一つ目の鉢:森の白い帽子 3

「素直な良い子だ――」

 びゅうびゅうと風の音の中でもやけにはっきりと聞こえた呟きに、低い声に、何故かどきりとした。

 羽根もないのに飛び上がったヒェムスさんと僕は、暗い木立を足下に、緩やかに滑空している。

 両腕に抱えられた僕は、すぐ近くであの蒼い耳飾りを見ることが出来た。菱形の小さな蒼い石は、揺れる度に虹色の光を反射する。関係ないことだけど好奇心を抑えられなくて、つい僕は質問してしまっていた。

「ヒェムスさん、この耳飾りは」

「ん? ああ、それか。それもきょうだいからのプレゼントだ。私の格好が地味だからって押し付けられてな」

 服はほぼ黒一色だし、確かに派手な容姿ではないかも。それがヒェムスさんにはよく合うけれど、

「耳飾り、似合ってると思います」

 風に負けじと言えば、口端で微笑んだ彼はやっぱり嬉しそうで。

「だろう? 私もこれは気に入っているよ」

 なんて言葉を返してくれた。僕にはきょうだいはいたんだろうか? 覚えていないけど、いたらきっと楽しいのだろう。ヒェムスさんを見ているとそう思える。

 黒い剣士服に掴まりながら眼下を注意深く眺めていると、遠くの方に一瞬だけ、白い色が見えたような――。

「ヒェムスさんっ」

 彼にも見えたのだろう、スピードが少し増した。風はローブが防いでくれるから平気。……顔は、仕方ないか。

 どうやら見間違いじゃなかったようだ。僕らにはもう確実に、大きな木の先端にちょこんと乗っかった帽子が見えている。

「おお、あったあった。なるほど、伸びていたわけだな」

「伸びて?」

「かぶせた時よりも木が成長していたということだ」

 嬉しそうな、しかしどこか落ち着いた声音に、奇妙な違和感。ヒェムスさん、もしかして。

 僕が考えている間にもヒェムスさんは滑らかに降下し、通りすがりに片手を一瞬離して帽子に触れる。がくん、となった僕は心底びっくりしてしがみついたけど、手が離れていたのは本当にわずかの時間だけだったから問題はなかった。

 それより、近くで見た本物の帽子は話通り“綿”に似た、柔らかそうな白い見た目をしていた。ヒェムスさんが手をかざした途端に、さらりとした水になってしまったけれども。

「ありがとう、坊主。おかげで助かった」

 再びゆっくりと森の中に降り立ったヒェムスさんは、僕にとびきりの笑顔を向けてくれた。僕も嬉しくなって笑う。


 ――リーン……


 鈴の音が、した。これが仕事終わりの合図だったっけ。

 僕は慌ててローブを脱いで頭を下げる。薄着でも平気なくらいにもう体は暖かい。

「これっ、ありがとうございました! えと、僕もう帰らなくちゃいけないみたいで」

「そのようだな」

 あっさりうなずくヒェムスさんはローブを纏う。僕には余っていた袖もぴったり。

 それにしても、このひとは。

「あの、最後にひとつ聞いてもいいですか」

「構わないよ」

「ヒェムスさん……最初から帽子の場所、知っていましたよね?」

「……さて、何のことやら」

 ニヤリと笑んだその表情が答えじゃないか。

「なんで、」

 鈴が鳴る。何度も何度も。ふと見た僕の両手は薄く透けていた。

「私の場合は別だよ。初めての仕事が私と帽子の回収だったのだから、まぁすぐに君なら姉さんに会えるだろう」

 ヒェムスさんのお姉さん?

 聞き返そうにも、その時間がないことはなんとなくわかる。体が後ろに引っ張られる感覚。視界が淡い光に覆われていく中で、黒髪の麗人は初めて僕の名前を口にした。

「ピエリス――アド・マイオーラ!」

 ソルさんも同じことを言っていたな。光に包まれながら僕はそんなことを考えた。



 はっと意識がはっきりした時には、明るい色彩の海に立っていた。

「お帰り、ピエリス」

「ご苦労様」

 出迎えてくれたふたりは、行く前と変わらずカウンターのところ。

 ひらひらと手を振るソルさんに、僕は挨拶もそこそこに早速質問を投げ掛ける。

「ソルさん、ルナさん、ただいま。あの、ソルさん。“アド・マイオーラ”って、どういう意味ですか?」

 尋ねてから、他にも聞きたいことが山程あったと思ったけど、まぁいいか。ソルさんがちょっぴり不思議そうな顔をしたから、「ヒェムスさん――あっちで会った男のひとに言われたんです」と続ける。

「上々なんだわ!」

 ルナさんはくるりと宙返り。カウンターの上で、彼女がいとおしむように触れているのは黄色い……タンポポの花?

 気が付いた。タンポポが咲いているのは、僕が任された五つの鉢のうちの一つ。

 ソルさんを伺い見ると「良かったね」と満足そうに笑った。形の良い唇がそっと言の葉を紡ぐ。

「アド・マイオーラ……幸運を願う、素敵な言葉だよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る