれることが一般的。

 どちらも、羅仙界で幅広く活用されているエネルギー『霊力』によって稼働している。

 霊力は、人知を超えた現象を引き起せると同時に、大抵、電力の代わりにもできるのだ。

「若菜! 昇太君! ちょっと付き合って!」

 いきなり扉が開いたかと思うと、朱姫が駆け込んできた。

「あたしたち、もう付き合ってますよ? だ、だよね? 昇太君?」

「先輩、多分、そういう意味じゃないと思います」

 若菜が間の抜けた発言をして、昇太が突っ込みを入れる。第一霊隊で、一種の名物扱いされることもある、日常の風景だ。

「二人共、相変わらずね」

「あはは、変わっても困りますけど。昇太君モテるから、新入隊員に若くて可愛い子がいたらどうしようって、いつもヒヤヒヤしてるぐらいです」

「どんな人が入っても、僕には若菜先輩以外考えられないんですけど。心配性で……」

 朱姫は、騎士団でも特に仲のいいカップルとして知られるこの二人に、護衛を頼みに来ている。

「山登りに行こうかなって思ったんだけど、お父様が一人で遠くに行くなってうるさいから、一緒に来てくれる? 訊いてみたいこともあるの」

「また、唐突ですね。いつものことですけど」

「いいじゃない。仕事も一区切りついたとこだし。あたしは、ほとんど何もしてないけど」


 霊京から少し離れたところにある山を登っていく三人。

「確かに、こうして自然に触れてみるのもいいですね。執務室や研究室に籠っているばかりでは、味わえない空気感というか」

 昇太は、普段訪れる機会のない山の景色や独特な匂いなどを満喫しているらしい。

「そういえば、昇太君は研究所にも所属してるのよね。あそこの室長はちゃんと更生してるの?」

 昇太は、騎士団員であると同時に『霊子学れいしがく研究所けんきゅうじょ』の研究員も務めている。

 霊子学は、霊力を科学的に探究し、理論を構築していく、羅仙界特有の学問だ。

「本質的には悪い人じゃないんですよ。意外と気遣いのできる一面もありますし。実際、彼女の研究で救われた命も少なくありません」

「それなら良かった。でも、そうやって命を救えるような研究に携わってるんだから、やっぱり、昇太君頭いいのね」

「そうでしょう!? 自慢の後輩なんです!」

 山道を進みながらも、若菜は、愛おしそうに昇太の肩を抱きしめている。

 昇太もまた、腕の中で若菜に身を預けた。

「入団試験の成績もトップだったし、あっという間に上位階級まで昇進しちゃうし。あたしも先輩として頑張らなくちゃ!」

 騎士団の各部隊には、隊長・副隊長の他に、実力に応じて番号が割り振られた階級も存在し、一般の隊員に比べて、かなり格上といえる。

「若菜先輩は、今でも十分素敵ですよ」

 若菜と昇太、どちらの好意も相当なものだ。

「う~ん、ラブラブねえ。二人に頼んで正解だったわ。大和やまと陽菜ひなも考えたけど、こっちほど甘い雰囲気出してないし」

 第三霊隊副隊長・朝霧あさぎり大和やまとと、第四霊隊所属・水無みずなし陽菜ひな

 この二人も恋仲ではあるものの、直情的だが正義感の強い大和と、勝気な面もあるが根は優しい陽菜。ステレオタイプでさして面白くもない。

「朝霧副隊長には悪いですけど、ペアという意味では、僕と先輩の方が上ですね。……ところで、正解とは?」

「そうよ! むしろ、そっちが本題といっても過言じゃないわ」

 最初こそ山に来ようと考えていたが、今はもう一つの事柄の方が気になっていた。

「二人の馴れ初めを教えて!」

「ええっ!?」

 朱姫は、ひやかすかのような笑顔で、既に本命となっていた質問を投げかける。

 それを聞いて、若菜だけが狼狽。

「僕も、先輩が告白までどんな気持ちで過ごしていたのか聞きたい……! いつ好きになってくれたんですか!?」

 一方、昇太は目を輝かせて若菜の手を握る。

(若菜の方から告白したのね。それで昇太君は余裕なのか。……でも、これは好都合だわ)

 まず若菜の方から好きになって、昇太がその気持ちに応えた。それなら、相手の話が先になり、中心にもなるということで気楽なのだろう。

「あ、あたしたちが初めて会ったのは……、確か、昇太君が試験に合格して、研修を受けてる時だったよね?」

 口調から察するに、どちらかといえば昇太に話すことが主となっているようだ。

「『君が一番の成績だったんだよね』って声をかけたけど、じ、実を言うと、初めて昇太君を見た時、あ、あんまり可愛いからつい……ね。有望そうっていうのは、ただの口実……」

 視線をさまよわせながら、恥ずかしそうに語っていく。

「で、でもね! それは、きっかけってだけで、実際に指導役として教えてる時、ホントに素直で熱心で、いい子だったから。それで、先輩としてしっかりサポートしてあげないと、みたいな使命感が湧いてきたというか――」

 恥じらいながらも、若菜は、山の風景などそっちのけで、思いの丈を語り続けた。

 そして、告白前の心境。

「――そんなこんなで、一緒に過ごすうちに気持ちが抑えられなくなってきて、告白することも考えたんだけど。昇太君の人気っぷりは知ってたし、いい歳して恋愛経験ゼロのあたしなんか相手にされる訳ないと思ってたんだ。でも、隊のみんなに相談したら、『いつも触れ回ってる通りの子なら、傷付けるような振り方もしないだろうし、自分で勝手に気まずいと思わない限り、関係が壊れたりもしないでしょ? むしろ、それだけ好意を持ってるって分かれば、喜んでくれるんじゃない?』って」

 そっと目を伏せ、部下でもあり、友人でもある隊員たちから助言をもらったことを振り返る。

 実力で勝っている階級持ちといえども、一般隊員から教わることは決して少なくないのだ。

「後は昇太君も知っての通り、駄目元で告白したらまさかのOK。彼氏いない歴イコール年齢から一転して、誰もが羨む美少年と恋人になったの」

 今では、本人に向かってこのように言えるほど固い絆が生まれていた。

「OKだったのは分かったけど、どう告白したらそんな一発逆転ができるのかが肝心なのよ!」

 いつの間にか放置されていた朱姫が、不満そうに口を挟む。

「そ、それは……、普通に……、『可愛い後輩ってだけじゃなくて、男の子として好き』とか……、『駄目でも先輩としての務めはちゃんと果たす』とか……、変わったことは何も……」

 何度も言い淀みながら、告白の台詞を一部抜き出して話す。二人にとっては、その場での言葉より、それまでの関わり方が重要だった。

「恋人になってからも、『本当にあたしで良かったの?』とか、『あたしたち恋人なんだよね!?』とか、会う度に確認されましたね。だから毎回、『僕も先輩のこと好きですよ』って言って、キスを交わしていました」

「しょ、昇太君……!!」

 散々ベタベタしていたものの、昇太の激白には赤面せずにいられない若菜。

 事実、再確認は頻繁に行われ、繰り返しの末、ようやく自分が昇太の彼女だとの安心感を持つことができたのだ。

 若菜のヘアピンと、昇太のネックレスは、互いに贈り合った物で、それを肌身離さず持つことにも二人の関係を確認し続ける意味があった。

 ちなみに、ヘアピンはオーダーメイド品で、凝った花の細工が施されている。

「告白自体は普通か……。じゃあ、昇太君に訊くわ! 何で若菜で良かったの!?」

 本人どころか、朱姫までが、若菜『で』良かった、と表現している。入団してから長い為、だんだん扱いがぞんざいになってきている。

「何で、と言われても、他の女性と比較していないので何とも……。若菜先輩が良かった理由は、やっぱり後輩としても大事にしてくれていたこと……でしょうか」

 冗談抜きに若菜以外は眼中になかったらしく、少々困惑気味だ。

「ん~。結局は、気持ちをまっすぐ伝えるしかないか……」

 仮にも、パートナーにしたいほど好きな相手。正攻法以外を用いるべきではないとの結論に至った。

(久遠も、私を傷つけるようなことはしないだろうし、騎士団長を辞めるなんて話になるはずもない――。後は、タイミング……。あの時は、よく考えもせず、王位を継いだらなんて言ったけど……、それはつまりお父様が……)

 本当に、女王になるのは、既に亡くしている母に加えて、父をも亡くした時である。告白などと考えている場合ではない。

 不吉な考えを払うように首を振った朱姫は、当初の目的に立ち返って山の動物探しを始めた。


 かなり山の奥まで進んできた。朱姫は、一度夢中になると猪突猛進するタイプだ。

「あっ! あっちにリスがいるわ!」

 可愛らしい動物を見つけては、そちらへ駆けていく。

 動物というのは、正確にいうと『動物が羅刹化した存在』であり、羅仙界には、基本羅刹以外の生物はいない。

「朱姫様。どうにも、あちらからは不穏な気配が……」

 昇太の制止も聞かず、護衛を置いて先へ進んで行ってしまった。

「気にしすぎじゃない? この山からは何も感じないよ?」

 そう言いながらも、役目を果たさない訳にはいかない為、若菜たちも朱姫を追う。


(みんな心配し過ぎなのよね。私の探知能力だって成長してるし、敵がいないかぐらい――)

 わざと二人を撒くようにして山道から外れたところで、予期せぬ事態に目を見張った。

「きゃああっ!!」

 目前に黒き巨人が現れたのだ。

 羅刹の場合、身長は人間とほとんど変わらないが、この生物の全長は人体の数倍ある。

(嘘……。こんなの近くにいて気付かないはず……)

 岩壁で死角になっていたとはいえ、羅刹の能力なら感知できないはずはなかった。

 朱姫の存在に気付いた巨人は、拳を振り上げる。

 その拳が迫った時。

霊剣れいけん陽炎かげろう!」

 光り輝く刃が飛んできて巨人の腕に命中。その軌道を逸らした。

 跳躍してきた若菜が朱姫の前に着地する。手に握った剣は、先ほど飛ばされたのと同様の光を纏っている。

「若菜!」

 今放たれたのは、『霊気』。

 『霊力』という言葉は、形態を問わず、霊的な力、あるいはそれに関連した要素全般を指す。

 一方、『霊気』は実際に撃ち出されるものである。

 霊剣・陽炎。その刀身から放たれた霊気が刃の形状を成したのだ。

霊刀れいとう紫苑しおん

 腰に差していた刀を鞘から抜き放った昇太が、若菜と並び立つ。

八葉縛はちようばく

 周囲にある木の葉が一斉にまとわりついて、巨人の動きを止めた。

 八葉縛――昇太が持つ能力の一つで、放出した霊気を植物に込めて操る。

「昇太君!」

 朱姫の危機に上位階級の騎士二人が駆けつけた。

「全然気配を感じなかった……。いや、違う……。今も感じない!!」

 姿が見えてもなお、気配として感じるものが何もないことに驚愕する若菜。

 先ほどの斬撃でも傷を負っていないことから強力な個体であるのは間違いない。

喰人種しょくじんしゅ完全かんぜん変異体へんいたい……。強大な力で探知能力を狂わせていたのだとしたら、強さに反して気配を感じにくくなっていてもおかしくありません」

 『喰人種』――生物の魂を喰らって力を増大させる化物。羅仙界において、最も重大とされる問題の元凶がこれだ。

 完全変異体は、化物としての変異が進んでおり、絶大な力と狂暴さを兼ね備えている。

「普通以上に魂を吸い込む能力が高そうです。気をつけて戦わないと、肉体が残っていても、魂だけ奪われます……!」

 木の葉による拘束を、圧倒的な膂力りょりょくではねのけた喰人種。

光芒閃こうぼうせん!」

八葉刃はちようじん

 つるぎから撃つ光線、宙を舞う花葉の刃、それぞれの技で応戦を開始した。


「そんな……」

 愕然とする朱姫。

 喰人種が繰り出す殴打と蹴りによって、騎士団の実力者二人があっという間に倒れた。

「な、なんて力……。変異体がこんなにも強かったなんて……」

 地に伏している若菜に、追い打ちをかけるように巨大な拳が迫る。

戦姫血盾せんきけっしゅん!!」

 その攻撃は紅の盾によって阻まれた。

 朱姫は、自ら手首を掻き切って血を流している。

 『血閃けっせん』――血に霊気を込めて武器化する術。少量の血液でも、霊気を帯びることで膨張し、攻撃・防御に活用できる。

「これが、王家の者に流れる血の力よ!! ここからは、羅仙界の王女、真羅朱姫が相手になるわ!!」

 叫び声で挑発し、朱姫は喰人種の頭上へと跳躍した。

戦姫血槍せんきけっそう!!」

 今度は、手元に血の槍を作り出す。

 どんな化物であれ、頭を潰せば絶命するに違いない。脳天に向かって一撃を放とうとしたのだ。

 だが、槍を飛ばすより早く、喰人種の腕は朱姫を打ち払った。

 地面に激突する朱姫。

「ぐっ!」

 喰人種完全変異体を前に、朱姫、若菜、昇太、三人共が打ち倒された。

 巨体が近づいてくる。

(こんなところで死ぬの……? 城で大人しくしてた方がマシだったじゃない!!)

 自分の軽率さに嫌気が差す。最早、這いつくばって死を待つしかない。

 迫りくる喰人種の視界を木の葉が覆った。

 昇太は、倒れたまま刀を握っている。羅刹の武器は実際に振らなくとも霊力を行使できるのだ。

 そんな抵抗も虚しく、植物を使役する能力は片腕でいとも容易く砕かれた。

(もう駄目……。ごめんなさい……、お父様……、久遠……)

 全てを諦めた、その時。

 喰人種は、おくしたように動きを止める。

 今まで戦域で発生していたものとは比較にならない、圧倒的な波動を受けたのだ。

 『霊力波れいりょくは』――霊気が、もしくは霊力を有する存在そのものが放つ、霊的な波。その強さは使い手の力量に比例する。

刹那せつな十式じゅっしき飛天瞬塵破ひてんしゅんじんは

 技の名が聞こえたかと思えば、次の瞬間、喰人種の姿は跡形もなく消えていた。

 敵を見ていなかったのではなく、本当に突然消えたのだ。

 このようなことができる者は一人しか知らない。

「久遠……!!」

 霊神騎士団団長兼第一霊隊隊長・蓮乗院久遠。すんでのところで、彼の救援が間に合った。

「申し訳ございません。私がついていなかったばかりに、殿下を危険に晒してしまいました」

 久遠は、朱姫を助け起こす。

 そして、霊力を用いた回復の術で傷を癒した。

「私の方こそ、ごめんなさい。いつも勝手なことして心配かけて……。自分だけじゃなくて、二人まで危ない目に……」

 一瞬にして完治した朱姫は、若菜と昇太に目をる。

「こちらも、薬草をかき集めてどうにか動けるようにはなりました」

 昇太の能力で回復した二人は、久遠と朱姫のもとへ歩み寄った。

「すみません、隊長! 今回のことは全部あたしの責任です! 昇太君は警戒していたのに、あたしの考えが甘かったせいで……!!」

 悲痛な面持ちで頭を下げる若菜。どうにかして罪を一身に受けようとしている。

「東雲君、鳳君、君たちを処罰することなど、殿下ご自身が望んでいらっしゃらない。それに、責任というなら隊員を預かっている私にこそある。それに――、今はそれどころではない」

 久遠は、責任の所在についての話など早々に打ち切りたいという様子だ。

 朱姫の顔をまっすぐに見据えて告げる。

「殿下、どうか落ち着いてお聞きください。陛下が――急病にて危篤きとく状態となられました」


 城に戻った朱姫は、王の私室に飛び込んだ。

「お父様!!」

 弱り切ってベッドに横たわる父の傍に寄り、その手を取る。

 羅刹の生命力は、確かに人間より高い。

 しかし、羅刹しかいないこの世界において、病原菌は羅刹をも死に至らしめるほどに進化しているのだ。

「帰ってきてくれたか、朱姫」

 羅刹王は、一人娘に最期を看取ってもらえることに安心しているようだった。

「お父様……。わがままばかりで、ごめんなさい……。こんなことだったら……」

 大粒の涙を流す朱姫は、今までの振舞いを悔いる。遊んでいる暇があったら、もっと親孝行をしておくべきだったと。

「……いいんだよ。お前には……自由に生きてほしかったからね。これからも、その奔放さを忘れずに、羅仙界の民を……っ」

 話の途中で咳き込む。

 とうとう限界だと感じたのか、朱姫の手に形見と思われる品を握らせる。

「……最後に、これを……。本当なら、誕生日……にでも……っ……。王家の宝……、きっとお前を守ってくれる……は……ず……」

 そこまで言って、朱姫の父は事切れた。

「おとう……さま……。お父様……!!」

 朱姫は泣きじゃくりながら、あかい宝石がはめ込まれたペンダントを握りしめる。



 数日後。羅仙界の首都・霊京の中心にある一番街いちばんがい

 王城前の広場にて、新たなる羅刹王の即位式が行われる。

 式を目前に、女王となる朱姫は久遠と共に城内の一室に控えていた。

「――久遠。私、頑張るから、見守っててね」

 毛皮付きのマントを羽織り、胸に家宝のペンダントを提げた朱姫。

 久遠は静かにうなずく。

 それを確かめた朱姫は、父の思いに応えるべく、民の前へと歩み出した。


 即位式はつつがなく執り行われ、この日、羅刹王・真羅朱姫が誕生した。




 即位式終了後。一番街から五番街へと通じる街道をく、二つの人影。

「いかがでしたか、即位式は?」

「少なくとも、彼女の決意は固いようだった。変化があるのはいいことだろう。向こうもきっかけさえあれば……」

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